第105章 海洋資源牧場
第105章 海洋資源牧場
日本という国が抱えていたもうひとつの深刻な課題は、「食料自給率」と「水産資源の枯渇」であった。世界的な乱獲や地球温暖化に伴う海水温の上昇、黒潮の大蛇行により、かつて日本近海で豊富に獲れていたサバ、アジ、イワシ、タコ、カニ、マグロ、ウニや高級魚の数々が記録的な不漁に陥っていた。輸入水産物の価格は高騰し、食卓から魚料理が姿を消しかけていた。
小笠原沖の『深海ギガファクトリー・ネプチューン』による海底鉱物資源の自動採掘・精錬プロジェクトを完璧な軌道に乗せた南越急行グループだったが、最高経営責任者(CEO)の篠原賢人の眼差しは、すでに次の「日本の未来を守る現場」へ向けられていた。
六日町本社の役員室で、南越重工業社長の古賀、最高財務責任者(CFO)の大石専務、そして農業・食料事業を率いる「南越アグリ」の役員たちが顔を揃えていた。
「篠原さん、海底鉱物資源のプラント技術と自律制御技術を応用すれば、深海・海底にまったく新しい『海底水産資源牧場』を建設できます」
古賀は眼を輝かせながら、ディスプレイに新しい三次元CG構想図を映し出した。
これまで陸上養殖や沿岸の生簀養殖は存在していたが、台風や赤潮の被害を受けやすく、巨大なろ過・電気代がかさむため採算ラインに乗せるのが極めて困難であった。また、沖合の表層養殖も激しい波浪や水温変化に左右される弱点があった。
「海底鉱物工場の核融合発電プラント、自律AIドローン、超音速ポッド輸送網、そしてナノろ過循環技術。我々が保有するすべてのインフラを融合させれば、波浪の影響を一切受けない深海・中層の安定した環境で、高品質な魚介類を完全無人で大量養殖・育成できます。名付けて『海洋養殖ステーション・ポセイドン』です」
篠原は画面の精密な構造図を見つめ、静かに頷いた。
「鉱物だけでなく、日本の食卓と漁業資源そのものを自前で再生させるということだな。大石、財務面と事業採算の見通しはどうだ?」
大石専務はタブレットの数値を指で弾きながら、いつもの冷静な口調で答えた。
「実に魅力的な事業計画です。初期インフラの建設費は約8000億円を見込みますが、南越重工業の内製化と南越建設のAI無人施工により、従来の公共事業の半額以下に抑えられます。何より、海底の核融合排熱を利用した海水温の微調整と、南越アグリが開発した高タンパクバイオ餌の自動給餌システムにより、育成スピードは自然界の二倍以上。天然物の不漁による市場価格高騰を鑑みれば、稼働からわずか二年で黒字化に達します」
「よし、やろう。『海洋養殖ステーション・ポセイドン』プロジェクトを発動する」
篠原の決断により、日本の食と海の構造を根本から変える壮大な挑戦が始動した。
開発の現場となったのは、新潟県沖の日本海および房総沖の水深200メートルから800メートルに至る海底エリアであった。ここは表層の台風や赤潮の影響をまったく受けず、年間を通じて清浄かつ低温な「日本海固有水」や深層水が満ちている理想的な領域だった。
まず、南越建設の全自動AI無人潜水建機群が海底に降ろされ、超高耐圧ナノセラミックチタン製の多段ドーム構造を持つ巨大ステーション『ポセイドン1号』を建設した。直径数百メートルにおよぶ巨大なドーム群の内部および周辺には、特殊な音響と光で魚群を密閉空間なしに一定領域に留める「電子音響牧柵」が張り巡らされた。
ステーションの心臓部には、南越電力が供給する超小型密閉核融合炉が鎮座する。この核融合炉から生じる余熱は、サロナエアコンの多層熱交換技術によって精密に制御され、深海の冷水とミックスされることで、高級魚や貝類、甲殻類が最も成長しやすい「奇跡の最適水温帯」を常に人工的に創り出した。
