第102章 宇宙ステーションはどこの国のもの?
第102章 宇宙ステーションはどこの国のもの?
ニューヨークにある国連本部の総会議場は、これまでにない異様な熱気と殺気立った怒号に包まれていた。
議題はただ一つ——高度400kmの上空で輝く超大型商業施設、『ホテル・ホワイトラビット・スペースステーション』の領有権と課税権についてであった。
南越急行グループの手によって拡張に拡張が重ねられた宇宙ステーションは、今やかつての「研究機関の実験棟」といった面影を完全に失っていた。商用宇宙港デッキには毎日シャトルが行き来し、全室絶景の「ホテル・ホワイトラビット宇宙店」や、極上の料理を振る舞うスカイレストラン、巨大なロジスティクス倉庫、さらには国際的な報道拠点である新形テレビ20宇宙支局までが完備されている。
それはもはや単なる構造物ではなく、宇宙空間に突如として現れた「地球外の大都市」そのものであった。
しかし、この急速な発展に伴い、世界を揺るがす深刻な大問題が浮上していた。
現在、宇宙ステーション内で行われている莫大な金額の商取引、ホテルの宿泊料、高級レストランでの食事、宇宙ツアーのチケット代、さらにはステーションを拠点とする企業間の宇宙ビジネス取引に対し、「どこの国も税金を徴収できていない」という事態が発生していたのだ。
既存の「宇宙条約」では、主権国家が宇宙空間や天体を領有することを禁止している。だが、税収に飢えた世界各国の思惑は、そんな国際条約の精神を容易く踏みにじった。
「あのステーションの基盤となった旧国際宇宙ステーション(ISS)には、我が国が多額の資金とモジュールを提供してきた! したがって、ステーションの主要な権利と課税権は我が国に帰属する!」
「ふざけるな! ステーションの建設やシャトル運行には我が国の領空や技術が関わっている! 商業エリアでの売上には我が国の税率を適用すべきだ!」
「我が国こそが最初に宇宙へ進出した歴史がある! 優先権は我が国にある!」
大国の代表たちが議場で拳を突き出し、互いに罵詈雑言を浴びせかけていた。さらには一部の国が「宇宙ステーションの我が国への帰属を認めなければ、自国の衛星やアクセス権を制限する」とまで主張し始め、国際社会の分断は決定的なものとなりつつあった。
議長席に座る国連事務総長は、額から冷や汗を流し、ガベル(木槌)を叩きながらオロオロと狼狽えるばかりだった。
「静正に! 代表の皆様、静正にしてください! 宇宙の平和利用の精神に立ち返るのです!」
事務総長の情けない叫びは、大国たちの欲望と怒号の渦の中に虚しくかき消されていった。
誰の意見もまとまらず、議論が完全に紛糾し、会議が物別れに終わろうとしたその時——重厚な議場の扉が静かに開いた。
壇上へ向かって、黒のスーツを隙なく着こなした一人の男が歩を進めてくる。
南越急行ホールディングス最高経営責任者(CEO)、篠原賢人であった。
かつて、赤字ローカル線の手元資金300億円を賭けて金融格闘技を制し、いまや500兆円の時価総額と800兆円の預金、そして自前で宇宙ステーションや超音速シャトルまでをも創り上げた男の登場に、議場の怒号が一瞬にしてピタリと止んだ。
「……南越急行の篠原CEOだ」
「ステーションの建設資金と技術の大部分を直接出資している、真の当事者……」
各国の国連代表たちが息を飲み、篠原の威圧感に気圧されるように席へと座り直した。
篠原は静かな歩調で演壇へ登ると、各国の代表者たちを冷徹な眼光で見渡した。そして、胸ポケットから薄いスピーチ原稿を取り出すこともなく、マイクに向かって低く、しかし議場全体に深く響き渡る声で話し始めた。
「各国の代表の皆様。醜い争いは、それくらいにされたらいかがですか」
その第一声に、一部の大国代表が色めき立ったが、篠原は片手を軽く挙げてそれを制した。
「我が国の所有だ、いや我が国の領土だと、自分たちの欲望をむき出しにして主張されるのは勝手ですが……忘れてはならない事実が一つあります。あの宇宙ステーションの建設資金、最先端のモジュール、無人AI建設ロボット、自律型除雪・防護技術、そして毎日往復するシャトルに至るまで、その八割以上を直接キャッシュで投資し、リスクを負って作り上げたのは、国連でも特定の国家でもなく、日本の雪国から始まった民間企業——私たち南越急行グループだということです」
議場に沈黙が広がった。誰もその圧倒的な事実を反論することができなかった。
篠原は言葉を続けた。
