胸を張って、言えること
レグルス様の王太子就任式のために準備していた大聖堂は、見るも無惨な姿となって崩壊。こんな場所で式を執り行うわけにもいかず、就任式は数日遅れで急遽、王城の大ホールで行われることになった。
私は貴賓席に座り、正装したレグルス様が国王陛下から王位継承の証である剣を受け取り、誓いを述べる姿を見守っていた。
黄金の冠を被って王太子就任の挨拶をするレグルス様を、私は感慨深く見守っていた。そして――
「それでは我が息子レグルスの王太子就任式に重ね、今日の良き日を以て、もう一つ、皆に我々から報告をしたい」
国王がそう切り出すと、参列者からはざわっと声が上がる、それもそうだろう。皆は本日、レグルス様の就任式に来ただけで、その上何か発表があるとは聞いていないのだからだ。
ざわつく参列者の中、国王から指示を受けたレグルス様は頷き、くるりと踵を返す。
ゆっくりと、真っ赤なカーペットの上をレグルス様が歩いてくる。上座に近い場所にいた高位貴族たちは何事かと接近してくる王子を見て動揺し、そして彼が自分たちの脇を通り過ぎると、椅子から身を乗り出してその行く先を見送る。
私は背筋を伸ばして真っ直ぐ、前を見ていた。私の前には、並み居る参列者たちの椅子の間を縫うようにしてこちらにやってくる、レグルス様の姿が。
ゆっくり、ゆっくりとやって来る彼の姿を見守る私は、一時の間にこの数日間のことを思い出していた。
S森の降臨(笑)を目の当たりにした私たちは、その後すぐ王城に運ばれ、まずは手厚い治療を受けた。私は背中の傷を徹底的に消毒されたし、カチュアはラルフとの決闘で軽傷を負っていた。お兄様とベアトリクス、それにレグルス様も爆発を受けて怪我をしていて、みんなの治療が終わるまで丸一日かかった。
その後は、事情聴取を交えての事後処理に繰り出す。大方の説明はベアトリクスたちが官僚に話をしていたけど、レグルス様の厚意で、私がメルティと同じ言葉――日本語を使えることだけは、伏せてくれた。非常に有難い。
大聖堂で別れた後離ればなれになっていたチェリーとも、王城で再会できた。彼女はかなり躊躇った後、「服が、血まみれで……」と、あの場からすぐに退散した理由を教えてくれた。私の侍女は、本当に優しくて最高の侍女だ。チェリーは「私の手は、真っ赤ですから……」と言ったけど、構わない。私はチェリーを、きつくきつく抱きしめていた。
皆が額を付き合わせての情報の摺り合わせの結果、様々なことが判明した。
まず、メルティに心酔していた攻略キャラたちの末期。ラルフとルパードの遺体は発見された。カチュアと、ここにはいないけどチェリーが彼らを殺害したけれど、そうせざるを得ない状況だったことを説明するのに時間が掛かった。最後には、「婦女子に手を上げる不届き者を成敗した」ということでお咎めナシになった。
ヨハンは地割れに飲み込まれて、まだ遺体は見つかっていないそうだ。というのも、地割れが相当深くて瓦礫を撤去した後でも捜査は難航するようだ。
ロットは相変わらず実家でかなり苦しい思いをしているそうだ。マクライン家はあれから少しだけ……ほんの少ーしだけ持ち直したとの、マクライン当主からの手紙を預かっていた。まあ、彼はこの後少しでも更正すればいいかな。
フィリップ王子はレグルス様の王太子就任式を待たず、追放処分を施された。それも、当初の予定とは比べものにならないくらい遠い、北の僻地だ。あそこには戒律の厳しい修道院があって、グランディリア国内でも随一の悪人がそこに放り込まれるそうだ。どんな悪人でも三日のうちに生気を失い、切り立った崖から身を投げてしまう者も続出するという凍える監獄に、フィリップ王子は送られた。今回は脱走することもできないだろう。「無事に」修道院に放り込まれたら連絡をすると、使者から聞いている。ベアトリクスも、「死ぬより辛い思いをさせたい」とぼやいていたから、この処置にはおおむね満足だそうだ。
ちなみに唯一名前が挙がらなかった私たちの元担任であるリットベル先生は、なんと密かに登場していたそうだ。というのも、王城から急ぎ馬車を走らせたレグルス様たちは街道で襲撃を受けた。レグルスは護衛一人だけを連れて馬を駆って離宮まで来たそうだけど、その場に待機していた騎士が、接近戦に持ち込んで見事襲撃犯の頭を縛り上げた。それがリットベル先生だったそうだ。先生もメルティに再び洗脳された質で、フィリップ元王子とは真逆の方角にある孤島の修道院に放り込まれたそうだ。悪人の収容場所にしてしまって、すみません、各地の修道院様々。
