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9.甦る冬の国


 山頂から見下ろす光景は、以後いつまでもロセンの胸の内に残るものになった。

 幾万、幾億の雪が、風もない空気の中をただ穏やかに降り注ぐ。かつてのあるべき冬の国を、再びこの世に呼び戻そうとするかのように。

 地平線よりも少し手前には、恐らくは春の軍隊なのであろう、馬や騎士や、花や若木や草木が、そこだけ色鮮やかな点になって、雪の降る中を移動しているのが見て取れた。

 急にごっ、と風が吹き、灰色の重たい雲が春の軍隊を追いかけるように、粉雪を吐き散らしながら動き始めた。

「――よい。止まれ、雲よ」

 王が低く呟くと、ぴたりと風が止んだ。

「何故ですか、王さま」

 雲の怒りを内包した声が、中空に凛と渡る。

「奴らを懲らしめなければ、私たちの気がおさまりません」

 小瓶の中で自身の無力を嘆いた雪の言葉も、尤もなものだと言える。王は痛ましそうに瞳を揺らしながらも、太い声で彼らに答えた。

「確かに私たちは大きな痛手を受けた。しかしそれは、向こうも同じだろう」

 雲と雪は、ただ粛然と王の様子を窺っている。

「我々の生きている本分を、思い出せ」

 王の言葉に、雲が返事をした。

「ええと……」

 雲の言葉に続いて、雪が結論を述べる。

「……『春の喜び』のため、です」

「そうだ。私たちは、まさにそのために存在しているのだ」

 王の朗々とした声は、音を吸い込む雪の上でも、確実に相手に届くような迫力があった。

「私たちの生きる理由を、消すことは出来ない。彼女を滅ぼすことは、すなわち私たち自身を殺すことでもあるのだ」

 ロセンは、王の言葉に驚く。そして妙に納得もした。

 彼が女王との対峙を避けて逃げたのは、そして戦いを挑もうとしなかったのには、そういういわれがあったのである。門番同様、王も自身がどのような存在であるかを、知悉していると思われた。

「……春の女王が我々を滅ぼそうとしたのが、理解に苦しむ行いであることは解る。しかし、彼女の本分が『成長』である以上、仕方のないことでもあるのだ。『均衡』とはある意味真逆のあり方を、女王は『強いられている』のだから」

 王はそこで微笑むと、雲と雪を安心させるように、空中に手を伸べる。

「だが、こうして『均衡』は保たれた」

 風も音もなく、真綿のような雪が、一つ、二つと天から降り落ちる。

「『それ』を保持していくことが、我々の務めであり、定めなのだから」

「……はい、王さま」

「仰せのとおりに」

 雲と雪の声には、隠しきれない悔しさが滲んでいた。しかし言葉の上では頷いている。

 風は吹かず、雲も動かず、舞うように落ちる雪の一片が、静寂の中、国を白く染めていく。



 王が国に戻ると、どこから湧いてきたのか、雪だるまや雪ウサギ、氷や小さな氷柱が、声も軽やかに王を出迎えた。

「王さま、お帰りなさい!」

「城が元に戻っているよ。――さあ、働いた働いた!」

 がやがやと騒がしく、活気に溢れた街を、ロセンはきょろきょろと眺める。春の軍隊に占領されていた場所と、同じところとは思えないほどの賑やかさだ。

「城を見ていくかい?」

 王の誘いに、ロセンは一も二も無く頷いた。

 国が戻ったという喜びに満ちた市街を抜け、街の中心に近付くと、高大な蒼い氷の城が、彼らを出迎えた。

 雪だるまの家令が王とロセンを案内し、途中でロセンはとある部屋で待つように申し付けられた。

 重厚な雰囲気を持つ部屋の装飾や家具は、そのほとんどが氷で出来ているようだった。しかし寒くもなければ、触っても冷たくないというのは、一体どういうことだろう。余りの不思議さに、最終的にロセンは考えるのを止めた。

「――待たせた」

 王が戻ってくると、ロセンは彼の本当の身分を、改めて認識した。

 彼こそは冬の王。

 白と灰と蒼の主。

 白地に青の糸を使って複雑な紋様の刺繍された上衣の裾は長く、丈高い王の足首までを隠している。所々に差し色として配された金の使われ方が全く嫌みではなく、むしろ王自身の銀の髪や蒼の瞳に、ささやかに彩を添える形となっている。

 そして王の頭上には、銀と青鋼石で作られた、精緻にして存在感のある冠が載せられていた。

「いえ。……国が甦って、何よりです」

 ロセンはそう言うと、足が氷で出来た布張りの腰掛から立ち上がり、恭しく膝をついて頭を垂れる。服従の礼に、慌てたのは王の方だった。

「面を上げられよ、ロセン殿。貴方が女王に囚われながらもこの地を占ってくれなければ、冬の国はこう早く再生できなかっただろう」

「いえいえ。むしろ数々のご無礼を、お許しください」

「無礼など。君には本当に世話になった。――あれを」

 王が背後を降り返ると、小さな小瓶を金属のトレイに捧げ持った、雪だるまが静々と前に進み出る。

 小瓶には真っ白な何かが詰っており、ロセンは目を瞬かせてそれを見つめた。

「これは……?」

 ロセンが王に尋ねると、王は軽く微笑んで答えた。

「万年雪ですよ」

 ロセンは目をみはって、小瓶と王を何回も見直した。

 「万年雪」は、どんなことがあっても融けない雪だ。もちろん炎熱の溶岩の中などに入れれば融けてしまうが、灼熱の太陽の下でも凍っていると言われている。

 しかし、人の口に入ると、甘露のような水に変わるのだ。旅人、特に遠路を行く旅人にとっては、これ以上ない装備であり、また必需品の一つでもある。

 稀少な品であるから、めったなことでは市場に出ない。それを、小瓶一つ分も、王はロセンに賜るというのである。

 破格の褒賞であり、換言すれば分不相応な対応であるとも言えた。

「これからも旅を続けるなら、これが入用でしょう」

 王の声は落ち着いており、自分はごく当たり前のことをしているのだと言っているような雰囲気だった。

「良いんですか? こんな貴重なもの……」

 ロセンは怖々と王に確認する。

「君は国を、世界の均衡を保ったんですよ? こんな礼など、些細なものです」

「いえいえ! 僕はただの流れの占い師。これでは勿体ないほどです」

「そうですか? では別の――」

「ありがたく頂戴いたします!」

 笑顔で言い切るロセンに、王は爽やかな笑みを返した。



「ところで、いきなり態度変わりましたねえ」

 ロセンの揶揄に、王は頬を赤くして、小さく反論する。

「……すいませんね動転してたんで」

 その様子があまりにいじらしくて、ロセンは思わず笑ってしまった。部屋に二人以外の人がいれば、もしかしたら不敬罪で囚われたかも知れない。

「ああ、そうですか。ははっ」

「……このことは内密に」

「かしこまりました」



 多くの国民に見送られて、ロセンは国を出た。

 冬の重みがあって初めて、春の軽さを理解できる。互いがあってようやく、人は春の暖かさと、冬の意味に気付けるのだ。

 ロセンは色の薄い蒼穹を見上げて、深く息を吸い、白く色づいた空気を、長く空にのばした。





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