さらに、南越アグリと南越総合大学の水産生命科学チームが共同開発した「AI自動給餌システム」が組み込まれた。本産自動車の水中AIドローン『キャブオール・アクア』が、魚群の成長度合いや健康状態、空腹度を画像解析と量子AIで一匹ずつ識別。必要な栄養素を含んだ天然由来の特製バイオ餌を、最適なタイミングで自動投下した。
ドーム内では、クエ、トラフグ、本マグロ、ヒラメ、高級ボタンエビ、ズワイガニ、さらには深海特有のノドグロ(アカムツ)やウニ、アワビに至るまで、多様な種が天然物を遥かに凌ぐ最高の栄養環境でスクスクと育っていった。病気の発生率はAIの環境管理により完全なゼロを達成し、薬品を一切使用しない完全オーガニックな高品質魚介類が大量に育成された。
そして、最も重要な「出荷と輸送」のプロセスには、前作で実証された超高耐圧深海シャトル『ラビット・サブルーザー』の改良型『ラビット・アクアポッド』が投入された。
海底の『ポセイドン』で十分に成長した魚群は、AIドローンによって傷ひとつつけずに自動で捕獲され、高酸素・減圧制御機能を備えた『ラビット・アクアポッド』の活魚タンクへ移送される。
『アクアポッド』はMHD超電導推進により深海から海面へと垂直浮上。波浪吸収型の海上ハブ基地『シー・グランデ』の密閉ドックへダイレクトにドッキングする。そこで待機していたのは、南越海運の超高速活魚運搬船や、南越エアラインズの貨物STOL機であった。
船内や機内には、南越車輌が開発した「無重力活魚カプセル」が備え付けられており、魚たちは水揚げされた直後とまったく変わらないストレスゼロの状態で、活きたまま陸地へと移送された。
「海底で水揚げされた極上のノドグロと本マグロが、傷ひとつない活魚の状態で数時間後に東京へ届く。従来の漁業の常識が、根底から覆る瞬間です」
南越海運の担当者が胸を張る。
秋。東京・豊洲市場は、未曽有の熱気と緊張感に包まれていた。この日、南越急行グループが手掛けた『海底漁業資源牧場・ポセイドン』から出荷された第一期水産物の初セリが行われることになっていたからである。
卸売場には、透明感あふれる大型活魚水槽がずらりと並べられていた。その中で泳ぐのは、まるま々と太り、傷ひとつない見事な魚体を持った本マグロやトラフグ、そして深海から水揚げされたとは信じられないほど活きの良いノドグロや大ぶりのズワイガニだった。
「なんだこの活きの良さは……! 深海魚のノドグロが、水槽の中で元気に泳いでいるなんてあり得ん!」
「このマグロの脂の乗りを見ろ! 色艶も目利き歴40年の俺が今まで見た中で一番だ!」
仲卸業者や名だたる高級寿司店、一流ホテルの料理長たちが水槽の周りに群がり、感嘆の声を上げた。
セリ人の威勢の良い掛け声とともにセリが始まると、場内は一気に熱狂の渦と化された。
「一番! 本マグロ220キロ、ポセイドン産! さあ、いくらだ、いくらだ!」
「1000万円!」
「1500万円!」
「2000万円だ!」
仲卸業者たちの手札が次々と上がり、市場最高値クラスの価格で次々と競り落とされていった。しかし、注目すべきは初物の祝儀相場だけではなかった。市場の関係者たちを何より驚かせたのは、南越急行グループが提示した「今後の供給計画」だった。
セリの終了後、会場でマイクを握ったのは、南越急行ホールディングス最高財務責任者の大石専務であった。
「本日お披露目いたしました『ポセイドン』の水産物は、単なる一部の富裕層向け高級食材ではありません。我がグループの完全自動化インフラと直通物流網により、来週からは従来の天然物の半額以下の適正価格で、全国のスーパーマーケットや一般の鮮魚店へ安定供給を開始いたします」
