闇の奥より
魔法のランタンが照らす周囲だけが仄明るく、それ以外は真っ暗な空間。どこに壁があるのかもわからない。そんな中を、俺たちは重力にひかれるまま落下する。
誰のともわからない悲鳴が、闇の中に響き渡る。リリかもしれないし、ラップかもしれない。ひょっとすると、俺の悲鳴かもしれなかった。
その時、
「みんな、動かないで!!」
落下して風を切る音に混じって、大声で叫ぶ声があった。
グラーだ。
それを聞いた俺は、そして空中でもがいていたラップも、ピタリと動きを止めた。
リリは、すでに気をうしなっているのか、目をぎゅっと閉じたまま、初めから身動き一つしていない。その体を人型の影が抱きしめている。おそらくフリシアだろう。
そして、体の動きを止めた途端、落ち続けていた体が、すっと浮かび上がった気がした。
実際には、浮き上がったわけではない。落下のスピードが急激に遅くなったので、そう錯覚しただけだ。
「ぐ、う、う」
グラーの呻くような声が聞こえた。ラップの持つランタンに照らされた俺たち三人を、絶対に一瞬でも見失うものかとばかりに、まばたき一つもせず、丸い眼鏡の奥から穴のあくほど睨み付けている。
魔法を使っているのに違いなかった。
そのまま、どれくらいの時間がたったのか。10秒ほどの気もするし、一分以上経過していた気もする。
とにかく、俺たちは、そのままゆっくりと、まるで落下傘が降りるように、地面に降りることができた。
誰一人けがすることもなく。
「あ、ああ」
俺たちと一緒に地面に降りたグラーは、その途端、ため息のような、呻きのような、そんな声を立ててがくりと膝を着いた。
「グラー!」
そういって、俺とラップがグラーのもとに駆け寄る。
俺は、崩れ落ちて倒れかけたグラーを受け止めた。小さな体が、しゃがみこんだ俺の腕の中にすっぽりと納まる。
「ごめん、ちょっと横にさせて」
すると、俺の胸に額をつけたまま、グラーがそういった。
「ああ、分かった」
言われた通り、俺は地面に横たえてやろうとするが、地面が埃っぽいのが気になる。すでに脱げかけていた自分のローブを脱いで地面に敷き、その上に寝かせてやった。
それから、少し離れたところに倒れこんでいたリリのもとに駆け寄った。
意識はないが、落下のショックで気を失っただけで、けがもない。落下中、リリを抱いていたらしいフリシアの姿、というか影は、もう見えなくなっていた。もちろん、見えないだけで、すぐそばの影に潜んでいるはずだ。
俺は、リリを抱いて、グラーのもとに戻った。
「リリも大丈夫だ。気を失ってるだけで、けがひとつしてない」
そういうと、グラーとラップがそろって安堵のため息をついた。
「そう、ありがとうアベさん」
横になったグラーが、弱弱しい笑みを浮かべていった。
「いや、礼を言うのは俺たちだ。魔法を使ったんだろう?」
俺がそう聞くと、
「うん、自分も入れて4人の人間を浮かせるなんて初めてだったけど」
グラーはそう言って、自分を心配そうに見つめるラップの方を見た。
「ラップが、落ちてもランタンを持っていてくれて助かったよ。見えていないものに魔法はかけられないから」
目で対象を見ていなければ、魔法をかけることはできない。それが原則だ。
そして、対象が動いてもいても魔法をかけることはできないはずだった。グラーが、落下中に「動くな」といったのは、そのためだった。
「でも、落ちながらでも魔法が使えるなんて知らなかった……」
魔法をかけるほうとかけられる方、ともに落下していれば、相対的には止まっているのと同じだ。もし、どちらか一方が落下するだけだったら、魔法はうまくかからなかっただろう。
「お前のおかげで助かった、グラー。そして済まなかった。先頭を歩いていた俺の注意不足だ」
ラップが、グラーの手を握りながら言った。そばに置いたランタンの光に照らされたその顔は、悔しそうに歪んでいる。
「ううん。僕も、注意が足りなかった……」
「やっぱり、お前がいないと駄目なんだな、俺は」
