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8.女王の判断



 温く爽やかな風が街路を通り抜け、女王のやわらかな髪をくすぐるように撫ぜていく。

 館の四階は窓が開け放たれ、煌く薄い春の空から眠気を誘う日の光が燦燦と注いでいる。

 女王は椅子に腰掛けて、深く背もたれに身体を預けていた。閉ざされた瞳は静かな安らぎの中にあり、誰人も彼女の安寧を崩すことは出来ないように思われた。

 ふわ、と吹き込む空気の質が変わったのは、そのときだった。

 女王は苛立たしげに瞼を開くと、おどろおどろしげに広がる冬雲を、忌々しそうに睨みつけた。

 慌しいノックの音が響き、女王は静かに入室を許可する。

「入りなさい」

 騎士が部屋に入ると、脅えて震える彼の声が、女王の感情を逆なでするように話し始めた。

「かの雲は、雪雲です! このままでは、兵士が全員――」

「死んでしまうわね」

 騎士の声を遮った女王の声は、恐ろしいほどに凪いでいた。一片の動揺も見出せない様子に、しばし騎士は呆けたように、女王を見つめる。

「――全軍、撤退を命じる」

 端然と、しかし僅かな緊張を帯びた女王の声に、騎士は自失していた己を取り戻すと、表情を引き締めて首肯する。

「はっ!」

 勢いよく身を翻した騎士を見送ると、女王は開け放たれた窓の向こうに広がる、いまや国全体を覆う灰色の雲を見上げた。

「……やはり、あの旅占たびうらか」

 女王は小さくそう呟くと、真紅に染められた厚手のマントを羽織った。

 今朝判明したロセンの脱走は、しかしそう重く受け止められていなかった。ただ逃げたのだろうと、騎士も兵士も口を揃えて、女王に進言してきた。

 しかし女王は、そうしてロセンを追跡しなかった己を悔やんでいる。もしロセンを捕え、殺していれば――少なくとも現在の状況で、己の不備を恨むことはなかっただろうと、彼女は思う。

 過ぎてしまったことをあれこれ悩んでいても仕方がない。

 女王は思考を切り替えると、慌しく撤退準備をする騎士たちに、命令を下しに、階下へと降りていった。



 それから数時間が経過すると、春の名残はどこにもなくなっていた。

 木々は枯れ果て、花は萎れ、しんしんと穏やかに、死たる雪は地上を包む。

 そして美しくも冷ややかな氷の城が、冬の国の中央に、忽然と姿を現していた。




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