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最後の晩餐2

 自分ではしっかり気持ちの整理が出来ているつもりだったけど、いざとなると体が震えてしまう。コンロの火を止めて、電話の前まで来ると、もう逃げ出したい気持ちで一杯になっていた。


 電話に出たくない。

 お願い。誰か、電話のベルを止めて……


 いつもは陽気な電話の呼び出し音も、どことなく弱弱しく、申し訳なさそうにしている。そう、この電話は彼からの電話。そして多分最後の……


「もしもし……」

 震える手で受話器を取り、そのことを彼に気取られないように、なるべくいつものように電話に出た。

「ごめん、俺、いけない……もう逢えない……ごめん」

 彼はいつもより少し低い声のトーンで切り出した。いつもとちがう彼。そう、彼がいつもどんな感じなのかはわかるのに、普段のわたし――彼の前のわたしってどんなふう? それって本当に普段のわたし?


「そっか……うん……」

 本当は何もわかってなんかいないのかもしれない。それともわかりたくないのかも……それでもわたしは電話口で申し訳なさそうにしている彼を攻めたり、問いただす気にはなれなかった。そういうのは、ちがうと思った。なんだろう?不思議な感覚。求めても得られなかった答えがふっと浮かんできたような、思い出せなかった何かを急に思い出したようなそんな感覚。或いは夢から覚めたような、そんな感覚。


「うん、わかった……わかったわ。じゃぁ」

 そう、わかったような気がした。決めなければならないときに逃げちゃダメなんだ。


「えっ……あぁぁ……。そっか。じゃぁ、元気で……」

 きっと彼はいろんなパターンを想定していたのだと思う。そうでなければ、『元気で』という言葉を、こんなに素直にはいえないだろう。ただ、もう少しだけ、話をしたかったのかもしれない。ううん、ちがうかも……

 とにもかくにもわたしたちは、このとき、出会ってから初めて素の自分――互いの顔が見えない電話越しに、素顔で話が出来た気がする。


「うん、大丈夫だから…大丈夫だから」

 それでも最後は強がって見せた。これも女の意地よ。覚悟はできてたんだから。彼にすがったりしない。わがままを言って困らせたりもしない。彼からは何も奪わない。いままで、いっぱいいっぱいやさしさをくれたから。


 意地っ張り――或いはそれを嘘といえばそうなのかもしれない。わたしは、最後に彼に嘘をついた。


 部屋中の空気が静まり返る。

 電話も、冷蔵庫も、時計も……みんなわたしに気を使っているようで、心が痛かった。キッチンの蛇口からひとしずくの水が流れ落ちる。


 電話を切り、大きく深呼吸をして、わたしはキッチンに戻った。冷蔵庫がうぉんうぉんと音を立てる。小指にバンソーコーを貼り、コンロの火をつける。おとなしかった鍋が、またぐつぐつと音を立てる。ふたを開けると湯気がわたしをやさしく包む。コンソメのいい香り。おいしそう。野菜を切り、御鍋の中にニンジン、ポテト、えのきにタマネギ。スープの中でダンスを踊る。野菜に火が通ったらウインナーソーセージを入れて弱火で煮込む。ウインナーのうまみがスープに溶け込んだら塩とコショウで味付け。うん、美味しくできた!


 でも、どうして、美味しくできたのに、ちっともうれしくない。だって作りすぎだもの。彼との最後の晩餐にするつもりが、わたし一人きりになっちゃった。ダメね。やっぱりこういうのって。


 どうしようもない胸の痛み。嗚咽が止まらない。悲しくないのに涙が止まらない。


 わたし、泣いてなんかいないのに。

 泣いてなんかいない。

 涙なんかじゃない。

 涙なんかじゃ……


 独りぼっちの晩御飯。不思議と涙は出なかった。

「あれ?なんか味見したときよりも、味が濃いな」

 ひとりでテーブルに腰掛け、出来上がったポトフを食べてみる。

「わたし、こんなに料理下手だったかなぁ……」

 少し煮込みすぎてしまったみたい。ちょっとしょっぱいけど、いまのわたしにはこれでちょうどいいのかもしれない。涙がしょっぱいなんて、すっかり忘れていた。


「わたしも少しは成長したのかな?前に失恋した時は3日は食欲無かったのに」


 二人分のポトフを一人で平らげてしまった。空になった鍋を洗う。鍋のそこに一切れのタマネギがしがみついている。「こら、いつまでしがみついているんだい?わたしはそんなに未練がましくないんだから!」


「よく言うよ。本当はまだ、未練が残ってるんじゃないのか?」

 鍋がわたしにけしかける。

「そんなことないわよ。もっと料理の腕を磨いて、いい男見つけるんだから!」


「そうよ。女は振られて強くなるんだから!」

 コーヒーカップが加勢してくれる。

「でも、まぁ、次くらいで決めたいんですけどね」


「化粧を直したら?いい女が台無しだよ」

 洗面台の鏡がいつもの調子でわたしをからかう。

「いまそっちにいって、とびっきりの『あっかんべー』をしてあげる!」


 悲しいのになんだか楽しくて、せつないのになんだかスッキリしている。彼とはもう会わない。会えない。でも、どこか身近に感じているし、わたしのなかで、素敵な思い出?それともおとぎ話やよくできた恋愛小説のように心の中に残っているのかな?だって、わたしは信じているから。きっと彼は、彼の帰るべきところ、いるべきところに戻るはずだと。そう、何もかも元通り。わたしも独りぼっちに元通り。でも、寂しくなんかない。彼がくれたたくさんの思い出は、いつでもわたしを励ましてくれる。いつでもわたしを見守っていてくれる。そしてわたしはわたしのいるべき場所へ、まだ見ぬ素敵な王子様と出会うために、もう少し女を磨いて、もう少し大人になって、背伸びをしなくてもいいような素敵な恋愛をしてみせる。


「大丈夫、大丈夫なんだから!」

 わたしは心の中で背伸びしていた冬のブーツを脱ぎ捨てて、鏡に向かって、そう、背伸びしていた自分に向かって『あっかんべー』をしてみせた。




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