第1-1話:檻に差す光
「ねえ知ってる? 血ってさ、酸素系の漂白剤じゃないと落ちないんだよ」
私が住んでる街の少し外れ、パレットやら何に使うのか分からない機械やらが大量に棄てられている産業ゴミの集積場。
陽が沈んでしばらくしたこの時間になると誰も居なくなるそんな場所で、私は血の乾いたシャツをつまんで見せつけながら、そんなことを目の前で座り込む男へ聞いた。
「スカートには漂白剤なんて使えないし、シャツも汚れが絶対落ちるわけでもないんだよね。しかも酸素系って高いし。これ、どうしてくれるの?」
追い詰めたのは、高いゴミ山の合間にできた袋小路。
その最奥で、一人の浅黒い肌をした彫りの深い男が右肩を押さえながら打ち捨てられた冷蔵庫に体重を預けている。
「……何の話だ」
「別に。そんだけうんざりしてるって話。私さ、あんたらみたいな奴らに生活壊されてばっかだからさ」
「クソっ……現代人の女がなぜこんな……」
……舐められてる。
別にそれ自体はどうでもいいんだけど、だからっていつまでも軽々しく襲ってきたらキリがない。
かといってまだ見ぬ異能者にお灸を据える方法もないわけだし、こうやって面と向かって一人ひとり相手するしかないんだけどさ。
「あんた名前は? 軍に突き出すのに要るから教えてほしいんだけど」
持っていた鞄を放り投げ、右手を突き出す。掌に集まった砂金のような光の粒子が、瞬時に一本の剣を形作る。
金の柄に切っ先が割れるように欠けた細身の剣──無鋒剣が姿を現した。
「……アフマド・シャー。私はアフマド・シャーだ! 貴様の命、必ずもらうぞ!」
男の方も大きく湾曲した刀身を、空に浮かぶ光の粒子から取り出す。
「一世一代の大勝負」と言わんばかりに、血を滾らせたような表情を浮かべていた。
「そ、アフマドね。了解」
だけど、これは私にとっては数ある戦いの一つ。
たった一人の親友とのかけがえのない日常を守るための作業。
「たあーッ!」
前傾姿勢になりながら、私の方へ勢いよく踏み込んでくる男。
腕を固めながら行う、腰だめでの突進。
「それ、さっき見たから」
男の突進に対して、こちらへ向かってくる刃を左手で握り勢いを逃がしながら避け。
私は男の背中へ向けて、皮膚をなぞるように無鋒剣の刃を立てた。
******
夜が深まり、誰もがとっくに寝静まったあと。
薄黒いカビの生えた風呂場でしゃがみ込みながら、茶色がかった染みの残るシャツを湯で揉む。
土と血の汚れ。乾いてから時間が経ち、繊維の奥に潜んでいた血の臭いが、湯で揉むたびに蘇り鼻を強く刺す。
「はあ……こんなもんか」
スカートとシャツを桶に漬け置きし、傍に置いてあった徳用大容量の漂白剤バケツを手に取ってバスマットへと足を踏み入れる。
「……ん」
肩の辺りがひんやりとした熱をもつ。
跳ねた湯がかかっていたのか、青いインナーカラーの入った黒い髪が濡れてしまっていた。
拭こうとバスタオルへ手を伸ばすも、今度はその手に目が釘付けになる。
そろりと長く、けれど指の根元に手豆の出来ている、見慣れたいつもの白い掌。
何時間か前にはそこにあった抉るような深い刺し傷はない。
今回も、治ってしまった。
掌を握り込むと共に、傷があった場所にないはずの痛みが走った。
「リリリ! リリリ!」
服や用品が積まれ、使わなくなって久しい洗面台に置いていたスマホが高い音を鳴らす。
こんな時間にいったい誰――。
そんな疑問は、〇五から始まる見慣れた電話番号を目にしたところで無に帰した。
「もしもし、夜分にご迷惑かけます。日本陸軍春日井駐屯地からお電話させていただいている――」
「何の用ですか。早くしてください」
電話を耳にあてがいながらワンルームの真っ暗なキッチンを横切り、折り重なったゴミの中に浮かぶソファへと歩みを進める。
その道中目に入ったのは、キッチンのシンクの上に置かれた封筒。
送り主の名義はまたもや軍の基地。それを視界に入れた瞬間、封を開けずゴミ箱へ投げ捨てた。
「本日捕らえていただいたアフマド・シャーを名乗る異能者ですが、あのあと意識が回復したそうです」
「……そ、命があって何より」
瞬間、彼の胸へ刃を通したときの情景が目に浮かぶ。
結果から言えば、彼は自分で傷を癒す術を持っていなかった。
塞がらない傷。溢れ出す鮮血。殺してしまうのかと焦りが浮かんだ。
けれど、弱いって言っても腐っても異能者。存外早く目が覚めたことに、思わず胸を撫で下ろす。
「ご連絡感謝。じゃ、切るわね」
「あ、お待ちください。まだ重要な連絡が何個か」
スマホから耳を離すと同時に、スマホに表示された赤い終了ボタンをタップする。
「重要な連絡って、どうせまた勧誘でしょ」
別に今に始まった話じゃないにしてもさ。もっとアプローチ変えるとかいろいろあると思うんだけど。
まあ、絶対応じることはないけどさ。
「はあ」
あまりのしつこさに溜息を漏らしながら、ふと視線を上に向けると――。
「……嘘でしょ」
唯一楽しみにしていたテレビのレイトショーの映画枠はそこに無く、テレビに無慈悲にも映し出されるは臨時の深夜ニュース。
白いヘルメットを被った現地レポーターが、焦りの表情を浮かべながらカメラへと目線を向けていた。
「名駅前センタービルへ先ほど陸軍が突入して十数分が経過しましたが、中では一体何が行われて――あっ! 見てください、容疑者の異能者が拘束されて建物から出てきました!」
そうして出てきたのは、台車に拘束された彫りの深い顔の男。
その周りには銃を持った兵士達が立ち並んでおり、近付いてくる野次馬やマスコミに怒号を浴びせている。
男がもがく度に、身体から白い靄が漏れ出る。
「十一世紀の宗教指導者、ハサン・サッバーフを名乗る異能の容疑者は、昨日日没後に犯行に及んだとされ――」
「また、か」
テレビのリモコンへ手を伸ばし、親指を電源ボタンへ添える。
けれど、親指に力が入らない。
「軍と容疑者の格闘は数時間続き――」
「その後深夜一時過ぎに拘束された模様で――」
どうでもいい、どうでもいい。
焦りのような何かが、貧乏揺すりとなって漏れ出る。
「死者、負傷者共に確認されていませんが――」
「……よかった」
そこでふっと何かが切れた。
ようやくテレビの電源を切り、ソファへ身を投げ出した途端。全身から力が抜ける。
レイトショーが潰れたことに腹を立てる気力も、ベッドへ移動する気力すらも残っていない。
見上げる天井は真っ暗で、どこまでも先がない。
ああ、もう。
何もかも、全っ部台無しだ。
「……もう、異能なんて無くなっちゃえばいいのに」




