第三十九話 聖華
──神器。
三柱の神とクラディウスが持つ、四つの宝玉。
永続的に莫大な力を供給し続ける、神の力の源とも呼べるもの。
だが、三柱にとって神器は、自らの能力を生み出すものではない。
シルヴィアは――あらゆる存在へ干渉することができる。
エリザベードは――知識も、仕組みも、構造すら知らないものを創造することができる。
エレンの《創造》とは違う。
知識も、仕組みも、構造も必要ない。
アウローラは――自らが発した言葉を、そのまま現象として引き起こす。
それらは元より、三柱自身が持つ力。
神器は、その力をさらに底上げするために使われているに過ぎない。
以前、シルヴィアはエレンにこう話していた。
『私の場合なら、神器がなくても能力自体は使えるよ。ただ、干渉できる範囲は狭くなっちゃうけどね』
つまり、神器を失ったとしても、三柱が持つ能力そのものが失われるわけではない。
だが――
クラディウスは違う。
元は、エリザベードによって創造された一人の人間。
神器を与えられたことで、三柱とは異なる形で新たな能力を得た存在。
その能力が何なのか。
三柱でさえ、一度も目にしたことがなかった。
そして、エレンも、三百年前の戦いから今日まで、その正体を知ることはできなかった。
――だが。
今──
エレンの頭上には、巨大な黄金の華が咲いている。
薄い金色の膜に包まれた、あまりにも巨大な華。
そして──
先ほど確かに胸を貫き、倒したはずのクラディウスの身体が――静かに光り始めていた。
エレンは警戒したまま、その姿を見つめていた。
白い空間に咲いた、巨大な黄金の華。
その存在から感じる力に、エレンは僅かに眉を寄せる。
「……なに、あれ?」
クラディウスの胸に刻まれていた傷が、光の中で消えていく。
やがて閉じられていた瞳が開いた。
何事もなかったかのように、ゆっくりと身体を起こす。
「……!」
エレンは黒い剣を構え直した。
クラディウスは立ち上がると、自らの頭上に咲く巨大な黄金の華を見上げる。
そして、静かに口を開いた。
「……そなたは地獄にいたのだ。アウローラから、神器がどういうものかは聞いているだろう?」
「…………」
エレンは答えない。
クラディウスはそのまま黄金の華へ視線を向ける。
「これが――私の神器を使った能力だ」
エレンもまた、頭上を見上げた。
シルヴィア達ですら知らなかった、クラディウスの未知の能力。
その正体が、今初めて明らかになった。
「――《聖華》」
「……聖華?」
「私が食べた人間の魂は、全て聖華の花びらとなる。一人の人間につき、花びら一枚」
クラディウスは静かに微笑む。
「美しいだろう?」
エレンは再び聖華を見上げた。
巨大な黄金の華。
静かに輝くその姿は、確かに美しい。
だが、その花びら一枚一枚が、人間の魂。
そう思った瞬間、その美しさは異様なものへと変わった。
「花びら一枚につき、私の命一回分」
「…………は?」
「わからないか?」
クラディウスは変わらぬ口調で言う。
「私が死んでも、花びらを一枚消費すれば、私は蘇る。さらに――」
一拍置き、続ける。
「蘇る度に、蘇る前に受けた傷や怪我は完全に治る」
エレンは絶句した。
クラディウスは、さらに続ける。
「神器が、永続的に莫大な力を供給し続けることは知っているだろう?だが、私の場合は少々事情が違う」
クラディウスは頭上に咲く聖華へ視線を向けた。
「神器から供給される力。その大半を、この聖華へ注いでいる」
エレンの眉が僅かに動く。
「なにせ、死者を蘇らせる力だ。聖華を維持し続けるだけでも、それだけの力を必要とする」
クラディウスは再びエレンへ視線を戻す。
「故に、私が魔法を使う際に消費しているのは、神器の力ではない――私自身の魔力だ」
