第85章 海に沈みつつある島の救援
第85章 海に沈みつつある島の救援
パナマ運河の奇跡的復活劇から数週間が経過した頃、六日町にある南越急行本社の最高経営責任者室に、一本の国際極秘電話が入った。
受話器の向こうで重厚な声を響かせたのは、国連事務総長直属の地球環境対策特別大使であった。
『篠原CEO、パナマでの「バイオ・シンクロ・アクアシステム」による環境保護とインフラ再生の見事な手腕、国連でも絶大な評価を受けています。……ですが今、人類はパナマ以上に緊急を要する、国家の存亡に関わる危機に直面しています』
大使が提示したのは、地球温暖化に伴う海面上昇によって、国そのものが地球上から消滅しようとしている南太平洋やインド洋の島国――ツバル、モルディブ、キリバスといった小島嶼国の窮状であった。
「平均標高がわずか二メートル程度の島々ですね。満潮のたびに海水が溢れ、国民の生活圏が脅かされている……」
篠原賢人が冷徹かつ深みのある声で返すと、大使は悲痛な思いを込めて言葉を継いだ。
『その通りです。各国の首脳陣は国連気候変動枠組条約締結国会議などで涙ながらに演説を行っていますが、議論ばかりで具体的な打開策を出せないまま時間が過ぎています。すでに国際社会の支援は限界を迎えており、最悪の場合は国民全員を他国へ移住させる「気候難民」としての受け入れ交渉しか手がないと諦めかけている。……どうか、南越急行グループの異次元の現場力と技術力で、彼らの故郷を、国家の尊厳を守っていただけないでしょうか』
電話を切った篠原は、すぐさま大石専務と古賀副社長を招集した。
「国連からの依頼……今度は一国の水没阻止、国家そのものの救済か」
大石は手元のタブレットで対象国の地理データや財務状況を素早くスクロールしながら、眼鏡の奥の目を光らせた。
「対象となるツバルやキリバス、モルディブなどは、観光資源や漁業権以外の主要産業が乏しく、自力で数百億円規模の防災インフラを整備する資金はありません。ODA(政府開発援助)や世界銀行の融資も、費用対効果の観点から後回しにされてきた歴史があります。経営面から見れば、資金回収のスキームを極めて慎重に構築しなければ完全な持ち出しになりますよ」
「大石、金計算も結構だがな」
腕を組んでいた古賀が、鋭い眼光で静かに言った。
「生まれ育った家や、先祖代々眠っている土地が海に沈んでいくのを指をくわえて見ているしかない人たちがいるんだ。俺たちが赤字ローカル線の廃線に怯えていた頃と、根っこは同じじゃないか。資金の回収方法なら、あとからいくらでも知恵を絞ればいい。まずは現地へ行って、この目で確かめよう」
「古賀の言う通りだ」
篠原が頷いた。
「我々が向かうのは、最も状況が深刻とされる南太平洋の島国・ツバルだ。南越エアラインズの機体を手配してくれ」
翌日、篠原、古賀、大石の三人と、南越建設、南越総合大学の環境工学チームを乗せた超エコ・AI大型旅客機「B7107」は、新新形国際空港を飛び立ち、南太平洋の真っ只中に位置するツバルの首都・フナフティへと向かった。
太平洋の青い海原が見える上空から下を覗き込むと、ツバルの国土がまるで細いリボンのように海の上に浮かんでいた。陸地の幅は狭いところでわずか数十メートルほどしかなく、島全体がサンゴ礁の微小な隆起によってできていることが一目で分かった。
フナフティ国際空港への着陸態勢に入った時、窓の外を見ていた古賀が息をのんだ。
「おい……滑走路の端に海水が溢れ出しているぞ!」
ちょうど満潮の時刻と重なっていた。標高が低すぎるため、滑走路の一部に海水がじわじわと侵入し、巨大な水たまりを作っていた。機体は熟練のパイロットの手によって無事に着陸したものの、タラップを降り立つと、南国の湿った熱気とともに、潮の香りが足元から立ち上ってきた。
空港では、ツバルの国土・環境担当大臣をはじめとする政府高官らが、縋るような思いで篠原たちを出迎えた。
