第14-5話:黒狼
萩。江戸時代の頃、萩藩という藩が拠点を置いた街。
周辺を山と海で囲まれていて、少し沖合に出れば小さな島々が浮かんでいる様子を砂浜から眺められる。
海辺へ赴けば今でもその頃の町並みが遺産として残っていて、まるで何百年か前にタイムスリップしたような不思議な体験が出来る。
……ところどころに立っている、真っ赤な「クマ注意」の看板だけがこの侘び寂びの雰囲気をぶち壊しにしているけれど。
「えっなにこれ、すご」
その町並みの少し外れ、現代風の市街地との間で。
ルイに「今日泊まる宿」として案内された建物を前にして、思わず敷地へ踏み込もうとした足を止めてしまった。
萩の旧城下町の際で目にしたのは、白い漆喰と瓦で固められた和風の邸宅。
周りにも宿らしき建物はいくつか見当たるけれども、今目の前にしている建物の広さは段違い。
進めど進めど庭が続く、私が昔住んでいた一軒家の十倍や二十倍では効かないほどの敷地面積。
幾何学的とも芸術的ともとれる流線が映える庭石、一目でよく剪定されていると分かる松や楓。
最低でも三つ星ホテル、なんなら萩の城下町ってことを考えると四つ星や五つ星あっても不思議じゃないほどの高級感。
なのに香蓮やルイは平然と庭の奥目指して進んでいく。
「こ、これ宿泊費いくらなんだろう……」
なんとか一歩を踏み出したけれども、お金のことを考えるだけで胃がキリキリする。
一応旅費として十万ぐらい下ろしてきたけど、一泊二日とはいえこれじゃ使い切ってしまいそうで気が気じゃない。
「大丈夫だよ、めぐちゃん」
お金の心配をしだした私の独り言を香蓮が拾う。
「まさか……香蓮が出してくれるとか言わないでしょうね」
「違うよ、だってここルイくんの別荘だもん」
さすがに香蓮にお金の負担負わせるのは話が違う、なんて思ったらそれ以上の情報をぶっ込んできた。
香蓮曰く、割といろんなところに別荘があって、ここもそんな別荘の一つなんだとか。
萩の歴史的な町並みの中にこれだけに敷地……多分一等地だろうなあ。
友達とか異能者とかのイメージが先行し過ぎて忘れてたけど、そういえば最初にルイのことを知ったのはヨーロッパ系のボンボンって情報だったっけと思い直った。
感性もやたらと庶民的だし、お金の話もほとんどしないから気を抜くと忘れる。
「ってか、なんで香蓮は普通そうにしてるの」
「去年クラス会やった時にルイくんの家に集まってクラスのみんなでバーベキューしたりしたから、今更驚く必要もないかなって」
「ええ…………」
既に感覚のおかしくなっていた友人の未来を憂いながら、道に沿って庭の奥の方へと踏み込んでいく。
初めて見た本物の鹿威しに感激していると、ルイが黄色い声をあげながら屋敷の入口らしき方へと駆け込んでいく。
「あっ、爺や!」
「おお、ルイさま! よくぞ来られました」
ルイが爺やと言って駆けていった先には、スーツに身を包んだ男がフレンドリーにルイのことを出迎えていた。
爺やの顔へと目を向けると、側頭部に茶色い毛を残したままに、頭頂部がかなり可哀想なことになっていた。
けれどそれは「爺や」という言葉から想像されるような、細い身体に髭を蓄えた執事のそれじゃない。
歳は中年から初老入りかけぐらいなのは良いにしても、全身が筋骨隆々という漢字をそのまま描き起こしたようなフォルムをしている。
そればかりかスーツは半袖半ズボンで紳士らしさは欠片もなく、多分ロンドンの高級テーラーで下ろした戦闘用スーツなんだろうなと、某スパイ・アクション映画を思い出しながら無理くり呑み込んだ。
「旅路はいかがでしたか?」
「いつも通りだよ、新幹線と電車で来ただけだし。それより、わざわざ海外の義父さんのとこから呼び戻してごめんね」
「いえいえ、ルイさまの頼みとあらば」
じいやは身体の前で手を重ねたまま、ルイを見下ろしながら微笑んだ。
「そちらのお嬢様方も、ここまでの旅でお疲れでしょう。よろしければお部屋の方で一息つかれてはいかがかな?」
……同じくルイと親しい人間なのに。
ズケズケと内側に入り込んでこない感じが、じいやとゲクランの間に埋められない差を感じさせる。
「ご厚意はありがたいのですが……私たち、このあとすぐ予定が入ってまして」
いつの間にか麦わら帽子をとっていた香蓮が、礼と共に断りを述べた。
「そうですか。であればお荷物のお預かりと……一つだけルイさまの方へ忠告を」
「忠告……?」
ルイは眉を軽く寄せると、首を傾げながらそう漏らす。
「異能者絡みだとは思いませんが、街が少々騒がしくなることもございまして――」
異能者。
その言葉を耳にして眉がピクッと動く。
じいやの「念の為ですが、お気をつけください」という忠告を耳に挟みつつスマホを取り出し、「萩 事件」「萩 異能」と思いついた言葉を調べていく。
けれど出てくるのは旅館の閉業みたいなどうでもいい記事ばっかで、特に引っかかるものはない。
「ちょっとめぐちゃん、人前だよ」
「あ、ごめん」
香蓮から画面をサッと隠し、スマホをポケットへしまい直す。
不安が拭いきれたわけではないけど……一端は急を要するほどの事態ではなさそうで胸を撫で下ろす。
「――分かった。今日は陽が沈む頃には帰るよ」
サラッと約束を取り付けたルイの口調は、声色こそ軽くはあったけれど至って真剣。
……もしかしたら、本当は旅行を切り上げるべきなのかもしれない。
けど、せっかくここまで来たんだし。
ルイの意見に反対を述べるもせず、不安を一先ず呑み込んだ。
「了解しました、日没頃に合わせて夕飯を準備して参ります。ではお荷物の方を——」
爺やはそう言うと、私たちから荷物をそれぞれ預かり両肩へと抱え屋内へと入っていった。
……そのキャリーケース、キャスター付いてますよ。ってのは、わざわざ言わなくてもいっか。




