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第一章

 その日、わたしは悪魔召喚術あくましょうかんじゅつを執り行って(とりおこなって)いた。崩れかかって黄ばんだ本を、怪しげな老婆から譲って(ゆずって)もらったからだ。

 汚くて真っ黒なローブを身にまとったお婆さんは、不潔な臭いがする金歯だらけの浮浪者だった。長時間一緒にいたら吐き気がしてしまうかもしれないけれど、それでも、なんだかわたしはようやく仲間に出会えたという気がした。以前ロンドンに旅行した時にウィッチクラフトの書物を手に入れて以来、わたしは魔女に憧れていたのだから。……いや、正直に言おう。わたしは前世で魔女狩りに遭い、非業の死を遂げた魔女だったに違いないという確信を持っていた。

 大好きな父様とうさまにだってこんな『危険思想』を打ち明けたことはない。信心深く、天使のような父様にそんなことを言ったら、きっと修道院にでも入れられてしまうから。それ以前に、父様がひどくわたしを軽蔑するだろうから。

 父様はこの世でたった一人のわたしの味方。だから父様がお爺さんになって、大抵のことを受け入れられるようになるまで、この秘密を打ち明けるつもりはない。

 初めに出会ったウィッチクラフトの書物には魔術や悪魔召喚についてなど書かれていなかった。医学が発達していなかった時代のシャーマンドクター的な存在。そんなことが書かれていた。でも、わたしにはわかる。理不尽な異端審問が繰り返された挙げ句、魔女達が地下に潜ったに違いないということが。きっと、どこかに黒魔術の秘密結社があって、同胞の帰りを待っていてくれていることが。

 そういう事情があるから、黒魔術書にしてもとんでもない偽物をつかまされることが多かった。それに、表立って魔術道具を揃えることもできない。もどかしいけれど、大好きな父様と仲良くやっていくには、わたしが多少我慢するのが筋だと思っている。

 ボロボロの本を壊してしまわないように、くっついてしまったページを丁寧にはがす。

「大釜にセージ、タイム、イタリアンパセリと……ニンニク? いやだ、これってお料理の本だったかしら?」

 表紙を確認したが『ブロンドの可愛い子ちゃんでも出来る! 悪魔召喚術』に間違いなかった。このタイトルを見せられた時はひどい侮辱を受けた気がしたけど、お婆さんいわく「ブロンド娘は魔力が弱いという迷信があってな。魔女を目指すほどの子に、お馬鹿はおらんよ」と、笑っていた。

「あとは、ローズマリーね」

 わたしと同じ名前のハーブ。お料理するときなど名前が出るたびに、ちょっぴり気恥ずかしい気持ちになるのだった。

 大釜おおがまの代わりに古くなったフライパンの中でハーブを燃やす。続いて指先をナイフで少し傷つけ、血を少々。穢れて(けがれて)いない乙女の血液とあったけど、そんなものはわたしの中にいくらでも流れている。続いて乙女の髪の毛。こちらも問題ない。父様から受け継いだ金色の髪を数本引き抜いてフライパンにくべ入れた。さらに乙女の唾液だえきとあったので、はしたなさに顔が熱くなったけど、フライパンに唾を吐き入れた。我が家に入りこんだ異物を調伏(ちょうぶく――呪い殺すこと)するためなのだから辛抱しなくては。

「乙女乙女って、好色な変態悪魔じゃないでしょうね?」

 机の上に置いた十字架の置物を手元に引き寄せる。

 空中に一筆書きの星を逆さまにした『逆五芒星ぎゃくごぼうせい』を描くと、水色の光の紋章が現れた。

「……綺麗。…………見とれてる場合じゃないわね」

 続けて本に書いてあるとおりの文言を唱えた。

「全能なる魔界の王、闇と混沌こんとん覇者はしゃ、美しく気高いルシファ陛下の忠実なるしもべ。高貴なる魔界貴族バフォメット様。わたくしの願いを聞き入れるため、しばし私のところへお出でませい(おいでませい)」

 フライパンの炎が紫色に変化し、大きくなった炎が天井を焦がしそうになったところで急に燃え尽きた。だけど、それ以上はなにも起こらない。

「あの婆さん、偽物をつかませたのね……もう! 高かったのに!」

 と、がっかりしていると、わたしの肩を誰かが突っついた。

「嬢ちゃん、なんか用か?」

 振り返ると、黒山羊のような、それはそれは美しいお顔をした、背の高い魔族の男性が立っていた。くるくると巻いた長いつのが左右に伸び、黒目がちでつぶらな瞳がとても愛らしい。黒い革のズボンと先が上を向いて尖った(とがった)黒い靴以外は裸で、浅黒い肌をうっすらと紫色の光が覆っていた。岩盤のようにたくましい胸板には、空中に描いたものと同じ逆五芒星の紋章が水色に光っている。ほのかに薔薇ばらの香りがした。

「ああ、もったいのうございます。高貴なる魔族のあなた。お呼び立てしたのは他でもありません。わたしの憎き継母ままははを調伏していただきたいのです」

「そうかたくなるなって、嬢ちゃん。俺はただの魔界人だ。ところで調伏ってのは穏やかじゃねえな? そいつは悪い女なのか?」

「ええ、あんな恥知らずが同じ屋根の下にいるというだけで吐き気がしますわ」

「ほほー。そいつは美味そうだな。調伏ってのは俺の専門じゃないが、いらないなら食ってやろうか?」

「あなた人間を召し上がるの? いけませんわ。高貴なあなたがそんな汚らしいことをなさっては。あんな女を召し上がったら、お腹を壊されますわよ?」

「嬢ちゃんだって動物の肉を食うだろ? 俺達魔族はたまたま人間を食うってだけだ。で、どうする?」

「さすがにあんな女でも食べられてしまうのはかわいそうかしら。なんだかすごく痛そうですもの」

「まあ今は腹も減ってねえから好きにしろ。ところで嬢ちゃん、あんな間抜けな儀式なんぞやらなくても紋章だけ描いて呼べばいくらでも来てやるぜ? まあ、暇な時だけだがな」

「あらいやだ。そんなに簡単なことでしたの?」

 わたしはまた顔が熱くなった。

「それじゃ、俺は帰るぜ。またな」

 高貴なるバフォメット様は、空中に紋章を描いて去っていった。

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