新学期-1
新学期の朝だというのに、いつもと変わらない静けさだった。
王立魔法学校。
王都の外れにある、貴族の子息が多く通う由緒正しい魔法の学び舎。
その校舎の端に位置する塔の3階に、その教室はあった。
氷魔法使いの教室。兼、教師ロイオンの執務室。
窓の外では桜の花びらが舞い、春の陽気が淡く差し込んでいた。
「今日も静かだな、先生」
氷魔法使いシュライン・ロンドが呟くように言う。
最終学年である王立魔法学校3年生へと進級した、大人びた少年。
窓際の定位置の座席に腰掛け、湯気の立つ紅茶のカップを傾けていた。
亜麻色の髪は少し寝癖がついたまま、瑠璃色の瞳はぼんやりと外の景色を追っている。
「そうだねぇ」
同じく氷魔法使いの教師、ロイオン・フロストが微笑みながら答えた。
黒髪に水色の瞳、二十代後半の穏やかな面立ちの青年。
氷魔法教室の主であり、教室の奥の執務机で紅茶を静かに飲んでいた。
この教師は平民出身だが貴族位を得ているという。
しかし、教室内は「貴族のルールは面倒だ」と言わんばかりの気兼ねの無い空気だ。
それが辺境の男爵家三男であるシュラインには丁度良かった。
「今年も、この教室の生徒は俺だけか」
窓の外に見える魔法学校の生徒たちは新しい教室や顔ぶれに浮かれている。
だがシュラインには関係ない。
入学した時から、この教室には自分1人しか所属生徒がいなかった。
このままだと同級生どころか後輩すら見ることなく卒業しそうだ。
「今年は1人来ると思うよ。前に話した、僕に弟子入りしてる子」
ロイオンが副業で家庭教師をしている貴族の箱入り令嬢。
その令嬢が弟子だと前に話していた気がする。
「……ふぅん」
シュラインはそれ以上何も言わなかった。
本音を言うと、1人の方が気楽でいい。
だが、ロイオンがわざわざ話題に出したということは、来る可能性は高いのだろう。
この教師はそういう報告を無駄にする男ではない。
バーンッ!
ふいに教室の両開きの扉が勢いよく開かれ、シュラインとロイオンの視線が扉へと向く。
「ご機嫌よう!ロイオン師匠の一番弟子、ただいま参上しました!」
元気の良い声が、静かな教室に響き渡る。シュラインは思わず目を細めた。
扉の前に立っていたのは銀髪ツインテールの小柄な少女だった。
葡萄色の瞳が、きらきらと輝いている。
仕立ての良い制服をはじめ、端々に纏う雰囲気には育ちの良さが滲んでいた。
堂々とした足取りで教室の中へと入って来る。
「改めて、ニーナ・アルカンシエル、本日より氷魔法教室に所属させていただきます!」
ぺこりと頭を下げる仕草も、いちいち丁寧だ。
シュラインは記憶を手繰った。
アルカンシエル——侯爵家の名だ。
高位貴族である侯爵家の令嬢がわざわざ学校に入学すると噂は耳にしていた。
まさか目の前に現れるとは思わなかったが。
ロイオンが小さく手を挙げて応対する。
「やぁ、ニーナ。よく来たね」
「はい、師匠!私も今日から魔法学校の学生です!」
ニーナが笑顔で答える。
よほど学校を楽しみにしていたのだろうというのが初対面のシュラインにも分かる。
ニーナの視線がシュラインに移る。
「シュライン先輩、ですね?」
はっとしてシュラインは慌てて立ち上がると、紅茶のカップをテーブルに置いた。
「はい。この氷魔法教室に在籍している、シュラインです」
侯爵家の令嬢に対して失礼があってはならない。
普段はぶっきらぼうで貴族の慣習が苦手なシュラインだが、慌てて挨拶をした。
深々と礼をするシュラインを見て、ニーナは少しだけ驚いたような表情を浮かべた。
そして値踏みをするように、しばらくじっと見つめていた。
「シュライン先輩」
少し間を開けて、ニーナは宣言した。
「私と決闘してください」
教室が静寂に包まれる。
「……は?」
シュラインが思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
決闘。
魔法使い同士で、一対一で互いの要求を賭けて戦うというアレのことだろうか。
だが何を賭けるというのか。
ニーナという侯爵令嬢の突然の言葉の意図が読めなかった。
「私は、自分より弱い人を先輩と認めたくはありません」
率直なニーナの言葉に、シュラインが苦笑する。
「……なるほど、それは令嬢の仰る通りですね」
年上なだけの格下を敬う必要はない、シュラインもそう思う。
同意されるとは思わず、ニーナが目をぱちくりする。
「私が勝ったら、私のことを先輩と呼んでください」
「俺が勝ったら?」
「シュライン先輩のことを、先輩と認めます」
シュラインが考える。
正直、勝っても負けてもどちらでもよい条件だ。
なら考えるべきは侯爵令嬢相手にどうすれば無礼に当たらないか、という部分だ。
「という訳で。師匠、決闘の許可を!」
くるりとニーナがロイオンに視線を向ける。
この教室の主は教師のロイオンだ、彼の許可無しに事を進めるつもりは無いのだろう。
「いいよ。弟子と教え子、どちらが強いのか。僕もちょっと気になるし」
まるで楽しいショーでも始まるようにロイオンが笑顔で答える。
巻き込まれただけな上に拒否権の無いシュラインはため息を吐くしかない。
「では早速!決闘場は押さえてあるので、すぐに行きましょう!」
ニーナが教室の扉へと向かう。
手際が良すぎる、最初から決闘を挑むつもりだったのか。
シュラインが大きくため息を吐きながら、席から立ち上がる。
「……やっと後輩ができたと思ったら、なかなか面倒だな」
「いいじゃないか、面倒くらい。若いうちは色々経験しないと」
楽しそうに言うロイオンに、他人事だと思ってとシュラインが睨む。
「わざと負けようとか、思わないようにね?」
静かな笑みを浮かべた教師に、小声で言われる。
シュラインの考えを読まれていたのか、他の理由があるのか。
「……分かったよ、先生」
勝てるかは知らないが、あの快活な侯爵令嬢に全力を尽くすしかない。
そう思いながら、廊下の遠くで手を振るニーナの方へゆっくりと歩いて行った。




