第49章 漆黒の握りと波頭の記憶
第49章 漆黒の握りと波頭の記憶
新形県南大沼市、六日町。
南越急行ホールディングス本社の最高階にある役員執務室は、夕刻の静寂に包まれていた。
壁一面のガラス窓からは、夕日を浴びて黄金色に輝くなんなん線の複線軌道と、160km/hで滑らかに駆け抜けていく自社製超高速AI電車「NK3500系」の姿が見える。時価総額18兆円。陸・海・空・金融・製造・建設・物流・報道・ホテル・医療・教育・エンターテインメントに至るまで、あらゆる生活・産業インフラを完全に自前で繋ぎ合わせた巨大な独立生態系。
その広大な執務室で、専務の大石は、いつものように無表情でノートパソコンの画面に向かい、グループ各社の膨大な財務データと投資ポートフォリオの数値をミリ単位で検証していた。
細いフレームの眼鏡。冷徹な眼光。一切の情に流されず、CEOである篠原賢人の膨大な構想に対し、常に「数字の刃」を突きつけてブレーキと完璧な財務構造を与えてきた、南越急行の「冷酷な最高財務責任者」。
だが、その大石には、社内の誰も——CEOの篠原や、現場叩き上げの副社長である古賀すらも知らない、密かな「私的執着」が存在していた。
——寿司である。
大石は、実は無類の寿司好きであった。
多忙を極める激務の間を縫って、彼は時折、一人の客として静かに寿司屋の暖簾をくぐる。
大石にとって、寿司とは単なる「外食」や「腹を満たすための食事」ではなかった。シャリの解け具合、酢の締め加減、ネタの温度、包丁の入れ方、そして醤油との馴染み方——。一貫の握りの中に凝縮されたそれらは、極限まで計算し尽くされた「繊細なバランスの藝術」であった。
鋭い味覚と冷徹な分析力を持つ者だけが、その一貫の中に隠された職人の意図と、真の美味しさを理解できる。それが大石の持論であった。過酷な金融の修羅場で頭脳をフル回転させ、数字の海を泳ぎ切った後、口の中で解ける極上の一貫を味わう瞬間こそが、大石の精神を完璧なフラットへと戻す唯一の儀式だったのだ。
そんな大石の胸の中に、ここ数ヶ月、どうしても拭い去れない「一つの疑問」が渦巻いていた。
(腑に落ちない……)
大石はノートパソコンの画面を切り替え、新形県全体の広域地図とグループの事業領域マップを映し出した。
新形県は、北から南まで日本海に広く面した海国である。対馬暖流とリマン寒流が交差する豊かな新形沖の海は、寒ブリ、ノドグロ、南蛮エビ、真鯛、アワビといった、世界最高峰の極上魚介類の宝庫であった。
「……我が南越急行ホールディングスは、鉄道、地銀、自動車、航空、港湾、海運、建設、物流、農業、デパート、ホテル、医療、さらには米菓や清涼飲料まで自前で抱えている。……にもかかわらず、なぜこの新形が世界に誇る『新鮮な海鮮・寿司』を専門に取り扱う事業部門が一つも存在しないのだ?」
大石の整った眉間に、深い皺が刻まれる。
南越海運の貨物船があり、南越エアラインズの航空網があり、南越物流の全自動保冷トラック隊があり、南越アグリの米があり、南越ビバレッジの清らかな水がある。寿司を形作るすべての最高級パーツが自前で揃っていながら、肝心の「寿司そのもの」を提供する飲食・食文化部門だけが、ぽっかりと空白のまま残されていたのだ。
