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25.お願い



現金なもので、ジョーくんのおかげでわたしは急速に元気になった。

恋というものは恐ろしいものだと改めて自覚する。


ジョーくんがお忍びで来たあの日からは、毎日のように手紙やプレゼントが届いている。

手紙には、ジョルジュ殿下からの優しくあたたかい言葉と、日本語で小さく「早く来い」だの「そろそろ限界」だのぶっきらぼうな短い言葉が書かれていることがある。そんな一言にキュンキュンしちゃえるのだから、スマホがない世界もこれはこれでいいものだ。


テオからもようやく外出の許可が出た。

久しぶりの登城は、歴史のヌルグ先生の授業だった。授業のあと、ジョルジュ殿下とお茶の予定が入っている。


噂がどのような状態になっているのか少し怖かったけれど、登城してからいつもの客室までに感じた視線に悪いものはなかったように思えた。


そんな中で部屋に入ると、そこにはヌルグ先生だけではなくマナー担当のアンドゥ先生、外国語担当のモーリ先生、そしてダンス担当のサワディエンヌ先生まで、先生方が勢揃いしていた。


「先生……」


立ち上がってわたしを迎えてくれた先生方は、初めて見る優しい笑みを浮かべていた。

たくさんの心配をかけてしまったのだと分かる。こういう時にさえも、本当ならば表情を変えてはいけないのかもしれない。だけどわたしの瞳は勝手に潤んできてしまった。


「ジュリエット様、ほら、こちらへ」


今日もタカラジェンヌの様に素敵なサワディエンヌ先生が、手を引いてわたしをエスコートしてくれる。アンドゥ先生は少し眉を下げながらハンカチを差し出してくれた。ヌルグ先生が自らいれてくれた緑茶をすすめてくれて、モーリ先生はなんと饅頭を、マントウを作ってきてくれていた。

ヌルグ先生のお茶を飲んで、ほうっと息を吐く。


「ありがとうございました。申し訳ございません。先生方にお会いできて嬉しくて、取り乱してしまいました」

「マナーとは日々の積み重ねです。取り戻すのは大変なのですよ」


ピシャリと言うのはアンドゥ先生だ。その通りなのでしょぼんと肩を落とす。


「……とはいえ、身体の健康が一番大切です。王妃がそのように痩せていては国民に示しがつきません」

「はい……」

「モーリ先生のお心遣い、頂戴しましょう」


顔を上げると、マントウをお皿に山盛り乗せて差し出してくれた。つまりは、休んでいる間に痩せたので心配をかけてしまったのだろう。小言に聞こえるけれど、アンドゥ先生はその目も態度も優しいのだ。


「ありがとうございます。頂きます」


マントウはまだほんのり温かかった。蒸したてなのだろうか。中にはしっかりと甘さ控えめの粒あんが入っていた。


「とってもおいしいです……」


これは作るのにも手間暇がかかったことだろう。モーリ先生の気持ちが伝わってきて、胸がいっぱいになってしまう。メンタルがまだ回復していないせいか、すぐに涙が出そうになる。


「良かったわ。わたしも作りながら、これで正解なのか迷ってしまって」

「わしも食すのは初めてだな。形は珍妙だが、なかなか美味いではないか」


ホッと安堵しているモーリ先生の横で、ヌルグ先生がマントウにかぶりついている。ヌルグ先生は最近緑茶も砂糖なしで飲めるようになったので、きっと饅頭の美味しさも分かるのだろう。


「わたしは未だに馴染めないけどね」


肩をすくめながら言うのはサワディエンヌ先生だ。アンドゥ先生も頷いている。この国ではそれが大多数の意見である。



この日は結局、先生方とのんびりお茶を楽しんだだけだった。わたしの体調を気遣ってくれたのだと分かる。


博識でテンポの良い会話をする先生方と楽しんでいると、侍女が殿下の来訪を伝えてきた。

このあとはジョルジュ殿下といつもの場所でのお茶会である。正直お腹はもうちゃぽんちゃぽんであるが、殿下に、ジョーくんに会えるのは嬉しい。


「失礼する。先生方、お久しぶりです」


いつものように硬い表情で現れたジョルジュ殿下。今日はタータンチェックのジャケットに黒いパンツ、同じチェックの蝶ネクタイ姿だ。

これは特徴的だから分かる、りゅっちが上原先生という熱血教師キャラを演じたドラマの主題歌の衣装だ。デビューして数年、まだ十代のあどけないジョーくんが着ていた衣装を、今の二十代後半くらいの落ち着いたジョーくんが着ているのは大変良い。


