決着6
風士隊本部前の広場には、狂乱の死体が神槍に貫かれたまま放置されていた。
3日ぐらいは様子を見た方がいいというニケの助言に従って、5m四方を立ち入り禁止にして、風士が交代で見張っていたのである。
ネッドの遺体の方は、姫巫女によって清められた後、既に丁重に葬られていた。
イルスは手を伸ばしたままただの黒炭となった狂乱の死体に異常がないことを確認した後、自分の執務室に向かった。
風士隊の本部は静まり返っていた。
既に日が落ちているということもあったが、狂乱騒動の後始末をする者、東ナリス皇国の使節団を追う者、様々な理由で、本部はほとんどもぬけの殻になっていた。
イルスは執務室に入ると、物理的な鍵をかけた後、慎重に封印を施した。本棚に歩み寄り、一冊の魔術書を抜き出す。
燃やされたはずの『完璧な世界』の写本である。
イルスの口元に満足げな笑みが浮かぶ。
「どうするの、それ」
突然執務室に響いた声に、イルスは笑みを凍り付かせた。振り返ったイルスは、扉の前に、二人の少女が並んで立っているのを見た。
人を覚えるのは、組織をのし上がって行くには必須の能力だ。そうでなくとも、彼女らはイルスの印象に強く残っていた。ショナから来たまだ若い魔術師と、更に若い、いや、あまりにも若すぎる随員。
名は確か。
「これはこれはリィ魔術師。どこからお入りになったのですか?」
イルスの問いに答えたのは魔術師ではなく、フランという名の随員の方だった。
「あなたと一緒によ。あたしたちはあなたの影の中にいたの。さっき、あなたが狂乱の死体を確認してた間に、こっそり忍び込ませてもらったの。どんなに厳重に封印を施しても、一緒に入っちゃえば意味はないわ」
「おやおや。まるで狂乱が使った術のようですな。それに、どうやら本当は、あなたの方が主、のようですな」
「ええ。この子はあたしのついでよ」
「ついでとは酷いですねぇ、姉さま。わたしだってキチンと仕事はしましたよぉ」
「姉さま、ですか。つまり、見た目通りの歳ではない、ということですかな」
「まぁね」
「そうですか。しかし、ホント呆れるほど簡単に入り込めるものですな。あの復讐者の件があって、執務室の封印はより強固な術に代えたのですが--」
イルスの足元から轟風が巻き起こり、フランとリィを襲った。
轟風を応用して真空状態を引き起こす、つまりはカマイタチだ。通常であれば、フランもリィもズタズタに引き裂かれて倒れているはずだった、が。
轟風が消えた後に、黒い壁が聳えているのを見て、イルスは溜息をついた。
「やはり、無駄ですか」
黒い壁が音も無く床に、フランの影の中に吸い込まれていく。
「風神様もお優しいわねぇ。まだあなたに印可の力を使わせてあげるなんて」
「ええ。感謝していますよ、風神様には。……今でも」
「どうして、なんて訊かないわよ。あなたが何をする気なのかも。どうせ、たかが知れているし」
イルスは肩を竦めた。
「それは助かりますな。私も時間が節約出来ます、し……?」
ふと、イルスは息苦しさを感じて胸を抑えた。「ぐっ」と声が洩れる。
「人を殺すのって簡単なの。こんな風にね」
視界が霞む中、イルスはフランという名の少女が、詠唱も何もしていないことを確認していた。胸を抑えたままガタガタと音をたてて倒れたが、その時には、息苦しさは嘘の様に消え去っていた。
「な、なにを……」
激しく咳き込みながら、イルスはフランに向かって訊いた。フランはまるで天気の話でもするかのように、ことさらに何の表情も浮かべることなく答えた。
「あなたの心臓から出てる血管をね、ちょっと摘んだの」
「け、血管、を……?」
「ええ。あたしはね、あんまり、と言うか、ほとんど力は無いんだけどね。他の娘たち、特にこのリィなんかと比べると」
えへへと、リィが緊張感の欠片もなく笑う。
「でも、これぐらいのことなら出来るし、こんなことでも人って死んじゃうのよ。知ってた?」
何と応えればいいか判らず、イルスはただ、二人の少女を見つめていた。他の娘たち、という言葉が、彼の頭の中で反響していた。惑乱の君という言葉を聞いた時と同じような薄気味悪さを感じて、イルスはぞくりっ体を震わせた。
「リィ」
「はぁい」
リィが床の上に投げ出された写本を拾い上げ、フランに渡す。
「それをどうする気だ……?」