冷徹な財務の鬼として、この無駄なボトルネック(機会損失)が、大石にはどうしても許せなかったのである。
その数日後。大石は仕事のため、新形空港から南越エアラインズのSTOL機(超短距離離着陸機)に乗り込み、日本海に浮かぶ佐渡島へと飛んでいた。
目的は、佐渡空港の拡張用地に関する現地視察と、佐渡島内の主要港である「両津港」周辺における、南越不動産と南越建設によるスマート物流ターミナル計画の最終現地確認であった。
わずか15分の快適な空の旅を終え、佐渡空港へ着陸。現地で南越建設の現場監督や地元自治体の担当者との打ち合わせを淀みなく終えた頃には、時刻はすでに昼を大きく過ぎていた。
「大石専務、お疲れ様でした。両津港前の予定はこれで終了です。本社へ戻る機体の時間まで、まだ1時間ほど猶予がありますが、昼食はどうされますか?」
同行していた若手の財務部員が問いかけた。
大石は時計に目を落とし、静かに言った。
「そうだな。せっかく両津まで来たのだ。地元の魚でも口にしよう」
地元の現場スタッフが、目を輝かせてお勧めしてきたのが、両津港のすぐ近くにある一軒の回転寿司店であった。
「大石専務! それならぜひ『佐渡武蔵』へ行ってみてください! 地元の漁師や島民なら誰でも知っている回転寿司屋です。佐渡の沖で揚がったばかりの水揚げ即直行のネタを使っていて、普通の高級寿司屋が裸足で逃げ出すほど美味いですよ!」
「佐渡武蔵……回転寿司か」
大石は内心、ほんの少しだけ懐疑的だった。大石にとって回転寿司とは、全国チェーンの安叩き・機械握りという印象が強かったからだ。しかし、地元の人間がそこまで絶賛する以上、確かめる価値はある。
「案内してくれ」
両津港の潮風が吹き抜ける通りに、その店はひっそりと、しかし力強い佇まいで構えられていた。白地に紺色の文字で『回転寿司 佐渡武蔵』と書かれた大きな看板。
暖簾をくぐると、店内には威勢の良い掛け声と、香ばしい磯の香りが満ちていた。
カウンターの中では、眼光の鋭いベテラン職人たちが、手際よくシャリを握り、目の前でネタを切り出している。レーンには皿が回っているものの、客の多くは職人に直接声をかけ、握りたてを注文していた。
大石は一番奥の静かな席に腰を下ろすと、タッチパネルではなく、卓上の木札に書かれた「本日の佐渡沖・朝獲れネタ」に目を走らせた。
「……なるほど。南蛮エビ、本マグロ、生のノドグロ、カワハギの肝載せ、活締め真鯛……すべて佐渡の両津港や水津港で今朝揚がったばかりのものか」
大石は静かに息を呑み、まずは「南蛮エビ(甘エビ)」と「生のノドグロ」を注文した。
数分後。職人から手渡された一皿。
そこに載っていた南蛮エビは、東京の高級店で見かけるような小さく萎びたものではなかった。ねっとりと赤い艶を放ち、信じられないほど丸々と太った大ぶりの南蛮エビが、二貫並んでいる。
大石は箸を使わず、指先で静かに一貫を持ち上げた。
シャリの温度。人肌よりほんのわずかに低く、しかし冷たすぎない絶妙な加減。指先に伝わるシャリの硬さは、強く握りすぎず、口の中でほどける余白を残している。
大石は一口でそれを口に運んだ。
——!!
