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第63章 ファンドと企業経営

第63章 ファンドと企業経営


南越急行コンツェルンが「南越フィナンシャル・グループ」を立ち上げ、総資産25兆円を誇るメガ・リージョナルバンクを確立したニュースは、日本の金融界のみならず、世界中の投資ファンドや産業界に大きな激震をもたらしていた。


だが、どれほど会社が巨大化し、動かす資金の桁が変わろうとも、最高経営責任者(CEO)である篠原賢人の根底にある「哲学」は、一貫して変わることがなかった。


篠原は、いわゆる「アクティビスト(物言う株主)」や、マネーゲームに明け暮れる「ハゲタカ型投資ファンド」に対して、極めて強い敵意と嫌悪感を抱き続けていた。


金融市場出身であり、かつて自身もディーリングの最前線にいたからこそ、彼らの不誠実な本質を誰よりも熟知していたのだ。


彼らは常に「企業価値の向上」「イノベーションの促進」「株主還元」といった耳ざわりの良い言葉や、社会に対する大義名分を掲げてやってくる。しかしその実態は、現場で働く人々の思いや労働環境、長年培われてきた職人の技術や伝統など微塵も尊重せず、ただ経営権を脅かして自らの思い通りにコントロールしようとする。


そして、高額な特別配当や自社株買い、資産の切り売りによって短期的な利益だけを骨の髄まで吸い上げると、用済みとなった不採算部門やそこで働く労働者を平然と切り捨てて去っていく。


(数字の背後にある『人間の血と汗』を無視し、ただマネーを増やす道具として企業を貪り喰う……そんなやり方は、経営でも投資でもない。ただの掠奪だ)


篠原の企業救済・経営ポリシーは、常にその対極にあった。


資金難に直面し、現場で真面目に働く社員たちが困り、そのサービスを愛する顧客や地域住民が途方に暮れている——そんな企業に対し、徹底的な「現場との合意」のもとで真摯に向き合う。


一方的な命令で支配するのではなく、圧倒的な自前資金を投入して倒産の恐怖を払拭した上で、南越グループのインフラやAI技術、物流網と掛け合わせた革新的な「アイデア」を提示する。そして事業を劇的に回復させ、地域とともに成長する恒久的な利益構造を構築するのだ。


経営の主役は、あくまでその会社で汗を流して働いている社員たち自身である。南越急行は必要以上に関与せず、自ら考え、課題を解決し、自主的に運営していける環境を整える——それが、篠原が一貫して貫いてきた「独立交通コンツェルン」としての支援の流儀であった。


そして、この篠原の経営ポリシーに深く感銘を受け、自ら南越急行へアプローチをかけてきた「ある巨大ハイテク企業」が存在した。


永野県北信地域に広大な開発・製造拠点を置き、世界の半導体産業を裏側から支える超大手電子部品メーカー——『新行電気工業しんこうでんきこうぎょう』である。


新行電気工業は、かつて日本を代表する総合電機大手・富士電子の半導体・電子部品部門として発足した、歴史ある技術者集団であった。


しかし、親会社の業績悪化や事業再編の波に飲み込まれ、数年前にウォール街系の大手プライベート・エクイティ(PE)ファンドの傘下へと組み込まれるという、苦難の歴史を歩んできた。


ファンドの管理下においても、現場のエンジニアたちは歯を食いしばり、半導体チップを外部の基板や衝撃から保護し電気的に接続する「半導体パッケージ」および「リードフレーム」の分野で、世界最高峰の超精密微細加工技術を磨き上げ続けていた。


現在では、生成AIサーバーや最新スマートフォン向けのアドバンスド・パッケージ技術において世界的なシェアを獲得し、世界のメガテック企業へ不可欠な核心部品を供給するまでに成長していたのである。


その新行電気工業の代表取締役社長である伊藤が、自ら六日町にある南越急行本社の最高経営責任者室を訪れていた。


応対したのは、篠原CEO、最高財務責任者(CIO)の大石専務、そして現場統括の古賀副社長の三人であった。


伊藤社長は、どこかやつれた、しかし瞳の奥に強い意地と情熱を宿した表情で、南越ビバレッジのジャスミン茶を口にした後、静かに頭を下げた。


「篠原CEO、大石専務、古賀副社長。本日は突然のおしかけにもかかわらず、貴重なお時間をいただき感謝いたします」


伊藤は胸ポケットから1個の小さな、漆黒の極小半導体パッケージのサンプルを取り出し、テーブルの上にそっと置いた。


「単刀直入に申し上げます。我が新行電気工業は、南越急行グループの『本産自動車』様が自社開発を進められている、次世代自動車用・輸送機器用AI半導体(SoC)の『最先端パッケージングおよびリードフレーム技術』において、包括的な技術提携、ならびに取引を行いたいのです」


