26.完敗
クロエの屋敷に着くと、いつものようにクロエが出迎えてくれた。しかし、わたしが馬車を降りるなり突然ぎゅうっと抱きしめられた。
「クロエ? どうしたの?」
「わたし、てっきり知ってると思っていたのよ。何も知らないなんて、そんなことあるはずないって」
「ちょ、ちょっと落ち着いて? ゆっくり話しましょう?」
何の話かさっぱり分からないし、何よりここはまだ玄関前だ。デュポン家の執事がサッと案内に立ってくれたが、クロエはなかなか離れない。
するとわたしについてきていたエマがそっと近づき、「失礼致します」と一礼するや否や、ベリッとクロエを引き剥がした。エマ強い。
「クロエ、とにかく中へ入ってもいいかしら?」
「ええ、ごめんなさい」
クロエの部屋に案内され、隣り合って座る。用意されたのはジャスミン茶だ。香りが落ち着く。
お茶を飲んでようやく落ち着いたのか、クロエは上目遣いでわたしを見上げると、照れくさそうに笑った。
「ごめんね、取り乱して」
「ううん、いいの。でも何があったか教えてくれる?」
「もう! あなたの事よ!」
「え? わたし?」
何かしてしまったのかと首を傾げると、クロエは「もー!」と頬を膨らませた。美少女だからこそ許される仕草だ。
「どうして言ってくれなかったの? エミリのこと何も知らないって」
「あ……」
そういえば、エミリの噂を確かめたくてクロエに聞いたのだった。そしてクロエの言葉をさも知っていたかのように頷きながら聞いていたのだった。
「ジュリエットが倒れたって聞いて、心配で。リュカ様に聞いたら、殿下が何も言ってなかったって聞いて。わたしったら何も知らないあなたにペラペラ喋って、きっとそのせいでショックを受けたんだと思って……」
「クロエ……」
「エミリとの噂が嘘だって知っていると思っていたの。殿下が伝えてないなんて思いもしなかった。あの時泣きそうになっていたのに、どうして言ってくれなかったの? 一人で抱え込んで思い詰めて……わたしじゃ頼りにならない、かもしれないけど。吐き出す場所としてくらい、頼って欲しかったわ」
わたしなんかよりも、クロエの方がよっぽど辛そうな表情をしていた。
「ごめんなさい……」
「違うの、謝って欲しいわけじゃないの。わたしは、わたしみたいな女と付き合ってくれるジュリエットに感謝してるのよ。だからもっとあなたに返したくて」
「何言ってるの? わたしの方こそ、友達と呼べるのはクロエくらいしかいない女よ」
「それはあなたが学園に通っていないからで……それに今からいくらでもできるわ。わたしは……親の仕事を手伝っているというだけでも遠巻きにされていて、こんな風に日焼けしてしまってからは特に、婚約の申し込みすらひとつも来ないのよ」
悲しそうに俯きながら、それでも口元には笑みを浮かべるクロエ。ジュリエットには、その気持ちが痛いほどによく伝わってくる。諦めと、それでも捨てきれない希望と。
だけど友梨亜の胸に浮かぶのは、静かな怒りだ。親の仕事を手伝うのは恥ずかしいことなの? 娘に生まれただけで? 日焼けだって健康的でいいじゃないか。わたしみたいな病的な白さの方が怖いくらいだ。
「クロエ。わたしはあなたの姿形もとっても好きよ。健康的で笑顔もとっても可愛くて、何より仕事の話をしているときのあなたはキラキラしてすごく綺麗。そんな魅力が分からない男なんて、あなたにふさわしくないわ!」
怒りのままに一息でそう言うと、クロエはまん丸の目をパチパチと瞬かせた。
「ふふふっ……ありがとう」
「お礼を言われることなんてないわ。事実を述べたまでよ」
「ふふっ、あははははっ!」
突然笑い出したクロエに驚く。目に涙まで浮かんでいるのだ。何がそんなにツボったのか分からない。
「クロエ?」
「わたしはね、別に結婚なんかしなくてもいいの。両親の仕事を手伝うことに、家族もリュカ様も理解を示してくれているし」
「リュカ様?」
「一応うちのトップですから。あの方に命令されたらどこかに嫁がなきゃなあと思っていたけど、大丈夫そうだし」
そう言っているクロエの視線が下を向く。その瞳がどことなく寂しそうに思えた。
「ラフィット様も、婚約者さえ居ないのでは?」
この話をしにきたのだと思い出したわたしは、ここぞとばかりにその話題に乗っかってみることにした。
「そうね。……どうしてかしらね」
何かを考えるように上を向いたクロエ。だけどやっぱりどこか寂しそうだ。
この感じは、わたしも見覚えがある。元の世界で学生時代に恋バナをしていた時の、友人たちの表情だ。
「ちょっと待って? クロエ、あなたもしかしてラフィット様のこと」
「やだ、やめてよ。そんなんじゃないってば」
(待って、確かクロエとリュカは従兄妹同士よね? ここでも結婚OKよね? いやその前にリュカの気持ちはどうなの?)