場内にどよめきが広がった。これほど最高品質の水産物が、安価かつ無制限に全国の食卓へ届けられるというのだ。
「そんなことが本当に可能なのか!?」という新聞記者の問いに対し、大石はポーカーフェイスのまま数字を示した。
「可能です。我々は中間マージンを排除し、自前の『ポセイドン』、自前の『南越物流』、自前の『スーパーカワサワ』や『コメット・デリバリー』を直結させています。天候による不漁も、価格の高騰も、我がグループの海洋インフラの前には存在しません」
豊洲市場での大成功のニュースは、新形テレビ20のベテラン記者・高橋とカメラマン井上による特番生中継を通じ、一瞬にして全国のお茶の間に駆け巡った。
数日後。山型県や新形県をはじめ、全国各地の『スーパーカワサワ』や『伊勢デパート』の鮮魚コーナーには、異例の長蛇の列が出来上がっていた。
売り場には「ポセイドン直送・日本海深海育ち」の青いラベルが貼られた色鮮やかな刺身パックや、生き生きとした魚が並んでいる。
「お母さん見て! お魚がすごく綺麗! 今夜はマグロのお刺身にしようよ!」
親にねだる子供の弾んだ声が響く。主婦たちが手にとったパックの価格を見て、驚きの声をあげた。
「嘘でしょう……!? 最近高くて手が届かなかった国産の本マグロやノドグロが、こんなに安く買えるなんて! しかもパックを開けなくても分かるくらい新鮮だわ」
同じ頃、六日町の本社向かいにある老舗そば屋「そばろく」でも、心温まる光景が繰り広げられていた。
昼時、いつものように暖簾をくぐった篠原、古賀、大石の三人。店内は地元のお年寄りや家族連れで賑わっていた。カウンターの端に腰掛けた篠原が注文したのは、新メニューとして追加された「ポセイドン産・極上穴子と深海海老の天ぷらそば」だった。
修業を経て技と心を継承した二代目の若い店主が、揚げたてサクサクの天ぷらを乗せた温かいそばを三人の前に運んでくる。
「篠原さん、古賀さん、大石さん。この海老と穴子、本当にすごいですよ。身がプリプリで甘みが強くて、出汁の旨味が一段と引き立ちます。お客さんたちも『昔の美味しいお魚の味が戻ってきた』って、涙ぐんで喜んでくれてます」
店主の誇らしげな言葉に、古賀が豪快に天ぷらを頬張りながら破顔した。
「うまい! 最高の味だ! 地底の鉱物を掘るのも男のロマンだが、こうして全国の食卓に安くて本当にうまい魚を届けるっていうのは、やっぱり最高にやりがいがあるな!」
大石も静かにそばをすすり、出汁の深みを味わいながら満足そうに頷いた。
「財務分析データ通りの成果です。スーパーカワサワや各流通チャネルでの水産物売上は前年比400%を記録。国民の食費負担を大幅に引き下げつつ、グループには年間数千億円規模の安定的かつ持続的なキャッシュフローがもたらされています」
丼から立ち上る湯気の向こうで、篠原は店内のお客たちの笑顔を見渡した。隣のテーブルでは、幼い孫が美味しそうに刺身寿司を頬張り、祖父が嬉しそうにその頭を撫でている。
「世界中の資源を自給し、宇宙へ行き、深海を拓く。だが、我々がやっていることの根底にあるのは、いつだって目の前にいる人々の『当たり前の幸せ』を守ることだ」
篠原が静かに呟くと、古賀と大石も深く頷いた。
赤字ローカル線「なんなん線」の小さなホームから始まった南越急行の情熱は、金融、製造、建設、宇宙、そして海底資源開発を経て、今や日本の食卓と人々の笑顔を支える揺るぎない大樹となっていた。
外では、澄み渡る秋空のもと、南越車輌の最新鋭AI電車が美しい効果音を残して走り抜けていく。その深く力強いレールは、人々の豊かな暮らしを乗せて、どこまでも光り輝く未来へ向かって伸び続けていた。




