04.家族
わたしはジュリエット・ボネである。
それがどういうことなのか、さっぱり分からない。
わたしは宮崎友梨亜、二十八歳。確かにそうだ。一人暮らししている家の住所も間取りも、使っているスマホの番号も、職場も地方の実家も、家族の顔もきちんと覚えている。友梨亜に兄はいない。生意気で可愛い弟が一人いるだけだ。
(そう、弟…勇吾、元気かな。お父さんもお母さんも……ちゃんと、覚えてるのに)
だけどそれとは別に、わたしがジュリエット・ボネだという記憶もある。正確には思い出している最中だ。水が染み込むようにじわじわと、頭の中に記憶が染み込んでいく。
ボネ家はここ、リロイ王家が治めるリロイ王国の、海に面したボネ領を治める伯爵家である。
ジュリエットのおじい様の代から始まった、隣の領地であるモロー家との共同政策である対外貿易が功を奏し、最近はそれなりの収益をあげている。それに伴い領地に人も増え、なかなか活気づいているのだ。
目の前のこの、テオ・ボネは現伯爵の一人息子で二十二歳。
つまり次代のボネ家を担う跡取り息子であり、いつもは領地にいる父のもとでその経営を学んでいるところだ。
そして、ジュリエットが敬愛する自慢の兄でもある。
そしてわたしはジュリエット・ボネ、十七歳。
ボネ家の娘として何不自由なく育ったが、十三歳になった頃にかかった病気のせいであまり身体が強くない。少し無理をするとすぐに熱を出して寝込んでしまうのだ。
そのせいで貴族の子息たちが遅くとも十六歳から通うはずの学園にも行けず、領地で家庭教師から学んでいた。
しかし少しずつ体力を取り戻し、十六歳になってからようやく王都へ向かう許可が出た。王都へ来て半年ほど、学園にはまだ行けていないが王都の環境には慣れてきた頃だ。
その矢先に寝込んだのが今回なので、学園への道は遠退いただろう。
テオの腕の中で、交差する記憶に溺れそうになる。
わたしの中のジュリエットは(どうしてお兄様が王都に!? いつ来たの? どうして?)と混乱しているし、わたしの中の友梨亜は(ははは花ちゃんに抱きしめ! られてる! 死ぬぅぅぅ!)と混乱している。
「テオ様、落ち着いてください」
冷静なエマの声がしたかと思うと、その細い腕がテオの太い腕を引き剝がした。
「ジュリエットお嬢様が苦しそうです」
「あ! ああ、すまない。ジュリエット、苦しかった?」
「ええ、少し。でもお兄様、どうしてこちらに?」
テオに見つめられると、自然にジュリエットとしての言葉が出てくるのが不思議だ。心と身体が別々になってしまったみたいに思える。
でも、わたしはわたしの意思でこの身体を動かせるのに。
「そんなの、ジュリエットがいつまでたっても目覚めないと聞いたからに決まってるだろ? どれだけ心配したと思っている!」
「お兄様……」
泣きそうに顔を歪めたテオ。
兄にこんな顔をさせてしまった心苦しさもあるのに、わたしの中の友梨亜がひたすらに(花ちゃんヤバいかっこよすぎ死ぬ)と興奮した感情を伝えてくるから厄介だ。
一体わたしは誰なのか。まさに、「ここはどこ? わたしはだれ?」状態である。
「まだ寝ていなくて大丈夫か? もう辛くないのか?」
「うん、大丈夫よ。今、お父様のところへ顔をお見せに行くつもりだったの」
「そうか。じゃあ俺がエスコートするよ」
そう言ってテオがサッと腕を差し出してくれた。わたしの身体は慣れた様子でその腕に手を乗せる。
友梨亜はエスコートされて歩いた経験なんかないはずなのに、とても自然に。そうするのが当たり前だというように。
ゆっくりと歩くテオに連れられて、お父様の執務室へ向かう。見知らぬ場所のような気がしていたのに、少しずつここがどこだか分かり始めていることに気づき、歩きながらも愕然とした。
一体何なのだ。夢にしてはリアルすぎだし、設定が無駄に詳しすぎる。
「父上、ジュリエットを連れてきました」
「なにっ!?」
扉の前でテオが告げると、ガタガタと音がしてすぐに扉が開いた。そして顔を出したのは、友梨亜の記憶にある三十四歳の花ちゃんを少し老けさせたようなイケオジだった。
「ジュリエット! 目が覚めたのか!」
ガバッとわたしを抱き寄せようとするのを、テオがサッと避けて防ぐ。お父様はすこし体勢を崩し、慌てて整えるとテオを睨みつけた。並んでみれば、本当にこの親子はそっくりだ。
「テオ、何をする!」
「ジュリエットはまだ病み上がりです。優しくしてください」
先ほどの自分は棚に上げ、澄ました顔でそんなことを言うテオに笑ってしまう。
「ふふふっ」
「……ジュリエット!」
感極まったようなお父様が、そっとわたしを包み込むように抱きしめた。父に包まれた安心感もあるのに、またしてもわたしの中の友梨亜が(花ちゃん似のイケオジ! ヤバい! 花ちゃんお年を召しても最高にかっけえ!)などと騒いでいる。
「無事で良かった……もう目覚めないかと……」
「お父様……」
「大丈夫か? ……その、記憶があやふやだと聞いたが」
