幕間 オルト・グリンスースの回想
開演前のざわついている音楽堂で、オルト・グリンスースは前方に見えた鋭い目をした女生徒の顔に、内心うんざりする。
彼女はヴィヴィアン・クロス、クロス子爵家の三姉妹の長女だ。
ヴィヴィアン・クロスについての情報は、先日の秋の長期休暇の間に王都で行われる面接に行くにあたり、王都で買い物をしたいという姉のナーチェ・グリンスースが強引に馬車に同乗した際に、暇に飽かせて延々と喋っていたので詳しくなった。
領都エルムヘイブンからアーケイン・レムナント国の都……王都アルドリオンまでは、馬車で移動しても片道約十日の長旅となる。
国の端にあるエルムフォレスト領からでは、貴族であっても中々訪れることはできない。
だから、姉はここぞとばかりに馬車に乗り込んできたのだ。
小柄でフワフワとした雰囲気の愛らしいナーチェはグリンスース家で唯一の娘で、父から甘やかされており、父の配慮で少し年上の侍女が一緒の馬車に同乗し、護衛が二人付いてきている。
オルト一人ならば、御者兼務の護衛が一人付くのみだっただろう。
「ねえ、オルトの同級生のヴィヴィアン・クロスはどうしてるの? 最近噂を聞かないけれど、やっとおとなしくなったのかしら? もう二十一だしね?」
可愛らしい口調で言っているのに、年齢を言うときに馬鹿にするようなフッという笑い声が入っているうえに、語尾が上がっていることから、姉がヴィヴィアン・クロスに対して良い感情をもっていないことがオルトでもわかった。
姉は外見は可愛らしいが、内面に辛辣さがあるのは、弟としてよく知っている。
学園に入学してから長期休暇にしか実家に帰っていない上に、おしゃべりな姉が苦手なオルトは彼女を徹底的に避けていたので、本当に久し振りの会話だったのだが、久し振りの会話が馬車という逃げ場のない密室であるのが拷問であるように感じていた。
姉の横に座る、姉のシンパである侍女のエミリーの視線が、ちゃんと会話をしろとうるさい。
「領主様の三男を射止めるため、ギリギリまで入学しないなんて、聞こえのいいことを触れ回っておいて。当の三男様が一年遅らせて入学したから、まんまと同級生の座から転落なんて、滑稽よね? 本当に、三男様はいいタイミングで入学してくださったわ。あの女が、学年が違って、手の届く距離で歯がみしているのが想像できるわ」
ナーチェは他の家族の前ではここまで言うことはないが、弟という気安さで毒舌を吐く。
「随分恨んでるように聞こえるが、なにか因縁でもあるのか」
呆れをにじませてオルトが聞くと、ナーチェの形の良い眉がピクリと上がる。
「あるわよ。あの女、自分よりも容姿が優れていて、尚且つ身分が下だったり、実家があの女の実家と取り引きがある場合には、これ見よがしにいびるのよ。あの女を恨んでいる人間なんて、私が知っているだけでも、両手で足りない程だわ」
なるほどとオルトは納得する。
前に座る姉は確かに容姿に優れているし、爵位は同じ子爵家ではあるものの、資産的にはあちらの方がかなり裕福だ。
姉は年齢も二十歳でヴィヴィアン・クロスと近く、お茶会等で会うことも多かったと予想できる。
家族にはこうして言いたいことを言える姉だが、外に出れば奥ゆかしい令嬢なので、目を付けられてもおかしくはない。
鬱陶しさを感じたりもする姉だが、他人に虐げられると腹が立つ。
無表情の下に苛立ちを隠したオルトに、ナーチェは話題を変えてくる。
「そういえば、オルトが入ってる魔道具創作部に三男様が入部したのよね?」
「なぜ、知ってる」
思わず低い声が出てしまった。
寮生活で滅多なことでは自宅に帰らない生活をしているオルトからは家の誰にも言っていないのに、ナーチェは既に知っていた。独自の情報網を持っているのか、はたまたお茶会の茶飲み話で聞いてくるのか。
学園には自宅から通っている者も多く、休日ともなれば学園生でもお茶会に出ている。そこから話が広がってもおかしくはないのだ。
「ソレイユ式のソレイユ・ダイン様も一緒なんでしょ? ねえ、どんな子なの?」
それも知っているのかと慄く。
「どっちも――面白い奴ら、かな」
なんとも言えない顔になりながら、オルトが答えをひねり出すと、ナーチェは大袈裟に喜んだ。
「まあ! 他人に興味を持たないオルトが、『面白い』と言うなんて! 本当にいい後輩ができたようでよかったわ」