その瞬間、大石の瞳が激しく見開かれた。
噛み締めた瞬間に弾ける、南蛮エビの濃厚で官能的な甘み。トロリと舌の上でとろける肉厚な身。そして何より、追ってやってくるシャリの風味——新形県産のコシヒカリが持つ米の深いコクと、角のない極上の酢の塩梅が、エビの甘みを極限まで引き立てている。
口の中で、シャリと南蛮エビが寸分の狂いもなく同調し、最後の一粒まで完璧なハーモニーを奏でて消えていく。
「……なんという、解け具合だ」
大石は思わず低く唸った。
続いて手に取った「生のノドグロの炙り」。
皮目がサッと炙られた皮下から、上質な脂がジュワリと滲み出している。口に入れた瞬間、脂の香ばしさと旨味が爆発し、しかし後味は不思議なほど上品で、スッと喉の奥へ消えていく。佐渡の冷たい荒波で身が締まったノドグロならではの、圧倒的なポテンシャル。
「回転寿司」という形態でありながら、ここにあるのは間違いなく、全国の最高級高級寿司店を遥かに凌駕する「本物の食体験」であった。
大石は夢中で皿を重ねた。カワハギの濃厚な肝が載った握り、脂の乗った本マグロの赤身、歯ごたえがコリコリと音を立てる活締めヒラメ。どれをとっても、ネタのフレッシュさ、切りつけの厚み、シャリの解け具合が完璧なゴールデンルールで成立していた。
最後のほう茶を口含み、深く息を吐き出した大石の額には、かすかに汗が滲んでいた。
「……素晴らしい。これが、佐渡武蔵の力か……!」
大石は会計を済ませ、店を出た。
冷たい両津港の潮風が、熱火した大石の頬を撫でる。
大石は港の岸壁に立ち、青く輝く日本海を見つめた。その眼鏡の奥の瞳には、普段の冷徹な財務分析官としての光ではなく、かつてないほどの激しい「経営者としての情熱」が燃え上がっていた。
(佐渡の豊かな海、職人の技、そして圧倒的な旨さ……。なぜこの『佐渡武蔵』の握りが、佐渡島の中だけに留まっているのだ!? 新形市にも、六日町にも、東京にも、大阪にも、そして世界中にも、この本物の握りを待っている人々がごまんといるはずだ!)
大石の頭の中で、完璧な計算式と、圧倒的なビジネスビジョンが光の速度で組み上がっていく。
南越急行の自前物流(南越海運の高速船、南越エアラインズの航空網、南越物流の保冷EVトラック)、南越アグリの最高級米、南越ビバレッジの水、南越不動産の一等地店舗開発力、そして『佐渡武蔵』の圧倒的な仕入れルートと監修技術。
これらが融合した時——日本の外食・寿司業界の常識を覆す、前代未聞の巨大事業が誕生する!
大石は、彼のキャラクターとしては極めて珍しく、全身の血が煮たたぎるような熱い興奮を感じていた。
「やるぞ……! 我が南越急行の手で、この『佐渡武蔵』の握りを全国へ、そして世界へ解き放つ!」
翌朝。六日町にある南越急行ホールディングス本社の最高階・超高層役員室。
「……なに? 大石が『緊急の新規事業提案』だと?」
CEOの篠原賢人は、デスクでノートパソコンに向かいながら、少し意外そうに呟いた。
応接セットの革椅子には、副社長の古賀が座り、温かいジャスミン茶(南越ビバレッジの特選一級品)を飲んでいた。古賀も目を丸くしている。
「あの『財務の鬼』の大石が自分から新規事業を言い出すなんて、太陽が西から昇るようなもんだぞ、篠原社長。一体何のアライアンスだ?」
重いドアがバタンと開き、入ってきたのは専務の大石であった。
大石の手には、厚さ数センチに及ぶ分厚い事業計画書が握られていた。その立ち姿、そして眼鏡の奥の瞳には、普段の冷徹な冷静さとは明らかに異なる、ギラギラとした熱い情熱が宿っていた。
「篠原社長、古賀副社長。お時間をいただき感謝いたします」
大石はいつになく力強い足取りで進み出ると、抱えていた計画書をテーブルの真ん中にドンと置いた。
そこに躍っていたタイトルは——
『佐渡両津の名店「佐渡武蔵」との包括的提携および、高級回転寿司チェーン「南越・佐渡武蔵」全国・グローバル展開構想』
篠原と古賀が顔を見合わせた。
「佐渡武蔵……? 回転寿司だと!?」古賀が声を張り上げた。
