第二十八話 ノア皇帝
白き雲の上に浮かぶ天空城。
その最奥、玉座に、一人の男が腰を掛けていた。
世界の管理者――クラディウス。
その前へ三人の天使が跪く。
天使九階級の頂点に立つ熾天使であり、天使の総隊長のルシファー。
天使全体の副隊長にして、大天使の長、ウリエル。
座天使副隊長の天使、ペリエル。
クラディウスが口を開く。
「報告を」
「はっ」
ルシファーが答えた。
「エレン・クリエイド捕獲任務ですが、失敗しました」
「そうか」
クラディウスの表情は変わらない。
「お前がその姿になる程には強いという事は分かった。エレンはどうだった?」
「……強敵でした。しかし、クラディウス様には到底及びません」
「そうか」
ルシファーは続ける。
「それと、ハニエルが反逆しました」
「ハニエル……?」
クラディウスは少し考える。
「……ああ、あの天使か。そうか。その者もエレンに協力しているのか」
「はい。そして、ハニエルがラファエルを討ちました」
「……そうか。ラファエルが討たれたか」
ルシファーは一礼する。
「ハニエルは、この私が始末致します」
「任せる」
クラディウスはペリエルへ視線を向けた。
「ペリエル」
「ええ、ええ」
「ラファエルに代わり、お前を座天使の隊長に任命する」
「ええ、ええ。喜んで。ラファエル様の遺体は回収しておきました。好きに使っても?」
「好きにするがよい」
「ええ、ええ。ありがとうございます。クラディウス様、私からも報告があります。 なんと!人間がクラディウス様の加護を突破する魔法を使ったのです!……ええ、ええ。私はあの人間に大変興味がありまして……脳を解剖してみたい程に。 撤退する天使達へ向けて、あの人間はこう言っていたのです。『人間は、考えることをやめない生き物。今日出来なかったことも、明日には出来るようになるかもしれない。だから、次に戦う時は、「人間だから」と侮るな』――と。 ええ、ええ。素晴らしい。 是非解剖してみたくなりました!」
クラディウスは目を閉じる。
(三百年前、エレンが反逆した際、部下共が人間界の魔法を恐れた。だから神器の力で、人間界の魔法を防ぐ加護を与えた……やっている事は、人間界の魔素を拒絶しているだけだが。 そうか、それを突破する人間が現れたのか……)
「……そうか」
ウリエルが口を開く。
「私も面白い人間を見つけました」
「ほう」
「あの人間は、全てを出し切って、それでも立ち向かってきました。ルシファー様、その人間は私の玩具ですからね」
ルシファーは答える。
「どの人間かは知らぬ……見掛けたら私に言えば、その者には手を出さぬ」
「ありがとうございます!」
ウリエルは満面の笑みを浮かべた。
「ああ……早く完成してくれないかしら。早く戦いたいわ」
再び静寂が訪れる。
ルシファーは最後の報告を口にした。
「クラディウス様。もう一つご報告があります」
「なんだ」
「……大変申し訳ありません。クラディウス様より授かった聖剣を……エレンに破壊されました」
一瞬だけ、クラディウスの表情が変わる。
「……なに?聖剣を?」
「はい。まさか破壊されるとは思いもしませんでした」
クラディウスは少し考え、静かに口を開く。
「……そうか。聖剣を破壊されたか。少なくともエレンは、それ程の実力を身につけたという事だ。だが、その程度なら私には及ばぬ。 聖剣一本で、おおよその実力は分かった……だから、あまり気にするな」
「御意」
ルシファーは深く頭を下げる。その様子を見ながらクラディウスは考える。
(……聖剣など、忌々しいシルヴィアの置き土産だ。そんなものが破壊された所で、私にはどうという事はない)
クラディウスは三人を見渡した。
「皆、今回はよくやった。褒美だ」
そう言って、輝きの強い人間の魂を三人へ差し出す。
「ありがとうございます」
ルシファーは静かに受け取る。
「ありがとうございます!」
ウリエルは嬉しそうに笑う。