「国々がリスクも恐れて資金も出さず、現場の汗も流さず、出来上がった巨大な富の山を見てから『税金を寄越せ』『我が国のものだ』と群がる姿は、私から見ればハゲタカファンドの掠奪行為と何ら変わりありません。もし、特定の国家が強硬に領有権を主張し、宇宙空間を政治的な利権の場へと貶めるというのであれば……南越急行は今この瞬間をもって、ステーションへの全資金提供を停止し、定期シャトルの運航をすべて取りやめます」
「な……なんだと!?」
各国の代表から悲鳴にも似たどよめきが上がった。今や宇宙ステーションは、世界中の投資や研究、観光ビジネスの最大拠点だ。シャトルが止まりステーションが機能不全に陥れば、世界経済が受けるダメージは数十兆円どころでは済まない。
篠原は一歩前へ踏み出し、本題となる「提案」を突きつけた。
「ですが、私たちは宇宙を争いの場にしたいわけではありません。だからこそ、ここに明確な解決策を提案します」
篠原は人差し指を立てた。
「第一に、あの宇宙ステーションは『どこの国の所有でもない』と定めます。いかなる国家も領有権を主張することはできず、特定の国の法律や税制を直接適用することも禁止します。宇宙ステーションは、全人類の共有財産であり、中立の『独立宇宙領域』とします」
代表たちがざわつくなか、篠原は第二のポイントを挙げた。
「第二に、法律やルールの制定についてです。ステーション内での事件・事故の処理、安全基準、商業取引の基本的なルールについては、各国の代表者および専門家が参加する『宇宙ステーション国際評議会』を設置し、合意の上で決定します。これにより、法的真空地帯となることを防ぎます」
そして、誰もが最も固唾を飲んで注視する「お金(税金)」について、篠原は提示した。
「第三に、最も重要な利益と税金の分配です。ステーション内で発生する商業活動、ホテルの利益、取引手数料などから生じる営業利益の一部は、特定の国ではなく『国際連合』へ直接納められることとします」
「国連へ直接納める……!?」
事務総長が目を見開き、議場にどよめきが走った。篠原は静かに頷き、そのスキームの決定的なメリットを解説した。
「現在、加盟各国は毎年莫大な金額の『国連分担金』を自国の税金から支払うことに苦しんでいます。ですが、宇宙ステーションから生まれる巨額の商業利益が国連の直接収入となればどうなるか。国連の財政基盤は完璧に安定し、その分、各国が負担している『国連分担金』の割り当て率を、直接的に大幅削減・引き下げることが可能になります」
その瞬間、議場の雰囲気が劇的に一変した。
特に、重い国連分担金に苦しんでいた途上国や中堅国の代表たちの目が、パッと輝いた。
(自国の税金を使って宇宙で縄張り争いをするよりも、ステーションの利益を国連に集めさせて、自国の分担金を減らしてもらう方が、遥かに実利が大きい……!)
篠原の計算は、完璧だった。
特定の国に利益を総取りさせることなく、世界中のすべての国が「自国の財政負担の軽減」という直接的な恩恵を享受できる仕組みを提示したのだ。
「自分の国だけが得をしようとするから争いが起きるのです。リスクを取って創り出した未来の利益を全人類で分かち合い、平和に管理する。これこそが、渡辺前社長から私たちが受け継いできた『地域共生と現場優先』の理念であり、宇宙における正しい姿だと信じます」
篠原は演説を締めくくり、静かに深々と一礼した。
一秒、二秒の沈黙の後——
途上国の代表席から、一人の大使が立ち上がり、割れんばかりの拍手を送った。続いて、欧州、中東、アジア、南米の代表たちが次々と立ち上がり、やがて大国も含めた議場全体が、雷鳴のような万雷のスタンディングオベーションに包まれた。
オロオロしていた国連事務総長は、感涙にむせびながらガベルを力強く打ち鳴らした。
「採決に移ります!……全会一致! 篠原CEOの提案は、国際連合の正式決議として承認されました!」
こうして、地球空間を巻き込んだ宇宙ステーションの領有権争いは、篠原賢人の圧倒的な論理と金融・経営スキームによって、完勝の形で決着したのだった。
宇宙ステーションは「どこの国でもない、全人類の未来の城」として国際的に認められ、世界は新たな平和的繁栄の時代へと踏み出した。
ニューヨークからの帰国の途につく専用機の中で、篠原は窓の外に広がる雲海を眺めながら、静かにウイスキーを口に含んだ。
「やれやれ……政治家や外交官の相手をするより、六日町の『そばろく』でつゆの出汁を味わっている方が、遥かに有意義ですね」
篠原の呟きに、同行していた大石専務がポーカーフェイスのまま「まったくです」と同意し、タブレットで世界食用魚のデータをチェックし始めた。
赤字ローカル線の危機から始まった男たちのレールは、地球の政治的対立すらも鮮やかに乗り越え、無限の宇宙へとどこまでも力強く伸び続けていくのだった。




