第20-1話:怪物
——この街に来てから二晩が明けた、六月九日の月曜日。
あと三時間もしたらやってくる本田家の帰りの車を頭の片隅に置きながら、炎天下の中ハンドタオルで額の汗を拭く。
手は段ボールのインクやらメモで使ったペンやらで薄汚れ、シャツの脇や胸元が汗でびっしょりと濡れている。
場所は萩のド真ん中にあった小学校。
そこにあった体育館の前、椅子に腰掛けながらペットボトル片手にくつろぐ。
中からは既に避難民が退き、あと残されているのはこの惨禍で本当に家を失ってしまった人たちだけで、その人たちですら仮住まいへと引っ越す準備を始めていた。
エドワードを討ち倒し、彼が気を失ったのを境に霊兵も源泉も消え、戦いは終わりを迎えた。
けれど危機というのは何も敵を倒しただけじゃ終わらない。
家族を失った人、家を失った人、食べる物を失った人。私たちも萩で眠る場所を、最初の戦いの中で失っていた。
私たちは幸運で、軍が宿を手配してくれたから良かった……けれど、家を失った大抵の人たちはそうともいかない。
町田さんに来るよう言われた道中目の当たりにしたのは、寺社に運ばれていく黒い遺体袋と、それに泣きつく地元の人たち。
……私たちがこの戦いで永遠に手元から失ったものは、昨日この萩で楽しく旅行をするはずだった記憶だけ。
けれど皆が皆そうはいかないのが現実で。
軍の人たちから聞き齧ったことではあるけど、この一連の惨禍での被害は三〇〇〇で済んだらしい。
言い方からして予想よりも少なかったんだろうけど……私はどうしてもそうとは思えなかった。
源泉を探し求めてる最中、私は数多くの人の死を目の当たりにしたからか、軍の事務所では簡単なアフターケアを受けさせられた。
当たり前の話、それだけでこの事件の記憶が消えるわけじゃない。
むしろ何か、何かもっと出来ることはないか。
ケアが終わったあと町田さんへそう願い出ると、小さな溜息のあとに避難所や住宅への物資配給を手伝ってくれと申し出てくれた。
有り余る活力で段ボールを一気に十個は運び、荷台に満載になったリヤカー付き自転車を漕いで配達する場所を次々と巡る。
変に頭を使う仕事よりもむしろこういう仕事の方が得意で、役に立ててるっていう確かな実感が私を救った。
なによりも届けた先の人たちが、事務的でも本心でも暖かく迎えてくれた。
「もっと抑えられたんじゃないか」「もっと早く解決できたんじゃないか」
どうしようもない罪悪感を、届け先で舞っていた人たちが和らげてくれた。
そしていつの間にか横にルイが加わり、配達をこなし、そして私たちより後から目を覚ました香蓮と無事をきちんと喜び合う。
仕事や病状の都合から、須藤やゲクランさんときちんと話せていないのはちょっと気がかり。
でも……それだけでも「無事で済んでよかった」「私が生きて帰れて良かった」と、心の底から思えた。
「はい、大和の分」
日が一番高く登ったころの時間、ルイから投げ渡されたメロンパンを頬張りながらこの一日のことを思い返す。
二日ぶりの甘い物、ザラメみたいな粒立った砂糖が疲れきった脳髄へと染み渡る。
「…………終わったね、ルイ」
「うん。終わったね」
避難所になっていた小学校の職員さんから正式に伝えられた、業務終了の通達。
あの夜の奇襲以来、そこで初めて腰を降ろせた気がした。
余韻に浸りながらスマホを開くと、相変わらずそこかしこのSNSや動画サイトでこの事件のことが扱われていた。
地上波や新聞社が出しているニュースの切り抜き、陰謀論、果てには実際の霊兵の映像まで。
この異能者社会になってから決して珍しいことではないけれど、これすらも今頃収容所で目を覚ましたエドワードへ威信として還元されている。
今回の事件の大元にあるのは嗜虐心でも殺人衝動でもない、徹底的な合理性。
そんな、仕組みだけは私でも理解出来てしまうようなことのあらましの方が恐ろしい。
でもその中でも……多分、源泉を探し回って街中走り回っているときの映像かな。
霊兵を斬り、非難を指示し、次の救命先へ向かう私を見るとやっぱり指が止まる。こんなんじゃ肖像権も何もあったもんじゃない。
だから腹立つ気持ちがあるのは変わらないけど……その映像の奥に上ずった声や涙ぐんだ声があるのが、この人たちがどれだけ嬉しかったのか、危機を脱したことが喜べるかが分かって。
「ま、今回はいっか」と、法廷へ呼び出すのを凍結しようと思えるぐらいには、私の方も助けられていた。
「あ、鈴原だ」
そんなことを思っていると、横でスマホをいじってたルイが藪から棒に香蓮の名前を出す。
「どした? そろそろ時間だから戻ってこいって?」
「それがな……なんか病院の方に来てほしいらしくて」
「病院? 昨日リヤカーで三往復ぐらいしたとこ?」
「そうそう、病室まで指定されてるし……あとなんか意味わかんないこと聞いてて」
意味わかんないこと?
そう言われて眉を寄せながらルイのスマホを覗き見ると、そこには一本の瓶と一緒にこんな質問が添えられていた。
『ワインのボトル、開け方分かんないから教えてくれる?』




