影女の身の上話
「とりあえず、座りなおしていいか。この体勢つらいんだ。」
もう、鉄棒で小突かれるのはいやなので、尻餅をついた体勢から、一応の確認をとると、
「いいでしょう。でも、妙な動きはしないように。まあ、どう動こうと、私には敵いませんが」
この影女のいうことは、はったりじゃない。
俺は、ただ、胡坐をかいて、座りなおすだけにしておく。
「えー、それじゃあ、お互い自己紹介といこうか」
俺がそういうと、影女はまた頭を小突いてきた。
こいつ、逆襲の機会があったら、思い切り頭を小突きまわしてやる。
「バカをいいなさい。お友達同士の自己紹介じゃないんですよ。質問するものは私で、あなたはそれにこたえるだけでいい」
強引に、こちらのペースに引きこむ作戦は失敗したか。
「まず、あなたは誰です?」
そんなこと、俺が知りたいよ。
「ずっと一緒にいるなら、知ってるんじゃないか?俺には、自分の記憶がないんだよ」
「それは、あなたが言っているだけでしょう?出まかせかもしれない」
こいつ、これまで誰も疑わなかった大前提を、疑ってきやがった。
「嘘じゃない。本当だ。俺の言動を見ていればわからないか?」
「わかりませんね。記憶喪失と嘘をついて、お嬢様に近づき、よからぬことをしようと企んでいるのかもしれません」
むかつくことを言われるが、安心もする。
こいつの行動は、少なくともリリの身を案じてのもののようだ。
「そのつもりがあれば、とっくにやってるだろう。ここ数日、ずっといっしょにいるんだぞ」
「そんなことは、わかっています」
「ともかく、記憶喪失か、そうじゃないかなんて、水かけ論にしかならないんだから、時間の無駄だと思うぜ。本人にしか、わからないんだから」
そういうと、
「トカゲのくせに、生意気なことをいいますね」
なんだか悔しそうだ。
全部真っ黒で、表情はまったく読めないが、声の調子からなんとなく伝わってくる。
人間的な感情は、ちゃんと備えているようだ。
「じゃあ、いいでしょう。記憶喪失というのを信じるとして、あなたは何のために、お嬢様がたに近づいたんです?」
「だから、それも見てたなら、知ってるだろう。出会ったのは、まったくの偶然で、そこから一緒にいるのは、記憶喪失の治療のために、この街に連れてきてもらうためだ」
そう、記憶喪失を直すために、この街に来た。
そのはずだったのにここに来てから、いろいろと妙ななりゆきに巻き込まれている。
トカゲの救世主だといわれて、坊さんから教会に勧誘され、謎の影女と戦って、尋問されている。
「本当ですか?本当に偶然に?」
「俺が、道に倒れてたのも知ってるだろう」
「倒れた演技をして、待っていたのかもしれません」
「なんだ、それ。拾ってくれなかったらどうするんだよ」
「さあ。それはあなたが考えることでしょう」
なんだこいつ。
からかわれているんだろうか。
「ともかく、ほんとにほんとなんだからな。だいたい、お前以外に疑ったやつなんて、いままでいなかったんだぞ」
「純真な子供三人に、ひとのいい司教様。だましやすい人ばかりと付き合っていたんじゃありませんか」
「いいから。お前もやっぱり信じてもらわないと、その、困る。話が進まない」
羊羹女は、腕を組み、顎に手をやって、どうやら少し考えて、
「まあ、いいでしょう。たとえ、嘘をついてお嬢様に近づいたのだとしても、あなたには何もできないでしょうから」
「お前がいるからか」
「私がいるからです」
大した自信だ。ただ、それが裏付けのある自信だというのは、さっきので実感している。
「でも、お前ここにいていいのか?今、子供だけだぞ」
「心配は結構です。影の切れ端を残してあります。何かあればすぐわかりますから」
なかなか、便利な体のつくりをしているみたいだ。
体の一部を、切り離して使えるのか。きっと、体の形も自由に変えられるに違いないな。アメーバみたいなやつだ。
「では、改めて聞きますが、あなたがお嬢様たちと一緒にいる目的は、この街に連れてきてもらうことだけだったと」
そうだとうなずくと、
「では、もう用はありませんね。目的は果たされた。あなたはもう、お嬢様がたと一緒にいる必要はない。なら、もうお別れするということで間違いありませんね」