「ようこそ、ツバルへ……! 南越急行の皆様、遠路はるばるよくぞ来てくださいました」
大臣の案内のもと、篠原たちはすぐさま島のあちこちを視察して回った。
現地の惨状は、報道されている以上に深刻であった。
海岸沿いには、かつて美しく生い茂っていたであろうヤシの木が、根元の土砂を波に削り取られて倒れ込み、海水に半ば沈みながら枯れ果てていた。かつて人々が暮らしていた住居は高潮によって基礎ごと破壊され、無残に崩れたコンクリートの土台が波間に洗われている。
さらに島の中央部へ進むと、驚くべき光景が広がっていた。
防波堤を越えて波が押し寄せているだけでなく、道路のひび割れや地面のあちこちから、まるで湧き水のように透明な海水が噴き出し、住宅街の路地を川のように流れていたのだ。
「地面から水が湧いている……どういうことだ?」
古賀が舗装の隙間から溢れ出る海水にかがみ込み、手に取って驚いた。
南越総合大学の環境チームの教授が、携行用の地質センサーを地面に押し当てながら解説した。
「古賀副社長、この島は一般的な土砂ではなく、多孔質のサンゴ礁(カルスト地質)でできています。つまり、島全体がまるでスポンジのような構造になっているんです。そのため、満潮時に外海の潮位が上がると、水圧によって地下のサンゴの隙間を通って、島の内側の地上へ直接海水が押し揚げられてしまうのです」
「スポンジか……! ということは、海側に普通の防波堤を建てるだけじゃ、地下から湧き出てくる水は防げないということか!」
「その通りです。ただ壁を作るだけでは、内陸からの水没を止められません」
大臣は深く項垂れ、涙ぐみながら言った。
「大潮の時期になると、畑には塩水が回ってタロイモなどの作物が枯れ、井戸水も塩分で飲めなくなります。子供たちは海水に浸かった道路を歩いて学校に通い、空港も1日中閉鎖される。このままでは、あと数十年で我が国は完全に海の下に消えてしまいます……」
その悲痛な叫びを聞きながら、古賀は強く拳を握りしめ、力強く言い放った。
「大臣、諦めるにはまだ早い! 潮が流れてこない強固な『堤防』と、地下からの侵入を防ぐ手立てを、俺たち南越急行グループが作ってみせる!」
「古賀……具体的にどんな案がある?」
篠原が問うと、古賀は胸を張り、現場叩き上げの野性を目の中に宿して答えた。
「海からの波を防ぐのは当然として、地下からの海水の噴出をどう止めるかだ。南越建設がドバイの地底でやった地盤改良技術と、南越車輌のナノセラミック素材を組み合わせればいい。島の周囲をただの壁で囲むんじゃない。海と地底の両方を遮断する『複合型防水バリア』を築くんだ!」
日本へ戻る機内の中で、篠原、古賀、大石、そして南越建設の井上社長、サロナエアコンの佐竹社長、南越総合大学の技術陣による緊急オンライン会議が開催された。
古賀の発案を元に、南越グループの異能の頭脳が集結し、ツバル救済のための新技術の開発が始まった。
南越建設の井上社長が画面越しに熱弁を振るう。
「ツバルの地質特性に対応するため、我が社が誇る無人AIシールドマシンと地盤注入技術を応用した『全自動地下遮断壁打設工法』を提示します。まず、島の外周に沿って、地下数拾メートルの不透水層まで届く超薄型ナノ粘土インジェクションを無人建機で注入し、サンゴのスポンジ構造を網の目のように塞いで地下からの海水の湧き出しを完全遮断します」
続いてサロナエアコンの佐竹社長が補足した。
「さらに、地上部分には我が社の耐食性ナノセラミック複合材を使用した『自動起伏式・環境調和型防潮堤』を設置します。通常時は景観や砂浜へのアクセスを損なわないよう低く抑えられていますが、本産自動車の量子AI気象センサーが満潮や高潮を感知すると、油圧ならぬ海水圧を利用して自動的に壁が立ち上がり、波の侵入を100%シャットアウトします」
「問題は、囲い込んだ内側の雨水排水と、塩害を受けた土壌の再生だな」
古賀の指摘に対し、南越アグリと南越総合大学のチームが回答した。