「……!」
その瞬間、エレンの中で、一つの疑問が解けた。
先ほどの戦い。
白い世界を埋め尽くしていた魔法が、徐々にその数を減らしていった理由。
神器の力が尽きかけていたわけではない。
――クラディウス自身の魔力が、減っていたのだ。
だが──
「そして、先ほど言った通り――」
クラディウスは静かに続ける。
「私が死に、聖華によって蘇れば、消費した魔力も完全に回復する」
「…………」
「約、十万枚──花びらの数だ」
絶望の言葉が、静かに響いた。
◆
エレンは言葉を失った。
視線は聖華から離れない。
黄金に輝く巨大な華。
あまりにも美しく、あまりにも残酷だった。
(十万枚……)
その一枚一枚が、人間一人の魂。
そして、その全てがクラディウスの命になる。
エレンはゆっくりとクラディウスへ視線を戻した。
「…………」
言葉が出ない。
どれだけ傷を負わせても意味がない。
どれだけ魔力を消耗させても意味がない。
倒した瞬間に、全てが最初からやり直しになる。
そんな相手を、一体どうやって倒せというのか。
クラディウスは静かにエレンを見つめていた。
「理解したようだな」
「…………」
「そなたは確かに強い」
クラディウスは淡々と続ける。
「私を一度殺した。それは事実だ……だが、それだけだ」
エレンは黒い剣を強く握り締める。
悔しさでも、怒りでもない。
ただ、どうすれば勝てるのか。
その答えだけを必死に考えていた。
クラディウスは黄金の剣を肩に担ぐ。
「では、続きを始めよう。 私を倒す方法を見つけるまで、そなたは何度でも私を殺すといい。 その度に私は蘇る。 何度でもな」
白い空間に、静かな声だけが響いた。
エレンは一度だけ深く息を吸う。
そして、ゆっくりと構え直した。
(……考えろ。必ず、何かある。 能力に、弱点がないはずがない)
エレンはクラディウスを真っ直ぐ見据えた。
その瞳から、戦意だけは消えていなかった。
◆
クラディウスは詠唱を始めた。
再び、莫大な数の魔法陣が空中に展開される。
それを見たエレンも迎撃のため、無数の銃火器を創造した。
次の瞬間、再び、銃弾、弾頭と魔法の激しい撃ち合いが始まる。
その中を、クラディウスが黄金の剣を手に斬りかかった。
エレンは黒い剣で受け止め、そのまま鍔迫り合いになる。
鍔迫り合いを続けながら、エレンはさらに幾つもの銃火器を創造する。
その銃口は、クラディウスではなく頭上の聖華へ向けられていた。
瘴気を纏った弾丸と弾頭が、一斉に放たれる。
だが、聖華を覆う薄い金色の膜が、それら全てを弾いた。
クラディウスは鍔迫り合いを続けたまま、静かに言う。
「無駄だ。聖なる結界を張っている」
「…………」
エレンはクラディウスの剣を押し返し、距離を取る。
そして、頭上の聖華を見上げた。
黒い翼を大きく広げる。
地を蹴り、一気に上空へ飛び上がった。
そのまま聖華へ接近する。
黒い剣を握り締め――
「はあっ!!」
渾身の力で振り下ろした。
ギィィィンッ!!
黒い剣が、金色の膜へ叩きつけられる。
「っ……!」
硬い。
刃は、その先へ進まない。
だが――
「……?」
エレンの目が僅かに細められた。
今、ほんの僅かに――
黒い剣が触れた場所を中心に、金色の膜が揺らいだ。
銃弾を受けた時とは違う。
傷もない。
亀裂すら入っていない。
それでも確かに――揺らいだ。
(……今、揺れた?)
クラディウスは気づいていない。
だが、エレンは見逃さなかった。
その時、地上にいたクラディウスの足元に、純白の魔法陣が展開された。
クラディウスの身体が、そのまま空中へと上がっていく。
黄金の剣を構え――エレンへ斬りかかった。
「っ!」
エレンは黒い剣で受け止める。
ギィンッ!!
