05.馬と護衛
次に目覚めると、陽の光が眩しいほどだった。
視界には、もはや見慣れてしまった天蓋がある。手を上げてみれば、やはり白すぎるほど白い、細い腕があった。
「まだ、こっちか……」
寝て起きて、夢まで見てしまった。
このジュリエットが夢なのか、一人暮らしをしていた友梨亜が夢なのか、どうにも自信がなくなってくる。だけど鮮明な記憶なのは友梨亜の方だ。
テレビやスマホが恋しい。SNSが恋しい。画面越しで良いからジョーくんの姿を拝みたい。
ああ、ジョーくんのドラマだってまだ放送途中だし、”シャルモン”のコンサートツアーだってようやく開催されるのに。
どうしたらこの夢から覚めるのか、誰か教えてほしい。
「ジュリエットお嬢様、今日はこちらで朝食をどうぞ」
カートを押して入ってきたエマが、わたしの部屋にささやかな朝食を並べてくれた。
パンにオムレツ、サラダ、大きなウインナー。そしていい香りの紅茶。ぐうっとお腹が鳴った。
こんなところまでリアルに再現されていなくてもいいのに。
今日もにこやかに微笑むエマを見て、どこかホッとしてしまった。
「今日はテオ様が散策へ連れて行ってくださるそうですが、お加減はいかがですか?」
「お兄様が?」
そう言いながら、頭の中でゆっくりと思い出されるのは昨日会ったテオの姿だ。
髪の毛サラサラ、赤髪にモーヴピンクの瞳を持つ若かりし花ちゃん。
そんな花ちゃんと散策って、むしろデートではないのかと友梨亜が騒がしい。
「ふふ、大丈夫そうですわね。今日はヒッポの丘まで行かれるそうです。コックが張り切ってランチボックスを用意しております」
「わあ、楽しみ!」
友梨亜のことはもちろん気になるけれど、外はとてもいい天気だ。そしてイケメンすぎるお兄様とピクニックデートなんて最高じゃないか。
ここは全力で楽しむしかあるまい。
食事のあと、今日は馬に乗るから(!)と下履きのついた簡素なドレスに着替えさせられた。
モスグリーンの地味なドレスだけど、着ているのが絶世の美少女である。ほんのり巻かれた緩いハーフアップは町娘風を演出しているらしいが、逆にこんな町娘いねえよ状態だ。
友梨亜が(かぁーっ!! 何着ても最高かよ!)と手を額に当てて親父くさい感想を漏らしている。
「ジュリエット、準備出来たか?」
爽やかさを纏いましたというような花ちゃんの、いやテオの声がして振り向けば、テオは乗馬服風な衣装に身を包んでいた。わたしの中の友梨亜が今度は膝から崩れ落ちる。
(リアル王子様が! そこに! います!!)
これは去年のアルバム『rêve』ツアーで着ていた衣装だ。
オリンピックの競技でくらいしか乗馬を見たことがない友梨亜だが、ネイビーの燕尾服に白いピッチリしたパンツ、ハットにロングブーツとくれば乗馬服ということくらいは分かる。
そして困る。兄がカッコ良すぎます。
「おお、可愛いな。じゃあ行こうか」
テオに手を引かれて厩へ向かうと、一頭の馬に近づいてその頭を優しく撫でた。「ホワイト、今日は頼むぞ」なんて余裕で声を掛けている。
(って、ホワイト! 白馬かよ! 白馬の王子様になっちゃうじゃん!)
サッと軽く身を翻してホワイトに跨ったテオが、「ほら」と優しく手を差し出してくる。
まさかの二人乗りらしいが、ジュリエットは違和感なくそれに答え、すっと横に座って乗った。
高い視界に友梨亜は内心でビビってしまうが、ジュリエットはそっとテオの腰に手を回した。頭のすぐ上にテオの息遣いを感じる近さだ。
(いやこの兄妹仲良すぎじゃない……?)と思いつつも、友梨亜はここぞとばかりにその体温に酔いしれた。リアルでは絶対に出来ない行為である。
「なんだ、今日は甘えん坊だな? 久しぶりだからちょっと怖いか?」
「ううん、大丈夫。楽しみだわ」
「ならいいけど。じゃあ、出発するぞ」
テオが後ろに向かって合図を送る。後ろからは護衛とエマが同じように馬に乗ってついてくるのだ。
馬と護衛て。さすが伯爵令嬢。そして安定のご都合中世感。わたしの頭の残念さが分かるというものだ。
最初は街中だから、ゆっくりゆっくり進んでいった。
テオは花ちゃんのように話し上手で、離れて暮らしていたときの埋め合わせをするかのように、領地でのことをたくさん話してくれた。二人で笑いあいながらヒッポの丘への道を進む。
ヒッポの丘は王都から程近い、自然に囲まれた王立の公園だ。広すぎるので公園というよりは森に近い。
しかし手前の方には池もあり、その周囲には馬車が通れるほどの道もある。少し奥へ行けば花畑や草原もあり、貴族だけでなく一般市民のお出かけスポットにもなっている。
入場料がかかるエリアは王族貴族専用になっていて、テオはそちらへ馬を進めていった。
そのエリアは貴族しか来ないだけあって、人影はなかった。
池を見下ろせる小高い位置に東屋があって、テオはそこでわたしを降ろしてくれた。
エマがサッと動き出し、ランチの用意をしてくれる。用意された椅子に座ると、ほうっと息がこぼれた。
そんなわたしを愛おしそうに見つめながら、テオが向かい合うように座る。