「ええ、ええ! ありがとうございます! 人間の魂は、なぜこんなにも美味しいのでしょうか!」
ペリエルは満足そうに魂を見つめる。
その様子を横目に、ルシファーは静かに目を閉じた。
(ハニエル……あの能力は一体何だ? 私の知らぬ武器ばかりだった。 最後に受けたあの矢……あれを受けた瞬間、私の動きが鈍った。それに、あの最後の雷も偶然ではあるまい……分からぬ。だが、次は必ず、お前を討つ)
分からない。あの力の正体も。何故、ハニエルがあれほどの力を持っているのかも。
考えれば考えるほど、胸の奥から静かに怒りが込み上げてくる。
エレンを庇い、自分へ刃を向け、そして、ラファエルまで討った。
握り締めた拳へ、僅かに力が籠もる。
(……ハニエル)
怒りを押し殺すように、ゆっくりと息を吐いた。
(次は必ず、お前を討つ)
◆
翌朝――。
窓から差し込む柔らかな朝日が部屋を照らし、エレンはゆっくりと目を覚ました。
「ふぁ……」
小さく欠伸をしながら身体を起こすと、大きく背伸びをする。
その時だった。
「ふぁぁ……」
隣から可愛らしい欠伸が聞こえてきた。
エレンがそちらへ視線を向けると、ハニエルが眠たそうに目を擦りながら欠伸をしているところだった。
しかし、エレンと目が合った瞬間――。
「……っ」
ハニエルは慌てて口元を押さえ、そのまま俯いてしまう。
白い頬がみるみる赤く染まっていく。
どうやら寝起きの欠伸を見られてしまったことが、恥ずかしかったらしい。
そんな様子を見て、エレンは思わず小さく笑った。
「おはよう、ハニエル」
「……お、おはようございます」
消え入りそうな声で返事をするハニエル。
その姿があまりにも微笑ましくて、エレンは優しくハニエルの頭を撫でた。
「ほら、支度しましょう」
「……はい」
ハニエルは恥ずかしそうに小さく頷いた。
二人は身支度を整えるため、それぞれ顔を洗いに向かう。
準備を終えると、二人は朝食を食べるためリビングへ向かった。
リビングには、すでにレイコが待っていた。
「おはよう、レイコ」
「おはようございます」
ハニエルもぺこりと頭を下げる。
「おはよう、エレンちゃん。ハニエルちゃん」
レイコは笑顔で二人を迎えた。
三人は席に着き、朝食を食べ始めた。
しばらくすると、エレンが辺りを見回した。
「そういえば、ルビアは?」
レイコは穏やかな表情で答える。
「まだ寝てるわ」
「そっか」
昨日はノアの街を守るための激闘だった。
疲れが残っているのも無理はない。
エレンは納得したように頷き、そのまま朝食を続けた。
食事を終え、食器を片付ける。
ハニエルが後片付けを手伝っている間に、レイコがエレンへ声を掛けた。
「エレンちゃん、少し相談したい事があるの」
「何?」
どこか真剣な表情を浮かべるレイコに、エレンも自然と表情を引き締める。
レイコは小さく手招きをすると、そのまま自室へ案内した。
部屋へ入ると、レイコは静かに扉を閉めた。
「実はね……少し気になることがあるの」
「気になること?」
レイコは静かに頷いた。
「鳥型の魔導具で半壊したノアの街の様子を見ていたの。瓦礫を片付けたり、怪我人の手当てをしたり……みんな復興に励んでいたわ。でも、その中でノア教会の人達だけは、街中でルビアちゃんを探し回っていたの」
エレンは眉をひそめた。
「ルビアを……?」
「ええ。理由までは分からないけれど、何か目的があるのは間違いないと思うわ」
静かな空気が流れる。
エレンは少し考え込んだ後、小さく頷いた。
「……分かった。まずはルビアを起こして、本人にも話を聞いてみる」
「お願いするわ」
エレンは部屋を出ると、ルビアが休んでいる部屋へ向かった。
エレンは部屋を出ると、ルビアが休んでいる部屋へ向かった。
◆
軽く扉を叩く。
「ルビア、起きてる?」
返事はない。
エレンは小さく息をつくと、静かに扉を開けた。
部屋の中では、ルビアが布団に包まり、気持ちよさそうに眠っている。