「大石専務、君が飲食……それも回転寿司事業の新規参入を提案してくるとは驚きましたね」篠原が興味深く眼鏡を指で押し上げた。
大石は静かに、しかし情熱を込めて語り始めた。
「篠原社長、古賀副社長。我が南越急行ホールディングスは、これまで鉄道、地銀、自動車、航空、港湾、建設、物流、ホテル、農業、医療、教育に至るまで、あらゆるインフラを自前で繋ぎ合わせてきました。……しかし! 我がグループの生態系には、致命的な最後の空白が存在していたのです!」
大石は壁の巨大モニターへ、新形県の地図とグループの事業マップを映し出した。
「新形県は世界屈指の極上魚介類の宝庫です。そして我が社には、それを傷一つなく運ぶ南越海運の高速船、南越エアラインズの航空網、南越物流の超精密保冷EVトラックがある。さらにシャリとなる米は南越アグリの最高級コシヒカリ、水は南越ビバレッジがある!……パーツは100%完璧に揃っていながら、なぜ我が社は自前で『極上の寿司』を全国へ提供する店舗を持たないのですか! これは経営上、見過ごすことのできない巨大な機会損失です!」
古賀が呆気にとられた顔で大石を見つめた。
「お、おいおい大石……お前、そんなに熱くなってどうしたんだ? いつもの冷徹な分析はどうしたんだよ?」
「冷徹な分析結果です、古賀副社長!」大石は声を張り上げた。
「私は先日、仕事で訪れた佐渡の両津で、地元で大人気の回転寿司店『佐渡武蔵』の握りを口にいたしました。……度肝を抜かれました! 佐渡沖で今朝獲れたばかりの南蛮エビ、生のノドグロ、カワハギの肝載せ……。ネタの圧倒的なフレッシュさ、切りつけの分厚さ、南越アグリの米を使ったシャリの温度と解け具合。どれをとっても、都心の数万円の高級店を遥かに凌駕していました!」
大石は身を乗り出し、デスクに両手をついた。
「『佐渡武蔵』の持つ圧倒的な仕入れルートと監修ノウハウに、我がグループの全インフラと資金力をドッキングさせる! 南越不動産が全国の一等地に店舗を開発し、南越建設が最新鋭のバリアフリー高級店舗を施工し、南越物流が佐渡・新形港から毎日朝獲れの極上ネタをロスタイムゼロで直送する! これにより、都心や全国の客へ『1皿300円〜800円という破格の適正価格で、本物の佐渡の極上寿司』を提供する回転寿司チェーン『南越・佐渡武蔵』を全国展開いたします!」
理路整然とした完璧なロジック。そして、それを上回る大石の圧倒的な熱量。
篠原は静かにジャスミン茶を口に含み、口元にかすかな笑みを浮かべた。
「……なるほど。大石専務、君がそこまで惚れ込む『佐渡武蔵』の握り……試してみる価値は十分にありそうですね」
古賀も豪快に笑いながら、大石の背中をバシッと叩いた。
「ハハハ! 大石、お前がそこまで言うなら本物だな! 良いぜ、俺も乗った! 現場の仕入れルートや物流の整備なら、俺が現場の頭どもと掛け合って完璧に整えてやる!」
「痛み入ります、古賀副社長」大石は眼鏡の位置を正しながら頭を下げた。「篠原社長、すぐさま『佐渡武蔵』の運営会社および創業経営陣との提携交渉へ向かいます!」
その数日後。佐渡島・両津港の近くにある『佐渡武蔵』の本社兼店舗。
南越急行ホールディングスCEOの篠原賢人、専務の大石、副社長の古賀、そして南越信託銀行頭取の中川の四人が、佐渡武蔵の創業者であり大将の武藤(60代・頑固一徹の元漁師)と対峙していた。
店の奥の小上がりで、武藤大将は不機嫌そうに腕を組み、眉間に深い皺を寄せていた。
「南越急行さん……あんたらが時価総額18兆円の大企業で、新形を救ってきた凄え会社だっていうのは知っている。……だがな、断らせてもらうぜ」
武藤大将は一蹴するように言い放った。
「うちの『佐渡武蔵』の寿司が美味いのは、俺たちが毎朝暗いうちから佐渡の港へ出て、自分の目で競り落としたピチピチの魚を、自分の手で捌いて、その日のうちに地元の客に出しているからだ。チェーン化だの全国展開だのされたら、ネタの鮮度は落ち、職人の技は形骸化し、ただの機械握りの安チェーンに成り下がっちまう! 金の力で俺たちの店を看板代わりにするつもりなら、今すぐ帰ってくれ!」
