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第65章 地方デパート再生に向けて

第65章 地方デパート再生に向けて


地方都市の熱気がわずかに陰りを帯び始めた、秋の日のことである。


永野電鉄の中心ターミナル、永野駅。その改札を出てすぐの目抜き通りに聳え立つ「西急デパート長野店」は、今や巨大な老船のように沈黙を深めていた。かつては特別な日の買い物や、家族での外食の象徴として輝いていたそのガラス張りのファサードも、どこか寂しげな陰を落としている。


理由は、かつてこの街を襲った権糖地区の商店街衰退劇と、まったく同じ構図であった。

加速する人口減少、バイパス沿いに続々と進出する大型郊外モールの台頭、そしてそれに伴う中心市街地の求心力低下。かつて「デパートに行く」こと自体がひとつのイベントであった時代は過ぎ去り、客足はジワジワと、しかし確実に遠のいていた。


さらに追い打ちをかけたのが、親会社である東京の大手私鉄・西急グループ自体の変容である。時代の波には抗えず、グループの象徴であり基幹店でもあった東京・渋谷のフラッグシップ店すらも、惜しまれつつその歴史に幕を下ろしたばかりであった。足元を揺さぶられた巨大資本に、地方店舗の赤字を垂れ流し続ける余力など残されているはずもなかった。


「このままでは、永野の駅前そのものが死んでしまう……」


永野電鉄の社長を務める西村は、自室の窓から眼下に見える西急デパートの屋上看板を見上げながら、深く溜息をついた。


鉄道会社にとって、ターミナル駅のデパートは単なる賃貸物件でも、一商業施設でもない。乗降客を引き込み、街の格を維持するための心臓部なのだ。もしここが完全に閉鎖され、空きビルと化してしまえば、永野電鉄の利用客減少にも直結する。


「うちで引き取るべきだろうか。『永電デパート永野店』として、自社直営で再出発させるか……?」


西村の脳裏にそんな選択肢が浮かんだ。しかし、即座に冷や水が浴びせられる。鉄道経営のプロではあっても、自分たちには百貨店経営のノウハウも、強力な仕入れネットワークもない。素人が手を引き継いだところで、倒産へのカウントダウンをわずかに遅らせるだけの結果に終わるのではないか。


焦燥感に駆られた西村が真っ先に思い浮かべたのは、かつて権糖地区の再生や数々の交通・都市改革を成し遂げてきた男、南越急行の篠原の顔だった。


「篠原さんに、まずは相談してみよう」


西村は受話器を上げ、すぐさま篠原への連絡を取りつけたのだった。


同じ頃、東京・新宿の喧騒を見下ろす静謐な応接室に、篠原の姿があった。


彼が向き合っていたのは、日本を代表する百貨店帝国「四越伊勢グループ」の最高幹部二人である。東京四越デパート社長の大崎と、新宿伊勢デパート社長の山崎。日本の流通界を牽引する巨大グループのトップたちが、揃って一地方私鉄の経営者に過ぎない篠原を迎えていた。


「篠原社長、本日お時間をいただいた理由は、他でもありません」


お茶を口に含んだ後、重々しく口を開いたのは四越デパートの大崎だった。大崎は老舗ならではの品格を漂わせつつも、その瞳には強い探求のの色を宿している。


「現在、我がグループの中で最も目覚ましい業績を上げているのが、伊勢の新形店です。全国のどの旗艦店をも凌ぐほどの成長率を見せている。……そしてその背後には、常に貴社、南越急行が敷設した緻密な交通網と、篠原社長が描かれた動線計画がある」


続いて、鋭い眼光を持つ新宿伊勢の山崎が身を乗り出した。


「私たちは純粋に知りたいのです。なぜ、あなたの仕掛けるインフラはこれほどまでに人を呼び寄せ、商業施設へとなだれ込ませるのか。我がグループの知見をもってしても読み切れなかった客層の熱量を、どうやって引き出したのか。本日はその『からくり』を、ぜひ直接伺いたいと思いましてね」


四越伊勢グループとしても、単なる老舗の暖簾のれんを守るだけでは生き残れない時代に入っていた。伊勢新形店の異例の成功は、グループ全体の経営戦略にとっても大きな希望であり、謎でもあったのだ。そのキーマンである篠原から、現場の知見と都市動線のノウハウを聞き出すことこそが、二人の本音であった。


篠原は穏やかな笑みを浮かべ、静かに語り始めた。


「からくり、というほどのものはありませんよ、大崎社長、山崎社長。私がしたのは、鉄道を単なる『移動の手段』としてではなく、『人の感情を動かす導線』として再定義しただけです。人がどこで買い物をし、どこで憩い、どんな時間を過ごしたいか。駅に降り立った瞬間の高揚感を、そのまま店舗の売場へとシームレスに繋げる。店舗の力と鉄道の輸送力が噛み合って初めて、爆発的なシナジーが生まれるのです」


