チャプター33
~シュラーフェンの森・奥地 ヘレンの家~
それは突然やってきた。フォルクローレが毒きのこに倒れて復帰してから二日目の午後、昼食の片付けを終え、フォルクローレがヘレンの求めに応じて滋養の薬を調合していた時だった。突如、ドアを叩く乾いた音が2回、家の中に響いた。
「っ!!」
「だ、誰か来ましよ?」
「狼狽えるんじゃないよ。こないだ言ったろ、行商人の男が訪ねてくる頃だって。間違いなくそいつだよ。エルリッヒ、お前さん手が空いてるだろ? 出てやっておくれ」
ヘレンはというと、フォルクローレに調合を実演してもらっているので、そちらの見学で手が離せないでいる。一方白羽の矢が立ったエルリッヒは、今日の夕飯を何にするか、早速次のメニューのことを考えているところだった。テーブルにつき、壁に下げられたドライフラワーをぼーっと眺めながら考えていたので、突然のノック音に思いの外驚いてしまったのだった。
「は、はーい」
確かに、感じられる気配からは邪悪なものは感じない。ヘレンが幾らかの経験でノック音を聴いただけで馴染みの行商人だと判断したのだから、それは間違いないのだろう。とはいえ、やはりドキドキすることに変わりはなく、いつもの快活さはなりを顰め、おずおずと、ゆっくりとドアを開ける。
「あ、あれ? 若い女の子?」
ドアの向こうにいたのは、若い男性。こちらの様子に戸惑いを見せており、お互いがほどほどに戸惑っているという妙な構図になっていた。
身なりはラフだが、背負っている荷物はかなり重たそうな大荷物だった。優しそうな面立ちが少しだけ不安な気持ちを和らげる。
「えと、ヘレンさんの言う行商人さんですか?」
「そうそう。定期で訪れてるんだ」
「いいから入ってもらいな」
大釜の袂から、ヘレンが指示を出す。意識は調合に向かっていても、片隅ではドア越しのやりとりに耳を傾けていたらしい。普段は警戒心の強いヘレンもこの時ばかりは遠慮なく中に招き入れる。さすがは顔見知りと言ったところか、自分たちが訪ねて行った初日のことを思い返し、扱いの違いに思い入る。
「……ということだそうですので、中へどうぞ」
「あぁ、はい。それじゃあ、お邪魔します」
相変わらず戸惑いを抱えたまま、行商人は家の中に入った。彼からすると、訪れるたびに中に入っている家なので物珍しいことは何一つないのだが、出迎えた燃えるような髪色の若い女性にまず戸惑い、中に入って見回すと、そこには大釜を覗き込むヘレンと、その大釜の中身を何やらかき混ぜている金髪の若い娘の姿があり、さらに戸惑うのであった。
「えーと、お二人は、お孫さん?」
慣れた所作で椅子に座り、一番当たり障りのない質問を投げかけてみた。実態のところはわからないが、この辺りが無難だと思い、尋ねてみた。
ヘレンの様子は後ろ姿からは窺い知れないが、話は聞こえているようだった。
「バカをお言いでないよ。アタシに身寄りがないのはよく知ってるだろ。客人だよ。こんなところまでわざわざくるんだから、相当な変わり者だけどね」
「な、なるほど、お客さん。確かに、ヘレンさんに孫なんていないですよね。他の人がいるなんて思わなかったし、咄嗟に孫かなーって思っちゃって」
咄嗟にあり得ない可能性を考えてしまうほどに、この家に来客があると言うことは異常事態なのだ。状況が整理されると、行商人は居住まいを正し、こちらもテーブルに戻ったエルリッヒに自己紹介をする。
「えっと、ヘレンさんからどこまで聞かされてるか分からないけど、僕はヨアヒム。行商人をやってる。年に数回、こうしてここを訪れて色んな物を届けたり、ヘレンさんが作った薬を買い付けたりしてるよ」
「ヘレンさんから少し伺ってます。確か、ヘレンさんがこの森に移り住んだ時にお手伝いをしてくれた人のお孫さんだとか。私はエルリッヒって言います。王都の南にあるコッペパン通りで『龍の紅玉亭』っていう食堂をやってるので、機会があったら食べに来てくださいね。あっちで大釜をかき混ぜてるのは、フォルクローレ。王都で錬金術士をしてる子です。私たちは友達同士で、彼女、フォルちゃんの用事でヘレンさんを尋ねてきました。今は、代金の代わりに生活を共にして身の回りのお手伝いをしてます。もう、何日になりますか。ヘレンさんがいいって言うまでって言う条件で」