衝撃で二人の身体が離れた。
クラディウスは足元に純白の魔法陣を展開したまま、黄金の剣をエレンへ向ける。
「これ以上、余計なことをするな」
静かな声。
「無駄だと分からぬのか?」
「…………」
黒い翼を広げ、空中で体勢を立て直す。
エレンはクラディウスを見据える。
クラディウスは聖華との間へ割って入るように立ち、足元の純白の魔法陣の上からエレンを見つめていた。
「…………」
エレンは何も言わない。
ただ――
先ほどの感触だけは、はっきりと覚えていた。
◆
エレンは黒い剣を構え直す。
クラディウスもまた、黄金の剣を静かに構えた。
次の瞬間――
二人は同時に動いた。
ギィンッ!!
黒と黄金の刃が、空中で真正面から激突する。
激しい火花が散り、二人はそのまま鍔迫り合いとなった。
互いの剣を押し込みながら、一歩も譲らない。
だが、戦っているのは剣だけではない。
エレンの背後に、無数の銃火器が創造される。
突撃銃。
機関銃。
多銃身回転式機関銃。
誘導弾。
次々と銃口がクラディウスへ向けられる。
同時に、クラディウスの背後にも純白の魔法陣が幾重にも展開された。
そして――
一斉に放たれる。
轟音。
瘴気を纏った銃弾と弾頭が空間を駆け抜け、クラディウスの魔法と正面から激突する。
炎が爆ぜる。
雷が迸る。
光弾が銃弾を撃ち落とし、誘導弾が魔法を巻き込んで爆発する。
次々と巻き起こる爆発が、白い空間を激しく揺らした。
その中心で――
エレンとクラディウスは、なおも鍔迫り合いを続けている。
ギリギリと二本の刃が軋む。
周囲では無数の銃火器と魔法が激突し続ける。
互いに相手から視線を逸らさない。
剣を交えながら、エレンは思考を巡らせていた。
(……おそらく)
クラディウスの手札は、これで全て。
そんな気がしていた。
だが、一枚一枚があまりにも強力だった。
特に聖華。
あの能力は、まさに難攻不落。
これほどの切り札を、いくつも隠し持っているとは考えにくい。
これ以上は、さすがにないと思いたい。
エレンは黄金の剣を受け流す。
(まずは……)
もう一撃を捌きながら、静かに考える。
(試せることから、試しましょう)
◆
再び、黒い剣と黄金の剣が激突する。
ギィンッ!!
エレンが斬り上げる。
クラディウスは黄金の剣で受け流し、そのまま鋭く斬り返した。
黒い剣が迎え撃つ。
その間にも、周囲では銃弾、弾頭と魔法が絶え間なく激突していた。
そんな激しい攻防の中、クラディウスが、不意に口を開いた。
「……かつて、私はシルヴィア、エリザベード、アウローラから、一つの役割を与えられた」
黄金の剣が振るわれる。
エレンは黒い剣で受け流した。
「私達が考えた世界を観察する。そのために――私には、この世界を管理してほしいとな」
(まずは、これ)
エレンは素早く後方へ飛び退き、一気に距離を取る。
そして――創造する。
地獄の魔法。
漆黒の瘴気を纏った炎が、エレンの周囲に次々と生み出されていく。
クラディウスが黄金の剣を構える。
エレンは迷わず、それらを一斉に放った。
無数の漆黒の炎が、クラディウスへ殺到する。
クラディウスも即座に魔法を放ち、迎え撃つ。
轟音。
白と黒。
二つの魔法が空中で激突し、凄まじい衝撃が白い空間を駆け抜ける。
だが――
エレンの地獄の魔法は止まらない。
一つ。
また一つ。
クラディウスの魔法を突き破り、その身体へ次々と直撃する。
「――ッ!」
漆黒の瘴気の炎がクラディウスの身体を呑み込んだ。
全身が瘴気に侵され、純白のローブが黒い炎によって燃やされる。
やがて、クラディウスの身体から力が抜けた。
足元にあった純白の魔法陣が消える。
そのまま地上へ落下し――
動かなくなった。
――死んだ。
その瞬間、頭上の聖華が、淡い黄金の光を放つ。
無数に重なる花びら。
その中の一枚が、静かに光の粒となって消えていった。
同時に――
倒れていたクラディウスの身体が黄金の光に包まれる。
地獄の魔法によって刻まれた傷が消えていく。
瘴気に侵されていた身体も、何事もなかったかのように元へ戻っていく。
そして、クラディウスは再び目を開いた。
ゆっくりと身体を起こし、何事もなかったかのように立ち上がる。
傷一つない。
完全な状態で――再び蘇っていた。
そしてクラディウスは、先ほどの続きを語り始める。
「私は、シルヴィア、エリザベードと共に、天国からこの世界を管理していた」
エレンは思考を巡らせる。
(急がないと……)
聖域による侵食は、刻一刻と自分の身体を蝕んでいる。
時間が経てば経つほど、自分が不利になる。
(なら、次は……)
クラディウスは黄金の剣を握り直す。
「アウローラは地獄から世界を管理する。それぞれが、この世界を見守っていた」
再び、エレンとクラディウスの剣が交わる。
ギィンッ!!
