今日から悪魔(ルシファー)第十八章
よろしくお願いします
「天野くん一緒に帰らない?」
長瀬の言葉に反応したのは鴇矢だけではない。
マモンであるシエリアの分身である谷崎は表には出さないが僅かに視線を長瀬に向ける。
あくまで男子生徒を女子生徒が誘うというちょっぴり小恥ずかしいイベントに対する周りと同じくらいのレベルの反応で。
「いいなあ天野はよぉ。俺も誘ってくんない長瀬さん」
などと赤坂が言うも、
「ごめんね、今日は二人で帰りたいの」
と一蹴される。
少し前ならドヤ顔で帰路に就くところではあるが正体がサリエルであり、尚且つ自分の正体がルシファーであると予測している長瀬と一緒に下校するのは鴇矢からすれが苦行に他ならない。
長瀬の体力がどれくらい回復したのか。もう戦える状況なのかは昨日の夜にマモンからそれとなく聞いた結果…………解らん、だそうだ。
「ど、どうしたんだよ急に」
「ん~っとね、ちょっとお話があるの」
そう言うとスッと鴇矢に近付き耳元で、
「マモンに聞こえないところで二人っきりで。どうせレヴィアタンはまだ動けないんでしょう」
囁くように言ってきた。
谷崎に意見を仰ごうにもタイミングが無い。
不自然にアイコンタクトなんてすれば長瀬は確実に疑いの目を谷崎に向けるだろう。
それくらい鋭い洞察眼を持っていても不思議じゃない。
元々女は勘がいい生き物らしいし。
「解ったよ。行こう」
赤坂たちに手で適当に挨拶してから鴇矢は長瀬と共に学校を後にした。
校門を出るまでは良かった。
しかし校門を出て人影が少なくなるとやはりというべきか恐怖のようなものが全身を囲い込む。
「クスクス、何をそんなに怯えてるのルシファーのくせに。堕天使ルシファー。神に背いて戦いを挑み地獄へ堕とされた神に最も愛された天使。そんな存在になってサリエル程度を前に何を怯えてるのかしら」
「う、うるせえ、お前に刺されないか心配なだけだよ」
「ああそういえばルシファーのくせに胸を突き刺されただけで死にかけてたもんねあなた。それでもルシファーの転生者なの? 実はそう演技しているとか」
「そうだって言ったら信じてターゲットから見逃してくれるのかよ」
「ターゲット? なんのことかしら?」
しまった、と鴇矢は自分の顔面を殴りたくなる。
マモンからの情報はあくまで秘密裏に得た情報。
これを知っているとばれたなら、
「なるほど、アズリエルの情報は一部のメンバーにしか伝わっていないはずだし……つまりアズリエルから情報を貰った者の中にマモンの分身がいるということね」
見事に見抜かれてしまった。
白河だけじゃない。こんなのマモンにすら殴られるかもしれない。
「まあべつにいいけど。今日はアズリエルのこととは無関係の話をあなたにしようと思ってたから」
「なんの話だよ」
「天使と悪魔のことよ」
「そんなのもう聞き飽きたってもんだな」
「称号者、解放者、転生者とかそういう細かい違いとか、大昔の話とか興味ない?」
それは……少し興味があるな確かにと鴇矢は思う。
「そういえば称号者だの転生者だの言っていたけどなんなんだそりゃ」
ずっと頭の端に引っ掛かってた用語だ。
称号者に解放者。鴇矢は転生者にカテゴライズされるらしいがいまいち違いを理解していなかった。この際だし聞いておくのもいいだろう。
その間は長瀬の手刀が鴇矢の胸を突き抜けることはないだろうし。
「単純な話力の上下関係かしらね」
なんのことやら解らん。
「称号者も解放者も転生者も天界側魔界側両方にいるの。称号者は魔術や法術に適性のある人間のこと。まあ俗に言う魔術師とかそんな類の存在ね。法気を使うユグドラシル側の人間は法術師ってことかなしらそれじゃあ」
少し解ったような気がする。
「解放者ってのは一時的に悪魔や天使そのものになって強大な法術や魔術を行使することのできるもの。そして転生者は悪魔や天使そのものとして生まれ変わった人間としての自我を保っている存在のことよ。解放者の身体能力は解放されれば転生者に匹敵するけれど能力的には転生者にはおよばない。もっとも天使側に転生者はほとんどいないといってもいいわ。その理由が解る?」
「解るわけないだろ」
