初めてのダイブ
ミツはちょっぴり落ち込んだまま自分の部屋に入った。しかし彼女のその憂鬱な気持ちは長くは続かなかった。
部屋の中に四角い箱を見つけたからだ。ミツは箱に駆け寄った。
最近爪を切ったばかりでその段ボール箱のガムテープをうまく剥がせなかったので、ミツはまるで気が短い人のようにびりびりに破いて開けた。中からは梱包材にくるまれた一つのゲームカセットが姿を現した。
「Magic Hobbies Online」通称MHOが家に届いた。
ミツはパッケージイラストを矯めつ眇めつした後、同じくらいの時間をかけて薄い説明書をじっくり読んだ。VRゴーグルをつければ頭の中で考えた通りにキャラクターが操作できるので説明書の内容はほとんど基本設定の紹介だった。
ちょっと古風な地図が同封されていて、これはとてもミツのお気に召した。
大体の設定を把握した後、ミツは枕元のVR専門のゲーム機の電源をいれ、中にMHOのカセットを入れた。このゲーム機はコードでVRゴーグルと、ゲーム映像を録画する機械へと繋がっている。
そのVRゴーグルをつければミツの意識はMHOの世界へと吸い込まれる。
ミツは興奮がおさまらなかった。こんな年相応の、いや、それより更にもう少し子供っぽい反応を見せるのは何年ぶりだろう。
彼女はこの時から、人生を変えるような素晴らしいゲームとの出会いの予感を感じ取っていたのかもしれない。
ミツは布団に横になってVRゴーグルを顔に装着し、電源をオンにした。
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ミツはMHOの世界にダイブした。
光が溢れ、意識が遠くなっていく。そして次第に鮮明になる。
気づけば彼女はキャラクリエイトの世界にいた。空中に無数のウィンドウが浮かび、周囲はメカニックな青いグリッド線が見えている。
言語の選択や画面の調整もここでするようだ。設定をテキパキと済ませ、キャラクターの容姿や種族を設定する画面に進んだ。
ミツはキャラクリエイトへのこだわりがなかったので、自分の姿をそのまま映写した素材から、自分そっくりのキャラクターを生成した。
若い人ほど自分の現実の姿でVRの世界に潜る。それは自分の若さに自信があったりと色々な理由があるのだが、一番の理由は仮想空間に自分と同一の存在を作ることに若者の方が抵抗感を持たないからだ。
ミツも同様にそう考えていて、自分そっくりのキャラを作ることの方が自然だと思っていた。
もっともMHOは様々な年齢の人間がプレイしていて、相対的に若者の比率は少なく、したがって現実の姿そのままで潜るものはごく少数なのだったが。
ミツの肩口で切りそろえられた短めの黒髪と白い肌、キョロッとした大きな瞳は美少女と言って差し支えなかった。
種族をエルフに設定したので耳はとんがったが、それ以外に身体的特徴に変化はなかった。
ミツは魔法を使うことに強い憧れがあったので、職業は魔法使いにした。エルフを選択したのも魔法が得意だと説明文に書いてあったからだ。
その他色々なステータスやスキルを弄れるようだったが、いつでも変更可能らしかったのでミツは、もしこのゲームにハマったらその時しっかり考えよう、と思ってランダムに選んだ。
『各種設定お疲れ様です!それではMHOの世界へようこそ!』
というアナウンスと同時に青い設定画面が四角く晴れていき、そしてビュウ!と風が吹いた。
ミツは目を見張った。
彼女は草原のど真ん中に立っていて、風を受けていた。いつの間にか着ていた魔法使いの長いローブがはためき、大きな帽子が風に飛んでいきそうになって慌てて抑えた。土、岩石、遠くには木々と城壁のようなものが見える。
青空、雲、草のそよぐ音、匂い、生き物の気配に満ちていた。
ミツは足が震えた。自分はこれからこの世界で生きていくのか、と切実に感じた。その喜びと恐れと興奮。
とても勇気が必要に思えた。この世界で、誰も頼りのいないこの美しい世界で、自分は生きていくのか。
恐る恐る一歩踏み出した。ジャリ、と音を立てて革のブーツが土を踏んだ。
ミツは、気づけば泣いていた。
手に握っていた、魔法使いの長い杖にすがってうずくまった。しゃくりあげながら体を震わせて泣いた。
この感動をどう伝えればいいのだろう。自分は今この瞬間生を受けたのだと思ったのだ。
夢に何度か見た草原はここだと強く心が訴えてきた。自分の中の原風景にたどり着いたという直観。世界と自分が一体になった気がした。
やがて落ち着いてからも、ミツはごろりと草原に横になったまま動かなかった。雲が流れていくのを飽きずに眺めていた。
次第に暗くなってきて、雨の気配が漂ってきた。
このまま全身で雨を受けたいと思ったが、今日はこれくらいでログアウトしよう、と決めた。
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『日記 4』を投稿しようと思った。
最初は『MHO プレイ動画1』として投稿しようと思っていたのだが、今日の録画を見返していると、『日記』にしたくなった。
素晴らしい景色を切り抜き、言葉を考えた。とても楽しい作業だった。
録画は視点を切り換えることが可能で、三人称視点で泣いた瞬間の自分の顔が撮れていた。
恥ずかしかったが、この感動を共感してほしくて、涙が頬を伝う後ろからの映像を一瞬だけ入れた。
今日の録音はどうしても泣けてきてしまって、最後まで上手くしゃべれなかった。
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おはようございます。
お疲れ様です。
今日はいつもと一風変わって映像はゲームの録画から切り取ったものです。MHOというVRのゲームです。とても綺麗でしょう?
説明書にも、公式ホームページにも、この草原の美しさが詳しく載っていないのは何かの間違いだと思います。
とても楽しかったので、これから『日記』はこのゲームの内容ばかりになると思います。日記ですから、そんなものですよね。
専門的なゲーム内容になってくると、『プレイ動画』として投稿しようと思います。配信もしてみようかな。
なんというか、うまく言えないんですけど、今日は人間に生まれてよかったって、初めて思いました。変ですよね。
明日が来るのが楽しみなんです。
言いたいことが、うまく言えません。喋るのは苦手ではないんですけど、すみません。
今日はこのくらいで、ではまた。
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映像の最後は、兄、賢一に頼んで撮ってもらった動画で締めくくられていた。
電源を切ったVRゴーグルを顔につけて、はにかむように笑って控えめにピースするミツの画だ。ミツの姿が正面から撮られたのはこれが初めてだった。