「……まだ寝てる」
エレンはベッドの傍まで歩み寄る。
「ルビア、朝よ」
「んぅ……」
小さく声を漏らすだけで、起きる気配はない。
「ほら、起きなさい」
肩を軽く揺する。
「あと五分……」
寝ぼけた声が返ってきた。
エレンは思わず苦笑しかけたが、首を横に振った。
「五分経っても起こすから」
「むぅ……」
ルビアはしばらく布団にしがみついていたが、観念したようにゆっくりと身体を起こした。
「おはようございます……」
「おはよう」
眠そうに目を擦るルビアを見届けると、エレンは部屋を出る。
「顔を洗ってきて。リビングで待ってる」
「はい……」
まだ眠そうな返事を聞きながら、エレンはリビングへ戻った。
しばらくして、身支度を終えたルビアもリビングへやって来る。
リビングでは、レイコとハニエルが待っていた。
「おはようございます。ルビア」
ハニエルが笑顔で挨拶する。
「おはようございます。ハニエルさん。ふあぁ……よく眠れました……」
ルビアは欠伸を噛み殺しながら席に着いた。
レイコがエレンへ視線を向ける。
「エレンちゃん、二人にも話してあげて」
「ええ」
エレンは頷くと、ルビアとハニエルを見た。
「実はさっき、レイコから話を聞いたんだけど」
二人がエレンへ視線を向ける。
「レイコが鳥型の魔導具で街の様子を見ていたらしいの。街のみんなは復興作業を進めていたんだけど、その中で『ノア教会』っていう人達がルビアを探していたらしい」
「私を……?」
ルビアは驚いたように目を見開く。
「理由はまだ分からないわ。レイコも詳しくは知らないみたい。でも、何か目的があるのは間違いないって」
隣で聞いていたハニエルが、不思議そうに首を傾げた。
「ノア教会……ですか?」
「私も詳しくは分からないの。ノア教会のことは、ルビアに聞きましょう」
「はい」
ハニエルは素直に頷いた。
その時だった。
ルビアが何か思い当たったように、小さく息を呑む。
「……もしかしたら、お父様かもしれません」
「ルビアのお父さん?」
「はい。私を探しているなら、多分、お父様が呼んでいるんだと思います」
ルビアの口調に確信はなかった。
それでも、何か心当たりがあるようだった。
エレンは静かに頷く。
「行ってみよう」
「はい」
ルビアも力強く頷く。
四人はレイコの家を後にし、ノア城へ向かった。
◆
四人はレイコの家を後にし、ノア城へ向かった。
街では、崩壊した建物の瓦礫が次々と運び出されていた。
傷ついた人々の治療にあたる者、建物の修復を進める者――昨日の激闘の爪痕は色濃く残っている。
そんな中、ルビアの姿に気付いた街の人々が、次々と頭を下げた。
「ルビア様!」
「ご無事だったんですね……!」
安堵したような声があちこちから聞こえてくる。
ルビアは歩みを止めることなく、小さく微笑みながら一人ひとりへ軽く頭を下げた。
やがて四人は、ノア城へと辿り着く。
城門の前では、鎧を身に纏った兵士たちが周囲を警備していた。
兵士の一人がルビアの姿を認めると、姿勢を正して敬礼する。
「ルビア様、お待ちしておりました」
「……お父様が?」
「はい。陛下がお待ちです」
兵士は恭しく頭を下げると、そのまま城内へ案内した。
城内を歩く兵士や使用人たちも、ルビアを見るたび足を止め、一礼する。
しばらく歩くと、大きな両開きの扉の前で兵士が立ち止まった。
「陛下。ルビア様をお連れしました」
中から低く威厳のある声が返ってくる。
「入れ」
兵士が静かに扉を開いた。
四人は謁見の間へ足を踏み入れる。
広い室内の左右には、近衛兵たちが無言で控えていた。
その奥――玉座には、一人の男が静かに腰掛けている。
ガレス・ノア皇帝。
ノア皇国を統べる王にして、ルビアの父。
その鋭い視線が、静かに四人を見据えていた。
「久しぶりだな、ルビア」
静かな声が謁見の間へ響く。
ルビアは玉座の前まで歩み寄ると、深く一礼した。
「……お久しぶりです。お父様」
