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最後の晩餐1

 どこかよそよそしい――というよりも何かものすごく申し訳なさそうで、めずらしく言葉のはしはしに迷いが感じられた。でも、いい。それは彼の迷い。わたしの迷いじゃない。わたしは彼に会いたいという衝動からは解放され、心は自由だった。でも、だからといってなにも不安を感じないということとは全然違う。


 夜は心細かった。でも、大丈夫。みんながわたしを支えてくれる。


 サッチンもアッコもキヨミも、いつもわたしを心配してくれるし、励ましてくれる。部長は暖かく見守ってくれるし、間違った時は叱ってくれる。部屋にいるときだって、独りぼっちじゃない。ときどき、うっとうしいと思うこともあるけど、無骨な冷蔵庫も、おしゃべりなコーヒーカップも、皮肉屋の鏡も、みんなわたしを気遣ってくれる。


 それでも、どうしようもなく、人恋しくなることがある。わたしは気付いてしまった。彼じゃなきゃいけないと、彼しかいないと思いつめていたわたしは、本当は、誰かに甘えたくて、誰かに寄り添いたくて、誰かに支えて欲しくて、誰かに包んで欲しくて、そんな気持ちを押し殺してきたわたし自身のもう一つの顔、もうひとりの自分、抑圧されていた自分が彼の前にいるときのわたし。


 え? なに? なんだかわからなくなってきたわ


 ともかく、わたしは彼とであって、かわることが、できた。そう、わたしはもう、あのときのわたしじゃなくなっている。ただ、怯えて、怯んで、自分の庭でしか心を解き放てなかったわたしは、彼の腕にしがみついて、どうにか外の世界にでることができた。このまま彼の腕にしがみついて、どこまでも、どこまでも歩いていきたいという気持ちは、それはある。あるけど、そうじゃなきゃいけないという、そういう衝動みたいなものは、驚くほど、小さく、小さく、でも無視できないような場所にぽつんと存在している。


 彼の事が好きな気持ちは、どんなことがあろうとも、変わる事がない。


 そのとっても、とってもピュアな部分だけで、恋愛ができるのなら、人はどんなに自由なんだろう。でも、それはわたしが今、住んでいる場所じゃない。それは、はるか昔、わたしが少女と呼ばれ、笑顔で「はい」と答えていた世界での話。過去にはあっても、未来にはない世界。


「彼とのことは、今はあっても、未来は……」


 ぐっとこみ上げてくるものをこらえて、わたしは部屋をでる。


「いってきまーす」

 わたしはカラ元気を羽織って、買い物に飛び出した。

「いってらっしゃーい」

「財布忘れてない?」

「買いすぎるなよー」


 コーヒーカップ、洗面台、冷蔵庫が快くわたしを送り出してくれる。

 タマネギ、ニンジン、ポテト……そしてあのときと同じ、キャベツをひとたま

「ぐっ……重いな、これ、あ、あとは、ウインナーソーセージっと、コンソメはまだあるから大丈夫……よし!」


 ポトフの材料を買い揃える。

「なにさ、これくらい、たいしたことないもん!」

 レジ袋ふたつ、両手に下げて、少しばかり、しかめっ面のわたしは、さぞかしかわいかったに違いない。違いないんだから!


「ダンスはうまく踊れないけど、盆踊りならできるわさ」

 あの日のように、軽やかな足取りではないけれど、力強く、しっかりとした足取りで、部屋に帰った。時計は2時を回っていた。彼が来るのは5時過ぎ、部屋を少し片付けてから台所へ。これからやることを頭の中で整理する。


「まず、じゃがいもを洗って、皮をむいてボールに入れて水を張るでしょう。タマネギとニンジン、キャベツをザク切りにして、そうそう、先にお鍋に水を入れて沸かさないと。で、沸騰する前にコンソメをいれて、鍋が煮立ったら、具を全部入れる。で、中火で15分くらい煮込んだら、ソーセージを入れて、弱火にして、5分くらい煮て、火を止めて、鍋を冷ます。冷ましている間に、味がしみ込んで、もう一度火を入れるときに塩コショウで味付けね。よしよし! あとは彼が来るのを待つだけね!」


 料理に取り掛かろうとしたとき、急にわたしの中に不安な気持ちが渦巻き始めた。どこか気持ちがそわそわしている。料理はきっとうまく行く。でも、彼が来るかどうかは、わたし次第じゃない。わたしは待つしかない。今まで、不安になることはなかった。彼が来ないなんて、そんなこと、考えたこともなかった。なのに、ことの時ばかりが、どうしようもない不安がわたしを押しつぶそうとしていた。


 エプロンをするのも忘れて、頭の中は彼のことばかり、ついつい手元もおろそかになる。


「痛っ!」

 ニンジンを切る手がすべった。

「もーう、バッカみたい!」


「大丈夫、傷は浅いぞ……」

 小指から、少しだけ血が出ている。


「大丈夫かい?ほら、みせてごらん?」

「えっ?」

 一瞬彼の声が聞こえたような気がした。そう、わたしは大丈夫。大丈夫なのに、彼は本当に心配そうにわたしの指を眺めて言うの。

「馬鹿だなぁ」


 違うわね、彼はきっと本気で心配して、僕が変わりにやるとか……ううん、『何か心配事でもあるの?』てそんな感じかな。自分でそんなことを考えて、ほとほと馬鹿馬鹿しくなってしまった。


「馬鹿だなぁ……もう」


「来るかなぁ」


「プルルル…プルルル…」

 いつになく、電話の呼び出し音が、無機質に、冷たく感じられた。わたしはその電話に出る事が、すべての終わりになるような、そんな予感がした。


 でも大丈夫、わたしは、もう、大丈夫なんだから……



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