頑固な職人のプライド。安易なチェーン化に対する激しい拒絶であった。
同席していた佐渡武蔵の役員たちがハラハラと見守る中、大石が静かに前に歩み出た。
「武藤大将」
大石の声は、どこまでも澄み、誠実であった。
「おっしゃる通りです。ネタの鮮度と職人の技を削って大量生産する安チェーンなら、作る意味などどこにもありません。……だからこそ、我が南越急行の力を頼っていただきたいのです」
大石はホワイトボードの代わりに、卓上に一枚の大型タブレットを広げた。そこに映し出されたのは、南越急行グループが誇る恐ろしいほどの物流・テクノロジーの全貌であった。
「ご覧ください、大将」
大石の指先が画面を滑る。
「第一に『水揚げ即・超高速保冷ライン』です。佐渡の両津港・水津港で大将が競り落とした極上ネタは、新開発された南越車輌の『活魚特殊酸素保冷カプセル』に即座に格納されます。そこから南越海運の超高速船で新形港へ渡り、南越エアラインズの航空網と、南越物流の全自動保冷EVトラック隊によって、東京・大阪・福岡の店舗へ『わずか数時間』で完璧な状態で直送されます。港で食べるのと寸分違わぬ鮮度を全国で再現します」
武藤大将が、思わず画面を凝視した。「な……数時間で東京や大阪へ……!?」
「第二に『シャリと水と醤油の絶対追及』です」大石は畳み掛けた。
「シャリには、南越アグリが丹精込めて育てた最高級の南越コシヒカリを100%使用。仕込み水には、南越ビバレッジが誇る南魚沼の天然雪解け水を使用。醤油には、新形の伝統醸造蔵が特別調合した無添加の『佐渡武蔵専用手仕込み醤油』を全店へ配給します」
そして大石は、武藤大将の目を真っ直ぐに見つめた。
「そして第三に『職人の雇用と技術の継承』です。機械による機械握りは一切行いません。全店舗のカウンターに立つのは、武藤大将と佐渡武蔵のベテラン職人たちが指導し、我が『南越総合大学(第35章)』の調理・ホスピタリティ学科で育成された、本物の若手職人たちです。武藤大将には『南越・佐渡武蔵 最高味覚顧問』に就任していただき、ネタの選定からシャリの握り加減まで、すべての品質管理に関する絶対的な拒否権(権限)をお持ちいただきます!」
武藤大将の手が震えた。
「な……機械握りじゃなく、本物の職人を育てて、佐渡のネタをそのまま全国へ届けるっていうのか……!?」
ここで、これまで静観していた古賀がドカンと膝を叩いて立ち上がった。
「大将! 俺たちの専務の大石はな、普段は冷酷な数字の鬼で、滅多に人を褒めねえ奴なんだ! その大石がな、あんたの店の寿司を一口喰って、目を丸くして『全国の人々にこの佐渡武蔵の寿司を食べさせたい!』って命がけでこの計画を練り上げたんだよ!」
古賀は武藤大将の前で深く頭を下げた。
「お願いだ大将! あんたらが命がけで獲って捌いた佐渡の旨い魚を、新形や全国の客に腹いっぱい喰わせてやってくれ! 現場の物流も船もトラックも、俺が命がけで100%完璧に回してみせるからよ!」
篠原も温かく笑みを浮かべ、静かに頭を下げた。「武藤大将、我がグループの総力を挙げて、佐渡武蔵の誇りを世界へ解き放ちます。力を貸していただけませんか」
武藤大将は目をつむり、深く、深く息を吐き出した。
やがて目を開けると、その瞳には溢れんばかりの涙と、職人としての熱い情熱が宿っていた。
「……参ったよ。時価総額18兆円の大企業のトップたちが、うちの寿司一貫のためにここまで頭を下げるのか……。……大石さん、あんたのその鋭い目と情熱、信じるぜ! 『佐渡武蔵』の味、全国へ届けてみせろ!」
「大将……! ありがとうございます!」
大石は深く、深く頭を下げた。その眼鏡の奥から、一滴の熱い涙がポロリとこぼれ落ちていた。
こうして、南越急行ホールディングスによる『株式会社 佐渡武蔵』のグループ傘下収容(出資比率51%の合弁会社化)と、全国展開プロジェクトが正式にスタートしたのである!
