第四章 軽さの代価
盗賊は、よく笑う。
場の空気が重くなればなるほど、軽い冗談を投げた。誰かが言葉に詰まれば、先に肩をすくめてみせた。その仕草は、場を和ませるためのものだと、皆が思っていた。
実際、その通りだった。
彼は空気を読むのが上手かった。誰が今、何を見たくないのか。誰がどこで話題を逸らしたいのか。それを嗅ぎ分け、生き延びる術として磨き上げてきた。
魔王城でも、それは変わらない。
彼は常に一歩後ろにいた。危険から一歩、責任から一歩、覚悟から一歩。だが、その一歩は決して遅れではない。最短距離を知っている者だけが取れる、最適な位置取りだった。
転移陣が起動する直前、彼は走っていた。
剣士が止まり、魔導士が術式を書き換え、時間が歪んだ、あの瞬間。
盗賊は、迷わなかった。
迷わなかったのは、勇気があったからではない。考えるより先に、体が動くことを知っていたからだ。生き残るための反射が、彼を走らせた。
彼は、子どもを見た。
だが、足は止まらなかった。
「後で、誰かが拾う」
そう考えたわけではない。もっと軽い。
「今じゃない」
ただ、それだけだった。
境界が動き、魔力が溢れ、転移陣が光を放つ。
盗賊は、転移の輪の中に滑り込んだ。
背後で、何かが音もなく消える気配がした。
それを、振り返らなかった。
振り返れば、判断になる。判断は、責任を伴う。彼はそれを、本能的に避けた。
魔王は倒れ、世界は救われた。
祝宴で、盗賊は一番飲んだ。
笑い、騒ぎ、英雄の肩を叩き、冗談を言い続けた。重い沈黙が生まれそうになると、真っ先にそれを踏み潰した。
「結果オーライだろ?」
その言葉は、何度も使われた。便利で、軽く、誰も傷つけない。
吟遊詩人だけが、反応しなかった。
彼は笑わない。否定もしない。ただ、その言葉が出た瞬間を、正確に覚えていた。
四日目の朝、盗賊は理解した。
自分が生き残った理由を、誰かが背負っていたことを。
重い選択をした者がいる。
計算をした者がいる。
祈った者がいる。
そして、自分は――何も選ばなかった。
選ばなかったことが、最も軽く、最も残酷だった。
「冗談だろ……」
盗賊は笑った。
だが、その笑いは、誰にも届かなかった。
吟遊詩人は、盗賊の軽さを、最後まで否定しなかった。
否定しないことで、それが“選択だった”と確定させた。
盗賊は初めて知った。
軽さにも、代価があることを。
そしてその請求書は、逃げ切った者のもとに、最後に届くことを。