エレンたちもそれに続き、一礼する。
ガレスは静かに頷くと、エレンたちへ視線を向けた。
「そちらがお前の仲間か」
「はい。私の大切な友達です」
ルビアは迷うことなく答えた。
ガレスは品定めをするように、一人ひとりへ視線を向ける。
エレン。
ハニエル。
レイコ。
それぞれの姿を確認すると、小さく息をついた。
「そうか」
短く言葉を返すと、再びルビアへ視線を戻す。
「今日は、お前に話があって呼んだ」
「話……ですか?」
「ああ」
謁見の間が静まり返る。
兵士たちも一切口を開かず、その場を見守っていた。
ガレスはルビアを見据える。
「単刀直入に言おう」
一拍置く。
「ルビア。お前は天国塔へ行くのをやめろ」
その一言に、ルビアの表情が僅かに曇った。
「……なぜですか?」
ルビアは真っ直ぐ父を見つめる。
ガレスは静かに口を開いた。
「お前はノア皇国第一王女だ」
「……はい」
「そして、この国を継ぐ資格を持つ者でもある……昨日の戦いの報告は受けている」
ルビアは黙って耳を傾ける。
「お前は命を懸けてこの国を守ったそうだな」
「……当然です。この国は私の故郷ですから」
「だからこそだ」
ガレスの声は低く、重い。
「これ以上、お前を危険な場所へ行かせるつもりはない」
ルビアは目を見開いた。
「お前には、この国で生きてもらう」
一拍置く。
「良き伴侶を見つけ、子を授かり、ノア王家の血を未来へ繋げろ」
謁見の間が静まり返る。
「それがお前の役目だ」
ルビアは思わず言葉を失った。
「もちろん、後継者については心配する必要はない」
ガレスは淡々と続ける。
「後継者については既に決めてある」
「…………」
「次期皇帝は、いずれ兄が継ぐ」
ルビアは静かに俯いた。
「お前は王位を継ぐ必要はない。だからこそ、生きて王家の血を残せ。それがお前の役目だ」
静かな声だった。
だが、その一言はルビアの胸へ重くのしかかる。
ルビアはゆっくりと顔を上げた。
「……お断りします」
謁見の間の空気が張り詰める。
兵士たちも思わず表情を強張らせた。
ガレスは眉一つ動かさない。
「……理由を聞こう」
ルビアは父を真っ直ぐ見つめる。
「私は、まだ天国塔を登ります」
「駄目だ」
即答だった。
「これは既に決定事項だ。お前の意思では変わらん」
ルビアは静かに拳を握る。
「私は……」
言葉が詰まる。
幼い頃から、父に逆らうことは許されなかった。
否定されるたびに、自分の気持ちを飲み込んできた。
その記憶が、一瞬だけ脳裏をよぎる。
ガレスは淡々と続けた。
「お前は私の娘だ。父である私が、お前の進む道を決める。それがお前の為でもある」
ルビアは俯いたまま動かない。
謁見の間には重苦しい沈黙だけが流れていた。
その時だった。
「……ルビア」
静かな声が響く。
エレンだった。
ルビアはゆっくりと顔を上げる。
エレンは皇帝ではなく、ルビアだけを見ていた。
「ルビアは、どうしたいの?」
その一言だった。
命令でもない。
説得でもない。
ただ、ルビア自身の意思を尋ねる問い。
ルビアは目を見開いた。
父は、一度も聞いてくれなかった言葉。
自分が何を望んでいるのか。どう生きたいのか。
そんなことを尋ねられたことは、一度もなかった。
エレンは静かに微笑む。
「あなたが決めなさい」
その言葉に、ルビアはゆっくりと息を吸った。
そして、父を真っ直ぐ見据える。
「私は……」
一度言葉を切る。
迷いはあった。
だが、それ以上に、自分の気持ちは決まっていた。
「私は、天国塔を登ります」
静かな声だった。
しかし、その瞳に迷いはない。
「皆さんと一緒に」
ルビアはエレンたちへ視線を向け、小さく微笑んだ。
「皆さんといる時間が、私は大好きです。だから……」
ルビアは力強く言い切る。
「私は、皆さんと一緒に天国塔を登り続けます」
謁見の間は静まり返っていた。
ガレスは小さく目を閉じる。
「そうか」
静かな返事だった。