「疲れたか?」
「ええ、少し。久しぶりだったから」
「そうだな。まあゆっくり戻していけばいいさ」
領地に居た時は、こんなふうによくお出かけをしていた。
わたしが、ジュリエットがまだ一人では馬に乗ることが出来ない年齢の時から。一人で乗れるようになってからは一緒に遠乗りもした。
そんな遠い記憶が、確かにあるのが切ない。
ゆったりとした空気の中、テオと向かい合いながらコック特製のサンドイッチが詰まったランチを頂く。
「おお、これはうまいな。ジュリエット、これも食べてみな」
「このチーズのものもおいしいですよ」
そんな会話をしながら、ほどよい日差しの中で時折ふわりと心地よい風が抜けていく。
溢れる自然の中、鳥の囀りも聞こえてくる。
ほんのり温かい香り高い紅茶と、色とりどりのおいしいサンドイッチ。
そして目の前には愛しい、素敵すぎる兄。
控えめに言っても、最高のシチュエーションである。
「よし、少し歩くか?」
「はい」
「じゃあまずは……百合だな。あっちに行こう」
「お兄様、池の近くも見てみたいわ」
「分かった。あっちをぐるっと回ろうか」
乗ってきた馬たちは自由に草を食んでいる。片付けをしているエマと馬をみている護衛と離れ、わたしとテオは歩き出した。
すぐに百合の香りが漂ってくる。丘を越えた先は一面の百合畑だった。虹色に彩られた花畑を前に、心が弾む。さすが夢の世界、圧倒的な景色である。
「きれい……」
「ちょうど見頃だな。晴れて良かったよ」
「お兄様、連れてきてくださってありがとうございます!」
振り向くと、テオはとんでもなく優しい笑顔でわたしを見ていた。兄じゃなければ恋に落ちていたかもしれないほどカッコいい。
「喜んでくれて良かったよ」
ぽんぽんと優しく頭を撫でてくれる瞳は、親愛の色に染まっている。
「お兄様……」
ふと、幼い頃「お兄様のお嫁さんになる!」というお約束のセリフを言ったことを思い出した。
まだ五歳くらいの時だっただろうか、今日と同じようにピクニックをしていた時のことだ。あの時のテオはもう十歳くらい、ちょうど背伸びしたくなる年頃だっただろうに、優しく頭を撫でてくれた。
そして「じゃあおれもジュリエットにふさわしい男にならなくちゃな」なんて否定も肯定もしない大人びた返事をくれたのだ。
しかしそんなテオは、今は婚約し、来年には結婚を控えている。
テオの婚約者であるサラ・ガニョン侯爵令嬢は、我が家より格の高い家のご令嬢であるにもかかわらずとても気さくな方だ。
見た目はひれ伏したくなるほど迫力のある、艶やかに波打つ黒髪と少し釣り目のセクシーな美女なのだが、テオの顔が好きだと言って憚らないし、わたしのことも実の妹のように、いやどちらかといえば愛玩人形のように可愛がってくれている。会うたびにドレスを持ってきて、着せ替えさせられ、絶賛の中でお茶を飲むのだ。
今は王城で宰相をしている父親のお手伝いとして働いている。とても優秀な方なので、結婚まではと頼まれているようだ。
そんなサラ様の記憶も滲み出てきた。
「お兄様、サラ様にはお会いになりました?」
「まだだ。手紙はやり取りしたけどな。ジュリエットのことも心配していたから、そのうち顔を出すんじゃないか」
「ふふ、今日もご一緒できたらよかったのに」
「今は夜会の準備で忙しい。また次の機会を作るよ」
「楽しみです」
友梨亜には弟しかいないせいか、テオやサラ様のように年上に甘やかされている記憶はくすぐったくも心地いい。とはいえ、テオもサラ様も友梨亜よりは年下なのだが。
「しかし、夜会なあ……」
「どうされました?」
「いや、母上からジュリエットの婚約者候補を見繕うように言われているのだが」
「こ、婚約者!?」
「おまえも十七だろ? 決まっていないのは遅すぎるくらいだ」
「それは……そうかもしれませんが」
(十七歳で婚約とかマジでありえませんけれども! 離婚一直線の未来しか見えませんけども!?)と友梨亜が脳内で抗議の声を上げているが、ジュリエットは神妙に頷いた。
多くの貴族は学園に入る歳から婚約者が決まっていく。卒業の十八歳までにはほぼ決まっているし、女性ならば二十歳前後には結婚してしまう。
昔よりも遅くなりつつあるとはいえ、友梨亜の常識からしてみれば速すぎる。
「俺はずっと領地に居ればいいと思うんだけど」
「いや、さすがにそれはサラ様に申し訳ないです」
「あいつも喜ぶと思うよ?」
それはそうかもしれないが、小姑として居座るのは気が引ける。それはジュリエットでも友梨亜でも同じ気持ちだった。
その後は花畑で花を摘んだり、池の周りを歩いたりして、のんびりとした時間を過ごした。テオはずっとわたしを気遣ってくれて、どうしようもないほど優しかった。
帰りも同じように馬に乗り、ゆっくりと辺りを散策しながら屋敷に戻った。屋敷に着いたときは、旅行から帰ってきたかのような寂しさと安堵を感じた。
久しぶりの外出は、気分は晴れたけれど体力も奪っていったらしい。エマに連れられてお風呂へ行った後の記憶がない。