「初めのうちは、私も与えられた役割に従っていた」
黄金の剣が振るわれる。
エレンは黒い剣で受け流す。
「私が部下を欲しいと頼んだ時には、天使達を創ってくれたこともあった」
クラディウスは淡々と語る。
「だが――」
黒と黄金の刃が、再び激突する。
「次第に、私は疑問を抱くようになった」
その瞬間、エレンは左手に拳銃を創造した。
至近距離。
クラディウスの眉間へ向け、瘴気を纏った弾丸を放つ。
「――っ!」
弾丸は眉間を貫いた。
クラディウスの身体から力が抜ける。
同時に、展開されていた膨大な魔法陣が一斉に消滅していった。
エレンは間髪入れず、クラディウスの頭へ銃口を突き付ける。
創造した多銃身回転式機関銃だった。
瘴気を纏った弾丸を、容赦なく撃ち込み続ける。
「!!」
だが、弾丸は全て弾かれた。
再び、聖華から黄金の花びらが一枚、静かに舞い散る。
クラディウスの身体が、黄金の光に包まれる。
眉間を貫いていた傷が消えていく。
エレンが撃ち込んだ弾丸による傷も、跡形もなく消え去った。
そして――
クラディウスは再び目を開く。
まるで、死によって会話を遮られたことなど気にも留めていないかのように。
「なぜ私は、シルヴィアとエリザベードの言いなりになっているのか――とな」
クラディウスはゆっくりと立ち上がる。
何事もなかったように、先ほどの続きを口にする。
「なんというか……監視されているような感覚だった」
エレンは何も答えない。
ただ、蘇ったクラディウスを静かに見据えていた。
クラディウスに焦りはない。
約十万回殺されるよりも先に、エレンの体力と魔力が尽きる。
それを確信しているからだ。
クラディウスの足元に、純白の魔法陣が展開される。
その身体が再び宙へと浮かび上がった。
同時に、エレンも黒い翼を大きく羽ばたかせる。
一瞬で、互いの距離が消えた。
ギィンッ!!
黒い剣と黄金の剣が激突する。
クラディウスが斬り払う。
エレンは黒い剣で受け流し、そのまま斬り返した。
黄金の剣が迎え撃つ。
火花が散る。
互いに刃を交えながら、クラディウスは話を続けた。
「そんなある時、天国で新たな人間へ転生するために並んでいた、人間の魂を見ていてな」
黄金の剣が振り下ろされる。
エレンは半身になって躱し、黒い剣を横薙ぎに振るう。
クラディウスはそれを受け止めた。
「その中の一つを――興味本位で手に取った」
クラディウスが黄金の剣を振るう。
エレンは黒い剣で受け流した。
ギィンッ!!
