19.音楽鑑賞会
前日ぐっすり眠って万全の体調で迎えた音楽鑑賞会当日、二列に並んで音楽堂に移動する道すがら、久々にヴィヴィアン・クロスに遠くから睨まれております。
いつもは索敵の魔法で死角に入り目に触れないようにしているんだけれど、団体行動の今日は逃げ切れなかった。
さり気なく近くを歩いているオブディティから、事前に聞いていた話だとヴィヴィアン・クロスはまだまだライゼスを狙っているということで、わたしはしっかり目の敵にされている。
「万が一、あんな(付き合っている)ことや、こんな(お互いの両親に挨拶もした)ことが知られたら、どうなるのかしらね」
周囲に聞こえないように、口元を隠し、視線を外したまま囁いてくる。
「他人事だと思ってますね、オブディティさん」
わたしも負けじと、さり気なく言葉を返す。
「ふふふ。そんなことありませんわ、他人事でしたら、ソレイユさんに情報なんて教えずに、少し離れて見守っておりますわ」
すすーっとオブディティが離れていく。
確かに、それはそうだね。
* * *
クラスでざっくりまとまって音楽堂という、音響に配慮されたホールに向かう。
上級生は一階の中央六列目から十五列目までの席と二階の前列中央席という一番いい音が聞ける席で、下級生はそれ以外の席を埋めることになる。
全員席が指定されているのだけれど、わたしは運の悪いことに、上級生の真ん前中央五列目の席に座ることになってしまった。
オブディティともライゼスとも離れた席が指定されているのは、親しい人間同士を離す意図があるかららしい。
知り合い同士だったら、居眠り対策できそうだからかな?
わたしの両隣のクラスメイトは、右が商家出身のお金持ちのお嬢さんで、左が騎士の家系の男子で、二人ともわたしに悪感情を抱いている様子はない。
すぐ後ろが上級生なので、誰もおしゃべりなんかできず、配布されたパンフレットに視線を落としている。
もちろんわたしも、おとなしくパンフレットを読む。
曲目や演奏時間、作曲された背景や、作曲家のエピソードなんかも書いてあって読み応えがある。そして、最終ページの下に、寝たら留年などの注意事項が書かれている。
演奏者たちが舞台に上る前の、気の緩んだ時間。
わたしは、背後に座る人物からわたしの座るイスの下の方をコツコツコツと……つま先で小さく蹴られていた。
地味に嫌な振動だけど、気付かなかったことにして、無視していいかな。いや、拙いのか?
どう対処するのが正しいのかがわからない。
「ヴィヴィアン様? どうされたのですか」
後ろの席の上級生は、わたしたち緊張している下級生とは違って普通に会話をしている。
そうか、わたしの後ろはヴィヴィアン・クロスかあ……。
斜め後ろから声が聞こえたので、わたしのイスを蹴っている人物、ヴィヴィアン・クロスの隣に座っているひとが、怪訝に思って声を掛けたのだろう。
「虫が居たので、つい足を払ってしまいましたわ。おほほほ」
わたしのことを虫呼ばわりしてるんだろうな。
「そうでしたか。もうそろそろはじまりますし、程々にしたほうがよろしいかと」
ヴィヴィアン・クロスの隣の先輩が淡々とした声で注意してくれた。
「わかっているわ。指図は不要よ」
仲が悪いのかな。わたしの両隣のクラスメイトも、緊張しているのがわかる。
ある意味この緊張感は眠くならなくていいのかもしれないけれど、音楽鑑賞をしている間はヴィヴィアン・クロスだってなにもできないんだから、今日は楽しく音楽鑑賞をすればいいよね。
――そう高をくくっていたこともありました。
まさか、周囲を巻き込んで睡眠薬を使うなんて思わないよねえ。
演奏がはじまって十分程経った頃、ふわりと変に甘ったるい臭いがしたと思ったら、急激に眠気が押し寄せてきた。
咄嗟に頬の内側を噛み、淑女の嗜みであるハンカチで鼻と口を覆う。
横を見れば、男子は自分の太ももに爪を食い込ませるように掴み、女子の方は頭がぐらぐらして、もはや眠っているようなものだ。慌てて静電気の魔法を使ったら、寝入りかけだったのかハッと覚醒してくれた、よかった。
バンディを驚かせるのに子供の頃に使ってた子どもだましの魔法が、こんなところで役に立つとは思わなかったよ。
この匂いをどっかにやらなきゃ、わたしの巻き添えで何人も留年になる。それは流石に、寝覚めが悪い!