だが次の瞬間、その声は先ほどまでよりも冷たく響いた。
「ならば、許可はできん」
ルビアの表情が僅かに曇る。
「これは父としての願いではない。ノア皇国皇帝としての命令だ。ルビア・ノア。今この場で、天国塔への挑戦を放棄しろ」
命令だった。
その言葉に、ルビアは唇を噛み締める。
自分の意思を伝えた。
それでも、父は受け入れてくれなかった。
その時だった。
「……断ります」
ルビアは静かに答えた。
兵士たちの間に動揺が走る。
皇帝の命令を、公然と拒否した。
謁見の間の空気が、一変した。
ガレスは玉座からルビアを見つめる。
「……最後にもう一度だけ聞こう。本当に、それでいいのだな?」
ルビアは迷うことなく頷いた。
「はい」
短く、それだけを答える。
ガレスは小さく息を吐く。
「残念だ。お前は、私の娘としての役目を捨てるというのだな」
その言葉に、ルビアは何も答えなかった。
もう、自分の意思は伝えた。
それ以上、言うことはなかった。
その時だった。
エレンが静かに一歩前へ出る。
ガレスは視線を向けた。
「……貴様か」
エレンはルビアの隣へ立ち、真っ直ぐガレスを見据える。
「あんたは、ルビアの役目ばかり見ている。でも、一番大切なことを聞いていない」
ガレスは眉をひそめた。
「何だと?」
エレンは動じることなく続ける。
「ルビアがどうしたいのか、その気持ちを、あんたは一度でも考えたことがあるの?」
謁見の間が静まり返る。
兵士たちも、使用人たちも息を呑んで二人を見つめていた。
ガレスは静かに口を開く。
「私は父だ。娘の将来を決める責任がある」
エレンは小さく首を横に振る。
「違う。あんたは父親かもしれない。でも、ルビアの人生を決めるのは、あんたじゃない。ルビア自身よ」
静かな声だった。
だが、その一言一言は、謁見の間の誰の耳にもはっきりと届いていた。
ガレスはエレンを見据える。
「部外者が口を挟むな。これはノア皇国の問題だ。 家族の問題でもある」
エレンは表情一つ変えない。
「違う。これはルビアの問題よ」
ガレスの眉が僅かに動く。
「ルビアには、守るべき立場がある。皇族として生まれた以上、その責任からは逃れられん」
エレンは静かに答える。
「……だから?」
その一言に、謁見の間の空気が張り詰めた。
「立場があるから、自分の人生を諦めろって言うの?友達と別れて、自分のやりたいことも全部捨てて。あんたは、それがルビアの幸せだと思ってるの?」
ガレスは言葉を返さない。
エレンはもう一歩前へ出た。
「ルビアは、もう自分の答えを言った。それでも、あんたは聞こうとしない。自分の考えを押しつけているだけ」
エレンは真っ直ぐガレスを見据える。
「そんなのは――」
一度言葉を切る。
そして、迷いなく言い放った。
「父親じゃない。ただの支配よ」
◆
謁見の間は静まり返っていた。
誰も口を開けない。
ガレスはエレンを睨みつける。
「……言いたいことは、それだけか?」
低い声が響く。
エレンは首を横に振った。
「まだある」
そう言って、一度だけルビアへ視線を向ける。
ルビアもまた、エレンを見つめ返していた。
エレンは再びガレスへ向き直る。
「私は、ルビアのことを知ってる」
ガレスは黙ったままエレンを見据える。
「ルビアが何を望んでいるのか。何を大切にしているのか。全部じゃない。でも、あんたよりは知ってる」
静かな声だった。
だが、その言葉には確かな自信があった。
「だって、私はルビアの話を聞いたもの。ルビアの気持ちを。でも、あんたは違う。ルビアが何を望んでいるのか、聞こうともしない」
ガレスは表情を変えない。
エレンはさらに一歩前へ出た。
「ルビアは、もう自分の答えを言った。それなのに、あんたは自分の考えを押しつける。そんなのは父親じゃない。もう一度言うけれど、そんなのはただの支配よ」
謁見の間が静まり返る。
誰も、その言葉を否定できなかった。
エレンは真っ直ぐガレスを見据えたまま、静かに口を開く。