「転生、つまり生まれ変わるには元となる悪魔や天使が死んでいないと成り立たないからよ。私も詳しくはない。だけど多少知識はある。天界と魔界は昔大戦争を起こして悪魔のほとんどが死んだらしいの。サタンやレヴィアタンを含めた固有能力を持った悪魔もね。まあそのおかげで人間界での立ち回りでラグナロク側が転生者という存在を多く手に入れれたのは皮肉だけど」
「大昔の戦争ね……。俺とは無関係だな」
「ルシファーとなったあなたが無関係と思っているなら相当な能天気ね」
大昔まだ魔界と天界が分かれる前の世界で二つの勢力による争いが起きた。
ユグドラシルと呼ばれる世界を中心とした天界と呼ばれる天使勢。
ラグナロクと呼ばれる魔界を中心とした悪魔勢。
戦いは天使側の勝利で終わるも悪魔側は魔界への扉を人間界にのみ残し封じ込めたのだ。
魔界に猛攻をかけようにも魔界に向かうには人間界を通さなければならない。
しかし人間界は魔界や天界と異なり肉体を常時留めるほどの魔力も法力も無い。
そこで天界側は人間を媒介とすることで人間界での勢力を増やし魔界の残党の討伐に乗り出したのだが、魔界側もそれに応戦。数で勝る天使側とは違い質で勝る為に多くの人間を悪魔の転生者として復活させていった。
大戦で固有能力と呼ばれる世界で唯一の能力を持つ、天界から七大罪と呼ばれる者たちを筆頭に大悪魔が多く死んでいた魔界勢は人間界においては対等の戦いを繰り広げることとなった。
「あらすじはこんな感じね」
「要するに、人間界でのシェアを奪われると魔界に攻め込まれるからラグナロクは必死に応戦してるってところか」
「そういうこと」
人間界と違って魔界にはほとんど戦力が残っていない。攻め込まれれば終わる。
天界と魔界の関係はなんとなく解った。
だが一つ疑問が残る。それは特別重要というものでもなかったのだが、
「一体どっちが悪いんだ」
天使と悪魔一体どっちが悪でどっちが正義なのだろうか。単純な疑問だ。
「知らないわよそんなこと。ただ少なくとも人間界では悪魔より天使、もしくは神を信仰する人の方が多いってのは事実。勝てば官軍負ければ賊軍。だからこの人間界では天使が正義で悪魔が悪なのかもしれないわね。もっとも…………私から母を奪ったのは悪魔の力を持った存在。だから私にとっては悪魔が悪で天使が正義よ」
「お前の母親ってまさか……悪魔の称号者に」
「ええ、悪魔の称号者に殺されたわ。流れ弾だったんでしょうけど」
「だからユグドラシルに力を貸してるってのか」
「おかしい?」
おかしいと言ってやりたかった鴇矢だが言葉が詰まる。
何もおかしくない。普通だ。自分の母親が悪魔側に殺されたから天使の側に就くなんて尤もな意見すぎて何を返せばいいのか解らない。
むしろ……、
「むしろあなたの方がおかしいでしょう。ただ巻き込まれて死んでルシファーの転生者になった。だからラグナロクのメンバーとして魔界側に就くなんて発想の方がよっぽど理解に苦しむわ。教えて。何故あなたはラグナロクに力を貸すの?」
ラグナロクに力を貸す理由よくよく考えれば何も無い。
ただ目新しい特殊能力を身につけ子供のようにはしゃいでいただけに過ぎないのだから。
「俺は……」
だから長瀬の問いに言葉が詰まる。
自分は何故戦うのか。戦う理由は何なのか。今一度考える必要がある気がする。
「私はこれでもユグドラシル上層部、最上級幹部の一人であるミカエルと親交があるの。もしあなたにその気があるのなら掛け合ってあげる。あなたに敵対する意志は無いと」
「そんな急に」
「もう知ってるでしょう。アズリエルは遅かれ早かれ動くわ。そうなればあなたも巻き添えを食う。当然よね。今回のターゲットはあなたなんだから」
顔色の悪くなる鴇矢を無視して長瀬は続ける。
「私は悪魔を許すことは絶対にしない。だからこれまで通りユグドラシルに力を貸す。このサリエルの力をね。もしあなたに戦う意志がないのであれば来るべき時、あなたの意見を聞かせて頂戴。それによってはあなたは平穏な生活を送ることができるでしょう」
「どういう意味だ」
立ち止まる鴇矢。
構わず歩き続け少しして立ち止まる長瀬。