「まあ殿下、ジュリエット様をお迎えに?」

「はい。この後は私との時間になっているのですよ」


サワディエンヌ先生にそう答えながら、わたしの隣に腰を下ろす。いつもの距離より近いのは気のせいではないだろう。


バーナード男爵の件は、まだ公にはなっていない。だが関わりのある貴族たちの耳にはもちろん入っているだろうし、殿下が帰ってきたこととその際にエミリを伴っていないことは広く知られているはずだとテオが言っていた。

殿下が迎えに来てくれたのは、わたしの扱いが今までとこれからも変わらないことを示すためのパフォーマンスなのかもしれない。それでも嬉しい。


「私もジュリエットに会うのは久しぶりなので、待ちきれなくて」


優しい声でそんなことを言いながら、殿下はわたしの髪をそっと救い上げてキスを落とす。先生方が目を丸くしたり、ニヤッと笑ったりしているのが分かる。

恥ずかしい。先生方にまでそんなアピールをする必要はないと思うのだけれど。


「おやおや、殿下もそんなことを言うようになったとは。わしは嬉しいですぞ」

「ふふふ、ではそろそろジュリエット様をお返ししなくてはね?」


先生方の生温い視線に何とも言えない気持ちになりながら、殿下にエスコートされるがままに立ち上がる。

お礼を言って部屋を後にし、そのままゆっくりといつもの中庭へ向かって歩き出した。



歩くたびに香る、殿下の香りがたまらない。

先日我が家で会った時は、何かと慌ただしくて、衝撃の事実にあたふたして、久しぶりに会ったというのにそれを感じる間もなかった。


「体調は大丈夫?」


もうこの言い方で、殿下ではなくジョーくんとして聞いているのが分かってしまう。


「はい。家族の許可が出る程度には」

「うん、それまでが長かったね」

「過保護で……申し訳ないです」

「いやいや、もとはと言えば俺が悪いんだから」


そっと隣を見上げれば、素敵すぎるイケメンがわたしを見下ろして笑っている。今日もわたしの推しは最高にカッコいい。


(ああ……尊い……でも、この人はわたしの推しでもあるけれど、こ、婚約者でもあるわけで……)


今まではどこか一線を引いた気持ちでジョーくんを見ていたのに、自分の恋心を自覚してしまうと、婚約者という立場が非常に恥ずかしい。

もちろんジョーくんの隣に堂々と立てる身分は嬉しいことではあるのだけれど、恋愛をすっ飛ばして婚約というのは、友梨亜の中ではまだ受け入れがたいのだ。



いつもの中庭はとても静かだった。

初めて会った時は百合が咲いていた場所も、今はまったく違う花が咲いている。

紫の向日葵としか言えない花だが、背は小さく、花は大きい。向日葵をイメージしてしまうと、そのアンバランスさがどこか不気味だ。とても口には出せないけれど。


いつものように侍従が緑茶を入れてくれて、お菓子の乗った皿を出した。今日は一口サイズのパイのようだ。

用意を済ませた侍従はサッと消えていく。相変わらず忍者のようだ。何度も顔を見ているはずなのに、一向に覚えられない。


わたしを座らせ、その前に座った殿下は、すっとジョーくんの表情になってテーブルを指し示した。


「さて、今日のおやつはあんこクリームチーズパイです」

「ええっ!?」


この可愛らしいサイズのパイにはあんことクリームチーズが入っているらしい。何その組み合わせ、おいしそう。

瞳を輝かせたのが分かったのだろう、ジョーくんが得意げに微笑む。


「ちなみにこっちはあんこ生クリームパイ」

「マジですか!」


思わず淑女教育が彼方へ飛んで行ってしまった。

だってあんこと生クリームの組み合わせはやばくない? 激やばでしょう!


「前から思ってたけど、ジョーくんって食への追求が凄くないですか?」


饅頭や肉まんからギョーザまで生み出しちゃうし、あんバター通り越してあん生クリーム!