「こうするのよ」
短く、正確な詠唱。写本が燃え上がった。炎が魔術書の端まで拡がるのを待って、フランは写本を投げ出した。
床の上で、魔術書が灰へと変わっていく。
「なんと」
イルスは驚きの声を洩らした。
写本を燃やされたからではない。これほど簡潔で正確な詠唱を、今まで聞いたことがなかったからだ。見た目通りの歳ではないと、フランに対してイルス自身が言ったが、思った以上に、いや、それよりもはるかにフランが経験を積んでいることを、イルスは彼女の詠唱から悟ったのである。
フランがイルスを見下ろす。
イルスは、二人の少女の瞳が共によく似た栗色で、更によく似た赤い光がその奥で輝いていることに気付いた。
「あたしね、あなたみたいな野心家は嫌いじゃないの。でも、この術はちょっと危険すぎるわ。お母さまにもう一度お出ましを願うなんて、出来るはずないもの」
「それじゃあやっぱりお母さまだったんですねぇ。最初の時も」
「もちろん。他に誰がいると思ってたの?リィ」
既に、お母さまというのが何者かと問う気力も無く、ようやく痛みの収まった胸を抑えて、イルスは仰向けに転がった。自然と、笑い声が洩れた。
「どうする。私を殺すのかね?」
二人の少女を逆さに見て、イルスは問うた。
「さっき言ったでしょう?あなたみたいな野心家は嫌いじゃないって。それに、殺さなければいけないほどの悪さもしていないしね。ちょっと、あっちこっちに情報を流してはいたようだけど。
だからもう、これで充分」
「殺す価値もないってことかね」
「違うわ」
フランは、感情を込めることなく、ただそう言った。
イルスは息を吐くように小さく笑った。
「それじゃあね、サヨウナラ。お莫迦さん」
からかうような口調でそう言ったフランの傍らで、リィが小さく手を振る。二人の少女の姿が、足元から次第に影に包まれて行き、そして、花びらを散らすように、消えた。
しばらく彼女らの消えた空間を見つめた後、イルスは体を起こし、胡坐をかいた。ふと熱気を感じて、彼は床の上で燃えている魔術書に気が付いた。
「おっと」
イルスは立ち上がり、炎を消すべくほとんど灰となった魔術書を踏みつけ、最後に花瓶の水をかけて完全に消し止めた。床には焼け焦げとべとべとになった灰だけが残った。
それを見つめて、イルスは軽く轟風を起こしてみた。
イルスが期待した通りのそよ風が、執務室を走り抜けていった。
イルスは溜息をついた。
まだ、風神は彼を見捨ててはいない、ということだった。
「……いいでしょう。お仕え致します。最後まで」
イルスは小さく呟き、後始末をつけるべく執務室を後にして、扉を閉じた。
「フラン姉さま、どうやってデアに帰るんですかぁ?」
王都を囲む城壁のうち、大災禍によって崩れたところを乗り越えながら、リィはフランに訊ねた。
「もう急ぐ必要はないし、船、ですよねぇ?」
「来た時と同じに決まってるでしょ」
リィを振り返ることなく、フランが答える。
「えー」
「何、文句を言ってるの。あたしたちがお母さまの娘だから特別に乗せて貰ってるのよ。彼には感謝しなくちゃ」
「それはそうですけどぉ」
「早く帰ってお母さまに報告しないといけないしね。あ、来てくれたわよ」
王都の夜空から巨大な影が降りてきた。
王宮ほどもありそうな巨大な翼。太い四肢。黒にも似た深紅の巨体。フランとリィを見下す叡智に満ちた小さな赤い瞳。
炎竜である。
頭部は幾つものツノに覆われ、顎の下に生えたツノはまるで豊かな髭のようで、彼を賢者のように思慮深く見せる効果を上げていた。
「乗り心地、悪いんですよねぇ。あのウロコ」
巨大な翼の起こす風に激しく弄られる髪を押さえながら、リィは文句を言った。
「リィ、早くなさい。人に見られないうちに行くわよ」
「……見られていない、と思ってるのが不思議ですねぇ」
実際、遠くから悲鳴が響いて来ていた。リィはフランに続いて、地面にまで下ろした炎竜の頭によじ登り、首の上を軽快に走って、来た時と同じ首と胴体の境にある大きなツノの後ろに、フランと並んで身体を預けた。
そこだと飛んでいても風が当たらないのである。しかも、炎竜の身体から発生する熱でぽかぽかと温かかった。
飛び上がる時を除けば、結構そこが快適なことを、リィは知っていた。