「私は――」
一度だけルビアを見る。
そして、迷いなく言い切った。
「私は、ルビアの友達よ」
その一言は、静かな謁見の間に、力強く響き渡った。
誰も口を開かない。
ガレスはエレンを見据えたまま、ゆっくりと口を開く。
「……友達、か」
小さく呟く。
「所詮は他人だ。いつか別れる。いつか失う。だが、家族は違う。血は決して変わらん」
エレンは何も言わない。
ガレスは続ける。
「友達など、いずれ消える存在だ。だからこそ、家族を優先する。私は間違っているとは思わん」
エレンは静かにガレスを見つめる。
その瞳は揺るがない。
「そう。それが、あんたの答えなのね」
短く答える。
ガレスは頷いた。
「ああ。私は皇帝だ。国を守る。家族を守る。そのためなら、お前に恨まれても構わん」
謁見の間に重い沈黙が落ちる。
エレンは小さく息を吐いた。
「……分かった。もう、話しても無駄ね」
そう言うと、エレンは一歩、ガレスへ近づいた。
「だったら――ルビアは、私が守る」
◆
エレンの言葉が、静かに消えていく。
謁見の間には、重苦しい沈黙だけが残っていた。
ガレスはゆっくりと目を閉じる。
「……そうか」
短く、それだけ呟く。
そして、再び目を開いた。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「言葉では、お前を止められんようだ」
エレンは静かに見つめ返す。
「ええ」
短く答えた。
ガレスは玉座から立ち上がる。
その動きに合わせるように、兵士たちが一斉に姿勢を正した。
ゆっくりと階段を下り、エレンの前で足を止める。
「ならば……」
腰に佩いた剣へ手を添える。
「力で証明してみせろ」
静かな声だった。
「お前に、ルビアを任せるだけの力があることを」
金属が擦れる音が響く。
ガレスは剣を抜いた。
磨き上げられた刀身が、謁見の間の光を受けて鈍く輝く。
兵士たちは息を呑む。
「陛下が……」
「剣を抜かれた……」
誰もが驚きを隠せなかった。
ガレスが自ら剣を抜くことなど、滅多にない。
それだけ、この勝負を本気で挑んでいるということだった。
エレンは静かにガレスを見つめる。
そして、小さく息を吐いた。
「……分かった」
そう言うと、ゆっくりと腰の剣へ手を伸ばす。
ガレスは鼻で笑った。
「ふん、小娘め! 後悔するがいい! 私が勝ったら、ルビアは私の言うとおりにしてもらう!」
そう言うと、ガレスは剣を抜き、静かに構えた。
エレンは小さく頷く。
「ええ。それで構わないわ」
そして、静かに続ける。
「じゃあ、私が勝ったら、ルビアが天国塔へ行くことを、もう止めないこと」
一度言葉を切る。
「……でも、それだけじゃ割に合わないわね」
ガレスの眉がぴくりと動く。
エレンは淡々と言った。
「そうね……あんたは、一生ルビアの名前を呼ばないこと。そして、一生ルビアの前に姿を見せないこと。こんなところかしら?」
その言葉に、ルビアは目を見開いた。
「ちょっと、エレンさん!?」
ガレスは一瞬だけ驚いたものの、すぐに口元を歪める。
「……いいだろう。その条件で受けてやる!」
ガレスは剣を構え直す。
絶対の自信があるのか、その瞳には自らの勝利を疑う色はなかった。
エレンは静かに頷く。
「決まりね」
そう言うと――
剣を抜くことなく、鞘に納めたまま静かに構えた。
その姿を見た兵士たちがざわめく。
「なっ……」
「剣を抜かないだと……?」
ガレスが眉をひそめる。
「どういうつもりだ? 舐めているのか?」
エレンはガレスを見据えたまま答えた。
「これで十分」
静かな一言だった。
ガレスの表情が険しくなる。
「私を侮辱する気か?」
エレンは首を横に振る。
「違う。あんたには、これで十分」
エレンの行動に、ガレスは怒りの形相で剣を振るう。
鋭い斬撃。
だが、その刃は届かない。
エレンは鞘に納めたままの剣で受け流す。
軽く弾き、いなし、かわす。
