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第72章 商社と黒い影

第72章 商社と黒い影


南越急行グループが時価総額数十兆円を誇る巨大コンツェルンへと成長を遂げ、各分野で圧倒的な生態系を築き上げていく中で、「財務の鬼」と呼ばれる最高財務責任者の大石専務には、たった一つだけ喉に刺さったトゲのような悩みがあった。


南越急行は鉄道、金融、建設、自動車、半導体、医療、農業、航空、海運、さらには空調やエネルギーに至るまで、あらゆる国内インフラと製造基盤を自前で垂直統合してきた。しかし、海外市場における独自の販路開拓、およびグローバルな希少金属や原材料の直接調達ネットワークという点においては、既存の海外大手商社や外資系トレーダーを介さざるを得ない場面が多く、完全に満足のいく状態とは言えなかったのだ。


本産自動車のAIトラック「キャブオール」や南越車輌の超高速電車「NK3500系」、キオクシェアの最先端半導体、サロナエアコンの排熱回収ヒートポンプシステムなど、グループが生み出す製品群が世界中で爆発的な需要を獲得すればするほど、銅やリチウム、コバルトといったレアメタルの調達コスト、そして為替ヘッジや国際通関の口銭が大手商社へと流出していた。


「我がグループが真の独立と完全自全完結を達成するためには、世界中を股にかけて原材料を買い付け、製品をダイレクトに売り捌く独自の『国際総合商社』が不可欠だ……」


大石は深夜の執務室で、電卓を叩きながら手帳にペンを走らせ、深いため息をついた。


そんなある日、大石のデスクに届けられたグループ傘下の「越後中央銀行」および「南越信託銀行」からの融資先財務報告書の中に、一通の気になる書類が紛れていた。


新形県柴田市しばたしに本社を置く老舗の中堅総合商社、「新形通商株式会社にいがたつうしょう」の財務レポートであった。


新形通商は、明治時代から新形港や東港を拠点に、新潟・北陸の地場産業の製品輸出や海外資材の輸入を手掛けてきた歴史ある地場商社であった。しかし、報告書に刻まれた数字は過酷な現実を示していた。直近の業績は3期連続の大幅赤字。自己資本は急激に毀損し、銀行からの追加融資も打ち切られ、破産手続寸前という壊滅的な状況に陥っていたのである。


大石は眼鏡の奥の目を光らせ、新形通商の財務諸表と資産目録を隅々まで読み込んだ。


「老舗の商社として3期連続の赤字というのは、経営力やリスク管理に重大な懸念がある証拠だ。……だが、彼らが長年培ってきた海外拠点のネットワーク、通関のライセンス、そして現場の商社マンたちが持つ泥臭い貿易のノウハウは本物だ。ここを我がグループの資金力とインフラで再生させれば、南越急行に欠けていた『グローバル商社機能』を一瞬で補完できるのではないか?」


大石はすぐさま手帳を閉じると、自ら公用車に乗り込み、新形県柴田市にある新形通商の本社へと向かった。


柴田市の旧市街に佇む新形通商の本社ビルは、歴史を感じさせる重厚な造りであったが、社内には重苦しい静けさと悲壮感が漂っていた。連日のように取引先や銀行からの催促の電話が鳴り響き、社員たちは憔悴しきった表情で書類の整理に追われていた。


社長室に通された大石を迎えたのは、疲れ果てた面持ちの新形通商社長、鈴木であった。


「大石専務……わざわざ柴田までお越しいただき、ありがとうございます。ですが、大変申し訳ありません。我が社はもう、銀行からの追加融資を期待できるような状態では……」


鈴木社長は力なく頭を下げた。大石は静かに着席すると、まっすぐに鈴木の目を見つめた。


「鈴木社長、お気遣いは無用です。私は融資の引き揚げに来たのではありません。新形通商さんの本当の経営状況と、なぜこれほどの老舗が3期連続の決定的な赤字に陥ったのか、その真実を伺いに来ました」


鈴木は驚いたように顔を上げると、ぽつりぽつりと重い口を開き始めた。


「……すべての発端は、3年前の海外における大規模な銅鉱石の売買契約でした」


鈴木の説明によると、新形通商は当時、本産自動車や南越車輌などの製造業向け、さらには世界的なEVシフトによる銅需要の高まりを見越し、中央アジアの「北クロアジア国」の国営銅鉱石採掘会社との間で、長期かつ破格の低価格での銅鉱石輸入・売買契約を締結したのだという。


もしこの契約が成功していれば、新形通商は飛躍的な成長を遂げるはずであった。しかし、契約履行の直前になって、想像を絶する罠が仕掛けられていた。


日本の五大大手商社の一角であり、強烈な非情さで知られる「角丸商事すみまるしょうじ」が介入してきたのである。角丸商事は裏で巨大な政治力と膨大な資金力を駆使し、北クロアジア政府や国営企業の幹部へ強烈な圧力をかけた。結果として、新形通商へ供給されるはずだった指定量の銅鉱石は、土壇場で角丸商事によって強引に買い占められ、強奪されてしまった。


その結果、新形通商は契約上定められた指定量の銅鉱石を買い取ることができなくなり、契約違反の形を捏造され、北クロアジアの国営企業から数百億円に及ぶ莫大な違約金とペナルティを課せられることとなったのである。


「我が社には、その違約金を払うだけのキャッシュはありませんでした……。契約違反の汚名を着せられ、違約金の支払いのために手持ちの資産をすべて売り払い、毎年数十億円の賠償金を払い続けるハメになったのです。それが3期連続赤字の正体です。完全に、ハメられたのです……」