大石専務がすっと眼鏡の位置を正し、サンプルを注視した。

「新行電気工業様のフリップチップ・パッケージおよびリードフレームの加工精度は、世界トップクラスです。現在、本産自動車が湯沢のモビリティ・ラボで試作している次世代自動運転AIチップは、熱放散性と超高密度実装が最大のボトルネックとなっています。御社の技術があれば、その課題が一気に解決することは間違いありません」


「ええ」伊藤社長は大きく頷いた。「我が社の積層パッケージ技術と高放熱リードフレームを組み込めば、本産自動車様のAIチップの処理能力は30%向上し、消費電力と発熱量を半減させることができます。本産のAIバス、AIトラック、さらには梅内・後田様と進められているAI建機の自律制御速度を、異次元の領域へ引き上げられるはずです」


古賀副社長が身を乗り出した。

「素晴らしいじゃないか! 願ってもない打診だぞ! だが伊藤社長、うちの本産自動車と組みたいと言ってくれた理由はそれだけかい?」


伊藤社長は一瞬言葉を詰まらせ、それから意を決したように篠原の目をまっすぐ見つめた。


「……篠原CEOの『経営哲学』に、救いを求めに来たのです」


伊藤の口から漏れ出たのは、ファンド傘下で苦悩し続けてきた現場の痛切な叫びであった。


「我が社は現在、某米系PEファンド『グローバル・キャピタル』が株式の過半数を握っております。彼らは我が社の『半導体パッケージ技術』が世界的なAIブームで急騰したことを受け、数千億円規模の売却益キャピタルゲインを得ようと、現在、我が社を海外の競合ファンドや他国企業へ競売にかけようとしています」


篠原の瞳が、すっと冷たく細くなった。


伊藤社長は拳を固く握り締め、声を震わせた。

「彼らは『企業価値の最大化』と称し、開発現場の人員削減を迫り、長年技術を支えてきた熟練エンジニアの給与を削り、設備投資を力づくで凍結させて、目先の純利益(EBITDA)だけを吊り上げています。社員たちは連日のリストラにおびえ、長年培ってきた日本の半導体技術が、利益目的で海外へ切り売りされようとしている……! 現場で働く人間たちの合意も、誇りも、何一つ尊重されていません!」


「またハゲタカのやり口か……」古賀が苛立ちを隠さずに吐き捨てた。


伊藤は深く頭を下げた。

「篠原CEO。南越急行さんがこれまで各地の企業を再建し、現場の社員を温かく迎え入れ、彼らの自主性を尊重して成長させてきた軌跡を拝見してきました。だからこそ、お願いしたいのです。我が社は単なる利益の道具ではない! 日本のモノづくりを守り、信州の地でエンジニアたちが誇りを持って働ける場所であり続けたいのです! 我々の技術を、南越グループの未来の移動体AIのために使わせてください!」


静まり返る役員室。


伊藤の魂の訴えを、篠原は静かに受け止めていた。


篠原はデスクに置かれたジャスミン茶のカップを手に取り、一口含んだ。


「伊藤社長。貴社がファンドのもとでどのような理不尽に晒されてきたか、その実情はよく理解できました」


篠原の声は、静かでありながら圧倒的な意志を秘めていた。


「そして……自分の利益のために現場の情熱を踏みにじるファンドのやり方を、私は断じて許さない」


篠原は大石専務と古賀副社長に向かって振り返った。


「大石。新行電気工業に対する『グローバル・キャピタル』の出資比率、および現在の株価評価額を弾け」


「すでに完了しております」大石は計算機を胸に収め、即座に数値を答えた。「グローバル・キャピタルが保有する株式は全体の51.2%。現在の市場評価額で約2,800億円です。彼らは海外ファンドへ3,500億円での転売を画策しています」


