~ エピローグ ~
週明けの月曜日。梨央の家のキッチンにはマリアがフレンチトーストを焼く匂いが漂っていた。先に起きた智久は、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
二階からテレポートしてきた制服姿の梨央が、スッとマリアの背後に現れる。
「ママ~、おはよ~」
甘え声で挨拶して、フライパンとフライ返しで両手がふさがっているマリアに、後から抱きつく。マリアは気にせずパンを焼く。
「あら、梨央。もうお姉さんなのに、甘えん坊ね」
「う~ん、だってママが朝ご飯作ってくれるの久し振りなんだもん、嬉しくって。いい匂い」
梨央がマリアの背にすりすりと頬を擦りつける。
急に、巨大な手で腕をつかまれるような感覚がした。マリアの腹に絡めていた腕がじりじりと引き離される。
「ぐっ! ア、アル! 何すんのよ!」
いつの間にかキッチンに降りてきたアルが、ジト目で睨んでいる。
「アルのママに何してるのだ。姉ちゃんは高校生だから甘えなくていいのだ」
「あんたももう中学生でしょうが! いいかげん乳離れしろ!」
梨央の身体が時計の針のようにくるんと回り、上下が逆さになった。
「きゃあ!」
めくれるスカートを手で押さえる。
「まいったと言うまで逆立ちするのだ。早く降参するのだ」
梨央は歯軋りして悔しがったが、ハッと妙案を思いついた
「これでどうだ!」
梨央はスカートを押さえていた手を離し、上着も捲りあげた。お揃いのピンクのブラとパンツがあらわになる。
「わっ! バ、バカ」
一瞬で真っ赤になったアルが、手で顔を覆い目を逸らす。
梨央は逆さのまま落っこちた。頭を床に打ち付け、倒れた足がテーブルにぶつかり騒々しい音を立てる。
智久が飲みほしたコーヒーカップが転がり落ちるのを、フライパン片手のマリアがキャッチした。落ちるのがわかっていなければ取れないタイミングだ。
「い、痛たたた……ア、アル! てめえよくも!」
「二人とも、そのくらいでやめなさい。パンが冷めるわよ」
マリアがカップをテーブルに置き、フレンチトーストをフランパンから皿に移す。
母の指示は絶対である。梨央とアルは、しばし睨み合い、互いにフン、と言って顔を逸らした。
☆
マリアとアルは、今日はアルが通っていた中学に行く予定だ。復学の手続きをするのだ。
梨央は一人で学校に向かった。苛立った様子で通学路を歩く梨央。絡まった釣り糸をほぐすような難しい顔をしている。
テレポーテーションを使わないのは、遅刻しそうなとき以外は電車と徒歩で通学するようマリアから言われているからだ。毎日テレポーテーションを使って登下校していたら、必ず誰かが気付くから、というのがその理由だ。
「……やっぱりサイコキネシスを身に付けないと勝負にならないわね。今日SF研集合かけて、その話しよう」
ぶつぶつとそんなことをつぶやきながら歩いていると、頭に電波が届いた。小春の家からの電話だ。喜んですぐに脳内で電話を取る。
「もしもし、小春? どしたの朝から?」
声を出さないでも通話できるのだが、ついつい声が出てしまう。幸い聞こえる範囲に通行人はいない。
「梨央先輩! お、おはようございます! あ、あの、こんなこと頼んでいいのか分かんないですけど、怒んないで聞いてくださいね。きょ、今日寝坊して、あたしまだ家なんです! もう遅刻確実なんで、ごめんなさい梨央先輩、テレポで学校連れてってもらえませんか!」
焦ってどもりながら小春は言った。あたふたしてるのが可笑しくて、梨央はクスッと笑った。
「何だ、そんなこと。小春のためならお安い御用よ。すぐ行くからね」
視界を小春の家に飛ばす。二階の自室に夏希と一緒にいた。傍らの小道に入り、左右を見渡す。誰もいない。梨央はすぐに飛んだ。
「おー! 梨央さんだー! カッコいいー!」
部屋の真ん中にスタッと降り立った梨央に、夏希が興奮して拍手を送る。
「梨央先輩! 来てくれてありがとう!」
コンタクトをする暇もなかったのだろう、久し振りにメガネ姿の小春が梨央にすがる。
「小春、おはよ~! 夏希はいつも元気だね」
「さ、早速ですけど、いいですか? 学校までお願いします!」
「お姉ちゃん、あたしもテレポーテーションしてみたい」
「夏希は後! お姉ちゃん遅刻しちゃうから!」
えー、と不満そうな夏希を、梨央がなだめる。
「夏希、今度本当に一緒に飛んであげるから、今日は我慢してね。小春、行くよ。異次元で迷子にならないように、しっかり抱きついて」
「はぁい」
今まで何度も手をつなぐだけで飛んでいるのに、疑うことを知らない小春は梨央の背中に手を回し、しっかと抱きついた。半分冗談で言った梨央はドキッとした。
「わあ、抱き心地いい……」
うっとりとして小春を抱きしめる。柔らかな身体の感触と、何だか分からないけど良い香りを堪能する。
「……梨央先輩、まだ?」
なかなか飛ぼうとしない梨央を不思議に思い、小春が尋ねる。慌てて梨央が取り繕う。
「し、しっかり移動先を見定めてから飛ばないと危ないのよ! よ、よし、狙いが定まったわ。行くわよ!」
