06
「フェリクス様はわかっていたのですね」
子爵家を後にして、別邸へと向かっている馬車の中。
私の問いかけに、フェリクス様は少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「セレナの口から夫人の話があまり出なかったからね。どう思っているのかわからなかったし、余計なことかもしれないと思ったけど」
それでも、私ならきっと喜ぶだろうと結婚式のドレスの刺繍を依頼したそうだ。
だけど、結婚式に招待しても返事さえ来なかったことを私が怒っていたし、今まで言う機会を逃したままだったとか。
「フェリクス様に気を使わせてしまって……」
「そんなことはいいんだ。だけど、どうかな?効果はあると思う?」
「え?」
「ほら『花嫁のドレスは母親が刺繍すると幸せになれる』ってやつ」
「あぁ。そのことですか」
急に何の話かと思ったら。
じっと見つめてくるフェリクス様の瞳は真剣そのもの。
(もしかして、フェリクス様はまだ自信がない……?)
「もちろん効果絶大です!昔からの言い伝えは本当だったのですね」
いつもの私よりは少し大袈裟なくらいに言うと、フェリクス様は私を抱き寄せ「良かった」と呟いた。
◇
セレナを王城で偶然見かけたあの日、すぐにその理由を調べさせたところ、子爵家が詐欺に引っかかったとわかった。
ずっとセレナについて報告させていたが、何かあればヘーゲル子爵家のことも報告書には書かれていた。
だから、貧しい状況は把握していたし、時々子爵が何かに手を出しては失敗しているのも知っている。
ただでさえ少ない財産が目減りしていくのを複雑な気持ちで見守ってきた。
だが、借金を背負うほどの大きなことはせず、誰かに媚びたり人に頼ったりしない姿勢は評価していた。
それなのに、どうしてあんな怪しげな話に乗ったのかと不思議だった。
(ヘーゲル子爵家夫人が勧めたのか――――)
大急ぎでセレナを手に入れるための準備を開始した翌日。
家を出たというヘーゲル子爵夫人の行方について、マルセロから報告を受けていた。
「――というわけで、毎日働いているようです。給金のほとんどを子爵家の借金返済に充てています」
「そうか」
「……でも、どうしてわざわざ家をでたのでしょうね。俺はてっきり見限ったのだと思ったけど、借金返済のために必死なように見えましたよ」
その辺の事情は調べてもわからなかったが、俺が踏み込むべきではないだろう。
「子爵夫人についての詳細調査は終了でいい。ご苦労。トニアを呼んできてくれないか」
「はい。では、失礼します」
程なくノックがして、応答するとメイド服姿のトニアが執務室へと入ってきた。
「失礼いたします。お呼びでしょうか」
「トニアに別邸の、妻の侍女を任せる」
「っ!はい!精一杯務めさせていただきます!」
驚いたような表情の後、意気軒昂な様子で手を握り込んでいた。
「早速だが、頼みたいことがある。妻のドレスを至急仕立てたい。結婚後、しばらく困らないだけ用意してくれ。これが彼女のサイズ表だ」
「では、すぐに奥様が、あ、いえ、亡き大奥様が懇意にされていたロテル・サン・ロランへ連絡いたします」
ロテル・サン・ロランとは、母上が気に入っていた女性用のテーラーメイドの店名だ。
数日後、俺の休みにロテル・サン・ロランのオーナーであるマダムがたくさんのデザイン画や布を持って屋敷へとやって来た。
「いろいろなタイプのデザインをご用意させていただきました。お好みに合いますものはございますか?」
広げられたデザイン画は、大人っぽい雰囲気のものから妖艶なもの、可愛らしいものまで様々だった。
(セレナには……シンプルすぎず、かといって派手すぎもせず――――)
清楚さがありながらも、刺繍やレースで華やかなデザインが目に留まる。
「そちらのデザインでしたら、このようなデザインもお勧めですわ」
俺が手に取ったデザインと同じく清楚さを保ちつつ可愛らしいドレスのデザイン画をいくつか出してきた。
「うん。悪くない。だが、この肩が出ているデザインとこちらの背中が開いたデザインは却下だ」
「清楚なデザインがお好みでしたら、このように――襟の付いたデザインではいかがでしょう?」
「あぁ、いいな」
さすが、母が気に入って使っていたテーラーのオーナーなだけある。
似合うドレスを作るため。だとか、体に合わせる必要がある。と言って、相手を聞きだそうとしてくるかと思ったが、好奇心を微塵も感じさせない。
これなら……。
「マダム。ところで、ドレスの刺繍は刺繍工房へ外注しているのか?」
俺の質問に、少し困ったように表情を作ってマダムは答えた。
「できる限り、私の工房で最後の一針まで責任を持ちたいところではございますが、今回の納期までの時間では全てをまかなうのが難しいのが現実でございます。刺繍は刺繍工房へ依頼したいと思うのですが……。もちろん、腕の確かな工房でございますので、ご安心くださいませ」
クオリティーを心配していると思われてしまったようだ。
「その心配はしていない。何しろ、母が『ドレスはロテル・サン・ロランに限る』と言っていたくらいだ」
「まあ!亡き奥様がそんなことを……」
「ところで、刺繍工房の指定をすることは可能だろうか?」
「ええ。私どもと提携している刺繍工房であれば。提携していない工房ですと、なんとも……」
マダムは、自分の目で確かめて納得できる刺繍技術を持っていると認めた所とだけ提携している。
いくら依頼者の希望とはいえ、もしもその刺繍工房の腕が不十分と判じた場合には指定は承れない。
品質を保持することも、高位貴族御用達のテーラーメイドのオーナーの務めであるから、そこは譲れない。
仮に、指定の工房の腕が確かだとしても、その刺繍工房が仕事を受けてくれる保証がない。
それでも良ければ、どこの刺繍工房か聞くことはできる。――と説明した。
「なるほど。今回のドレスは急ぎだからマダムに任せよう。今後、可能であれば依頼したい刺繍工房があるんだ」
「その工房とは?」
「八番街にある――――」
後日、マダムからセレナの母がいる刺繍工房と新しく提携を結んだと連絡があった。