「いいんだよ、ラップは王子様なんだから」
子供たちがそんな会話をするのを耳で聞きながら、俺は周囲を見回した。
「しかし、ここはどこなんだろう」
そう、抱いたリリの背中をさすりながら言った。
「皇帝陵の地下だろ?」
ラップの言葉はその通りだろうが、問題は、ここがその地下のどこに当たるのかということだ。
俺は、リリをグラーの脇に横たえて、周囲を探ろうと歩き出した。
もちろん、さっきみたいなことがないよう、細心の注意を払いながら。
「ちょっと、調べてみる。お前ら、動かないでくれ」
そう子供たちに言い残して歩くと、意外なほどすぐに岩の壁に突き当たった。俺は、壁に手をつきながら、暗闇の中をそろそろと探りながら歩いていく。
少しばかりそうやって歩いたところで、俺は、遠くにうっすらと明りが見えるのに気が付いた。ここが地下だったなら、太陽の光のわけはない。おそらくは、人工の光だろう。
それだけでなく、何やらたくさんの生き物がうごめいている、そんな気配までしてきた。そういう、音と匂いがする。
あの爺さんの言葉を信じるなら、俺たちが探している聖剣はネズミが盗んだのだという。なら、そのネズミかもしれない。
だが、その気配は、明らかにネズミのような小動物の気配とは違っていた。少なくとも、俺の知るネズミの大きさではありえない。もっと大きな生き物だ。
緊張しながら、俺はゆっくりとその場を離れて、子供たちのもとに戻った。
そして、気配から得た情報を伝えて、
「なあ、ここの世界のネズミって、どのくらいの大きさがある?」
俺は、そう聞いた。考えてみれば、もっと早くに聞いておくべきことだったかもしれない。
「ネズミの大きさ?このくらいかな」
もう調子を取り戻してきたらしいグラーが、両手でリンゴくらいの塊をつくった。
「そうだな、俺が見たことあるのもそれくらいだ」
ラップもうなずいて言った。どうやら、俺の知っているネズミと大差はないようだ。
「というか、そもそもお前らってネズミ見たことあるのか?」
俺は、二人の言葉を聞いて、今更のように疑問に思った。
ラップが一国の王子様で、グラーがその従兄弟だとすれば、とてもネズミなど目に入る生活はしていなかったろうと思うのは、俺がこの世界のことを知らないせいだろうか。
「まあな」
「王宮に入る前にね……」
ラップもグラーも、それだけ言って黙ってしまう。どうも、あまり愉快な話題ではないようなのが、ありありと伝わってきたので、俺もそれ以上は聞かないことにした。
「でも、そうか。俺の知ってるネズミと同じくらいの大きさだな」
もちろん、ネズミにもいろいろいて、小さな猫ほどの大きさのネズミもいるとは聞いたことがある。だが、あの光の向こうでうごめいているものの気配は、そんなものでもないとドラグニクの野生のカンが告げていた。
「まあ、悩んでもしょうがないから、みんなで様子見てこようぜ」
ラップが、立ち上がって言った。その目に、未知のものに対する恐れの色はない。相変わらず、その度胸はまさしく勇者だ。
「いや、とりあえず俺が見てくる。お前らは、もう一度待ってくれないか」
けれど、先ほど命の危険を味わったせいで慎重になっていた俺は、そういってラップを引き止めた。
「お前たちは、ここでリリを守っていてくれ」
まだ失神したまま目覚めていないリリのおなかを、ポンと軽くたたいて俺は立ち上がった。もちろん、リリはフリシアによって守られている。ただ、リリを口実にすれば、おとなしくしていてくれるだろうという心づもりだった。
「そうか、リリがいたな……」
そういって、ラップはしぶしぶといった具合に、また座り込んだ。それを見届けて、再びあの光のあるところへ行こうとしたとき、
「そこにいるのは、誰かな」
突然、背後から耳障りな甲高い声が聞こえた。聞いたことのない声だった。胡散臭くはあるが、落ち着いた、いかにも上品そうな、あの爺さんの声でもない。
「誰だ!」
俺は、振り向きざま素早く鉄棒を構えて警戒する。ラップも立ち上がって、剣を抜いているようだ。
