第4-2話:届かぬ刃
ルイがしびれを切らしたように、声高に名を呼んだ直後。
西日を覆う雲が除かれたのか、闇が陽の光で次々と暴かれ——その中に、到底人間のものとは思えないような動きで蠢く何かが潜んでいた。
「っふ、やあルイくん、久しいねぇ」
「やっぱりお前か、ジャン……!」
闇の中から姿を現した人間の男の形をした部分を、ルイは確かにジャンと人の名で呼んだ。
腕まである深緑のワンピースのような衣服の腰へベルトを巻き、まるで西洋時代劇の舞台上から出てきたような衣装を着こなし、腹には贅肉がついていた。
けれど、そんなものはその下についてるものに比べたら取るに足らなくて。
ワンピースの下から生える、胴回りほどはある紫色のタコのような触手。
それが全部で二十本はあり、うち六本は大木をも思わせるほどの太さ。
あまりに暴力的な質量、そそり立つ触手が壁のように立ちはだかる。
しかもさっきまで私がパイプだと思っていたものも全てその触手だった。
「ハ、ハハ……こんな大きかったっけ」
「もちろんさぁ! なんせ俺は万年成長期だからなあ!」
「……笑えない冗談はよしてくれよ」
ルイは首筋に汗を浮かばせ、乾いた笑いをしながらそう冗談めいたことを言った。
けれど、ルイがこういう反応をとるのも無理はない。
あまりの異形を前にして呼吸が乱れ、今までの異能者とは何かが根本から違うことを理解らされる。
けど、私が一番釘付けになったのはそこじゃなかった。
両腕を触手に縛られて、その異形の前に立ち尽くす香蓮。
彼女は目尻に涙を浮かべ、その顔を青くしていた。
「香蓮っ……!」
その姿を目の当たりにして勝手に一歩足が出たけれど、ルイが前に腕を出して私の行く手を阻んだ。
「……ッ!」
そりゃ分かってる、今行ったら相手の思うツボだって。
でも、香蓮を目の前にして何も出来ない自分が心底嫌で…………!
「シャルルさんとの休戦協定はどうした」
「はっ、軍の犬との約束なんて誰が守るかぁ? 第一なぁ——」
二人は前々から互いを知っていたのか、私の知らないことで舌戦を繰り広げていた。
けれどルイの表情には余裕がない。
口にしているのも一見今言う必要がないことばっかり。
もしかして、無駄な会話で時間を稼いでるんじゃ。
脳裏を過ったその可能性に息を呑む。
……簡単な勝負じゃない。
誰に教えられるでもなく、その舌戦から読み取った。
「っふ! それに俺は今までとちぃがーうッ!」
ジャンは左腕の袖を捲ると、その前腕を陽の光へと掲げた。
そこには枝に止まる両翼を広げた鳥と「ROME」という文字のタトゥーが赤黒いインクで描かれていた。
「……それはっ!」
「そうっ! 俺はロムルス様に恭順の意を示し、力を享受したのだッ!」
「ロムルスって……さっき言ってたヤツだよね」
朧気ながらにさっきの会話の記憶を思い出す。
確か、私を狙ってるとかなんとかって奴。
「ああ、そうだ……道理でこんな短期間で……馬鹿なことを」
「っふ! 馬鹿かどうか決めるのはお前達じゃない、ここで勝った奴さぁ! さあ分かったらその小娘を渡せぇ!」
ジャンは両腕を広げながらその触手を蠢かすと、触手の一本で香蓮の頬をでろんと撫でた。
わざとらしく垂らした粘液が香蓮の顔に纏わりつき、深く青ざめる香蓮。
……目的は私で、香蓮が人質。
私が降参すれば、香蓮は助かる。
けどまだあの事件のことを香蓮に償いきれてない。
だからまだ死ねない、離れられないのに——結局それも私の都合で。
香蓮一辺倒になれない自分への嫌悪、息の詰まるような思い、眼前の怪物への恐怖で心身がぐちゃぐちゃになる。
「なあ……大和」
そんな私の表情を目にしてか、ルイが歯切れの悪い声で言葉を紡ぎ始めた。
僅かに震えるルイの声。
「間違っても、鈴原だけ救って終わりにしないでくれ」
「なんでよ。ルイには関係ないでしょ」
「なんでって……友達だからだよ」
友達、ね。
まだ会って一日ぐらいしか経ってないのに、よく言ってくれるわね。
相変わらず、単純すぎて心配になった。
「……分かった。努力はする」
ルイの釘を刺すような発言に、そうやって乾いた返事をした。
でも今身を投げ出してないのは決意が出来てないだけ。だから、約束はできない。
「っふ……返事は無いみたいだなぁ? ならばぁ——」
ジャンはそう口にすると、立ち上らせた触手の先端をこちらへ向けた。
複雑にうねっていた触手も解かれ、整然と立ち並ぶ。
人質になっていた香蓮は、二本の触手に巻き上げられるようにしてジャンの背へと運ばれていった。
「力づくで捕えるまでだぁ!」