風の精霊の呪文を幾つか唱えた後、フランがガンガンと炎竜の鱗を叩く。それでも、炎竜にとっては羽根で撫でられたほどにも感じられなかっただろう。
炎竜が翼を大きく開き、風を巻いて舞い上がる。
ひゃーっと、リィは声を上げた。
飛び去っていく炎竜を、風士隊本部前の広場で呆然と見送る一団がいた。
全員黒装束である。
そのうちの一人は、狂乱の魔術師を貫いた神槍を手にしたままポカンと口を開けて次第に小さくなって行く巨体を見送っていた。
見張りに立っていた二人の風士は石畳の上に倒れていた。一団のうちの一人の魔術によって眠らされたのである。
「炎竜とはねぇ。いろんなところに行ったけど、あたしもを見るのは初めてだよ」
突然響いた女の声に、黒装束の一団は我に返った。声を振り返った先で、風神の戦巫女が、風士隊本部入り口の石段に座って夜空を仰ぎ見ているのを、彼らは見た。
「その槍は、まだそのままにしといて貰えるかな。もっとも、あたしが打ち込んだんだ。どうせ抜けやしないんだけどね」
彼らが風神の戦巫女に対してどう対処しようとしたのか、結局、判らなかった。
立っていられないほどの突風に煽られ、一人だけを残して、ある者は腰の長剣に手を伸ばそうとして、またある者は呪を唱えようとして、そのまま空高く巻き上げられたからである。
悲鳴が長く尾を引きながら遠ざかっていく。
その先にあるのは、王都に程近い、大河ガロナだ。
「少し頭を冷やすといいよ」
ニケはそう言いながら立ち上がり、ひとり残った黒装束の男に歩み寄った。
黒装束の男がそろりと身を屈める。
一方のニケは、男の5mほど手前で足を止めて腰に両手を当てた。
「無駄なことはしない方がいいよ。ちょっと話をしたいだけだからさ、安心しな」
「何を話したいというのだ。風神の戦巫女よ」
声を変えているのだろう、身を屈めたまま、酷く聞き取りにくい声で男は問うた。
「正義派、だっけ。さっき飛ばした、アンタに唆されてここまで連れて来られたバカな連中。『完璧な世界』が失われたから神槍でも奪おうって唆して、ここまで連れて来たんだろう?アンタ、口が上手そうだからさ、東ナリス皇国への報復なんていう、ムダに血を流すようなマネはやめた方がいいって連中に伝えてくれないかな」
「なぜ」
「アンタ、ベルリアーズ王国の密偵だろ?」
男の短い沈黙を、ニケは肯定と受け取った。
「だったら判るだろ?国を上げて20年も狂乱を追いかけてさ、結局は貴重な人材をムダに失っただけじゃないか。だから、アンタならあたしより上手く連中を説得できるんじゃないかと思ってさ。
ま、無理かも知れないけれどね」
「戦巫女よ。貴方も、復讐の為に狂乱を追っていたのではないのか」
「最初はそうだったけどね」
「失礼ながら、ベルリアーズ王国の衛兵の娘なのだろう?だったら、祖国の為に働く気はないのか?」
「今のあたしは、風神様の戦巫女だよ」
「……道理」
「狂乱はここで死んだ。まだ、明日の朝まではそうしておいた方がいいと思うけど、死んだことは確かだよ。それだけを冬陽宮に報告しな」
「私にも役目がある」
「アンタが受け取るハズのモノは灰になったよ」
「……何?」
「それがどういう意味か、あたしは知らないんだけどね。風神様がそうおっしゃってる。アンタにそう伝えろって。だからおとなしく」
突風が黒装束の男の足を掬った。
男は足を踏ん張る間もなくバランスを崩し、他の連中と同じ様に空高く巻き上げられた。行き先はやはり、他の連中と同じく大河ガロナである。ただ、他の連中と異なっていたのは、男が悲鳴を上げることなく、黙って飛ばされたことであった。
「ガロナを下って、そのまま国に帰りな」
男の体が城壁を越えるのを見送って、ニケは大きく欠伸をした。
「真夜中だって言うのに、風神様も人使いが荒いねえ。さて、神殿に帰って、もう少し寝させてもらうとするか」
ふと、ニケは風神が謝っている気配を感じた。薄く笑い、軽く手を振って風神の戦巫女はその場を歩み去った。
扉の影から成り行きを見守っていたイルスは、ニケの姿が見えなくなってから、風士隊本部を出た。何もなかったことにすること。それが風神の意思なのだと、彼は理解していた。
『寛大なところを部下に見せる機会と、考えることにするか』
そう胸の内で呟きながら、イルスは篝火の脇で眠る二人の風士に歩み寄っていった。




