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追跡②

 夜明け前、まだ空の端が青く滲む頃。

 荷馬車の列は湿った街道をゆっくりと進んでいた。山積みの野菜や果物の下には、死体袋に入れられたリュシエルの身体が隠されている。


 先頭を歩く傭兵たちは眠気を押し殺すように黙り込み、馬の吐息だけが霧の中で白く散った。


「……お頭、静かすぎやしませんか」

「なんだぁ?ビビり過ぎだろ。この数だ。何もありゃしねぇよ。」


 ざわめき始めたその時。


 ――空気が裂けた。


 木々の影から黒装束が滑り出し、手裏剣と小型弩の雨が一斉に襲いかかる。

 傭兵の一人が悲鳴を上げる間もなく喉を貫かれ、次々と崩れ落ちた。


「なっ――忍びだァッ!」


 悲鳴と同時に乱戦が始まる。

 鎖鎌が閃き、傭兵の盾ごと切り裂かれる。毒煙玉が弾け、視界を覆い、咳き込みながら倒れる者。

 わずか数合で戦力は半減し、残る者も腰を抜かして逃げ惑った。


 その混乱の只中。

 ソルミアが手を振り上げると、空気に裂け目が走る。見えぬ鋸歯が襲い掛かり、三人の忍びをまとめて切り裂いた。


「……この人を……オルフェクト様の元へ!」


 涙のにじむ目で叫びながらも、彼女の魔法は鋭く敵を穿つ。


 対するイルミナは嘲笑とともに魔道具を掲げた。

「影よ、形を取れ」


 黒い霧が膨れ上がり、強化された影兵が十体以上、次々と湧き出す。

 槍を構え、短刀を握り、忍びへと突撃した。


「ちっ……数が多い!」

「構わん、袋にある荷を奪え!」


 忍びたちは犠牲を顧みず突入し、影兵の槍に貫かれながらも、荷車へと迫ってくる。


 御者台から慌てて降りたバルザックが、煙幕玉を袋ごと取り出した。


「クソッ、こうなりゃ逃げるしかねぇ!!」


 足元に叩きつけられた煙玉が炸裂し、白煙が街道を覆う。馬がいななき、荷車が無理やり方向を変える。


 しかし――その時。


 霧の向こうから別の気配が迫った。


「……追いついたか」


 低い声とともに、炎を帯びた魔力が広がる。


 ルーサー、玄道、小虎、そして清次郎の四人が忍びの混乱に踏み込み、荷馬車へ向けて迫っていた。


「見つけた……!」

 ルーサーの詠唱と共に雷光が奔り、戦場を照らす。


 忍びの刃が一斉に清次郎を狙った。

「奴も狩れ! 一度逃した借りを返す!」


「ちっ……やっぱり俺を忘れてないか!」

 清次郎が牙を剥く瞬間、玄道が忍の刀を弾く。


「悪いが――もう忍びじゃないんでな!」

「芦屋玄道!この、裏切り者が!」


 二人は背を合わせ、次々に迫る刃を払い落とした。


 小虎は一直線に荷車へ跳躍する。

 忍びが袋を抱えて逃げようとしたその腕を斬り払い、リュシエルを地面に解き放つ。


「……返してもらう!」


 ルーサーが駆け寄り、彼女を抱き起こす。

 意識はまだ戻らないが、脈は確かに打っていた。


「小賢しい……なら、これでどうだ!」


 イルミナは魔道具を砕いた。

 召喚陣が広がり轟音と共に大地が揺れた。

 現れたのは獅子の頭、山羊の首、蛇の尾を持つ怪物――キマイラ。

 三つの喉から同時に轟きが迸り、炎と毒煙、雷鳴のような咆哮が森を震わせた。


「ちッ!まさかこんなところで使うハメになるなんて。エルフを連れて帰れないのは残念だけど、せいぜい頑張るのね、ソルミア。行くわよバルザック」

「クソッ!!」


イルミナとバルザックは煙幕の中で隙を突いて逃げ出した。


 ルーサーは雷と氷の魔法で応戦する。

「ここで止める……!」


 乱戦の只中。影兵は清次郎と玄道が押さえ、ルーサーはキマイラを相手に結界を軋ませていた。


 その一角、白銀の髪を振り乱すソルミアが立ち塞がる。涙の跡が残った顔で、嗤うでも泣くでもない声を吐き出す。


「……邪魔するのね。どうせ、みんなあたしを笑って捨てる。だから壊してやる……」


 空気の歯車が軋み、鋸のような魔力の枷が何重にも重なって迫る。


 小虎は一歩も退かず、静かに剣を抜いた。

 薄刃が夜気を裂き、枷の一つを寸分違わず弾き飛ばす。


「……やっぱりな」

 細めた瞳で、ソルミアを見透かすように言う。

「お前、体の動きが素人だ。剣の稽古どころか、包丁を握ったことすらないだろ」


 図星を突かれ、ソルミアの頬がひきつる。涙交じりの笑い声が迸る。


「うるさい! うるさいうるさいッ! 魔法さえあれば……私だって!」