そのまま二撃、三撃。
空中で激しく刃が交錯する。
そして――
一瞬の隙を突き、エレンの黒い剣がクラディウスの身体を斬り裂いた。
「――ッ!」
クラディウスの身体から力が抜ける。
足元の純白の魔法陣が消滅し、その身体が地上へ落下していく。
エレンはすぐさま後を追った。
地面へ倒れたクラディウス。
その右手には、まだ黄金の剣が握られている。
エレンは迷わず、その柄を掴んだ。
クラディウスの手から黄金の剣を奪い取る。
そして黒い翼を羽ばたかせ、一気に距離を取った。
右手に黒い剣。
左手に、奪い取った黄金の剣。
エレンは二本の剣を握ったまま、倒れたクラディウスを見据える。
その時――
頭上の聖華から、黄金の花びらが一枚、静かに舞い散った。
クラディウスの身体が黄金の光に包まれる。
そして、再び目を開いた。
同時に──
「……!」
エレンの左手に握られていた黄金の剣が、光を放った。
刀身が輪郭を失っていく。
柄を握り締める。
だが、止められない。
黄金の剣はそのまま無数の光の粒となり、エレンの手の中から霧散した。
そして――
蘇ったクラディウスの右手には、黄金の剣が握られていた。
「…………」
エレンは空になった左手へ一瞬だけ視線を落とす。
すぐに顔を上げ、クラディウスを見据えた。
クラディウスは何事もなかったかのように立ち上がる。
右手には、再び黄金の剣。
そして――先ほど途切れた話の続きを、そのまま口にした。
「そして、食べてみたのだ」
クラディウスの足元に、純白の魔法陣が再び展開される。
その身体がまた、空中へと上がっていく。
エレンも黒い翼を羽ばたかせ、迎え撃つ。
ギィンッ!!
黒い剣と黄金の剣が激突する。
「それは――ものすごい美味だった」
クラディウスは黄金の剣を振るう。
エレンは受け流し、そのまま斬り返す。
「そして同時に、私は疑問に思った」
再び、二本の剣が激突する。
「なぜ、これほどまでに美味しいものを――」
クラディウスは淡々と続ける。
「シルヴィアとエリザベードは、食べたいと思わないのか、と」
エレンは何も答えない。
ただ剣を交えながら、その言葉を聞いていた。
「私には、理解できなかった」
クラディウスは淡々と語る。
その間にも、二人の剣は幾度となく交わり続けていた。
ギィンッ!!
黒い剣と黄金の剣が激突する。
互いに弾き合い、僅かに距離が開いた。
エレンはクラディウスを見据える。
エレンには、まだ、確かめたいことがある。
そして――
エレンは出し惜しみをしなかった。
蘇ったばかりのクラディウスへ、再び黒い剣で斬りかかる。
そして、もう一枚の手札を切った。
クラディウスは黄金の剣で黒い剣を受け止める。
鍔迫り合い。
その瞬間──エレンは左腕に力を込めた。
次の瞬間、左腕が黒い龍の腕へと変化する。
「!」
クラディウスの表情が初めて驚きに変わった。
その一瞬の隙を、エレンは見逃さない。
龍の左腕がクラディウスの胸を貫いた。
「ぐっ……!」
龍の鉤爪は、そのまま心臓を掴む。
そして――
力任せに引き抜いた。
エレンは心臓を握ったまま、大きく後方へ飛び退く。
クラディウスの身体から力が抜け、そのまま地上へ落下していく。
エレンは空中に留まりながら、引き抜いた心臓へ一度だけ視線を落とした。
そしてすぐに、倒れたクラディウスへ視線を戻す。
◆
エレンはクラディウスの心臓を引き抜き、二つの検証をしていた。
一つ目は、心臓を引き抜いても蘇るかどうか。
二つ目は――
聖華から黄金の花びらが一枚、静かに舞い散る。
クラディウスの身体が黄金の光に包まれた。
エレンは、その瞬間から静かに時間を数える。
(……一)
誰にも気付かれないほど小さく。
(……二)
失われた心臓が再生していく。
その時。
龍の左手に握られていたクラディウスの心臓が、淡い光を帯び始めた。
(……三)
心臓は光の粒となり、エレンの手の中から静かに霧散していく。
クラディウスはゆっくりと身体を起こす。
(……四)
エレンは消えていく心臓へ一瞬だけ視線を向ける。
やがて、引き抜いたはずの心臓は跡形もなく消滅した。
傷はすでに消えている。
(……五)
エレンはただ、その様子を見つめ続ける。
(……六)
焦りはない。
ただ事実だけを積み重ねる。
(……七)
クラディウスの瞳に、再び光が戻る。
(……八)
その身体が立ち上がる。
(……九)
右手には、黄金の剣。
(……十)
クラディウスは完全に蘇り、再びエレンを見据えた。
(……完全に蘇るまで、十秒)
エレンは静かに結論を出した。
(……なるほど。情報は揃った)
◆
完全に蘇ったクラディウスは、黄金の剣を握ったままエレンを見据える。
そして――何事もなかったように、先ほどの続きを口にした。
「そして、私は思ったのだ」
クラディウスの足元に、純白の魔法陣が展開される。
その身体が静かに宙へ浮かび上がる。
「人間の魂を好きに食べるには――」
エレンも黒い翼を大きく羽ばたかせる。
二人の距離が一瞬で縮まる。
ギィンッ!!
