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第18話 浸食の足音


三十二階層の地形変質は、ゆっくりと、しかし確実に進行していた。


最初は壁面の色がわずかに変わる程度だった。

次に、床の質感が硬質化し、未知の鉱質へと置き換わる。

そして今、空気そのものが変わり始めている。


観測室のモニターに映るのは、階層断面図。


白石総一郎が説明する。


「魔素構成比が異世界側へ傾いています。浸食率は現在三十八パーセント」


「臨界までどれくらいだ」


和泉康介の問い。


「推定十日」


短い。


国家側は防衛線構築を正式決定した。


三十二階層に限定拠点を設置し、侵攻を食い止める。


主力は蒼輪の盟約と緋天の行軍。


補助に山波大樹を含む選抜探索者。


そして中央に来生雅也。


だが彼の役割は明文化されていない。


表向きは現場回収と臨機応変対応。


実質は、抑止力。


その日、三十二階層に仮設拠点が築かれた。


結界杭が打ち込まれ、支援術式が展開される。


真田和希が術式の安定を確認する。


「持続は六時間。再展開に三十分」


九条烈斗が槍を肩に担ぐ。


「十分だ。来るならその間だ」


空気が張り詰める。


雅也は裂け目跡地を見つめる。


かつて円環があった場所。


今は歪みだけが残る。


だが奥で何かが脈打っている。


聞こえる。


帰還せよ。


管理外個体。


声は以前より明瞭だ。


拒絶すればするほど、鮮明になる。


「大丈夫ですか」


隣に美野里。


彼女は回復支援要員として拠点に入っている。


「平気だ」


短い返答。


だが彼女は見抜く。


「無理はしないでください」


その声は静かだが強い。


雅也は視線を逸らさない。


「無理はしない。必要なことをするだけだ」


それが彼の答え。


夕刻。


浸食が加速する。


壁面が崩れ、新たな構造体が露出する。


金属とも石とも違う、滑らかな黒い物質。


篠宮雫音が触れずに観察する。


「魔力伝導率が異常に高い。術式の媒体になります」


つまり、戦場そのものが敵の武器になる。


突如、地面が震える。


浸食構造体が割れ、そこから出現したのは――


異形の兵。


黒衣ではない。


甲殻のような外殻を持ち、四肢が長い。


目は赤い光を宿す。


一体、二体、三体。


拠点を包囲する形で現れる。


「迎撃!」


朝霧直哉が号令。


九条が前へ出る。


槍が甲殻を貫く。


だが内部から黒い霧が噴き出す。


霧は地面を侵食する。


「触れるな!」


雅也が叫ぶ。


天城紗夜が闇障壁を展開し、霧を遮断。


篠宮が水流で流す。


真田が全体強化。


連携は速い。


成長の成果が出ている。


だが敵は倒しても消えない。


黒い物質へ溶け、再構築される。


「再生型か」


九条が舌打ちする。


雅也は観察する。


核がある。


中央、胸部。


微細な魔力集中点。


彼は前へ出る。


「下がれ」


拳を振り抜く。


最小限の力。


核が砕ける。


異形は崩壊し、再生しない。


朝霧が理解する。


「胸だ!」


蒼輪と緋天が一斉に核を狙う。


連携が洗練されている。


数分で殲滅。


だが地面の浸食は止まらない。


むしろ広がる。


通信が入る。


「浸食率四十五パーセント」


白石の声が緊張を帯びる。


「この速度では十日持たない」


夜。


拠点の仮設テント。


山波が雅也の隣に座る。


「正直に言え」


低い声。


「お前が本気出せば、全部止められるんじゃないのか」


核心。


雅也は黙る。


否定はしない。


肯定もしない。


山波は苦笑する。


「だよな」


沈黙。


「でもさ、全部一人で背負うな」


その言葉は重い。


「俺たちは飾りじゃない」


雅也は目を閉じる。


分かっている。


だが恐れている。


本気を出せば、戻れなくなる。


守るために、失うものが増える。


外で足音。


桜子が立っている。


「浸食は止まりません」


静かな声。


「交渉の余地はないのでしょうか」


雅也は首を振る。


「相手は管理だ。交渉は上位存在にしか通じない」


「では、上位に届く存在は」


問いの意味は明白。


雅也は答えない。


答えれば、自分の正体に近づく。


遠くで再び地鳴り。


浸食が拠点の外縁に迫る。


足音は、止まらない。


深層。


黒衣が新たな構造体を見上げる。


侵攻準備六十パーセント。


管理外個体排除優先。


環境制圧後、完全回収。


均衡は崩れつつある。


拠点に緊張が走る。


美野里が雅也の手をそっと握る。


一瞬。


驚く。


だが振り払わない。


「一緒に立ちます」


言葉は小さい。


だが確かだ。


雅也はゆっくり頷く。


浸食の足音は近い。


世界の境界が、軋みを上げる。


勇者は名乗らない。


だが、退かない。


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