二人の姿が消える。夏希が「おー!」と歓声を上げた。
梨央と小春がSF研の部室に着地する。
「わっ、すごい、もう着いちゃった! 梨央先輩、ありがとうございます!」
梨央から離れ、嬉しそうにする。梨央は名残惜しそうに手をわきわきさせている。
「わーい、遅刻しないですんだ。梨央先輩に何かお礼しなくちゃいけませんね!」
にっ、と嬉しそうな笑顔。梨央の胸がきゅんと鳴る。
「じゃ、じゃあ……ほ、ほっぺにチュッ、とか頼んでいいかな?」
梨央が赤い顔でそう言うと、小春は首をかしげた。
「そんなのでいいんですか? じゃあ、チュッしてあげるね」
――今日は良い日だなあ――。
梨央は天を仰ぎ、十字を切って神に感謝した。
「梨央先輩、高いなあ。ちょっとだけ屈んで」
言われたとおり少しだけ膝を折って身を屈める。小春がそっと顔を近づけてくる。唇の感触を余さず味わおうと、梨央は意識を集中するため目を閉じた。
しかし、なかなか唇がやってこない……あれ? どうしたのかな~と思って、梨央は薄目を開けた。見覚えのある切れ長の目が、間近で見つめていた。
「ぎゃあ! レ、レーコ! 何であんたがいるのよ!」
梨央が肩に殿様バッタが止まったように狼狽する。麗子はジト目で睨んでいる。小春はというと、麗子に口を押さえられ困った顔で立っていた。
「さっきからいるわよ。克彦が部室にソファ持って来るって言うから、場所を選んでたの。お楽しみのところ邪魔して悪いわね、梨央」
ハッと目をやると、部室の隅に克彦もいた。肩をすくめて、我関せずとアピールする。
「い、いるならいるで何で声かけないのよ! 幽霊じゃあるまいし!」
「あんたと小春が抱き合って出てくるから目が点になっちゃったのよ!! 私の目を盗んで何やってんだあんたはー!」
麗子が飛びかかって梨央の頭をグリグリする。梨央の叫び声が狭い部室に反響した。
「痛い痛い痛いー! あ……頭に穴が開くー!」
床に倒れてもなおもグリグリを続ける麗子。小春が「レーちゃん、制服が皺になるよ」と忠告したが、なおも続けた。
そこへ、キチッとしたスーツ姿のマリアと、中学の制服を着たアルが、抱き合ってストンと降り立った。
「あ! マリア先生!」
マウントポジションで梨央をグリグリしていた麗子が慌てて立ち上がる。娘がこんな目にあっていても、マリアは笑みを崩さない。
「ふむ、ここがSF研の部室か、なのだ。あ、小春ちゃんもいるのだ」
「ごめんね、アルがどうしても部室を見てみたいって言うもんだから」
アルの頭を撫でながらマリアが言った。
自分で歩いて通学しろと言ったのに、平気で戒律を破る。予知能力者だけにマリアは唯我独尊の傾向がある。
「アル! 何しに来やがった! おまえはとっとと中学に行け! ここに来んな!」
立ち上がった梨央が、涙目でこめかみを押さえながら怒鳴る。アルは平然としている。
「ふん、姉ちゃんは関係ないのだ。ママが顧問なのだな? アルもちょくちょく顔を出すのだ」
「おまえは来んな! 部員でも何でもないだろがっ!」
「関係ないのだ。こ、小春ちゃん、よろしく、なのだ……」
マリアに抱きつきながら、顔を赤らめて挨拶するアル。
「こちらこそ、よろしくね、アル君」
博愛精神溢れる小春は、にっこりとコスモスのような笑顔を返した。
「よろしくじゃねえ! とっとと中学に行け! おまえは!」
アルに飛びかかろうとする梨央を、マリアは手で顔を抑えて制した。梨央が手を振り回してジタバタする。
「落ち着いて、梨央。アル、遅刻するわよ。もう行きましょう」
アルは唇を尖らして拗ねた顔をしたが、すぐにマリアの手を握り、一緒に飛んで消えた。言いつけ通り中学に飛んだらしい。
アルが去った後も、梨央は興奮して肩で息をしていた。火照った顔のまま、テーブルにバンッと両手を突く。
「いい!? あのバカに対抗するには、サイコキネシスが不可欠よ! SF研は一丸となってサイコキネシス習得に乗り出すわよ! いいわね!?」
決意を込めた顔で三人の顔を見渡す。みんながたじろぐような気勢だったが、梨央はこれくらい元気な方がいい。
「もちろん! オレ何でも作るぜ!」
「あ、あたしも、頑張って、えーと……理屈とか、考えます」
「……副部長として協力します」
「元気が無いわよレーコ! 克彦を見習いなさい!」
後ろ向きに感じられる麗子の返事に、すかさず梨央が喝を入れる。
「……私、元々あんたが小春に悪戯しないようにお目付け役としているだけなんだけど……特に担当ないし」
「何を言ってるの。あなたは巨乳担当としてSF研になくてはならない存在よ」
「嫌だ! そんなポジション! マリア先生に譲るわ!」
「ママは顧問なんだから、いつもいるわけじゃないじゃない。さあ、一致団結したところで、円陣を組むわよ!」
みんなで輪になり、手を合わせる。麗子もしぶしぶと手を乗せた。
「サイコキネシスをマスターするぞー!」
「「「「オー!!」」」」
元気の良い掛け声が、SF研の部室に響き渡った。
おわり