プロジェクトは即座に、凄まじいスピードで始動した。
南越不動産が全国の主要都市——東京・銀座、バスタ新宿直結ビル、大阪・梅田、名古屋、札幌、福岡、そして新形駅前と六日町の超高層ステーションビル内に、一等地となる店舗用地を一手確保。
南越建設の「全自動施工チーム」の手によって、明るい木目調とバリアフリー設備を備え、中央に板前が立つ本格的な高級回転寿司店舗『南越・佐渡武蔵』が次々と組み上げられていく。
さらに、南越総合大学の調理・ホスピタリティ学科において「佐渡武蔵・職人養成コース」が開設され、武藤大将とベテラン職人たちによるスパルタの本格握り指導が開始された。
「シャリの温度を忘れるな! 強く握りすぎるな! ネタの旨味を潰すな!」
武藤大将の熱血指導のもと、全国から集まった若き職人たちが、本物の握り技を身につけていった。
そして、最大の肝となったのが、大石と古賀が完璧に組み上げた「超速・日本海スシ・ロジスティクス」であった。
毎朝午前4時。佐渡の両津港と水津港。
武藤大将が直々に競り落とした極上の本マグロ、南蛮エビ、ノドグロ、活締めヒラメ、カワハギが、即座に南越車輌の「活魚保冷カプセル」へ梱包される。
午前5時。南越海運の超高速船「ホワイトラビット・スパー号」が佐渡港を出港。時速80キロで日本海を滑り、わずか数十分で新形港へ到着。
午前6時。新形港のコンテナターミナルから、南越エアラインズの専用貨物便が全国の主要空港へテイクオフ! 同時に、南越物流の超精密保冷EVトラック隊が、関越自動車道を通って首都圏の店舗へ向かって猛スピードで発進する。
中間マージンは完全ゼロ。
佐渡の港で朝揚がったばかりの超極上ネタが、午前中には全国の『南越・佐渡武蔵』のネタ場へロスタイムゼロで到着する夢の物流システムが完成したのである!
そして、夏。
第一号店となる『南越・佐渡武蔵 銀座店』および『六日町本店』の同時グランドオープンの日がやってきた。
価格は、南蛮エビ2貫で380円、生のノドグロ炙り2貫で580円、カワハギ肝載せ2貫で480円という、銀座の立地では考えられない破格の「適正価格」。
開店前から、銀座の店舗前には数百メートルの長蛇の列が伸び、テレビ(新形テレビ20がどこよりも早く8K緊急生中継)や各種メディアで大々的に報じられた。
「ええっ……!? 佐渡の朝獲れ南蛮エビが、こんなに甘くてねっとりしていて大ぶりなの!? これで1皿380円なんて信じられない!」
「ノドグロの脂の乗りが凄すぎる! 口の中でシャリと一緒にフワッと解けて消えちゃったよ! 銀座の数万円の高級店より絶対に美味い!」
「職人さんが目の前で一貫一貫丁寧に握ってくれる! シャリの米(南越コシヒカリ)も美味いし、お醤油(手仕込み醤油)も最高!」
SNSや口コミで評判は大爆発!
『回転寿司の常識が崩壊した! 佐渡の海の奇跡・南越・佐渡武蔵、全国で空前絶後の大行列!』
これまで高額すぎて手が出なかった本物の極上寿司が、圧倒的な鮮度と破格の適正価格で味わえる——『南越・佐渡武蔵』は、一瞬にして全国の美食家やファミリー層を虜にし、全店舗で連日連夜の超満員・大行列を記録したのである!