ルシファーである鴇矢は天界、そしてユグドラシルにとって脅威でしかないはず。
ならば平穏な生活など送りたくても送れないはずだ。
その時、不穏な顔を浮かべる鴇矢を無視するような、陽気な声が頭上から聞こえてきた。
「ふ~ん、君がルシファーの転生者かぁ。思ってたより普通って奴だねぇ」
突然ってのはこういうことなのだろう。
「相変わらず時間厳守ができないのね……もうちょっとで帰ってしまうとこだったわ」
「そんな怒っちゃ嫌って奴よサリエル。せっかくの機会なんだから」
とっさに身を翻し声のした反対側へと距離を取る鴇矢。
こいつはヤバいと本能みたいなものが警告していた。
「あらま、サリエルの言ってた通り随分と動きが良くなってるみたいねぇ……それなりにもう覚醒しちゃったって奴かしら。まあ私的にはどっちでもいいって奴なんだけどぉ」
金色の長い髪。白い肌。外国人。随分と流暢な日本語を喋るなどとツッコミを入れている場合でないことくらい解っている。解らされるまでにその女は明らかに敵意を向けてきていた。喋り方の一つ一つに殺意に似た空気が漂っている。
「当然初めましてって奴だよね?」
こんな外国人の女の知り合いは記憶に無い。
「私はミカエルの転生者、名前は……まあいっか。情報はそれだけで十分でしょう」
「……ミカエルの転生者がなんの用だよ。予定だとアズリエルって奴が俺を殺しに来るんだろ」
「そうよ。だからそう身構えないで、今日は取引に来ただけって奴だから。あなたを殺す気はないって奴なのよ」
「取引? こりゃまたいきなりだな。そんなもん無しでもお前なら俺を殺せるんじゃないのか」
「ふふふん♪ よく解ってるじゃない。アズリエルなんて待たずにこの場で殺してもそれはそれで一向に構わないんだけど、私としてはそれは凄く惜しいって奴なのよ」
ラグナロクならともかくユグドラシル側に鴇矢の死を惜しむ理由が解らない。
何を考えているのか解らないが油断はできない。
魔力を身体に集める。
「……殺す気が無いって言ってるのが解らないなら仕方ないって奴よね。サリエルお願い」
頷く長瀬。直後辺りの空間が歪んだのが解った。これは間違いなく……、
「位相をずらしたのか」
「ええ。やる気があるなら来なさいな。こっちとしてもそっちの方が手っ取り早いって奴よ」
余裕満々に見合っただけの空気を身に纏っている。もしかするとあれが法力なのかもしれない。
「……くそったれが」
因果を操り一気に接近する鴇矢。相手を殺すという結果を作り出すならもっと別の方法もあったかもしれないがごちゃごちゃ考えるよりこっちの方が早いと判断。
――――!?
全力の拳それが背中から一瞬で発生した白銀の翼によっていとも簡単に防がれた。衝撃で辺りの空気がはじけ飛ぶが翼はピクリともしない。
長瀬の時のように顔に紋様が出るわけでもないのに翼を展開したこいつはなんなのか。
額に汗が滲む。
「少し立場を教えてあげるって奴よ。安心して傷ついて頂戴な」
展開した翼の羽が一枚づつ先を鴇矢に向ける。
「な、」
凄まじい速度で放たれる翼の嵐を全身に受けた鴇矢は衝撃で数メートル後方へと飛ばされる。
「つ、ぐ、」
だが終わったわけではない。次の瞬間に突き刺さるのは棒。そう棍棒だ。光り輝く棒。剣ではなく相手を斬殺ではなく撲殺するような光の棒がミカエルには握られていた。
地面に不時着する鴇矢。それにめがけてミカエルが光の棒を振り下ろす。
大地が割れる。コンクリートなど土の塊のように一瞬に土に還る。
辺りは煙で満たされる。
大した動作ではないのだ、どれもこれもが。
それでも確信を持って言えた。
こいつは別格なのだと。
刹那だった。空気弾のように飛んできた無数の白い羽。それを全身に受けさらに後退。
「思っていたより頑丈って奴ね。いいよいいよ。まだ遊んであげるって奴だから」
恐怖。死ぬことに対する感情なんてものを覚えたのはいつ以来だろう。
普通に暮らしていたあの頃にも感じてなどいなかった絶対の死が目の前に迫ってくる。
その死を因果を操り、原因をどう操れば回避できるのか解らない。
直後光の棍棒が鴇矢の顔面を右から叩き付ける。
血反吐を吐きながら吹き飛ぶ鴇矢に――容赦など無い。
