第五章 祈りの外側
聖女は、祈る。
それは職能であり、習慣であり、彼女自身の存在理由だった。言葉を選ばずとも、意識を澄ませば祈りは立ち上がる。彼女にとって祈りとは、迷った末の行為ではなく、迷う前に発動する反射だった。
魔王城に入ったとき、彼女はすでに祈っていた。誰かが傷つく前に。誰かが死ぬ前に。あらゆる可能性を先回りし、被害を最小化するために。
祈りは、届いていた。
致命傷は避けられ、即死は免れ、仲間は倒れなかった。剣士の刃が逸れた瞬間も、魔導士の術式が歪んだ瞬間も、盗賊が振り返らなかった瞬間も、彼女の祈りは働いていた。
ただし――
すべてを救う形では、なかった。
祈りには、範囲がある。
彼女が祈りに含めたのは、パーティの六人だけだった。無意識だった。長年そう教えられてきた。聖女とは、選ばれた者を守る存在だと。
だから、子どもは含まれなかった。
剣士が迷い、魔導士が境界を動かし、盗賊が走り抜けた、そのすべての瞬間で、祈りは正確に作用していた。
守るべき対象を、外さない限りは。
「神は、正しい者を守る」
彼女は、そう信じていた。
だが正しさは、誰が決めるのか。
吟遊詩人は、祈りの輪の外側に立っていた。
彼は、癒やされていた。守られてもいた。だが、彼女の祈りが“何を含み、何を含まないか”を、はっきりと見ていた。
魔王が倒れた瞬間、聖女は深く息を吐いた。
救えた。
そう思った。
四日目の朝、彼女は初めて気づいた。
救われなかったものが、どこへ行ったのかを。
礼拝堂で彼を見たとき、彼女は反射的に祈った。癒やしの言葉が口をついて出た。だが、祈りは届かなかった。届くはずがなかった。
彼は、最初から祈りの対象外だった。
「どうして……」
聖女の声は、祈りではなかった。
吟遊詩人は、彼女を責めなかった。
彼はただ、そこにあった祈りの境界を、越えなかった。
聖女は理解した。
自分が守ってきたのは、命ではなく、物語だったことを。
英雄が死なない物語。
選ばれた者だけが救われる物語。
その外側で起きた死を、彼女は祈りで包まなかった。
包まなかったのではない。
最初から、含めていなかった。
祈りは、暴力ではない。
だが、境界を持つ。
聖女は初めて、祈らないという罪を知った。
そして、その罪を誰かが代わりに背負っていたことを、否定できなくなった。