「内側に溜まった雨水や万が一の越水は、サロナの排水ポンプと南越海運の小型排水バルブで即座に外海へ排出します。さらに塩分が染み込んだ農地には、南越アグリの『脱塩ナノバイオ菌体』を散布し、わずか数ヶ月で再びタロイモや野菜が育つ豊かな土壌へ再生させます!」
「見事だ」
篠原は静かに頷き、大石を見た。
「大石、資金面と国際的なスキームの目処は?」
大石は眼鏡を押し上げ、計算し尽くされた数字を提示した。
「ツバル全土への『スマート・バリア』および『地下遮断壁』の施工費用は約1,200億円。これを我が南越フィナンシャル・グループが全額無利息融資として立て替えます。返済原資としては、南越エアラインズと南越海運がツバル国内に自前のハブ港湾・滑走路を整備し、南太平洋の物流・観光拠点として共同運用する収益の一部を充当。さらに、気候変動対策の国際基金(緑の気候基金など)から『国際防災実績枠』として助成金を回収します。ツバル政府の直接負担はゼロです」
「完璧だな」
篠原は力強く言った。
「プロジェクト名は『ラグーン・ラビット』。直ちに現地で施工を開始せよ!」
数日後、南越海運の大型貨物船群がツバルのフナフティ環礁へ到着した。
船から降ろされたのは、南越建設の無人AI建機群と、サロナエアコンが製造した最新のナノセラミックバリアモジュールである。
現地での工事は、南越建設の全自動AI施工により異次元のスピードで進められた。
騒音や振動を抑えたサイレント施工により、透き通った海やサンゴ礁の生態系を傷つけることなく、島の外周地下深くに連続した地下遮断壁が次々と構築されていく。地上部には、南国の景観に溶け込む美しいデザインの「サロナ・スマート・バリア」が整然と設置されていった。
泥と潮風にまみれながら、古賀副社長は現地作業員たちとともに汗を流した。
「おい、バリアのセンサー感度を再チェックだ! 満潮の1分前には寸分の狂いもなく立ち上がるようにしろ!」
「アイアイサー、古賀副社長!」
ツバルの青年たちが、南越急行のヘルメットを被り、誇り高き笑顔で声を張り上げた。
工事開始からわずか2ヶ月後——。
ツバルに、年間で最も潮位が高くなる「大潮」の時期がやってきた。
かつてなら、滑走路は水没し、道路や住宅街は膝上まで海水に浸かり、家屋が破壊される恐怖の時期である。現地には、国連の視察団や世界各国の主要メディア、そして周辺国の大使たちが固唾を飲んで集まっていた。
午後二時、満潮の時刻が迫る。
外海の波が荒立ち、水位がぐんぐんと上昇してきた。
その時である。
『ピィーッ、ピィーッ』という静かなアラーム音とともに、島全体の海岸沿いに設置された「サロナ・スマート・バリア」が、AI制御によって滑らかに立ち上がった。美しい砂浜の景観を保っていた低い壁が、一瞬にして全高三メートルの強固な要塞へと変貌したのだ。
ドシャーン! と激しい白波がバリアに打ち付けられるが、ナノセラミックの壁は微動だにしない。
そして、最も人々が恐れていた「地下からの海水の噴出」……。
滑走路のひび割れや、住宅街の路地、畑の土からも、水一滴すら湧き上がってこなかった。南越建設が打設した地下遮断壁が、スポンジ状の地層を通る海水の圧力を完全にかき消していたのだ。
満潮のピークを迎えても、フナフティの街は完全に乾いたままであった。
子供たちが、水に浸かっていない乾いた舗装道路を歓声を上げて駆け回り、滑走路には南越エアラインズの旅客機が何事もなく安全に着陸を果たした。
「湧いてこない……! 海水がどこからも入ってこないぞ!」
「我が家が……僕たちの島が守られたんだ!」
現地の人々は抱き合い、涙を流して歓喜した。
ツバル大統領は篠原と古賀の手を固く握り締め、震える声で叫んだ。
「南越急行の皆様! あなた方は我が国の土地だけでなく、国民の未来と尊厳を救ってくれた! この御恩は、ツバルの歴史に永遠に刻まれます!」
この衝撃的なニュースは、直ちに「ツバルの奇跡」として世界中へ打電された。