背中に突き刺さるというより、背中を砕くような一撃が伝わる。
それが棍棒によるものなのか法術によるものなのかなど死角の背中から襲ってきたのでは確認のしようがない。
さらに加わる嵐のような連撃の数々。
なんとか拳を振りかざすも、その拳は次の瞬間にはへの字に曲がり瞬間、身体全身を爆撃されたかのように白銀の羽が突き刺さる。
「頑丈頑丈結構なことね。手加減したとはいえ、並みの悪魔クラスなら死ぬくらいのダメージは与えたんだけどねって奴なんだけど。君は思った以上に頑丈みたい」
「くそ……」
息が途切れる。
ボロ雑巾のように体中ボロボロの鴇矢はコンクリートの瓦礫を押しのけ地上に顔を出す。
「随分興味深い性癖――じゃなくて性格の持ち主みたいだから私としては是非ともお気に入りの一人としたかったから死ななくて良かったよ」
「これだけやっておいてよく言うなお前」
「でも死んでいないでしょう。本気だったら最初の一撃で死んでるって奴よ。ね、サリエル」
「……」
どこにいるかも解らなかったサリエルこと長瀬を探す。
いた。
煙の中にひっそりと立っていた。
「ええ、私の手刀で死にかけたあんたなら本気のミカエルの一撃を受けていれば即死は確実。もっとも前に比べればだいぶ強化されたみたいだけれど」
身体に突き刺さったままの羽はやがて昇華されるように消えて無くなりミカエルの背中から生えていた翼も消滅。
「今は戦う気は無い。解ってくれたかなって奴だよ」
どのみちお前では勝てない。だから話を聞け。そういうことなのだろう。
「舐めてくれる」
因果を操る。全力で。
対象はミカエル。結果は心臓発作。必要なのは心臓を止めること。
ミカエルの心臓が止まるのをイメージして魔力を伝える。
だが――、
「無駄って奴だよ。その程度で殺せるなら訳ない。心臓は確かに止まった。だけど解ってるでしょう。君にはまだ効果を持続させる力も無い。心臓が一瞬止められたからなんだって話って奴なのよ」
「だったら」
「今度は私の身体を爆発でもさせるの? 無駄だよ。君のイメージする爆殺で死ぬことはない」
「……――、」
実際そうだった。
相手を爆殺しようとしてそのダメージを与えたはずなのにミカエルは生きている。
「どういう」
「そんなもの衝撃に耐えればいいだけって奴だよ」
「はあ?」
「つまり君のイメージと注ぎ込んだ魔力以上の耐久力と回復力と法力さえあれば結果は覆せるってことだよ」
全く解らん。
だがこの女に自分の攻撃は届かない。それだけは理解できた。
「もういいでしょ。話を進めたいんだけど。といっても勝手に進めるって奴だけど」
「位相は?」
そのままでいいとミカエルは長瀬に伝えてから、
「私たちというより、私個人として君には是非ともルシフェルとして天界側に復帰してほしいって奴なんだよ」
「ルシフェル?」
「そ。ルシフェルだよルシフェル。ルシファーは元々堕天使。なら天使側に戻ってくることだってなんら不思議じゃないし、君が望むのなら私から天界とユグドラシルには伝えてあげるって奴だよ」
「長瀬の言ってた意味はこういうことか」
「ええ、そうよ」
天界に復帰?
そもそも鴇矢はルシファーであってルシファーでない。ルシフェルになれと言われてもピンとこない。
「そうすぐに答えを出せと言ってるんじゃないわ。アズリエルが時期に来る。それまでに答えを出せと言ってるの。このままラグナロク側について私たちに殺されるか。ユグドラシル側にルシファーではなくルシフェルとしてつくか」
そう言うと長瀬はずれた位相を元に戻した。
「私の体力は明後日には戻るわ。つまりは期限は二日。二日後にはアズリエルは宣戦布告してくるでしょうね」
「ま、せいぜいそれまでに答えを決めておくことって奴だね」
そう言うと二人の天使の解放者は一瞬でその場から消えた。まるで何者も最初からそこにいなかったかのように
目で追うこともできなかった。
それだけでも力の差は歴然だった。
戦えば殺される。だが殺されない選択を取ることもできる。
鴇矢の中で葛藤が生まれる。
「なんだってんだよちくしょう」
鴇矢はただただその場で歯を喰いしばっていた。
ありがとうございました