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決着5

 『完璧な世界』の写本は、狂乱の傍らにポツンと残されていた。それを拾い上げたのはイルスで、直ちに風士隊によって燃やされたと、神殿と王宮に報告された。

 囚われていた前王は、筋肉馬鹿の家老らとともに自力で脱出してきたところを近郊の街で発見された。腹黒参謀の無残な死を伝えられた二人は揃って涙を落とし、事の顛末を聞き終えた後、休むことなくそのまま東ナリス皇国へと旅立って行った。

 全てが終わったと誰もが思っていたところへ、驚くべき情報が伝えられた。

 『完璧な世界』の写本がもう一冊、存在しているというのである。

 狂乱が死んだその日の、同じ午前中のことだった。


 その情報は、私事で帰省していた神官見習からもたらされた。帰省する際に『完璧な世界』を研究していた三人の神官のうちの一人に頼まれ、内容は判らないが魔術書を一冊、人に渡したというのである。狂乱騒動が終わったばかりの王都に戻って、王都壊滅の原因を隣人から聞き、驚いて神殿に報告したのだという。

 渡した相手は、神官補ではあるものの魔術の研究に長けた人物、ということだった。

「それが、ヒロちゃんの親父さんだよ、クロウ」

 息を切らして、ファスは言った。

 クロウの家の前でのことだ。

「小父さん?!」

 そう言ってから、あっとクロウは声を上げた。

「あれか……!」

「心当たりがあるの?」

「ヒロを見送った時に、小父さんが知り合いから預かったって言ってた。荷物の上に不自然に置いてた、あれだ」

「ヒロちゃんたちはいつ帰ってくるの?」

「明日の予定だ」

「それでね、クロウ。東の使節団の姿が見えないんだ」

「ブラムスたちの?」

「そう。神官見習は、帰省先に托鉢行姿の若い男が訪ねて来て、写本について聞いて行ったって話しているらしいんだ。三人の神官の名前を出して、何か預からなかったかって。ヒロちゃんの親父さんに預けたって言ったら、若い男は、なんだか納得した様子だったって」

「ブラムス……か?」

「多分」

「ファス、ヒロたちは明日帰ってくる予定だって、風士隊に伝えてくれるか?」

「クロウは?」

「ヒロを迎えに行く。上手く会えるかどうかは判らないけどな」

「判った。気をつけて」

「おう」

 長剣と家にあった有り金だけを手に、クロウは駆け出した。知り合いに馬を借り、カナルリアへと休むことなく走らせた。途中で何度か馬を乗り換え、昼も随分と過ぎた時分に着いた小さな村で、住民が妙にざわついて落ち着かないことに、クロウは気づいた。何事かと訊くと、昨夜、誰かが攫われたと言う。