数週間後、ニューヨークの国連本部大会議場にて、緊急の地球環境特別フォーラムが開催された。
壇上に立った篠原賢人は、世界各国の首脳や大使たち、そして国際メディアのカメラの列を静かに見渡した。
モニターには、かつて水没の危機に瀕していたツバルの街が、完璧な防波・防水システムによって守られ、乾いた大地で人々が笑顔で暮らす映像が映し出されている。
「皆様」
篠原の透き通るような声が、広大な議場に響き渡った。
「温暖化による海面上昇は、もはや遠い未来の議論ではありません。今、目の前にある現実の脅威です。しかし、先進国が議論を繰り返し、犠牲となる国々に『移住』を促すだけなのは、あまりにも不誠実ではないでしょうか。土地を捨てさせるのではなく、その土地を守り抜くこと。それこそが我々人類が取るべき選択です」
篠原は大石が作成した包括的なプレゼンテーション資料を画面に提示した。
「我が南越急行グループは、ツバルで実証された『スマート・バリア』および『サイレント・ディープ・ウォール』の技術を、同様の危機に瀕するすべての島嶼国へ適用することを宣言します。すでにモルディブ、キリバス、マーシャル諸島、さらにはカリブ海の小国群と包括協定を交わしており、南越建設、サロナエアコン、本産自動車、南越アグリの総力を挙げて、順次施工を開始しております」
議場からどよめきが起こる中、篠原は言葉を続けた。
「これらのインフラ整備にあたり、我がグループは国連緑の気候基金と連携し、低利の長期防災ファンドを創出します。対象国の財政を圧迫することなく、自前で施工と初期投資を行い、完成後の海上インフラや物流ハブとしての収益化によって徐々に資金を回収していくスキームを確立いたしました。技術と金融の力を使えば、地球上のどんな島も、海に沈ませる必要はないのです」
篠原のスピーチが終わると同時に、国連大会議場は割れんばかりの拍手と万雷のスタンディングオベーションに包まれた。
かつて「自国の水没」を涙ながらに訴えていたモルディブやキリバスの国連大使たちが、篠原のもとへ駆け寄り、感謝の言葉を述べながら次々と握手を求めた。
国連事務総長も固い握手を交わし、「南越急行は、人類の希望の砦だ」と絶賛した。
すべてのフォーラムを終え、帰国の途につく機内で、篠原、古賀、大石の三人は、南太平洋の青い海を見下ろしながら、南越ビバレッジの『特選一級品』ジャスミン茶で静かに乾杯を交わした。
「……ふう、ツバルに続いてモルディブ、キリバスか。南越建設もサロナエアコンも、大忙しになるな」
古賀が爽快な笑みを浮かべた。
「現場の連中も張り切っているよ。『地球を沈ませないのが俺たちの仕事だ』ってな」
「ええ」
大石が電卓の画面から目を離し、眼鏡の位置を直した。
「国際気候基金からの助成金と、各島国に整備する南越海運・エアラインズのハブ港湾収益により、今回の包括プロジェクトは我がグループにとっても長期的に極めて高い収益性と社会的信用をもたらす『最強のSDGsビジネス』となりました。渡辺前社長が仰っていた『社会に還元しながら絶えず資金を循環させる』という理念の、まさに極致です」
篠原は窓の外、地平線の彼方まで広がる太平洋と、そこに力強く浮かぶ緑の島々を見つめていた。
「かつて赤字に苦しみ、消えゆくはずだった南越急行という小さなローカル線が、いまや地球の形そのものを守る力となった……。だが、どれほどスケールが大きくなろうと、我々がやるべきことは変わらない」
篠原は力強い眼光で、二人を見つめた。
「目の前の困難に立ち向かい、泥をかぶり、現場を愛し、すべての人々の暮らしと笑顔を守り抜くこと。……古賀、大石。我々の走るレールに、終わりはないぞ」
「おうっ! どこまでも突っ走ろうぜ!」
「喜んでお供いたします、篠原CEO」
南越急行という名の巨大な希望の列車は、地球のあらゆる波濤を越えて、光り輝く果てしない未来へと力強く駆け抜けていくのだった。