黒い剣と黄金の剣が、再び激突した。
「シルヴィアとエリザベードが、邪魔だとな」
(やっぱり……)
蘇生と同時に、心臓も元に戻る。
検証結果に間違いはなかった。
クラディウスは黄金の剣を握り直す。
「だから、二人を始末することにした。 私の部下である天使達を使い、二人を追い詰め――最後は、私が殺した」
クラディウスは淡々と言った。
そこに後悔はない。
罪悪感もない。
ただ、過去に起きた出来事を語っているだけだった。
黄金の剣が振るわれる。
エレンは黒い剣で受け流す。
「あっけないものだった」
再び、二本の剣が激突した。
(あとは……私の体力が保つかどうか)
「そして――私は、この世界を支配するまでに至った」
クラディウスは黄金の剣を振り抜く。
エレンは黒い剣で受け流し、その反動で互いに距離を取った。
だが、クラディウスはすぐさま足元の純白の魔法陣を蹴るようにして距離を詰める。
黄金の剣が閃く。
ギィンッ!!
エレンの黒い剣が、その一撃を受け止めた。
「アウローラも、いずれは邪魔になるだろう」
鍔迫り合いのまま、クラディウスは淡々と続ける。
「今は地獄にいるが――そのうち始末するつもりだ」
「…………」
エレンは何も答えない。
黒い剣に力を込め、黄金の剣を押し返す。
二人の身体が離れる。
その瞬間、クラディウスの周囲に膨大な数の純白の魔法陣が展開された。
エレンの背後にも、無数の銃火器が創造される。
そして――
両者が同時に放つ。
轟音。
銃弾、弾頭と魔法が白い空間を埋め尽くし、次々と正面から激突していく。
その凄まじい轟音の中でさえ、クラディウスの語りは止まらなかった。
「人間など、この世界に物凄い数がいる」
爆炎の向こうから、クラディウスの声が響く。
「そのうち何人かの魂をつまみ食いしたところで――そうそう数は減りはしない」
クラディウスは、何がおかしいのか分からないとでも言うように淡々と語る。
その間も、戦いは続いていた。
黄金の剣が振るわれる。
エレンは黒い剣で受け止め、そのまま刃を滑らせるように受け流した。
直後、クラディウスの背後に展開された純白の魔法陣から魔法が放たれた。
放たれた魔法を黒い翼を広げて回避し、エレンは大きく後方へ飛び退いた。
そして――
着地と同時に、静かに詠唱を始める。
「……?」
クラディウスが僅かに目を細めた。
次の瞬間、エレンの足元に、幾重もの魔法陣が展開された。
そこから――巨大な影が次々と姿を現していく。
ブラッド・モルフィン。
ブラッド・ペガサス。
ナイトメア・バッド。
ナイトメア・フェニックス。
デス・スコーピオン。
デス・ホース。
ヘル・ケルベロス。
ヘル・タイガー。
ルナティック・ラビット。
ルナティック・レオ。
ダーク・タウラス。
ダーク・アリエス。
十二体。
全ての魔獣が姿を現し、エレンを囲むように並ぶ。
「……ほう」
クラディウスが、初めて十二体へ視線を向けた。
「報告にあった生物か」
その存在については、天使達から報告を受けている。
だが、クラディウス自身が直接目にするのは初めてだった。
エレンは何も答えない。
黒い剣を構え直す。
そして――
十二体の魔獣が、一斉にクラディウスへ襲い掛かった。
◆
最初に飛び込んだのは、ブラッド・ペガサス。
鋭い角を突き出し、一直線にクラディウスへ突進する。
クラディウスは黄金の剣を振るい、その角を受け流した。
だが、その直後──上空からナイトメア・フェニックスが急降下する。
「……っ」
クラディウスは足元に純白の魔法陣を展開し、一気に上空へ逃れる。