そして騒ぎの中心であるメルティはあの様で、周囲からも不気味がられることになった。どうやら筆談をしようとしても、全てあの挨拶文になってしまって話にならないという。単語の書かれたボードを使うのも無理で、脳の信号と体の動きが一致しないそうだ。かろうじて日常生活は送れるけど、それだけ。完全に没落したアレンドラ侯爵家侯爵も財産を全て没収され、娘と引き離されてどっかの僻地に追いやられた。いよいよ守ってくれる人がいなくなったメルティは、田舎の療養所で保護――もとい監禁されているそうだ。もう一人では生活することも苦しい彼女にとっては、これしか道はなかったんだろうと思う。
大聖堂に封印していた「兵器」は、代々のグランディリア国王にのみ、その存在を知らされるそうだ。だから、S森もとい「大賢者」のことを知っている一般人は大量にいても、「兵器」のことは誰も知らない。でも国王陛下は、これを期にと全ての国民に「兵器」と「大賢者」の関連性を公示した。これは一種の賭けだったけど、そうしないと大聖堂崩壊の理由がどうにもならなかったんだそうだ。
メルティによって眠りから目覚めさせられたドラゴンは、今は地中深く眠っているそうだ。私は大聖堂跡地から去り際、眠るドラゴンに「もう二度と戦争の道具にはしないから。ゆっくり、休んで」と日本語で声を掛けておいた。その直後、ざわざわと風もないのに辺りの針葉樹が揺れたから、きっとドラゴンの耳にも私の言葉が届いたんだろう。
あの言葉については、私は国王陛下と未来の国王であるレグルス様にだけ真実を伝えた。私が異世界人の生まれ変わりであり、あの言葉は私の前世の世界での言語だったこと。陛下は信じがたい、という顔だったけれど、レグルス様は実際に私がドラゴンを鎮める姿を見ていたからか、わりと早く受け入れてくれた。
陛下は、私は転生者だけど今後も変わらず一人の人間として生きるようにとおっしゃってくださった。ただし、一つだけ条件を乗せて――
ゆっくり、レグルス様が歩み寄ってくる。訳の分からない人は、一体王子がどこに行くのかと、興味津々の顔で見つめている。
レグルス様が、来る。私の目の前へと。
私の近くにいる参列者たちが、息を呑む。レグルス様は私の前で立ち止まり、私の手を引いて立ち上がらせた。
私は彼の力に抗うことなく、立ち上がって彼に手を引かれて歩きだす。レグルス様がさっき一人で歩いてきた道のりを、今度は二人で歩く。
周囲のざわめきが大きくなる。それもそうだ。
今、私は彼らにとって、「『ティリスのすずらん』の若店長」であり、「大聖堂崩壊の場に立ち会った重要人物」である。かつてレグルス様に贈られたドレスに、さらに豪華なアクセサリーを身につけた私はしずしずと、レグルス様に手を引かれて赤いカーペットに降りる。
隣を歩くレグルス様が、私を見た。きれいな緑色の目が、私を見つめている。
私も歩きながら、彼の目を見つめる。私の茶色の目には、きっとレグルス様の顔がくっきりと映り込んでいることだろう。
私たちは連れ立って、国王陛下の前まで出る。陛下は私たちの顔を順に見て、頷く。
「よくぞ参った……皆、聞くがよい。本日ここに、我が息子レグルスの婚約者を発表する」
その声を受けて、私たちは振り返る。大半の参列者があんぐり口を開く中、ここからほど近い場所にいるベアトリクスとカチュアは満足そうに頷き、遠くの席にいたお兄様がグッと親指を立てるのが見えて、ほっこりと胸の奥が暖かくなる。
「紹介しよう。レグルス王太子の婚約者であり、未来の王太子妃、そして未来の王妃である、アリシア・ティリス男爵令嬢である」
私たちは揃って会釈をする。会場のざわめきが大きくなり、私は思わずきゅっと、レグルス様の手を握る。
そう、これが国王陛下が出した条件。
レグルス様の王太子就任式と同時に、私たちの婚約を発表して私がいずれ王家に入り、封印の言語である日本語を悪用しないことを誓う、ということ。
ここで受け入れられなかったら、私は……。
でも、レグルス様は優しく私の手を握りかえしてくれた。そして彼は私の肩を抱き寄せ、朗々と声を響かせた。
「皆、私はこれからアリシア・ティリス男爵令嬢を生涯の伴侶とし、共にグランディリアの発展と皆の平安を約束する。私の婚約者は、『ティリスのすずらん』を経営している。彼女は働く者の尊さを知る貴族であり、今や商業界で欠かすことのできない存在でもある。そして何よりも、彼女は私のことを誰より理解し、私が無名の第三王子であったときから心を砕いてくれた、かけがえのない女性だ。どうか、私とアリシアの婚約を祝福していただきたい。……アリシア」