すると、
「ああ、心配しないで」
そんな声とともに、声のしたきた先の空間がぽっと明りに包まれた。ランタンだ。俺たちの持っているような魔法のランタンではなく、火のともった、本当のランタンだった。
そして、ランタンの持ち主の姿も、そのオレンジ色の光に照らされてあらわになる。
果たして、それはネズミだった。
確かに、俺の知っているネズミの姿をしていた。尖った耳に、突き出た鼻先。その下からはみ出している、鋭い前歯。灰色の毛皮が、全身を覆っている。
問題は、その大きさだ。どう見ても、大きすぎる。ラップたちと、同じくらいの背丈、つまり人間の子供くらいの背丈がある。
しかも、チョッキのような簡単な青い上着を着て、おまけに小さなラッパ帽を頭にちょこんとのせている。
そんな奴が、ランタンを持ちながら、二本足で立ちあがっていた。
この世界で何種類か見た、そして誘拐事件のときには戦いさえした、あの「獣人」と呼ばれる連中とは、少し毛色が違う。彼らは、文字通り獣と人の混じったような姿だったが、これはネズミそのままだ。その大きさを除いて。
「あんたたち、人間か?」
甲高い声で、そのネズミが言った。答えていいものだかどうか迷っていると、
「ああ、そうだ。あんたはここの人か?」
俺の背後にいたラップが、堂々とそう答えた。
「人でなく、ネズミだがね。どうした?迷いなすったかね」
ネズミは、特に何か含むところがあるようでもなく、道に迷った旅行者に田舎の人が尋ねるような調子で、屈託なく聞いてきた。その様子に、
「まあ、そんなところです」
俺も、腹をくくって、この得体のしれない生き物とコミュニケートしてみることにした。
「その、墓の中を歩いていたら崩れてしまいまして」
「そうか、それは難儀だったねえ。この辺は、上が崩れそうになってるから、立ち入り禁止にしてたんだよ。私は見回りに来ていたんだが」
ネズミは、上を見上げながら言った。
ネズミの姿をしている割に、結構紳士的だ。ともかく、聞いておかなければならないことを聞いておくことにする。
「上に戻るにはどうしたらいいんですかね」
それが、一番の問題だった。どうやら、落下したことで本来のルートからは外れているようだし、グラーの魔法に頼るわけにもいかない。4人をあの高さまで浮かび上がらせるような真似は、さすがにできないだろう。
「それなら、町に行くしかないなあ」
「町?」
俺の疑問にすぐさま答えてくれるが、「町」という言葉に頭をひねる。ネズミの町?
「ああ、向こうに」
ネズミは、自分の背後を指さした。俺が、光を見て、生き物の気配を感じた方向だ。
「町があるから。まあ、ついてきてごらんなさい」
そういって、じっとこちらを見つめてきた。
俺は、ラップ、グラーと、それぞれ顔を見合わせた。なんとなく目で相談しあう。どうも、ついて行ってみるしかないようだと、それぞれが同じように感じているのがわかった。
聖剣を取り戻すにせよ、元のルートに戻るにせよ、ここでこのまま座り込んでいてもらちがあくわけでない。
少なくとも、聖剣を取り戻しに来たことがわからなければ、このネズミの態度からしても安全だろうと思えた。
「じゃあ、ちょっと待ってもらえますか」
俺は、そういって、地面に敷いたままだった自分のローブを着て、リリを抱え上げた。
「おや、そのお嬢さんは大丈夫かね」
ネズミが、いかにも心配そうだという様子で聞いてきた。ネズミのくせに、なかなか表情が豊かだ。ひょっとすると、トカゲ野郎の俺よりも。
「気を失っているだけですから」
「そうかい。うちには気付け薬もあるから、寄っていくといい」
そういってから、俺たちに背を向け、ゆっくりと歩き出した。あくまで紳士的なネズミだ。
「あの、名前を聞いてもいいですか?」
ここまで紳士的だと、いつまでも「ネズミ」呼ばわりはふさわしくない気がして、俺はこのネズミの名前を知りたくなった。
「ああ」
ネズミは振り返って、
「ミッキだよ」
甲高い声でそういった。