鈴木社長は悔しさに唇をかみ締め、ポロポロと涙をこぼした。地場の真面目な商社が、巨大な悪意と陰謀の前に踏みにじられた瞬間であった。


大石は手帳に数値を書き込み、電卓を一度叩くと、冷徹なまでに静かな声で言った。


「事情はすべて理解しました。鈴木社長、その数百億円の不当な赤字と違約金、我が南越急行グループが全額キャッシュで一括補填し、肩代わりしましょう」


「え……!? 全額……補填……!?」鈴木は耳を疑い、立ち上がった。


「それだけではありません」と大石は続けた。

「新形通商の全株式を我がグループが適正価格で取得し、100%子会社としてお迎えしたい。会社名は『株式会社 南越通商なんえつつうしょう』と改め、鈴木社長にはそのまま社長として指揮を執っていただきます。我がグループの資金力、南越海運の船団、南越エアラインズの航空網、そして新形港のスマート港湾をすべてサポーターとして提供します。いかがでしょうか?」


鈴木社長は呆然とし、やがて大石の手を両手で強く握りしめ、ボロボロと大粒の涙を流した。


「ありがとうございます……! 会社と、社員たちの雇用を守れるなら、喜んで南越急行グループの一員にならせていただきます……!」


こうして、柴田の老舗商社は「南越通商」として劇的な復活への一歩を踏み出した。


大石はすぐさま六日町の本社へ戻り、最高経営責任者室で篠原CEOと現場統括の古賀副社長に事の経緯を詳細に報告した。


「……というわけで、新形通商の買収と『南越通商』への改編手続きを完了させました。これにより、我がグループは自前の国際総合商社を手に入れ、原材料の直接調達と海外販路の完全掌握が可能となります」


大石の説明を静かに聞いていた篠原だったが、大石が口にした「ある名前」を聞いた瞬間、その表情が一変した。


「大石……今、何と言いましたか? 新形通商をハメた大手商社の名前と、その背後にいた存在を」


大石は書類を見つめながら答えた。

「大手商社の角丸商事です。角丸は業界でも有名な強引な手法で市場を独占しようとしていました。そして、今回の北クロアジアでの鉱山買い占めと新形通商への工作にあたり、裏で膨大な買収資金とレバレッジローンを融通していたパートナーがいます。……ウォール街のアクティビストファンド、『ブラック・ストーン・キャピタル』と、その代表ヴィクター・チェンです」


「……なに!?」


その名前が出た瞬間、静寂を保っていた社長室の空気が一変した。


あの「ブラック・ストーン・キャピタル」。かつて、南越急行が株式投資で手にした2兆円の現金を狙って敵対的買収を仕掛け、会社を解体しようとしたハゲタカファンド。地元の武沢製薬が開発したガン治療新薬の特許を奪おうと襲いかかってきた、あの漆黒の宿敵、ヴィクター・チェンである。


篠原は手にしていたジャスミン茶のカップを静かにテーブルに置いた。その手はかすかに震えていたが、それは恐怖からではなく、静かに、しかし激しく燃え上がる怒りゆえであった。


篠原の目が、これまで見せたこともないほど鋭く、冷たい光を放った。


「ブラック・ストーン……ヴィクター・チェン……。またしても我が新形の真面目な企業を泥靴で踏みにじり、掠奪を働いていたか……」


古賀副社長が豪快に机を叩いて立ち上がった。

「あのハゲタカ野郎、また新形にチョッカイを出してやがったのか! 2回も返り討ちにしてやったのに、まだ反省してねえとはいい度胸だぜ!」


大石も眼鏡を掛け直し、冷徹な表情で言った。

「角丸商事とブラック・ストーンは、北クロアジアの銅鉱石を独占することで、世界的な銅価格を吊り上げ、本産自動車やキオクシェア、南越車輌などの製造コストを圧迫して巨額の不当利益を得ようとしていたようです。彼らは最初から、我が南越急行グループの生態系をも標的にしていたということです」


篠原は立ち上がり、窓の外に広がる六日町の街並みを見つめた。その背中からは、圧倒的な覇気が満ち溢れていた。


「大石、南越通商の補填資金と買収手続きを大至急完了させなさい。そして、我がグループの全金融・産業インフラを南越通商の後ろ盾につける」


「承知しました。具体的にはどのように動きますか?」大石が尋ねる。


篠原は振り返り、迷いのない声で言い放った。


「角丸商事とブラック・ストーン・キャピタルが独占したと思い込んでいる北クロアジアの銅鉱石取引、および彼らの金融スキームを、根底から叩き潰す。……相手がハゲタカと悪質な大手商社なら、こちらには『南越フィナンシャル・グループ』の25兆円の資本力と、南越海運、南越建設、本産自動車がある。倍返しどころではない……彼らに二度と日本の地を踏ませないほどの徹底的な市場の現実を教えてやろう」


「よし来た!」古賀が拳を握りしめた。

「南越通商の鈴木社長と社員たちに、我がグループの恐ろしさと頼もしさを存分に見せてやろうぜ!」


かつて新形の地で愚直に貿易を続けてきた老舗商社は、南越急行という巨大な翼を得て「南越通商」として生まれ変わった。そして、その背後で蠢く宿敵・ブラックストーンと大手商社角丸に対し、南越急行コンツェルンの総力を挙げた前代未聞の「グローバル市場逆襲作戦」の火ぶたが、今まさに切られようとしていた。

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