3-8
――それからしばらくして、わたしはサッちゃんから夢魔を名乗ることを許され、バフォメット様の家に戻った。とはいえ、サッちゃんが迎えにきては地上に上がり、人間の男の子に夢を見せる訓練は続いた。
ある時、失敗して大量のオーラを吸い取られたわたしは、人間を食べるしかない状況に陥った(おちいった)。二人に励まされ、叱られながら、家の地下室でなんとか少し食べた。その後も夢魔術の失敗が何度も続き、無理矢理食べる人間の味にも少しずつ慣れていった。
失敗しないで余裕があった時にはヒロシマの母様を訪ねた。何度も訪ねるうちに、日本は戦争状態になっていた。
例の変装をしていたにもかかわらず、ある日軍服を着たおじさん達に追いまわされて逃げ帰って以来、わたし達は地上に降りることができず、時折ヒロシマの街を高い空から見守っていた。老齢の母様の前に紋章を出現させて訪ねるのは、ショックが大きすぎる気がしたからだった。
「なんとか母様に会えないかしら?」
「君はともかく、あたしの顔は西洋人丸出しだからな。君一人で降りるのは許可できないし。夜間にこっそり訪ねよう」
――夜になって人が出歩かなくなると、わたし達は母様の家を訪ねた。
「…………母様、家を捨てて逃げて」
「わたしも、もう歳だからね。ここで死ぬならそれでいいのよ。住み慣れた家で旅立つことくらいが、せめてものわたしの希望なんだから。あなたに抜け駆けして、きっともうすぐ父様に会えるわ」
「そんなことを言わないで。住むところも身のまわりのこともなんとかするから」
「そうですよ、お母さん。一緒に逃げましょう」
「仕方のない子達ね。では逃がしてもらいましょうか。でもね、荷物をまとめるからしばらくしたら迎えにきてちょうだい。お婆さんになっても女の子なのよ? 思い出の品を持っていかせて?」
「わかったわ。では、三日後にくるから用意しておいてね」
「ありがとう。わがまま言ってすまないわね」
――三日後の朝、ヒロシマの空は雲一つない快晴だった。この三日間で戦争と無縁の住みやすそうな島を探し出し、バフォメット様とサッちゃんに素敵な家を建ててもらった。母様を眠らせれば紋章を使って数歩歩くだけで行ける。終戦まで母様とわたし達の三人で暮らそうという話になって、わたし達は胸がワクワクしてしまい、こうしてヒロシマの空から双眼鏡を覗いていたのだった。
「あれ? 飛行機だ」
「大きいわね。なにもしないで行ってくれればいいけど……」
飛行機は期待どおりになにもせず通りすぎていった。
「よかったわ、今日一日だけなんだからやめてよね。まったく」
「こら、母様以外にも人がいっぱいいるんだよ?」
「あ、ごめんなさい」
地上の皆さんも朝食中かな? なんて言いながら、わたし達はサンドイッチなど食べていた。
「またきた。さっきのと同じ飛行機だ」
「今度は三機もいるわ。ねえ、やっぱり黒髪にして。上手くやるから」
「そうだな。なんだかいやな予感がする。気をつけてね」
サッちゃんがオーラをためてわたしの髪に触れようとした時だった。
「なにか落としたわ」
サッちゃんも双眼鏡を覗きこんだ。
「パラシュート? なんだ? ふざけてるのか?」
「あれが新型の爆弾かなにかだったらまずいわ!」
わたしは慌てて降下しようとした。
「だめだ! もし爆弾だったら手遅れだ。君まで巻きこまれてしまう」
「だって、母様が!」
「魔族の身体だってバラバラに吹き飛んだら再生できないんだ。街に被害がでないことを願うしか……」
仕方なく双眼鏡を覗いて飛行機とパラシュートを監視していた時だった。
明らかに爆弾といった形の、しっぽに羽のついた物体が飛行機から放たれた。
「今度は間違いないわ! 爆弾よ! それになんだか様子が変よ! もう、母様が驚いても仕方ないわ!」
わたしが紋章を描き終わった瞬間だった。
地上近くの空中から目が潰れそうな光が巻き起こり、追って轟音が鳴り響いた、わたしが轟音を聞いたと思った瞬間に、サッちゃんはわたしを抱え紋章に飛びこんでいた。