そこへ、ナイトメア・バッドが襲い掛かった。
黄金の剣が閃く。
その身体を斬り払おうとした瞬間――
別方向から、ルナティック・レオが飛び掛かる。
さらに、デス・スコーピオンの巨大な鋏。
ヘル・ケルベロスの三つの顎。
次から次へと攻撃が重なり、クラディウスに反撃する隙を与えない。
「……鬱陶しい」
クラディウスの周囲に、無数の純白の魔法陣が展開される。
だが――
魔法が放たれるよりも先に、ダーク・タウラスとダーク・アリエスが、左右から同時にその巨体を叩きつけた。
「――っ!」
クラディウスの身体が地上へ叩き落とされる。
轟音。
白い床へ激突した、その瞬間──十二体の魔獣が一斉に殺到した。
牙。
爪。
角。
巨大な脚。
あらゆる攻撃が、クラディウスへ容赦なく叩き込まれる。
やがて――
クラディウスの身体から、完全に力が抜けた。
展開されていた純白の魔法陣も、一斉に消えていく。
――死んだ。
「戻って」
エレンの一言で、十二体の魔獣がクラディウスから離れる。
その瞬間、エレンは、あるものの創造を始めた。
静かに、クラディウスに悟られないように。
聖華から、黄金の花びらが一枚舞い散る。
十秒。
エレンは創造を止めた。
クラディウスの傷が消えていく。
潰れた肉体も、何事もなかったかのように元の姿へ戻っていく。
そして――
再び、その黒い瞳が開いた。
クラディウスはゆっくりと身体を起こす。
その右手には、黄金の剣。
十二体の魔獣に殺されたことなど、些細な中断でしかなかったかのように――
「私は、この世界の神だ」
先ほどの続きを、当然のように語り始める。
「この世界を管理してやっているのだから、少しくらい人間の魂を食べたところで構わないだろう?」
クラディウスは立ち上がる。
その身体には、傷一つ残っていない。
「むしろ――」
黄金の剣を静かに構える。
「管理してやっている私に、人間は感謝するべきだ」
エレンは十二体の魔獣と共に、再びクラディウスを見据える。
「そして、その感謝として――」
クラディウスの周囲に、膨大な数の純白の魔法陣が展開された。
「私は何人かの人間の魂を頂く」
純白の魔法陣が、一斉に輝く。
「なにも、おかしいことはないだろう?」
クラディウスは、当然のことを語るように言った。
その周囲では、膨大な数の純白の魔法陣が輝いている。
エレンは何も答えない。
十二体の魔獣と共に、ただクラディウスを見据えていた。
クラディウスはそんなエレンを見つめ、僅かに目を細める。
「エレンよ」
一拍。
「もう諦めたらどうだ?」
「……黙れ」
「強がる必要はない」
クラディウスは静かに続ける。
「もう勝てないことは、そなた自身が一番理解しているはずだ」
エレンは黒い剣を握ったまま、何も答えない。
「私を十万回殺すなど、不可能だ」
それは紛れもない事実だった。
「そなたの魔力も、体力も、必ず先に尽きる」
「…………」
エレンは黒い剣を握る手に力を込める。
クラディウスは、その沈黙を肯定と受け取った。
「返す言葉もないか」
そして、片手をゆっくりと掲げる。
「なら、その身体が動かなくなるまで付き合ってやろう」
その瞬間、空中に展開されていた純白の魔法陣が、一斉に輝いた。
「――穿て」
無数の魔法が放たれる。
同時に――
十二体の魔獣が動いた。
巨大な影が散開する。
炎。
雷。
氷。
風。
光。
あらゆる魔法が白い世界を埋め尽くす中、魔獣達は縦横無尽に駆け回る。
エレンも黒い翼を広げた。
飛来する魔法を掻い潜り、一直線にクラディウスへ迫る。
黄金の剣が振るわれる。
黒い剣が迎え撃つ。
ギィィンッ!!