一体どこにこの臭いの元があるんだろう、さりげなく周囲を見回し、わたしの座席の下からハンカチの端がのぞいているのに気付いた。
誰のハンカチなんだろう、なんて明白だよね。十中八九このハンカチが原因だよね?
まずは――父が牧草を牛が食べやすいように短く切るときによく使っている、まあるく空気で隔離する魔法でハンカチを覆う、それから睡眠薬が含まれる周囲の空気を会場の天井付近にある窓から外に逃がす。
その間にも、隣の男子が睡魔に負けそうになっていたので、静電気の魔法を軽く掛けて起こしておく。
外の新鮮な空気を建物内に引き込んで、二酸化炭素の濃度を下げれば、もっと目が覚めるはず。
あああ、前の席の人も頭がゆらゆら左右に揺れてる。
静電気の魔法を、揺れてる人全員に掛けた。
先生方がステージの袖や、壁際に立ち生徒たちをチェックしてるんだから、こっちの異常に気付いて欲しい。一角だけ集団で寝るなんて、おかしいと思うよね。
はっ! もしかして!
今日のミッションは『寝ないで音楽鑑賞』だ! ということは、実は水面下で眠らせる攻防をするというのが本来の目的なのかも!
眠い頭で必死に出した答えに、妙な確信が湧いてきた。
そうだよ、音楽鑑賞をするだけなんて、ぬるい行事なんておかしいと思ったんだよね!
ということは、やられたらやり返さなきゃダメだ。
わたしは魔法で遮断してあったハンカチを圧力の魔法で小さく圧縮し、索敵の魔法をヴィヴィアン・クロス一人に集中させることで彼女の全体像を掴み、小さくしたハンカチを反重力の魔法を駆使して浮かせて彼女の襟の裏へと忍ばせ、遮断の魔法を解除する。
圧縮してあるし、襟の裏なので周囲にはさほど影響はないとは思うけど、ヴィヴィアン・クロス以外の人からは睡眠を仕掛けられていないので、とばっちりはかわいそうだ。
そうか! 遮断する魔法でヴィヴィアン・クロスを覆えばいいのか。
あんまりぴったりしたらバレるので、ほどよい大きさの風船の中に入れるイメージで。
この魔法は新鮮な空気が中に入らないから、呼吸で出た二酸化炭素でより一層眠くなるよね! 一石二鳥だ。
わくわくしながら、ヴィヴィアン・クロスの気配に意識を向けておく。
もちろん、音楽鑑賞という名目なので顔は正面で、真面目に音楽を聴いているフリもするよ。
そして、いつやり返されてもいいように、気は抜かない。
ダンジョンに入ると、集中がなによりも重要だから、集中力は結構上がったんだよね。
だけど、いつまで経っても反撃はないし。なんなら、わたしが遮断する魔法で囲って三分もたたずにヴィヴィアン・クロスはこっくりこっくり船をこぎ、背もたれに体を預けて寝てしまった。
ふむ? さすがに手応えがなさ過ぎではないかな。
いや、寝たふりでこちらの油断を誘っているのかもしれない。
気を抜きそうになるのを、時々自分に静電気の魔法を掛けて活を入れ……結局、演奏がすべて終わっても、反撃はなかった。おかしい。
「ソレイユ嬢、助かった。寝ないように起こしてくれたのは君だろ?」
「私も、助かりました。ありがとうソレイユ様」
閉会が告げられてから、両隣からお礼を言われた。
「あの甘ったるい臭いは何だったんだろうな、匂いがした途端に眠くなったんだ」
「甘ったるい匂いですって? それは多分、月見草由来の成分を含んだ睡眠薬でしょうね。あなたたちよく耐えたわね。それに比べて、一人で寝転けるなんて、本当に無様だわ」
男子生徒の言葉を聞いて、ヴィヴィアン・クロスがわたしのイスを蹴った時に注意してくれた先輩が会話に加わり、すやすやと寝ているヴィヴィアン・クロスを小馬鹿にする表情で見た。
「さあ、教室に戻りなさい、遅れたら指導が入るから気を付けるのよ。私はこの人を起こしてから行くわ」
わたしたちは「お先に失礼します」と、気さくな先輩とヴィヴィアン・クロスを残して先に音楽堂を出たんだけど、教室に向かう廊下を歩いている途中でヴィヴィアン・クロスの錯乱した悲鳴が聞こえた、気がした。
次話、近くにいた某氏視点での幕間です。