「はい」
私は肩に添えられたレグルス様の手の平からその温もりをもらいつつ、顔を上げた。
たくさんの目が、私を見ている。
「私はティリス男爵家の娘でございます。私はレグルス様の妃に相応しい人物になれるよう、これからも日々邁進する所存でございます。並立して、皆様にもご愛顧いただいている『ティリスのすずらん』の店長として、皆様に今以上によりよい食生活の提案を致しまして、商業界の活性化も努めて参ります。どうか、よろしくお願いします」
私が持っている一番の武器は、「ティリスのすずらん」だ。
私はこれから、妃としてグランディリアの発展に寄与する。とりわけ、商業界と食文化の発展の面においては、私はそこらの貴族令嬢に負けたりはしない。
私が口を閉ざすと、しばしの間、沈黙が流れた。一秒、二秒、永遠にも思われる長い沈黙の後――
ぱちぱちぱち……
最初は疎らに聞こえた、微かな拍手の音。やがてそれは雨だれとなり、波となり、滝となって私たちに押し寄せてきた。
割れんばかりの拍手の中で、私は思わず鼻を啜ってしまう。認めてもらった。皆に、レグルス様の未来の妃として認めてもらえたんだ――
「君の努力の結果ですよ、アリシア」
私がグスグス鼻を鳴らしているのに気づいたらしいレグルス様が、私の顔を覗き込んでそう笑顔で囁く。
「私はあなたのような婚約者を持てて、光栄です。……愛してるよ、アリシア」
「レグルス様……」
「返事は?」
「あ、はい。えっと、私も愛してます、レグルス様……」
言ったとたん、ぐっと体が引き寄せられた。えっ、と思っていると、私の唇はレグルス様のそれに封じられている。
一瞬のどよめきの後、再び轟音のような拍手が巻き起こる。ベアトリクスとカチュアなんて踊り出しそうな勢いだし、国王陛下はやれやれと笑顔で肩をすくめている。遠くに見えるお兄様は……なんだか、少しだけ微妙そうな顔だけど……。
それでも、幸せだった。
――カランコロン
「アリシア、お手紙ですわよ!」
午後の日差しの心地よい、昼下がり。
「ティリスのすずらん」二号店で従業員にフロアと厨房を任せ、書き物をしていた私の元にベアトリクスとカチュアが飛び込んでくる。
今日は、ベアトリクスが一号店の店長をしている日だったから、今の彼女は外出用の唾広の帽子と花柄のワンピース姿だ。
「本当は明日にしようかと思ったのですけども、王都からの手紙もあったので」
「王都?」
「お待ちかねの人から、ではないのですか?」
さっきまでフロアにいたカチュアが、ニッと赤い唇を吊り上げて笑う。隣のベアトリクスもニヤニヤ含みのある笑みで、私に上質な封筒を寄越した。
「こっちは事務的書簡なので、カチュアに任せますわ。アリシアがレグルス殿下と婚約してから、ますます契約申請書が多くなりましたわ」
「だからといって手当たり次第契約するとこっちも困るからね……ケイト、中身をある程度選別してもらってもいい?」
「任せてください」
カチュアがベアトリクスから、手紙の束を受け取る。うーん、確かにかなりの凶悪な量だ。あの中に、未来の王妃にごまをすろうとしている輩もいるから気が抜けない。まあ、そういうのは鋭いカチュアが全て見抜いて、庭の花壇に埋めてしまうんだけどね。
私は受け取った手紙を開封する。暖かな風が吹いて、私たちの髪を持ち上げる。
遠くの厨房では、パンの焼けるいい匂いがする。フロアの方では、カチュアのスパルタ訓練をクリアした従業員たちが、元気よく接待する声が聞こえてくる。
今日も、「ティリスのすずらん」は平和だ。
私は二年前、前世の記憶を思いだした。
そこからは、怒濤の日々。ゲームヒロインであるメルティとしっちゃかめっちゃかして、学院を自主退学して、パン屋を立ち上げ、レグルス様と親しくなって婚約に至り、聖堂を大破するような大事件にも遭遇し。
私の過ごした日々は、波乱に満ちていた。嫌なこともあったし、辛いこともあった。
たくさんの犠牲の上に、私たちの今の幸せは築かれている。
でも、私のこれからの日々は、今以上に新しい発見と驚き、幸せに満ちた日々になるんだろう。
私の名前は、アリシア・ティリス。
私は二度目の人生を、愛する人たちと共に過ごせている。
今なら私は胸を張って言える。
私は今、とっても幸せだと。
乙女ゲームで名前すら存在しない脇役に転生して新しい人生を歩んでいること
終