さらに、海外からの観光客にも大ヒット。南越エアラインズや南越信託銀行のプレミアム会員特典として「優先予約枠」が用意されたことで、海外の富裕層たちが「佐渡武蔵の寿司を食べるために新形へ行く」という新たな観光ムーブメントまで巻き起こした。
『佐渡武蔵』の業績は過去最高益を叩き出し、佐渡の漁師たちへの買取価格は従来の1.5倍に跳ね上がり、佐渡島の漁業と経済は劇的な黄金期を迎えたのである!
初秋の夕暮れ時。
新しく完成した『南越・佐渡武蔵 六日町本店』の奥にあるプライベートルーム。
茜色に染まる六日町の新都心と、高架を疾走する超高速AI電車「NK3500系」を見下ろしながら、南越急行CEOの篠原賢人、専務の大石、副社長の古賀、越後中央銀行の中川頭取、そして佐渡武蔵の武藤大将の五人が、仕込まれたばかりの極上の握りを前に並んでいた。
武藤大将が、感無量の面持ちで目元を拭いながら言った。
「篠原社長、大石さん、古賀さん……夢のようです。佐渡の小さな回転寿司屋だったうちの店が、こんなにも全国の人々から愛され、佐渡の漁師たちと一緒に全国へ旨い魚を届けられるなんて……。職人冥利に尽きますよ」
古賀が豪快に笑いながら、武藤大将の肩を叩いた。「言っただろ大将! 俺たちの専務の大石の目に狂いはねえんだ! 佐渡の魚とあんたらの腕は、世界一なんだよ!」
大石は静かに眼鏡の位置を正すと、目の前に出された南蛮エビの握りを、指先で愛おしそうに持ち上げた。
人肌よりわずかに低いシャリ。ねっとりと甘い佐渡の南蛮エビ。
一口で口へ運ぶ。
——!!
とろける甘みと、コシヒカリの深い旨味、そして手仕込み醤油の香りが、寸分の狂いもなく舌の上で調和し、解けて消えていく。
大石の表情に、かつてないほど深い、満足気な笑みが浮かんだ。
「……完璧です、武藤大将。最高の一貫です」
篠原が穏やかに微笑み、ジャスミン茶のグラスを静かに傾けた。
「大石専務。君が情熱を燃やして創り上げたこの『南越・佐渡武蔵』は、我がグループの食文化の歴史に、不滅の金字塔を打ち立てましたね」
大石は照れくさそうに目を逸らし、静かに言った。「……冷徹な財務分析と、機会損失の回収結果です」
渡辺名誉会長と長谷川名誉副会長から受け継いだ南越急行の精神。
それは、地域の誇りや本物の価値を見抜き、圧倒的な資本と物流と情熱で包み込んで、世界中の人々へ「最高の感動と笑顔」として届けることなのだ。
武藤大将が立ち上がり、乾杯のグラスを掲げた。
「さあ、皆さん! 佐渡の海と、南越急行の未来に……乾杯だ!」
「乾杯!!」
賑やかな歓声が、秋の六日町の夜空へ高く響き渡る。
遠く高架の上を、時速160キロで滑らかに駆け抜けていく超高速AI電車「NK3500系」。
その流線型の車体に描かれた「ホワイトラビット」のマークは、街の灯りを浴びて、どこまでも、どこまでも神々しく輝いていた。
2兆250億円という前代未聞の純利益から始まった、弱小第三セクター「南越急行」の奇跡の反撃劇。
不滅の情熱と地域の絆、そして「極上一貫へのこだわり」までも胸に刻んだ彼らの走るレールと未来は、鉄道、地銀、自動車、航空、港湾、建設、物流、報道、ホテル、食卓、豪雪防衛、百貨店、人生の信託、手厚き医療、未来の教育、創薬、名物飲料、地域の胃袋、伝統の米菓、映画、歌劇、そして「最高の寿司文化(南越・佐渡武蔵)」までも自前で繋ぎ合わせ、どこまでも、どこまでも光り輝く未来へ向かって、永久に力強く走り続けていくのだった。