年上のお姉さんぶって微笑ましそうに見てくる視線が煩わしくて、話を切り上げようと馬車の窓の外に視線をやる。
「それで、オブディティ・イクリプス様とは、進展しそうなの?」
ゴッ……。
オルトの頭が、馬車の窓枠にぶつかった。
「な、な、な……っ!」
一体どこからオブディティのことを知ったのかと考えるが、どうにも情報の入手元がわからない。そういえば、あまり親しくない遠い親類の女性が何人か学園に通っていたはずだから、そこから聞いたのかもしれない。
「あら、真っ赤ねえ。あなた奥手だから、絶対にアプローチなんてしていないでしょう? 一年なんてあっという間よ、後期なんて部活なんてやってる暇はないんだから、会えなくなるわよ」
既に学園を卒業した先輩として指摘してくる姉に、オルトは視線を彷徨わせる。
「だからっ。俺は別に、オブディティ嬢なんて、別に……」
語尾が小さくなるオルトに、ナーチェがニヤニヤしそうな顔を堪えている。
「イクリプス家といえば武家の名門……上に三人のお兄様がいて、末に生まれたオブディティ様は特に大事にされているのよね。もしかしたら、兄を倒してから妹に交際を申し込め、と言われることも覚悟しておいた方がいいかもしれないわよ」
ナーチェの予想に、オルトの頬が引き攣る。
「いや、俺は、別に……」
歯切れ悪く言いよどむオルトに、楽しく揶揄っていた姉だがちょっと悲しそうな表情になる。
「そうね、オルトは就職したら王都ですもの、これ以上、野暮を言うのは止すわね。そういえば聞いたわよ! ソレイユ様がダンスパーティで、ヴィヴィアン・クロスにひと泡吹かせたこと」
やはり情報源は茶会で、学園の生徒がリークしているのかとオルトは遠い目になる。
今までの話は、この話をするための前振りだったのかもしれない。
「知ってるのか」
オルトの言葉に、姉の目が嬉しそうに弧を描く。
「ダンスパーティの趣向も変わったらしいわね? 三人と踊らなければならないとか、踊れなければ留年だとか」
「それは今年限りで、来年には元に戻るということだ」
「ふふっ、それはそうよね。ヴィヴィアン・クロスが躍起になって、殿方たちに手を回していたと聞いたわ。ソレイユ様と踊らないようにって。あの方、寮生のくせにほとんどご実家から通っているでしょう? 三男様との逢瀬を考えて、今年から寮に入ったのに、それが叶わないからって……本当に、身勝手よね」
またも鼻を鳴らすナーチェだ。
「休みの度に茶会を開いては、学園の外にいる女性たちに、学園内のことを面白おかしくお話ししているみたいよ? 私も彼女の取り巻きが主催するお茶会に行ったことがあるけれど、それはもう何かにつけて、ソレイユ様のことを悪く言っていたわ――最初は怪訝に思っていても、繰り返されたり、他の方からも同じ内容を聞いたりしたら、その話が本当だと錯覚してしまうこともあるの。オルト、あなたの後輩さんたちを守ってあげなさいね」
「わかってる」
躊躇わず頷いたオルトに、ナーチェは微笑む。
「それにしてもなぜヴィヴィアン・クロスは、ああもライゼスに拘るんだ。そもそも、自分の方が五つも年上だぞ? ライゼスが、上に二十三になる兄がいると言っていたから、普通ならそっちを狙うだろう」
疑問を口にしたオルトに、ナーチェが答える。
「あの女は二十一歳でしょう? 次男であるクロノス様は、十六歳で入学されたから、間に合わなかったのよ。だから、秀才の誉れ高いライゼス様が十五歳で入学するのに賭けて、ギリギリまで入学を待ったのでしょうね」
「そして、まんまと賭けに負けたわけか」
明け透けに言い捨てるオルトに、ナーチェは愉快だと笑った。
「あはははっ! 本当にその通りだわ!」
「あいつ、ライゼスに合わせて、ギリギリまで入学を遅らせたって言ってたのは、本当だったのか」
ヴィヴィアン・クロスの本気具合に、オルトの顔が嫌そうに歪む。
「どうかしらね? あの女は見栄の固まりよ、言葉を真に受けちゃダメ。もしかしたら、純粋に入学試験に受からずに、あの歳になったのかもしれないわ。本当のことなんて、薄っぺらな嘘でも見えなくなるのよ。そしてヴィヴィアン・クロスは息をするように嘘を吐くの、私もそれで、何度煮え湯を飲まされたことか」
苦々しく吐き捨てるように言う姉に、そんなことがあったのかとオルトは内心で驚く。
