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 ヨーロッパに位置する名も知られていないような小国の片田舎かたいなか。隣の家さえも見えない広すぎる森に囲まれて建つ我が家には、父様とうさま、わたし、継母の三人が暮らしていた。

 相続争いで一家が全滅しかけた家族の末っ子の父様は、転がり落ちてきた幸運を手にしてお金持ちになり、会社を人に任せて慈善事業に飛びまわっていた。

 お祖父様おじいさまが遺した(のこした)大きな屋敷には十数もの寝室があり、赤い絨毯が敷き詰められている様子はお城かなにかみたいだ。実際のところ、お祖父様の代までは爵位を持っていたらしく、何代か前のお祖母様が王家に嫁いだこともあったのだとか。

「……ロージー? 終わったら言ってくれなきゃだめじゃないか。どれ、見せてごらん?」

「あら、いけない。ごめんなさい、先生」

 わたしの部屋ではいつものように個人授業が行われていた。先生が恩着せがましく「徹夜して作ったんだよ」なんて言う数学のテストを終え、バフォメット様のことなど考えて少しボーッとしてしまった。こんな男に注意する機会を与えてしまうなんて、わたしとしたことが……。

 先生が大げさに感想を述べつつ、解答をチェックしている。

「ふむ。いいぞ……そうだ……。おっと、ここはケアレスミスだな……」

 いつでもニヤニヤしているハンサム顔。無意味に鍛え上げられた身体を悪趣味なスーツに包んだ男。いやらしい金時計をちらつかせるこの男がわたしの先生。二十八歳だったと思う。髪だけではなく身体じゅうに金色の毛が生えていて、わざと胸毛を見せるようにシャツの胸元をはだけている。煙草のにおいをごまかすためにつけた香水がわたしの好みと合わず、先生が動くたびに吐き気がした。

 人里離れた我が家からは自動車か馬でも使わないと学校になど行けず、教育を受ける女子などまだ多くないこの時代に、家庭教師などつけて勉強させるのは父様の方針からだった。「これからは女性も活躍していい時代がきっとくる」というのが父様の口癖だ。どうせなら学校に行ってみたかったのだけど、蛇に驚いた馬がわたしを振り落としたのをきっかけに、父様は馬をすべて手放してしまったのだった。そんな父様だから、自動車の運転など認めてくれるはずもなかった。

「ロージー、やっぱり君は優秀だね。僕がいくら問題を用意しても君はすぐに解いてしまう、だから僕は寝る暇もないほどだよ」

「先生はお母様と遊んでばかりいるからいつも眠いのよ」

「お母様と? あれは君の教育方針なんかを話し合っているだけさ。君はもうそういうことに興味を持っているのかい? いけない子だ」

「そういうこと……? お母様とお酒を飲んで、チェスか何かをしているのでしょう?」

「あ、ああ。まあそういうことだよ。あはは……」

 本当はわたしも知っているのだ。二人が父様を裏切って抱き合ったり、接吻せっぷんを交わしたりしていることを。

 先生がわたしの髪をなでる。

「先生、わたしも十五になりますの。レディの髪を気安くなでると、ひっかかれますわよ?」

「おっと、そうだったね。これはこれは失礼いたしました。マドモワゼル」

 ――継母がお茶の用意をして部屋に入ってきたので授業は一旦休憩になった。

「先生、お疲れになったでしょう? さあ、お茶にしましょうね」

 継母は父様の後妻で三十歳。大きな目をして鼻筋のとおった美人だけど、商売女にしか見えない派手で下品な女。肩までのびたブルネットの髪を怪しげな薬品で脱色し、トウモロコシのひげみたいな偽金髪にしている。お尻を載せて歩いているみたいな胸が継母の自慢で「大きいと肩がこるわ」なんて、わざわざわたしに言うから底意地が悪い。けばけばしく真っ赤な口紅とペディキュアまで欠かさない赤い爪。二時間もかかるメイクとむせ返るようなムスクの香水が継母のトレードマークだった。

 今日も継母は胸元が大きく開いた露骨なドレスを着ている。父様の留守に仕立屋さんを呼んでいつでも山ほど新調するから、同じドレスを二回着ていた試しがない。いや、父様が帰ってくる時だけは『お古』を着るのだった。父様は請求書を見ていないのかしら?

「先生、男のかたの一人住まいは大変でしょう? 今晩も夕食をご一緒にいかが?」

「いや~、それは助かります。こう田舎では調理人やメイドもいませんからね。家に帰ると、もっぱら簡単な玉子料理とバゲットばかりなんですよ」

「あらあら、いけませんわ。お若いんだから精力をつけないと」

 これが汚らしい大人の合図だった。いつも先生は、父様がいない日に限って夕食をともにした。


 父様の海外出張続きをいいことに、二匹のけだもの達は『父様とわたしの家』で享楽きょうらくの日々をすごしていた。きっと聖書で禁止されているような堕落的で好色なことをしているに違いない。そう、身体を見せ合ったり、触れ合ったり、あまつさえ接吻だってしているに違いない。

 どんよりと曇った(くもった)窓の外を眺めてため息をついていると、電話が鳴った。誰も出る気配がないので、わたしは電話に走った。

「エディントンさんのお宅ですね?」

「はい、わたしはエディントンの娘でございます。どちら様でしょう?」

「まいったな……。こちらはアメリカの警察だ。誰か大人はいないのかい?」

「あいにく留守にしています。わたしでよければご用件を。きちんと伝えられますので」

「……オーケー。お嬢ちゃん、落ち着いてよく聞くんだぞ。エディントン氏、つまり君のダディーだがな、……亡くなったんだ」

「今、なんと……?」

「君のダディーはアメリカにきてたんだが、川で溺れて亡くなったんだ。寒い十一月に川に入れば死んでしまっても当然だがな。目撃者によると川に落っこちた猫を助けようと飛びこんだそうだ」

 目の前が急に真っ暗になり、全身を地の底に引きずりこまれるような感覚が襲った。

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