その動きには、一切の無駄がなかった。
「くっ!」
ガレスは間髪入れずに剣を振るう。
上段から振り下ろし、横薙ぎ、突き。
次々と繰り出される斬撃。
しかし、その全てが空を切る。
エレンはその場からほとんど動かない。
鞘だけで全てを受け流していた。
兵士たちは思わず息を呑む。
「陛下が……」
「押されている……」
「いや……違う」
「勝負になっていない……」
レイコは腕を組み、口元に笑みを浮かべる。
「ふふっ、流石ね」
ハニエルは何も言わず、ただ静かに二人を見つめていた。
ガレスの表情に驚きと焦りが見えはじめ、呼吸が徐々に乱れる。
「はぁ……はぁ……!」
それでも剣を振るう。
振るう。
振るう。
だが、一太刀たりとも届かない。
エレンは小さく欠伸をした。
「……ふぁ」
ガレスの表情が凍り付く。
「なっ……」
エレンはため息をついた。
「……もう飽きたわ」
その瞬間、エレンの姿が消えた。
「――っ!?」
次の瞬間には、ガレスの目の前に立っていた。
コツン。
鞘の先が、ガレスの胸を軽く突く。
ただ、それだけだった。
「ぐあっ!」
ガレスの身体は勢いよく吹き飛び、床を転がる。
剣が手から離れ、高い音を響かせながら床へ滑った。
謁見の間は静まり返る。
ガレスは震える手で身体を起こした。
「そ……そんな馬鹿な……あ、あり得ない……」
エレンはゆっくりと歩み寄る。
「もう終わり?」
ガレスは言葉を失った。
エレンは静かに見下ろす。
「約束どおりね」
右手をゆっくりと掲げる。
ガレスの表情が変わる。
「ま、待て……何をする気だ!」
「契約魔法。知ってる?禁術の一つよ」
兵士たちがざわめく。
「禁術だと……」
「そんな魔法を……」
エレンは淡々と続ける。
「これはね……勝った者が、敗北した者と強制的に契約を結ぶ魔法。相手の意思は関係ない。契約は絶対。 勝者が決めた内容は、必ず守られる」
ガレスの額を冷や汗が流れ落ちる。
「き、貴様……! 誰か! この小娘を止めろ!」
兵士たちが一斉に駆け出そうとする。
「《拘束》」
エレンが静かに詠唱を呟いた瞬間、兵士たちの身体が、その場でぴたりと止まった。
「なっ!?」
「身体が動かない!」
ガレスは青ざめる。
エレンは静かに見下ろした。
「私……かなり怒ってるのよ」
その一言だけが、いつもより少し低かった。
「ルビアの気持ちを聞こうともしない。自分の考えだけを押しつける。それで父親を名乗るなんて……気に入らない」
エレンは目を閉じる。
そして、小さく詠唱を始めた。
その瞬間だった。
謁見の間の空気が重く沈む。
誰もが息を呑んだ。
床一面に、ゆっくりと巨大な魔法陣が浮かび上がる。
その色は深紅。
しかし、宝石のような美しさはない。
どろりと粘り気を帯びた、不気味な赤。
まるで血が床一面へ滲み出したかのようだった。
複雑な紋様はゆっくりと脈打ち、生き物のように形を変えていく。
兵士たちは本能的な恐怖を覚え、思わず顔を引きつらせた。
「な、何なんだ……この魔法は……」
誰も答えられない。
ガレスはその魔法陣を見つめたまま、一歩も動けなかった。
やがて、エレンの詠唱が終わる。
魔法陣が静かに輝いた。
エレンはガレスを見下ろした。
「契約は、この部屋を出た瞬間から始まる。今後、あんたが一度でもルビアの姿を見たら、あんたは一生目が見えなくなる。一度でもルビアの名前を口にしたら、あんたは一生声が出なくなる。 契約期間は、あんたの心が本当に改心する時まで」
ガレスが顔を青ざめさせる。
「ま、待――」
「返事はいらない」
エレンは右手を軽く振った。
深紅の魔法陣から光が溢れ、その光は一瞬でガレスを包み込む。
胸元へ契約の紋様が浮かび上がり、すぐにその身体へ溶けるように消えていった。
魔法陣もまた、静かに消滅する。
エレンは背を向けた。
「もう終わったわ。行くわよ」
レイコは何も言わず歩き出す。
ハニエルも静かにその後へ続いた。