 次の瞬間、無数の枷が乱舞する。

 だが小虎はほんの一歩、半身をずらすだけで、刃の雨を空振りさせていった。

 その姿は踊るようで、しかし確実に間合いを支配している。


「焦って魔力を重ねすぎだ。……そんな縛り、あたしには届かない」


 踏み込み、一閃。

 銀光が走り、ソルミアの首筋すれすれで止まる。

 頬に冷たい風が走り、細い髪が数本切り落とされて舞った。


「今ので首が飛んでた。……次は止めない」


 低く、冷たい声。

 ソルミアの目が大きく見開かれる。恐怖と屈辱が胸を焼き、喉が震える。


「やめろ……私を、見下すなあああッ!!」


 悲鳴と共に、魔力が暴走する。

 鋸の枷が制御を失い、四方八方を無差別に切り裂く。影兵すら巻き込み、味方をも刻む凶乱の嵐。


 小虎は距離を取り、冷ややかに見据える。

「……やっぱり弱い。自分すら制御できない」


 ソルミアは嗚咽混じりの笑い声をあげ、涙と怒号に塗れて、裂けた空気の中へ姿を消した。


 その場に残ったのは、切り刻まれた影兵と、虚しく舞う銀髪の切れ端だけだった――。



 ルーサーがキマイラの前に進み出る。

 長衣は既に破れ、血も乾かぬままだが、その眼光は冷たい炎を宿していた。


「……これ以上は通さない」


 指先が走り、複雑な紋が宙に刻まれる。

 雷光が走り、獅子の顎を弾いた。火花が飛び散るが、獣は怯まない。


 山羊の口からは黒い毒霧が吐き出され、森の草木を枯らす。

 蛇尾が地を打ち、巨木をなぎ倒す。


 ルーサーは即座に三重の結界を展開。

 霧は遮られ、毒は光の壁に焼き尽くされる。


 その隙を狙って、雷槍を放つ。

 だが、キマイラの獅子頭が咆哮し、炎が雷を押し返した。


 激突の余波で地が裂け、木片が雨のように降り注ぐ。


「っ……想像以上だな」

 ルーサーの額に汗が滲む。

 彼は大きく息を吐き、詠唱を加速させた。

「――雷よ、氷よ、束ねて穿て!」


 氷槍と雷光が絡み合い、一本の巨大な矢となってキマイラへ突き刺さる。

 獅子頭が焼け焦げ、山羊の首が凍りつき、蛇尾がのたうち苦悶の叫びをあげた。


 しかし、怪物はなお生きていた。

 血に混じった毒液を撒き散らし、最後の力で跳びかかる。


「来るぞ!」

 玄道の声が飛ぶ。


 ルーサーは既に魔力を絞り尽くしかけていた。

 片膝をつきながらも両手を掲げ、最後の障壁を張る。


 火炎と毒がぶつかり、結界が悲鳴を上げる。

 その背後――小虎が鞘に手を掛けていた。


「十分だ」


 獣の耳が揺れ、瞳が研ぎ澄まされる。

 一歩。踏み込み。


 次の瞬間、白刃が閃いた。


 居合いの斬撃は稲妻のように走り、三つの首をまとめて断ち切った。

 巨体は慣性のままに結界へぶつかり、地鳴りを立てて崩れ落ちる。


 燃え残る炎と黒煙の中、ルーサーは深く息を吐いた。

 小虎は刀を振り払い、血の飛沫を払う。


「……見事だ」

 ルーサーが低く呟くと、小虎は肩を竦める。


「せめてもの手向けだ。せいぜい満足して眠れ、化け物」


 キマイラの骸はやがて崩れ、魔力の霧となって消えていった。


 戦場に残ったのは、倒れた影兵の残骸と、救い出されたリュシエルの姿だけ。


 夜明けの光が差し込む森で、ルーサーはリュシエルを強く抱きしめた。

 彼女の体はまだ冷たく、意識は戻らない。だが確かな鼓動が掌に伝わる。


 普段は決して揺るがぬ声が、今だけは震えを帯びていた。


「……どれほどの敵が立ちはだかろうと、俺は必ずお前を守る。

 生涯を賭してでも、何度でも――お前を連れ戻す」


 唇を噛み、額をリュシエルの髪に押し当てる。


「リュシエル。お前は俺の、生きる理由だ」


 その一言は誓いであり、深い愛の告白でもあった。


 少し離れた場所で様子を見ていた玄道が、腕を組んで小さく首を振る。


 清次郎は牙を覗かせて笑い、肩を竦める。

「ふん、あんだけ真剣に言われちまったら……女も逃げ場がねぇな」


 玄道がわざとらしく目を細める。

「お前だって羨ましいんだろう?」

「馬鹿言え。俺は酒と喧嘩で手一杯だ」


 二人の軽口が、重い空気を少し和らげる。

 だが彼らの胸にも同じ思いがあった――この男の誓いは、本物だ、と。


 玄道は血に濡れた忍びの刀を踏みつけ、清次郎と視線を交わす。


 夜明けの光が差し込み、戦いの痕跡を赤く染めていた。

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