 知り合いだと伝えると一軒の家に連れていかれ、そこにヒロの父親がいた。

「小父さん!」

「ああ、クロウ!すまない、ヒロを連れて行かれた」

 クロウを見るなり、彼はそう言った。

「小父さん、怪我は?」

 座ったまま、ヒロの父親は首を振った。

「私は大丈夫だ。それよりクロウ、お前、ブラムス君って知っているか?」

「ええ。知ってます。アイツがいたんですね」

「そうだ。彼から伝言だ」

「えっ?」

「上司が煩いんで国境を越えるまではヒロを借りるけれど、必ず君の元へ無事に帰すと。ヒロも彼がいるなら大丈夫と、大人しくついて行ったよ」

「あの馬鹿」

 ブラムスに対してなのか、それともヒロに対してなのか、クロウは吐き出すようにそう荒々しく呟いた。

「それとこれを」

 ヒロの父親は小さな紙切れを差し出した。そこには、西ナリス王国と東ナリス皇国の国境に近い小さな村の名が記されていた。

「ここに行く、ということですね」

「そうだと思う。ブラムス君がこっそり渡してくれた」

「判りました。オレはヤツらを追います。すぐに風士隊も来るでしょうから、彼らにも同じことを伝えてください」

「判った。気をつけろよ、クロウ」

「はい」

 クロウはそこでも馬を乗り換え、紙切れに書かれていた村を目指した。

 急ぐ余り馬を乗り換えるタイミングを逸して、途中で馬を潰した。一番近くの人家まで自分の足で走って、馬を借りてすぐに出発しようとしたが、家の主に夜道は危険と押し留められた。明日でなければ馬は貸せないと強く言われて仕方なくそこで一晩を過ごし、彼がようやく追いついた時には、ヒロを攫った東ナリス皇国からの使節団は、既に国境の向こう側にいた。

 国境は先の大災禍の折に引き裂かれて、幅が数センチほどの底の知れぬ黒い線となって伸びていた。

 使節団の先頭を歩いていた男は小柄でどこかキツネに似ており、彼がブラムスの言っていたチウイ神官だとクロウは察した。

 馬を下り、叫び声を上げながら彼らの方へ駆け出すと、ブラムスと一緒に歩いていたヒロが、彼に向かってスカートを翻して走って来た。

 チウイ神官がキィキィと文句を言っていたが、ブラムスも他の陸士候補生も、いや、使節団の誰も、ヒロを追おうとはしなかった。

 ヒロは国境の溝を軽々と飛び越えて、クロウの腕の中に飛び込んだ。

「大丈夫か、ヒロ」

「うん。大丈夫よ。みんな良くしてくれたわ」

 ヒロは血色も良く、明るい笑顔を浮かべてそう答えた。クロウはホッと安堵の溜息をついて使節団に視線を戻した。

「いいところに来たな、阿呆」

 ブラムスが吠える様な大声で、クロウに声をかけた。

「ちょっとそこで見ていな、クロウ」

 ブラムスがチウイ神官に向き直る。使節団の他のメンバーは、まるで、チウイ神官を逃がすまいとでもするかのように、少し離れて彼を取り囲んでいた。

 ブラムスに言われた通りにするのは癪だったが、予想外の展開に、クロウは少し様子を見ることにした。

「チウイ神官、ちょっと確認したいんですがね」

「な、なんだ」

 不穏な空気を感じ取って、チウイ神官はブラムスから後ずさりながら応えた。

「アンタ、大地母神様から御神託があったって言われましたよね。『完璧な世界』を捜して、東ナリス皇国に持ち帰れって。アレ、ホントのことですか?」

「な、なにを言う。ほ、本当に決まっておろう。ワ、ワタシがウソをついたとでも言うのか、貴様」

「ま、率直に言えばその通りですな。実はね、オレら、別の御神託を聞いたんですよ。『完璧な世界』を捜して、破棄せよってね。もっとも、オレらが聞いたのは、風神様の姫巫女様を通じてですがね」

「風神の姫巫女だと!き、貴様、背信者かっ!」

「さて、背信者はどっちですかねえ。それを確かめる為に、アンタと一緒にここまで来たんですよ。ま、オレはどっちが本当のことを言っているか、っていうと、風神様の姫巫女様の方に賭けているんですがね」

「オレたちもでーす」

 そう言ったのはブラムスの後ろに立った他の陸士候補生たちである。

「キツネと美人じゃな」

「賭けにもならねえ」

「な、な、な」

 絶句するチウイ神官に、彼を取り囲んだ使節団のメンバーが声をかけた。

「我々は、あなたに賭けていますよ、チウイ神官」

「まさか神官ともあろう御方が、御神託に関してウソを言う訳ありませんからね」

「ただ、確かめようというブラムス候補生の言い分も、納得出来ますので」

「ど、ど、どう、確かめようというのだ」

 その問いには、ブラムスが応えた。

「いえね、オレ、西ナリスに来るまで、まだ大地母神様から印可を授けられていなかったんですよ。

 でも、風神様の姫巫女様が御神託を告げられて、こう、たおやかーに倒れられて、ヒロちゃん、ああ、あそこにいる子なんですけどね、ヒロちゃんに支えられるのを見た時に、何か、こう、使える気がしたんですよ。不意に。印可の力が。