一人で考えてみてもどうしようもない。この件はジョーくんに持ち込むことにしよう。
「もう、それはいいから。とにかく、これからは辛いときは我慢しないこと! 吐き出すだけでも楽になるんだからね。約束よ?」
「わかったわ。じゃあクロエもね?」
指切りげんまんはさすがに通じないので、ここでのお約束、人差し指同士をクロスさせる仕草で約束を交わす。どちらからともなくふふふっと笑みがこぼれた。
「……ということだったのですけれど」
「クロエ・デュポンか……確かに、リュカに一番近い女性だとは聞いてるけど」
次の殿下とのお茶会で、早速報告したわたしである。いつもの中庭、今日も麗しいジョーくんは黒いスーツを着ている。襟元にキラキラしたビジューが――王族だからおそらく本物の宝石なのだろうが――ついている、素敵な衣装だ。
しかしジョーくんは眉を寄せた難しい表情をしている。
「従妹だろ? 家族愛の線も否めないな」
「ですよねえ」
「いや、でもそういえば……学園の時にリュカが一度だけ誰かを殴ったことがあったな。ちょっと待って、思い出すから」
「な、殴った……?」
(リュカが、あのりゅっちにそっくりな細すぎるリュカが誰かを殴った? りゅっちに似てるから、いつも飄々と笑ってかわしながら言葉でグサグサ刺していくタイプだと思っていたのに、意外と腕力バカなの?)
わたしがそんな失礼なことを考えている間にも、ジョーくんは記憶を探るように目を閉じている。
「ああ、そうだ。トーマスだ。ジャン・トーマス。……ああ、そうか。友梨亜ちゃんの読み通りかもね」
「え?」
「確かあの時は俺が第二学年だったから、リュカは最終学年でクロエ・デュポンが新入生だろ」
ということは三年前、わたしはまだ十四歳。病気にかかって身体が弱ってしまっている頃だ。テオが卒業して領地へ帰ってきて、本格的に跡継ぎの勉強を始めた頃。わたしはその頃王都で起きていたことを全く知らない。
「その頃はジョルジュもシャルロットのことでバタバタしてたから、報告を受けただけなんだけど。三年生のリュカ・ラフィットが一年生のジャン・トーマスを殴り、三日間の謹慎処分を受けたって」
「何があったんですか?」
「それが、リュカは全く理由を語らなかったんだって。だからトーマスには特にケガもなかったのに謹慎処分を受けたらしい」
「ええー……」
一方的に殴っておいて理由を言わないなんて、リュカはやっぱり腕力バカだったのか。相手がダメージを受けていないところが残念だが。
「で、思い出したんだけど、そのトーマスは結局その後退学したんだよね」
「えっ? 何で?」
「顔はいい奴だったから、婚約詐欺まがいのことをしてたらしい。なかなか婚約者が決まらなさそうな令嬢を狙って、甘い言葉で勘違いさせて貢がせて…ってやつ」
「クソですね」
どこの世界にも最低なやつはいるのだ。殴りたくなる気持ちは分かる。
「そしてその被害者の中に、クロエ・デュポンの名前もあった気がする」
「うっそでしょ!?」
「ジョルジュの記憶じゃこれ以上詳しいことは分からないな……」
記憶の糸を辿るように思い出していたジョーくんが、限界だというように頭を振った。
「ちょっと待って、資料持ってこさせる」
「え?」
ジョーくんがベルを鳴らすと、忍者みたいな侍従が音もなく姿を表した。
「お呼びでしょうか」
「執務室にある学園の資料、三年前のものを持ってきて」
「かしこまりました」
その侍従が姿を消すと、別の侍従がどこからともなく現れてお茶をいれ直してくれた。
(クロエが婚約詐欺だなんて。貢ぐなんてイメージないけれど。そういえば婚約の申込がこない話はしていたけれど……結婚をしないと言っていたのも、そのせいなのかしら?)