権力の使い方が大変お上手で何よりです。


「いやー、せっかくならうまいもん食べたいじゃん? 食べ慣れたものの方がおいしいし」

「最高です! さすがジョーくん!」


やっぱりわたしの推しは最高である。どんな環境でもポジティブ。

わたしはほくほく顔であんこのパイをいただいた。緑茶にも合う、最高である。


「気に入った?」

「もちろんです!」

「よかった。じゃあ、ちょっとお願いきいてくれる?」

「え?」


これはもしかして、断れないやつではないだろうか。口の中にあるあんこと生クリームのパイが、ほんの少し苦く感じたのは気のせいなのだろうか。

目の前のジョーくんは、とっても可愛い笑顔をしていた。


「な、何ですか……?」

「ふふっ、そんなに怯えないでよ。もっと虐めたくなるじゃん?」

「ジョーくんは……嗜虐趣味をお持ちで……?」


やだ、どうしよう。いくらジョーくんといえども性癖の違いは受け入れられるだろうか。痛いのは嫌いだし怖いのも嫌いだ。わたしの泣き顔や怯え顔が好きだと言われたらどうしたらいいのか。


「ぶっ! やめろよ、緑茶吹き出すわ。ごめんごめん、冗談だから」

「どこまでが冗談……?」

「そんな趣味はないから安心して。別にお願いも大したことじゃないんだけどさ、レオンのことで」

「レオン様の?」


ジョーくんは少し困ったように眉を寄せた。そんな表情もたまらなくカッコいい。


「ああ。この前、テオがサラとの婚姻書類を出しに来たんだけど、その時陛下がレオンのことを言い出してさ。あいつ婚約者も決めないでずっとフラフラしてるだろ? どこかの誰かさんみたいに旅に出たり」


誰かさんと言われて思い出すのはレオンよりも歳を経た、レイちゃんだ。ジョーくんの表情もどことなく優しくなっている。


「この前レオンに会った時それとなく聞いてみたんだけど、婚約も結婚もするつもりないって断言しやがって。モロー侯爵もほぼ諦めてるし」

「ああ……そうですねえ」

「ジョルジュの記憶じゃ、学園入るまではあんなんじゃなかった気がするんだよね。だから何かきっかけがあったんじゃないかと思って。何か知らない?」


そう言われてジュリエットの記憶を思い返すが、そもそもわたしは病床にあったのでそういった事情に疎いのだ。


「すみません、分かりません」

「そっかあ……ジュリエットでも分からないなら、お手上げだな」

「え? いやでも、わたしレオン様とそんなにお会いしてませんけど」

「俺も結構調べたんだけど、レオンと一番仲いいって言える女性はジュリエットだったから。俺のことがなかったら、王命で婚約させてたかもってくらいには」

「ええ!?」


つまりは、レオンにはそれほど女性の影がないということなのだろう。幼馴染の妹が一番仲が良い女性だと見なされるなんて。あんなにカッコいいレオンなのに、なんて勿体ない。


「俺としては、レオンがちゃんと侯爵家を継いでくれると助かるんだけどね」

「そうですよね……」

「世代が近いって貴重だよ。あいつ何だかんだで仕事できるし。テオとリュカもそうだけど、俺もうテオには嫌われてるもんなあ」

「なんか……ほんとすいません」


溺愛シスコンの兄を思い出していたたまれない気持ちになる。

テオは領地に戻ったが、三日に一度はフクロウが送られてくるほどの心配っぷりだ。我が家のフクロウは過労死するのではないだろうか。


「そういやリュカも婚約者いないよな? あいつも柳くんに似て、いつも飄々とかわしやがるけど」

「ふふふっ、確かに居ませんよね。お二人ともお姉様はいるけど一人息子なのに」

「人んちの婚約事情に顔突っ込みたくないんだけどさ、側近候補となるとそうもいかなくて。悪いんだけど、さり気なく情報収集してみてくれない?」


なるほど、これがあんこクリームチーズパイとあんこ生クリームパイの対価ということだろう。

食べ物で釣ってくるとは、さすがジョーくん。


「分かりました。やれるだけやってみます」

「助かるよ」

「報酬はステーキディナーでお願いします!」

「ははっ、了解。最高級を用意しておくよ」


ジョルジュ殿下が言うのだから、最高級とは文字通り最高級なのだろう。よだれが出そうになるのをジュリエットが必死に押さえる。


この後はちょうどクロエにお呼ばれしているところだ。リュカの婚約について何か知らないか聞いてみることにしよう。


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