「よし」篠原は迷いなく命じた。


「新行電気工業への支援を決行する。ただし、一方的な買収ではない。伊藤社長、および現場の社員全員との『合意』を前提とした共同プロジェクトだ」


伊藤社長がハッと息をのんだ。


篠原は具体策を提示した。

「第一に、我が『南越フィナンシャル・グループ』および地域未来ファンドの資金を投じ、グローバル・キャピタルが保有する51.2%の株式を、彼らが要求する以上のプレミアム価格で一括買収(TOB)する。ハゲタカどもには望み通りの札束を叩きつけて即座に退場してもらう」


「第二に、買収後、南越急行は新行電気工業の『経営の独立性』を完全に保障する。私が社長を送り込むような真似は一切しない。伊藤社長、あなたが引き続き経営の指揮を執り、現場のエンジニアたちが自ら考え、最高の技術を追求できる環境を再構築していただきたい」


「第三に、南越グループの自前資金から500億円の『次世代AIパッケージ開発ファンド』を無償提供する。凍結されていた設備投資を即座に再開し、永野県の工場の隣接地に、世界最高峰の『新行ギガ・パッケージファクトリー』を南越建設の手で新築する」


完璧にして、あまりにも温かい救済案。


ファンドの圧迫から解放されるだけでなく、技術の独立と巨額の研究投資が約束されたのだ。


伊藤社長の目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。


「ああ……! 篠原CEO……! 感謝いたします……! 我々エンジニアの誇りを、日本の半導体の未来を守っていただき、本当に……本当にありがとうございます!」


伊藤は何度も何度も頭を下げ続けた。


「フッ、決まりだな」古賀副社長が豪快に破顔した。「よし! そうと決まればすぐにハゲタカ狩りの準備だ! 大石、札束の準備をしてやれ!」


大石専務も眼鏡の奥の目を柔らかく和ませ、頷いた。

「2,800億円のTOB手配は、南越フィナンシャル・グループの自己資金で即座に完了します。新行電気工業様の技術が本産自動車のAI半導体と融合すれば、グループ全体に与える経済シナジーは数兆円規模。ファンドへの回収コストなど一瞬で吹き飛びます」


「伊藤社長」篠原が力強い視線を向けた。


「我々が提供するのは、資金と機会だけだ。その資金を活かし、世界を圧倒するAI半導体パッケージを創り出すのは、あなた方現場の技術者たちだ。信じて任せますよ」


「はい……! 全社員の魂を込めて、世界一の製品を作ってみせます!」伊藤は力強く答えた。


こうして、南越急行による『新行電気工業・完全独立救済プロジェクト』が電撃的に始動したのである。


大石専務率いる南越フィナンシャル・グループの財務チームは、迅速かつ完璧な資金操作を展開した。


高値での株式買い取りを提示された米系PEファンド「グローバル・キャピタル」は、南越急行の圧倒的な即金力と法的手続きの前にぐうの音も出ず、全保有株式を南越グループへ譲渡。膨大な買い取り資金を手にしたものの、日本の最先端半導体技術を海外へ切り売りして永久に利益を吸い上げるという野望を完全に打ち砕かれ、信州の地から一掃されたのである。


ファンドの支配から解き放たれた新行電気工業の社内には、歓喜と怒濤の活気が満ちあふれた。


「リストラは全撤回だ! 設備投資を再開する!」


伊藤社長の宣言に、現場のエンジニアたちは涙を流して拳を突き上げた。


南越建設の井上社長率いる全自動施工チームが即座に現地へ乗り込み、永野県内の新行電気工業の工場隣接地に、最新のクリーンルームを備えた『新行ギガ・パッケージファクトリー』の建設を開始。


さらに、湯沢の「南越モビリティ・ラボ」から本産自動車のトップAIエンジニアたちが集結し、新行電気工業のベテラン技術者たちとの間で「次世代・輸送機器用AI-IC(統合回路)」の共同開発がスタートした。


「いいか! 車載用AIチップは、スマホのチップとは求められる『タフさ』が根本的に違う!」

新行電気工業の工場で、ベテラン技師長が白衣に身を包み、熱く語りかける。

「マイナス40度の極寒から、エンジンルームの120度の酷暑、激しい振動、そして水濡れ……どんな悪条件でも、10年20年と絶対に壊れない『超高耐久フリップチップ構造』を作り上げるぞ!」


本産自動車の若手AIエンジニアも瞳を輝かせる。

「新行さんのリードフレーム加工技術があれば、チップ内の信号遅延を1000分の1ミリ秒単位で縮められます! これなら、AIバスやAI建機が100km/hで走行しながら、ミリ波レーダーの巨大データをリアルタイムで並列処理できる!」