 で、考えたんですがね。もし、風神様の姫巫女様の方が本当のことを言っているんだとしたら」

 ブラムスがチウイ神官に向かって歩き出す。

 地面が揺れた。

 とても立ってはいられない程激しく。

 ただし、チウイ神官の周囲5mほどの地面だけが、不自然に。

 チウイ神官が「あ、あ、あ」と声を上げた。反射的にしゃがみ込んだものの、それでも耐え切れずに彼はころりと転がった。

 転がりながらも激しく左右に揺さぶられ続けるチウイ神官に、ブラムスはまっすぐ歩み寄って行った。まるで地面など少しも揺れていないかのような確かな足取りで。

「こっちに帰れば、印可の力が使えるんじゃないかってね」

 ブラムスは笑顔を浮かべて、地面に這いつくばったチウイ神官を見下ろした。

「こんな風に」

 ブラムスはチウイ神官の側にしゃがみ込んだ。

「やっぱりアンタの方が、背信者でしたな」

 チウイ神官は救いを求めるかのように、使節団の他のメンバーを振り返った。しかし、帰ってきたのは冷たい視線と溜息だけだった。

「さて、賭けはオレの勝ちですね」

 ブラムスは立ち上がって使節団の一人に声をかけた。

「しょうがない」

 声をかけられた男は鞄の中から一冊の魔術書を取り出し、ブラムスに渡した。そしてブラムスは、チウイ神官が声を発する間もなく、魔術書を開いて、中程のページで二つに引き裂いた。

 クロウがおやおやと見守っていると、ブラムスは国境に近づき、そのうちのひとつをクロウへと投げた。

「破棄を、ということだったよな」

「ああ、そうだな」

 ブラムスが火の精霊を呼び出す呪を唱える。

 クロウも同じ様に唱え、まず、ブラムスが手にした魔術書が燃えた。そして、次に、と、クロウはまだもたもたしていた。

「何してんだよ、クロウ」

 呆れたようにブラムスが言う。

「ちょっと待て。魔術は苦手なんだよ」

 もう一度最初から詠唱を口にしようとしたクロウを遮るようにヒロが詠唱を唱え、クロウが手にした魔術書が燃え上がった。

「あちっ、ちっ」

「もう。少しは魔術も上手くなってよ」

 陸士候補生たちが一斉に笑った。

「ヒロちゃんの尻に敷かれるの、確定だな。クロウ」

「ほっとけ」

 そう言いながら、クロウはブラムスに向かって拳を差し出した。

「印可の取得、おめでとう」

「お前もなんだろう?クロウ。おめでとう」

 ブラムスも拳を差し出し、二人は国境の上で軽く拳を突き合わせた。

「これからどうするんだ?ブラムス」

「キツネを連れて帰って、うちの姫巫女様の前で真実を明らかにするつもりだ。キツネが一匹だけとは限らないしな」

「そうか。足元を掬われたりしない様、気を付けてな」

「おう。そっちこそな。ここまで大事に連れて来たヒロちゃんに怪我なんかさせるんじゃねえぞ」

「誰に言ってやがる」

 ブラムスが軽く手を上げる。

 チウイ神官を引き摺るように東ナリス皇国の使節団が去って行くのを、クロウとヒロはしばらく並んで見送っていた。

「さて、オレたちも帰るとするか。小父さんが心配のあまり倒れる前にな」

「帰るのはいいけど、その前にすることはないの?」

「なんだ、ヒロ」

「今なら、誰も見ていないわよ?」

 クロウを見上げて、妙に真面目な顔でヒロが言う。

 クロウは笑った。確かに、二人っきりになるのは久しぶりだった。

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