頭の中では親友のことばかり考えてしまう。クロエは頼って欲しいと言っていたけれど、わたしだってクロエのために何かしたい気持ちはずっと抱いているのだ。そのためには殿下の婚約者という立場だってありがたく使ってみせると思っている。
「お待たせいたしました」
そう言いながら戻ってきた侍従の手には一冊の本。それもあの泣く木、イルプルの葉で作られた本だ。ジョーくんが受け取って本を開くと、イルプル独特のツンとした香りが漂った。
「ああ、やっぱり名前があるけど。でもデュポン家は抗議しただけか。賠償金が発生していないということは、特に金銭的な被害はなかったのかな」
「まあ……クロエが貢ぐとは思えませんから」
「いやでもすげえな。金持ちの平民から貴族まで、コイツ何でもありかよ。リュカじゃなくても殴りたくなるわ」
「そのジャン・トーマスは……あれ? トーマス家ってそういえば」
噂には疎いわたしでも、貴族が没落した情報くらいは知っている。トーマス男爵家は少し前に爵位を返上したと聞いた気がする。
「そう、この醜聞で賠償金が払えなくなって爵位を返上した」
「このせいだったんですね……」
シャルロットとエミリの件で、学園生活への憧れなど消えたと思っていた。だが今の話を聞いて、完全に消え去った。怖い。学園怖い。貴族怖いわ。
「で、ここまで整理すると。リュカがジャン・トーマスを殴った理由としては、クロエ・デュポンが関わっているとみていいんじゃないかな。当時黙秘したのは、彼女の立場を慮って……とか」
「ありえそうですね……ちなみに、リュカとクロエが結婚するのは、殿下的にOKですか?」
「俺はアリだけど。でもラフィット家が許すかっていうとねえ」
「え? 何でです?」
デュポン家はラフィット家の傘下ともいえる家だ。一族的なものだから問題はないような気がするのだが。
そんなわたしの疑問も、口に出さずとも分かってもらえたのだろう。ジョーくんが詳しい説明をしてくれた。
「リュカとクロエが従兄妹なのは知ってるよな? 現ラフィット伯爵の妹がデュポン子爵家に嫁いでいる訳で、その時点でラフィット一派の中でデュポン家の立場は結構上の方なんだよ。さらに、朱の国との貿易でも中心的役割を果たしている。一派の中で既に力がある家の娘と、一派の次期当主が結婚するとなれば、ねえ?」
「あー……他の家から文句言われそうですねえ」
「いらぬ諍いを避けるためにも、他の家から嫁をもらえって話になるだろうね」
クロエが浮かべていた寂しい表情には、そんな理由があったのだろうか。抱えている気持ちは本人にしか分からないけれど。
「そうか……ジュリエットがクロエに紹介されたのはラフィット家との繋がりだった訳で。うん、この説は一理あるな。ありがと、友梨亜ちゃん。ちょっとこの線で色々やってみるわ」
「え? あ、何かわたしにできることないですか?」
思わずそう言うと、目が合ったジョーくんはちょっと驚いてわたしを見たあと、ふわっと優しく笑った。
「いつも通り仲良くしてるのがいちばんだけどね? ジュリエットとクロエの仲の良さ、知ってる人は知ってるけど、知らない人は知らないでしょ? 次期王妃の親友だって、自慢しまくればいいよ」
「そんなんで、いいんですか?」
次期王妃なんて未だに自分で言うのも認めるのも怖い立場だけれど、人のために使うのならば怖くない。それが大切な人ならなおさらだ。
「リュカと結婚するにしても、仕事をして自立して生きるにしても、王妃の親友だなんて立場が有利になるのは間違いないよ」
「それはわたしがちゃんとした王妃であればこそですけど」
「権力を正しく使える大人になろうな、お互い」
そう言いながら優しく笑い、頭をポンポンしてくれるジョーくん。あまりのことに身体が固まってしまう。
(でた! 頭ポン! テオには何度もされたけれど、好きな人からの頭ポンは破壊力の次元が違う……! 顎クイも死ぬかと思ったけど、これは今度こそ死ぬかもしれない……!)
真っ赤になっていくのが自分でも分かる。そしてジョーくんも分かったのだろう、優しい笑顔が意地悪な笑顔に変わった。危険信号である。
「真っ赤。可愛すぎない?」
「だから! ご自分がイケメンすぎる自覚ありますか?」
「あるから、友梨亜ちゃんにしかしないでしょ?」
「くっ……」
結局、わたしはジョーくんに勝てないのである。