手短に自己紹介を終えると、小さく会釈をした。ヨアヒムとしては、普段あまり若い女性と接する機会がないので、ついつい照れてしまう。だが、そこは商売人、態度に出すことはなかった。
素知らぬ風を装い、話を続ける。
「王都で食堂ですか。それじゃあ今度寄らせてもらいますね。それにしても、錬金術士っていうのは?」
「あぁ、ご存知ない! そっかー、行商人でも知らないマイナーなお仕事ですよね、やっぱ。まあ、私もフォルちゃんと出会って初めて知ったんですけどね。なんか、色んな素材をああやって大釜で煮込んでぐるぐるやって他のものを作り出す技術? お仕事? 学問? とにかく、そういうやつです」
やはり、錬金術はまだまだ認知度の低い仕事らしく、ヨアヒムも説明を聞きながらそれは一体なのなのか、判断できずに不思議そうな顔を浮かべている。それはそうだろう。出会って数年のエルリッヒでもはっきりとは説明できていないのだから、ましてそれを聞いただけのヨアヒムが理解できる方が不思議である。
「えっと、それは、ヘレンさんのお仕事とは違うのかな?」
「うーん、根っこのところは同じだと思うんですけど、錬金術のよく分からないところは、薬以外のものも作っちゃうところなんですよ。インゴッド、なんかよく分からない宝石、食べ物、人形、とにかく作れないものはほとんどなさそうなんですよね。中でも、爆弾が一番得意なんですよ、フォルちゃんは。あ、もちろん作るものによって、材料は違いますけどね」
追加説明をすればするほど、ヨアヒムに混乱が生じていく。一方のエルリッヒも、知り得る限りの情報を提供しているのだが、語れば語るほど、「錬金術とはなんなんだ」という謎が深まっていく。
「うーん、わからん! エルリッヒさんみたいにわかりやすいお仕事ならいいのに」
「ですよねー。それじゃ、ヨアヒムさんも見学してみたらどうですか? 今ちょうど、フォルちゃんが調合していて、それをヘレンさんが見学しているんですよ。あ、お急ぎだったらそんな余裕はないか」
見学しても理解できるとは思えないが、少なくとも直接その目で見ることで、どういうことをするのかは理解できる。ぐつぐつと煮えた釜をただかき混ぜているだけだから、実際のところ特別なことは何もなく、そんななんでもない調理の一環のような動作から、投入した素材が完成品に生まれ変わるという異次元の現象を目の当たりにすれば、きっと何か一つは得るものがあるのではないだろうか。
ヨアヒムは柔らかな笑顔で「ぜひ」とだけ答えると、席を立ち、大釜の前に向かった。フォルクローレを挟んで、右側に立っているヘレンとついになるように、左側に立ち、大釜を眺めた。
「フォルクローレさん、見学させてもらいますね」
「どうぞどうぞ、自由に見てって下さい。今は薬を作ってるところです。もう材料の投入は終わっているので、大釜をかき混ぜて、素材を一つの完成品にしていきます」
エルリッヒには見慣れた景色だが、杖を使って大釜をかき混ぜる様子は、どこからどう見ても奇妙に映る。杖でかき混ぜても、あまりしっかり攪拌できないのではないか、という疑問が先に立つのだ。
「へぇ〜。これは興味深い」
「もうすぐできますからね」
じっと視線を投げかける先では、虹色に淡い光を放っていた鎌の中のお湯が強く輝き始めていた。光の強さからか、成分の変化が起こっているのか、虹色から白色の光に変わっていた。
「よし、できたーっ!!」
その叫びに呼応するように、鍋からは小さい爆発のような破裂音が響き、白煙がわずかに立ち上った。ヨアヒムはもちろん、この数日で何度か見学しているヘレンにとっても、それは驚く瞬間だった。
〜つづく〜