なるほど、エマがわたしの様子を見てそう報告していたらしい。確かにジュリエットの記憶を思い出すまでにあるワンクッションを思えば、記憶喪失を疑われても仕方がない。その設定はありがたくいただくことにしよう。
そして、お父様の腕の中で、またしても染み出てくる記憶を思い出す。
わたしは、ジュリエットはこの父と兄、そして今はここではなく領地にいる母に、とても愛されていたことを。
幼い頃はお父様に似ていたというジュリエットだが、年々お母様に似てきたと言われるようになってきた。お父様が「出逢った頃のカミーユを思い出すよ」と懐かしそうに目を細めるほどに。
お母様、カミーユ・ボネは、絶世の美女である。
ジュリエットが絶世の美少女なのだから、その姿を大きく、お胸まで大きくした姿はもはや完璧と言っていい。
エマのような妖艶さはないものの、儚げでふわりとした微笑は国をも傾けると言われていたらしい。絶世の美女だけではなく、傾国の美女になっていてもおかしくなかった。
しかし、お母様はその儚げな外見が嘘のように、性格は気が強くて悪戯好きなのだ。
ちなみにお父様はセドリック・ボネ。
こちらも若い頃は美男子として名高く、お父様とお母様が婚約されたときには、同世代の多くの男女が涙を飲んだとか。
そんな親世代の話は眉唾物だと思っていたけれど、わたしの中の友梨亜は思い切り首を縦に振って納得している。この顔とあの顔ならばさもありなん。
「ご心配をお掛けして申し訳ございません、お父様。ですがもう大丈夫ですわ。来週の夜会も参加いたします」
「そうか! いや、だが無理をせずとも……」
「父上、その件ですが。母上が、至急領地へ戻ってほしいとのことで、俺がエスコートを代わるよう申し付けられました」
「なにっ!」
ガバリと音を立てそうな勢いでテオの方を向くお父様。その横顔は泣きそうなほど情けないものだ。
「お気持ちはお察しいたします。ですが……」
「うむ……あの件であろう、仕方がない。テオ、しっかりとジュリエットを守れよ」
「もちろん」
イケメン親子が繰り広げる会話を見ていると、テオが優しい笑みを向けてきた。
「ということでジュリエット、今度の夜会は俺がエスコートするから。離れるなよ?」
(くっそイケメンです!!! 兄が!!! ヤバいです!!! この夢ほんと最高! エルフに憧れはなかったつもりだけど、イケメンお兄ちゃんの妹になりたい願望は認めよう! 爆イケ花ちゃんがお兄ちゃん、最高です!)
その日はお風呂に入って眠りについた。
花ちゃんに似ているテオと出会ったせいなのか、”シャルモン”のコンサートに行っている夢をみた。
まだ大勢の人が何の憂いもなく集まることが出来た、あの時期。
わたしは多くの観客に紛れてスタンド席に立っていた。もう何度行ったか分からないコンサート。衣装だけで、どのコンサートか分かるくらいだ。
テオによく似た花ちゃんはチェッカーボードのような市松模様のスーツを着ていた。これは3rdアルバム『d'Amier』のツアーだ。
ということは十八歳でデビューした花ちゃんはまだ二十歳前後というところだろう。二十二歳のテオによく似ているのも頷ける。
同じく二十歳前後の若い”シャルモン”のみんなに歓声を上げていたら、高いトロッコに乗った同じ衣装のジョーくんがやってきた。
背中を向けて手を振っていたジョーくんが、急にこちらを向いた。目が合ったと思った瞬間に、フッといたずらっ子みたいに笑ったから、心臓が鷲掴みされたような気持ちになる。
突然のファンサービスに、わたしの周りが大きな歓声を上げた。
「ジョーくっ……」
自分で出した声の大きさに驚いて目が覚めた。
そこは、見慣れたわたしの一人暮らしの部屋ではなく、やっぱりジュリエットの豪華すぎる部屋だった。
ふうっと息を吐く。
あれは夢だ。
わたしはあのコンサートへ行ってはいたけれど、スタンド席ではなくアリーナ席だったはずだし、あんなファンサービスをされはしなかった。
あれは友梨亜の記憶じゃない。
「ジュリエットお嬢様? どうかされましたか?」
わたしの声に気付いたのだろう、エマがドアからそっと顔を出した。その表情は心からわたしを心配している。
「お嬢様! 泣いて……」
エマが慌ててハンカチを出して目に当ててくれた。どうやら泣いていたらしい。
夢の中でジョーくんに会えて、しかもファンサービスまでしてもらって嬉しかったせいなのか。
それとも、いつまで経ってもわたしの、友梨亜の部屋に帰ることができないせいなのか。
「怖い夢でも、見てしまわれましたか?」
エマの優しい声に首を振る。怖い夢なんかじゃない、幸せな夢だったのだから。
「ううん……ごめんね、大丈夫だから」
「まだ起床には早い時間ですわ。もう少しお眠りください」
「うん……」
そろそろとブランケットに潜り込み、目を閉じる。エマはそっとわたしの手を握ってくれていた。その体温がひどくわたしを安心させてくれた。