ルビアだけが、その場に立ち尽くす父を見つめる。
幼い頃から、何度も剣を振るわされた。
倒れても、血を流しても、立てなくなっても、稽古という名のもとに、何度も剣を向けられた。
周りから見れば、虐待と呼ばれてもおかしくない。
暴力だと言われても、否定出来ないような日々だった。
それでも、目の前にいる男は、自分の父親だった。
だからこそ、ずっと心のどこかで向き合おうとしていた。
ルビアはしばらく父を見つめる。
そして、静かに口を開いた。
「……私は、お父様のことが大っ嫌いです。本当に、最低な父親だと思っています」
父の目を真っ直ぐに見つめる。
「親不孝者だと思われても構いません。それでも私は、私の道を行きます」
もう迷いはなかった。
ルビアは小さく微笑む。
「……さようなら」
それだけを残し、ルビアも前を向いて歩き始めた。
城を出ると、冷たい風が頬を撫でた。
先ほどまでの重苦しい空気が嘘のように、空はどこまでも澄み渡っている。
ルビアはゆっくりと城を振り返った。
生まれ育った場所。
楽しかった思い出も、苦しかった思い出も、全てが、あの城の中に残っている。
もう戻ることは二度とない。
そう思うと、不思議と涙は出なかった。
「……ルビア」
エレンが静かに声をかける。
ルビアは振り向いた。
「……はい」
「大丈夫?」
その一言に、ルビアは小さく笑う。
「少しだけ……寂しいです。でも……」
ルビアは空を見上げた。
「後悔はしていません」
レイコが穏やかに微笑む。
「それでいいのよ。自分で決めた道なんだから」
ハニエルも優しく頷いた。
「きっと、その決断は間違っていません」
ルビアは三人を見つめる。
自然と笑みがこぼれた。
「ありがとうございます。皆さんがいてくれたから……私は前を向けます」
エレンは小さく頷いた。
「なら、行きましょう。ガレスが契約を破ることはできないけど、契約が始まる前なら、邪魔はできる。余計な問題が起きる前に、天国塔へ向かうわ」
「はい!」
四人は天国塔へ向かって歩き始めた。
巨大な塔が、青空の下で静かにそびえ立っている。
◆
やがて四人は天国塔へ辿り着いた。
巨大な塔は、いつもと変わらず静かにそこへ佇んでいる。
エレンは迷うことなく天国塔の外にある転移装置の前で足を止めた。
「ここから六十階層へ向かうわ」
ルビアとレイコが頷き、転移装置へ歩み寄る。
しかし、ハニエルだけは、その場に立ったままだった。
エレンは振り返る。
「どうしたの?」
ハニエルは少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「……私は転移装置は使えません」
エレンは一瞬だけ考え込む。
「……あ」
ハニエルの左手へ視線を向け、小さく頷いた。
「そっか、紋章」
ハニエルは自分の左手を見つめる。
「紋章……ですか?」
「転移装置は、登録すると手に紋章が刻まれるの。その紋章がないと使えないわ」
ハニエルは納得したように頷く。
「そうだったんですね」
ルビアが少し困ったようにエレンを見る。
「どうしましょう……」
エレンも表情を引き締めた。
「あんまし、時間は掛けられないわ」
レイコも静かに頷く。
「ええ」
その時だった。
ハニエルは顎にそっと手を添え、少し考えるように目を伏せる。
「ちなみに、今は何階層ですか?」
「六十階層よ」
エレンが答える。
ハニエルは小さく頷いた。
「でしたら……一時間ほどで追いつきます」
ルビアは目を丸くする。
「一時間で、ですか?」
「はい」
ハニエルは穏やかに微笑んだ。
「問題ありません」
エレンは小さく笑う。
「分かったわ。先で待ってる」
ハニエルは静かに一礼する。
「はい」
エレンは転移装置へ手を伸ばした。
「行きましょう」
三人の姿が光に包まれる。
次の瞬間、エレン、ルビア、レイコの姿は静かに消えた。
ハニエルはその様子を見届けると、天国塔の入り口に向って静かに歩き出した。