激しい火花が散った。
その背後から、魔獣が襲い掛かる。
クラディウスは黄金の剣を振るい、その攻撃を斬り払う。
別の魔獣が横から飛び込む。
純白の魔法が直撃し、その巨体が地上へ叩き落とされた。
さらに一体。
また一体。
クラディウスの魔法と黄金の剣によって、魔獣達が次々と傷ついていく。
エレンは倒れた魔獣へ視線を向けた。
これ以上、戦わせる必要はない。
傷ついた魔獣達を、一体ずつ地獄へと送り返していく。
だが――
エレン自身は止まらない。
「まだ足掻くか」
クラディウスは呆れたように息を吐いた。
エレンは答えない。
黒い剣を振るう。
漆黒の瘴気を纏った斬撃が飛ぶ。
クラディウスが回避する。
その先へ、銃口が向けられていた。
轟音。
瘴気を纏った弾丸がクラディウスの身体を貫く。
さらに黒い剣が振り抜かれ――
その首を斬り落とした。
クラディウスの身体が地上へ落ちる。
――死んだ。
その瞬間、エレンは、再び創造を始めた。
聖華から黄金の花びらが一枚、静かに舞い散る。
十秒。
エレンは創造を止める。
クラディウスが蘇った。
「…………」
再び戦いが始まる。
黄金の剣。
黒い剣。
純白の魔法。
地獄の魔法。
銃火器。
龍の左腕。
十二体の魔獣達。
エレンは、使えるものを全て使った。
そして――
また、クラディウスを殺す。
黄金の花びらが一枚、舞い散る。
その僅かな時間に――
創造を続ける。
十秒。
クラディウスが蘇る。
再び戦う。
再び殺す。
また一枚。
黄金の花びらが舞い散る。
創造する。
蘇る。
戦う。
殺す。
創造する。
蘇る。
何度も。
何度も。
何度も――
同じことが繰り返された。
◆
やがて──
「……はぁ、……はぁ……」
エレンの呼吸が、大きく乱れていた。
額から汗が流れ落ちる。
肩が上下する。
黒い剣を握る腕は、僅かに震えていた。
魔獣達も、一体、また一体と地獄へ送り返され――
いつしか、白い空間にはエレンとクラディウスだけが残っていた。
「……はぁ……」
エレンは黒い剣を支えにすることなく、どうにか両脚だけで立ち続ける。
(……もう、限界)
視界が揺れる。
全身が重い。
身体を動かすだけで、激しい疲労が襲ってくる。
魔力も、ほとんど残っていない。
さらに――
「っ……」
指先が、僅かに痺れた。
聖域による侵食。
戦いが長引いたことで、その影響も無視できないほどに強くなっている。
エレンは自分の手を見る。
僅かに震えていた。
もう長くは保たない。
それでも――
黒い剣だけは手放さなかった。
クラディウスは、そんなエレンを静かに見つめていた。
「終わりだ」
「…………」
「やはり、こうなったか」
クラディウスの身体には傷一つない。
魔力も完全に回復している。
対するエレンは、立っていることさえやっとだった。
「私が言った通りだ」
クラディウスはゆっくりと歩き出す。
一歩。
また一歩。
エレンとの距離を縮めていく。
「そなたは確かによく戦った」
エレンは俯いたまま動かない。
「だが、人間には越えられない壁というものがある」
一歩。
「それが――私だ」
クラディウスは、エレンの目の前まで歩み寄った。
勝利を疑っていない。
当然だった。
聖華は健在。
黄金の花びらも、まだ途方もない数が残されている。
エレンの魔力は尽きかけている。
体力も限界。
聖域による侵食も進んでいる。
どう考えても――
これ以上、エレンに戦う力は残されていない。
「安心しろ」
クラディウスは黄金の剣を握る。
「苦しむ時間は長くない」
その切っ先が、静かにエレンへ向けられる。
「これで終わりだ」
「…………」
エレンは俯いたまま。
小さく――
唇を動かした。
「……と…………た」
「……?」
あまりにも小さな声。
クラディウスの耳には、届かなかった。




