第4-1話:届かぬ刃
「はーい、運賃五千円のお預かりねー……って、嬢ちゃんお釣りは」
「大丈夫です、急いでるので」
黒い制服の肩に白い粉を散らした初老の運転手へ向けてそうとだけ言い残し、手早くタクシーのドアに手を掛ける。
ショッピングモールから車で西に三十分と少しの港湾部にある、巨大な廃工場群。
少し鼻から空気を取り込むだけで錆の嫌な臭いがする気さえするこの場所に、香蓮がいる。
時刻上は間に合ったという安堵と、事態としては間に合っていないかもしれないという焦りを感じながら足を進める。
「ありがとうございました」
「はーい気を付けてねー」
運転手に挨拶を述べたルイが、私を追い越すような勢いで駆け寄ってくる。
「大和、お釣り」
「……いいって言ったのに。後にして」
「後にしてって……人にお金預けない方が良いって教えてくれたのは大和だろ」
……言い返そうとも思ったけど、ここで下手に体力を消耗する方が馬鹿らしい。
ルイから小銭を受け取り、それを適当にズボンのポケットへ突っ込んだまま足を進める。
あの電話から大体四十分、生きた心地がしていない。何も出来ない待つだけの時間。
「もしも香蓮がまた傷を負ったら」「万が一にも香蓮が死んだら」
そんな邪推が止まらず、可能性が広がる度にポケットの中に入れた手を握る力が強くなる。
時間は気がつけば十八時、陽は沈みかけ。
天気こそ晴れではあるけど、背から注ぐ西日に雲が掛かっていて時間の割に仄暗い。
工業地帯なのに騒音の一つも無く、建物同士をつなぐ古めかしいコンベアや配管のジャングルは、まるで何十年か前に時が止まったようにただそこに佇んでいる。
そしてその一つ一つが、すこし揺らせば錆の塵が落ち、そのまま崩れて来そうなほどに心許ない印象を受けた。
「……ここだな」
スマホを眺めながら地図と目の前にある建物を見比べるルイ。
入口には大量の廃材が並べられていて、中の壁際には大きな棚が並んでいる。
工場というよりは大きな倉庫のような印象で、日光の取り入れが悪いのか中が暗くよく見えない。
そればかりか湿気に乗せられて鼻腔へ流れ込んでくる土や錆の臭いがひどく、居心地が良いとはとても言えなかった。
「って、大和! 敵がどうやって待ち構えてるかも分からない、まずは様子見を──」
ルイがごちゃごちゃ言ってるのが聞こえたけど、香蓮がすぐそこにいるのに歩みを止める選択はない。
右手に無鋒剣だけ顕現させつつ、工場の巨大な入口へと歩みを進める。
元が廃工場なだけあって、入口からしばらく進むと陽の光はほぼ入らず、人の気配も感じられない。
倉庫のような建物にしては妙に小綺麗な、光沢のあるパイプが屋内に張り巡らされている。
――香蓮は、どこ。
そんな焦りだけが澱のように積み重なり、口腔が乾く。
過集中のせいか、自分の足音が壁に一度反射するたびにそれぞれが別の音に聞こえた。
でも……彼女は、すぐ近くにいた。
雲に隠れていた西日が顔を出し工場の奥にまで陽の光が注がれると共に、彼女の姿が浮き彫りになる。
「ッッッ! 香蓮っ!? 」
よ、良かった……生きてた……!
陽が差し切っていないせいでその表情は見えない。
ぽっかりと空いた不安の穴を埋めるように彼女の元へと無思慮に駆ける。
何かを忘れている自覚はあったけれど、そんなものは溢れんばかりの安堵に打ち消される。
けれど。
彼女の寄った眉や歪んだ口を目にし、僅かに安堵に陰りが見えた時だった。
「──めぐちゃん、逃げて!」
香蓮が掠れた声で、けれどはっきりと。
逃げるって、何から――?
そんな疑問を浮かべた瞬間には、私の視界の右を眩い閃光が走ると共に、誰かが私の前に飛び出ていた。
「ッ!?」
突然の閃光に、反射的に腕で顔を覆う。
けれど、痛みも目が焼け焦げるような感覚もない。
恐る恐る目を開けると、右手に細身の銀色の剣を携えるルイの姿が目の前にあった。
その足元には、胴回りほどもあるタコのような触手が紫色の血液を噴き出しながらのたうち回っている。
触手は二、三箇所が焼け付いたように焦げていて、周囲には焼け焦げた肉のような匂いが立ち込める。
痙攣が終わった触手は、しばらくすると香蓮の後ろの闇へとシュルシュルと手繰り寄せられていった。
その瞬間、何が起こったか理解する。
――敵だ。
再び光の粒子より無鋒剣カーテナを呼び出し、ルイの横へ立つ。
「敵はどこ!?」
「触手……ヤツか」
その問いに答える暇もないのか、ルイは黙ったまま更に二歩ほど前へ出る。
私の少し上を、バスケットボールほどの光るガラス球がいくつか通り過ぎ、ルイの頭上へ整列した。
不気味なほどの静寂。
粘液が僅かに泡立つような音と、香蓮が啜り泣く音だけが廃工場の中で厭に響く。
「卑怯な真似をしてないで出てこい、ジャン・ド・モンフォール!」