篠原が解き明かす都市論と購買心理のメカニズムに、大崎も山崎も深く頷き、熱心にメモを取っていた。日本の流通のトップに君臨する男たちが、まるで講義を受ける学生のように篠原の言葉に耳を傾けている。


まさにその議論が白熱していた最中、事前に約束をしていた永野電鉄の西村が、応接室のドアをノックして姿を現した。


「失礼します、篠原さん……おや、これは」


部屋に漂う独特の緊張感と、座っている面々の顔ぶれを見て、西村は思わず足を踏みとどめた。日本の百貨店界の頂点に立つ大崎と山崎が、篠原と机を挟んで談笑しているのだ。


「西村社長、ちょうどいいところに来てくれました。どうぞこちらへ」


篠原に促され、西村は少し緊張した面持ちで席に着いた。名刺交換を済ませた後、西村は意を決して、永野駅前で起きている切実な危機について打ち明けた。


「実は……西急デパート長野店が閉店することになりましてね。地方の衰退、郊外店の台頭、そして親会社の撤退。要因は様々ですが、あの場所が死んでしまえば、永野の街そのものの灯が消えてしまう。私ども永電で引き取り、『永電デパート』として再スタートを切るべきか悩んでいたのですが……」


西村の吐露を聞き、大崎と山崎は顔を見合わせた。


「なるほど、あの西急さんの長野店ですか……」山崎が顎に手を当てて呟く。「地方都市の中心部空洞化は、どこも深刻な課題です。しかし、鉄道会社が未経験のまま直営化するのは、あまりにリスクが高い」


西村は肩を落とし、「やはり、そうでしょうか」と声を絞り出した。


そこへ、ずっと静観していた篠原が口を開いた。


「西村社長。永電が単独でデパートを運営するのは、確かにお勧めできません。ですが……もし、ここにいる四越伊勢グループの力を借りることができるとしたら、どうでしょう?」


「え……?」西村が目を見開く。


篠原は応接室の全員を見渡しながら、鮮やかに一筋の解決策を描き出してみせた。


「大崎社長、山崎社長。南越急行と四越伊勢グループは、これまでも伊勢新形店などを通じて最高のパートナーシップを築いてきました。そこで提案なのですが、我が南越急行は今後、四越伊勢グループに対してより包括的な業務支援を行いたいと考えています。私たちが持つ交通動線開発のノウハウ、集客マーケティングのすべてを、御社の店舗網の活性化に全面的に提供します」


二人の社長の目が輝いた。四越伊勢グループにとっても、南越急行の持つ圧倒的な集客ノウハウを継続的・優先的に得られるメリットは計り知れない。


「その代わり」と、篠原は一呼吸置いて西村の方向を指し示した。


「西急デパート永野店の跡地と事業を、四越伊勢グループの手で引き取っていただきたいのです。ブランドは、若者やファミリー層にも圧倒的な集客力を誇る『伊勢』を冠する。そして実際の店舗運営は、地元の熱量と土地勘を持つ永野電鉄が手掛ける。つまり――『伊勢永電デパート』として生まれ変わらせるのです」


その言葉が応接室の空気を一変させた。


「伊勢永電デパート……!」西村は思わず立ち上がりかけた。


ただのローカルデパートへの鞍替えではない。日本最高峰のファッション・ライフスタイルブランドである「伊勢」の暖簾を掲げ、四越伊勢グループの強力な商品調達力(MD)を背後に背負いながら、経営は地元密着の永野電鉄が担う。そしてそのバックボーンには、南越急行の集客・都市開発ノウハウが惜しみなく注入されるのだ。


山崎社長がニヤリと笑みを浮かべた。


「面白い……非常に面白い提案だ。我がグループにとっても、地方都市における新しいモデルケースになる。『伊勢』のブランド力を提供し、商品ラインナップを徹底的にテコ入れすれば、既存の郊外店には絶対に真似できない魅力的な店舗が作れるはずだ」


大崎社長も深く頷き、力強く宣言した。


「受けましょう。我が四越伊勢グループは、西急長野店の事業を引き継ぎます。南越急行さんからの業務支援をいただくことを条件に、全面的にバックアップいたしましょう。西村社長、一緒に永野の街に、新しい風を吹き込もうではありませんか」


「おお……! ありがとうございます! ありがとうございます……!」


西村は幾度も頭を下げ、感動に声を震わせた。絶望の淵にあった駅前の巨大デパートが、地方衰退の象徴から、全国が注目する最新鋭のコンセプトショップ「伊勢永電デパート」へと生まれ変わる道筋が、今この瞬間、鮮やかに開かれたのだった。


篠原は、安堵と希望に満ちた二つの企業のトップたちの表情を見つめながら、窓の外に広がる東京の街並みを静かに見やった。


ひとつのデパートの救済にとどまらない。交通と商業が真の意味で手を取り合い、地方の街に再び熱気を取り戻すための新たな戦いが、今まさに始まろうとしていた。

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