現場の意思が尊重され、技術者たちが自らの知恵と情熱を存分に発揮できる環境。


篠原が約束した「働いている自分たちが考え、解決し、運営していく」というポリシーが、新行電気工業の全社員に息づき、驚異的なイノベーションのエネルギーとなって爆発したのである。


そして、共同開発のスタートからわずか半年後。


南越モビリティ・ラボの最先端テストコースにおいて、新行電気工業と本産自動車が共同開発した「超高耐久・車載AI用次世代ICパッケージ」の最終実証テストが執り行われた。


テストコースのテラスには、篠原CEO、大石専務、古賀副社長、本産自動車の役員、そして新行電気工業の伊藤社長とベテラン技術者たちが集結していた。


コース上に用意されたのは、本産自動車の完全自動運転大型トラック『キャブオールAI』、および前章で完成した梅内・後田の『自律型AI建機』であった。


それらの「脳みそ」の心臓部には、新行電気工業が製造した、漆黒に輝く最新のAI-ICパッケージが組み込まれている。


「実証テスト、開始!」


古賀副社長の合図とともに、極寒の人工降雪と強烈な振動が加えられた過酷な環境下で、無人のトラックとAI建機が一斉に起動。


極限状態でありながら、新行電気工業のICパッケージは完璧な熱放散と超高速処理を維持。AIトラックは猛吹雪のテストコースを時速100kmで寸分狂わず自律走行し、AI建機は崩落現場の土砂を完璧な連携動作で片付けてみせた。


データモニターの数値は、すべての項目で世界最高スペックを記録していた。


「大成功だ……! 完全に世界記録を更新したぞ!」


テストコースに、エンジニアたちの歓声と拍手が巻き起こった。


新行電気工業のベテラン技術者たちが、互いに抱き合い、涙を流している。本産自動車のエンジニアたちも、彼らと力強く握手を交わしていた。


伊藤社長が、篠原の前に歩み寄り、胸を張って深々と頭を下げた。


「篠原CEO……ご覧ください。これこそが、我が新行電気工業の技術者が、南越急行さんの理念のもとで生み出した『世界最高のAI-IC』です!」


伊藤の誇らしげな笑顔に、古賀副社長が豪快に笑いながら肩を叩いた。

「へっ! 見ろよ伊藤社長、ファンドの奴らに見せてやりたいぜ! 現場の人間を大事にすりゃあ、こんなにもすげえ技術が生まれるんだってな!」


大石専務もタブレットの業績数値を検分しながら、眼鏡の奥の目を柔らかく和ませていた。

「新行電気工業様の今期売上は過去最高を更新。本産自動車および世界中のAI自動車メーカーからの受注が殺到しています。我が南越グループの投資回収も完璧に達成されました」


篠原賢人は、ジャスミン茶の缶を手に、輝くテストコースと誇らしく微笑む技術者たちを静かに見つめていた。


「会社とは、株主のマネーゲームの道具ではない」


篠原は静かに、しかし深い確信を込めて言った。


「そこで働く人間の誇りと情熱、そして技術を守り、育むための『砦』だ。伊藤社長、あなた方が自ら考え、創り出したその一粒のICが、これからの世界の移動と暮らしを安全に変えていく」


篠原は伊藤社長に向かって、温かい視線を送った。


「新行電気工業の未来は、あなた方の手の中にあります。これからも素晴らしい技術を、世界へ届け続けてください」


「はい……! はいっ……!」伊藤は感無量の面持ちで何度も頷いた。


遠くのテストコースでは、最新のAI-ICを搭載した本産自動車のトラックとAI建機が、軽快なエンジン音を響かせて滑らかに加速していく。


マネーの掠奪を跳ね返し、現場の情熱と技術を守り抜いた南越急行コンツェルン。


山を穿ち、地底を拓き、海と出会い、県境を越え、街に光を灯し、モノづくりの魂を繋ぎ、金融で血流を巡らせ、そして「働く人の誇り」を未来へと繋ぎ合わせる。


渡辺前社長の「線路に終着駅はない」という不滅の遺志を胸に、南越急行の敷き詰めた光り輝くレールは、人々の夢と誇りを乗せて、どこまでも、どこまでも力強く駆け抜けていくのだった。

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