「学園に入る前も、好みの男を見つけたら、相手の女性を金で別れさせたり、顔の怖い男を使って脅したり、色々やっていたのよ。入学してからも、去年一年で何人も泣かされているでしょう? 三男様が入らない腹いせで、顔のいい男や、家柄のいい男に粉を掛けていたらしいじゃない。結局、今年三男様が入学してきたからって、急におとなしくなったらしいけれど、今更よね」
ナーチェの言うように、昨年ヴィヴィアン・クロスが色々な男子生徒にアプローチしていたのは、学園内の男子の間では有名な話だ。そして、そんなヴィヴィアン・クロスに泣かされていた女性も、学園で何人か見かけている。
「より良い結婚相手を見つけるために、なりふりかまっていられないわよね。女性当主もいなくはないけれど、それは男性以上の才覚があってこそ。才覚がないならば、力のある伴侶を捕まえなくてはいけないもの」
ヴィヴィアン・クロスには才覚がないと言い切っている。
「それに、家を継ぐのは彼女でなくてもいいでしょう? 彼女の妹は今年十五歳と十三歳、上の妹の方は来年入学するみたいよ」
「ライゼスを狙うなら、むしろ妹の方じゃないのか。十六歳で学園に入学できる頭があるなら」
普通は十七歳で入学する生徒が多い、その中で一年でも早く入学できるというなら、それなりに頭が良いということだ。
「そういうことね、クロス家としては、どっちでもいいでしょうし。だからあの女が、余計に焦っているのでしょう。三男様は、領内でも有数の好物件ですもの」
三男だから婿に出ても問題はなく、伯爵家と縁続きになれるのだ。紛うことなき好物件だったが、それは相手が居ないならという注釈がつくだろう。
ソレイユ・ダインという相手がいるライゼスに、付け入る隙があるとは思えなかった。
* * *
「当て馬にもなれないっての」
五列前のヴィヴィアン・クロスが、前に座るソレイユ・ダインを睨んでいるのを見て、呆れて呟く。ライゼスがソレイユ・ダインに惚れてるなんて、ちゃんと見ていればわかることだろうに。
いや、わかっていても、諦められないのか。
今回は音楽を聞くだけだから、ダンスパーティの時のように何かできるわけもないと高をくくり、はじまった演奏に意識を向けた。
するとはじまって早々に、前方に異変があった。
ヴィヴィアン・クロスの周辺で船を漕ぐ者が多く現れたのだ。
さすがにおかしいと、口を開かないまま後ろの列がざわめく。
やがてヴィヴィアン・クロス以外の生徒はハッと目を覚まし姿勢を正したが、ヴィヴィアン・クロスだけは、首をぐったりと項垂れ椅子に沈み込んだまま――最後まで目を覚まさなかった。
普通は隣の生徒が仲間意識で起こすものだが、それもなかったようだ。日頃の行いというやつだろうと、納得する。
やがて、戦々恐々とした音楽鑑賞会は終わり、前の席の生徒から立ち上がり音楽堂を後にする中、ヴィヴィアン・クロスだけが一人椅子に体を預けている。隣の席の女生徒は、他の生徒に先に出るように促しており、ソレイユ・ダインも彼女の指示に従って音楽堂を後にしていた。
彼女はソレイユ・ダインが音楽堂を出たのを確認してから、ヴィヴィアン・クロスの肩を揺すって起こそうとするが起きず、近くの男子生徒が持っていた気付け薬らしきものを彼女に渡し、彼女はヴィヴィアン・クロスの鼻先にそれを近づけた。
一部の生徒の必須アイテムであるそれは、覿面にヴィヴィアン・クロスを覚醒させ、跳び上がるように立ち上がった彼女はすぐに事態を把握すると、絹を裂くような悲鳴をあげてその場に崩れ落ちる。
すぐに教師が数名駆けつけ、錯乱しているヴィヴィアン・クロスが保護された。
隣にいた女生徒が何事か教師の一人に伝えている。
ざわつく音楽堂内で、伝言のように女生徒の言った言葉が回ってきた。
――ヴィヴィアン・クロスが睡眠薬を他の生徒に使用したが、返り討ちに遭って眠りこけた、と。
誰に使ったのかは明確にされていなかったが、間違いなくソレイユ・ダインにだろう。
ということは、ソレイユ・ダインが返り討ちにしたということだ。
ヴィヴィアン・クロスの取り巻きは憤慨していたが、大半の生徒はその痛快な事実を好意的に受け入れていた。
そして教室に戻る頃には、ヴィヴィアン・クロスの退学が決まったことが広まっていた。
前回のダンスパーティの件で警告が出ていたにも拘わらず、今回の悪行により学園側の温情は尽きたらしい。
「まあ、これで、大事な後輩たちが平和に暮らせるってもんだよな」
部室へ向かう道すがら、今度の休みは姉の顔を見に、実家に帰ってみようかと思うのだった。