そんなふうに、思わぬところで問いを突き付けられて、とっさに、うわの空で答えてしまう。
「お、おう……」
「そうですか。なら、私もあなたにはもう用はありません。早いところ、どこへなりと消えてください」
影女は、そういって、ぐずりと体を崩し始める。
きっと、またあの影に戻って、立ち去るつもりなんだろう。
まだ、こいつのことを何も聞いていない。ここで去られては困る。
「ちょっと待て、このままだと俺、あいつらから離れられないぞ!」
慌てて言うと、影女は崩しかけた体を、また人間の姿に戻した。
「どういうことです?」
「どういうこともなにもだな、お前みたいな正体不明なやつが、あいつらにくっついてると知ったんだ。心配で離れるわけにはいかないって、普通思わないか?」
「それは、心配ありません。私は、リリお嬢様とご友人の身を守るためにいるのです。あなたは心置きなく、消えてくれていい」
影女は、あくまでも冷静にそういった。
それでも、なんとかすがってみる。
「だから、それをちゃんと説明してくれと言ってるんだ。じゃないと、俺、ずっと付きまとっちゃうぞ」
こんな言葉に、果たして、乗ってくるだろうか。
実力行使で迫られたら、俺にはどうすることもできない。
相手が、それほど乱暴なやつじゃなく、そこそこ人のいいやつであることを、祈るだけだ。
影女は、一つため息をついて、
「いいでしょう。教えてあげます。でも、聞いたらちゃんと、お嬢様たちとは別れるんですよ」
乗ってくれた。そこそこ人のいいやつだ。
あるいは、なんだか、子供のわがままにつきあう母親といった風にも見える。
「私は、人間たちが『シェード』と呼んでいる生き物です。」
影女の話では、この世界で人間が死んで、その人の未練が強く残ったとき、まれに、その影だけが生き残ってしまうことがあるのだという。
人々は、それをシェードと呼んでいるそうだ。
「つまり、死人の影?」
「そうですね」
「やっぱり、お化けだ」
俺がそういうと、
「違います」
と、ぴしゃりと否定された。
お化け扱いはいやらしい。
「私は、死人の影ではありますが、死人そのものではありません。本人と、その影というのは、まったく別の者でしょう?私は、ちゃんとした生き物で、お化けではありません」
死人と影が、別物だというのは認めるにしても、俺の常識に照らして、こいつが、まっとうな生き物だとはとても思えない。
かといって、俺だって、まっとうな生き物かと言われれば怪しいのだから、そこはおあいこか。
なんといっても、トカゲ野郎なんだものな。
「元は、誰の影だったか聞いても?リリの関係者じゃないかと思うんだが」
「はい。私は摂政様のお嬢様、つまりリリお嬢様のお母様の影でした。」
なるほど、母親か。
「つまり、リリの母親はもう」
「お嬢様が、五歳のとき、お亡くなりになりました」
そうか、リリの母親は、死んでいるのか。
俺は、五歳で母親を亡くしたリリのことを思った。
泣いただろうか。たとえ幼くて、死の意味が分からなくても、母親のいない寂しさに、きっと泣いただろうな。
「じゃあ、その、あんたがリリのお母さん?」
「ですから、そうではありません。私と、フリシア様とは、まったくの別人です。もっとも、私のこの姿は、フリシア様の姿そのものだということですが」
そのリリの母親のフリシアというのは、大変な美人だったようだ。
この、着色するまえのゴム人形みたいな姿からでも、よくわかる。
椿の葉のような大きな目、筋の通った高い鼻、薄く開いた魅力的な暑さの唇。
胸も大きくて、すばらしいプロポーションをしている。
これが、本当の人間であったら、俺だって惚れていたかもしれない。
ひょっとして、リリも、将来はこんな姿になるのだろうか。
だとしたら、リリの将来は安泰だ。
「とりあえず、リリが大人になれば、求婚者に不自由しないだろうってことは、わかったよ」
「当たり前です。お嬢様に惹かれない男など、男ではありません」
遠まわしに、こいつの容姿を褒めたつもりだっが、どうやら、通じなかったみたいだ。
「あんたに、名前はあるのか?」
「摂政様は、私をフリシアと呼んでいました」
平坦な口調で、そう言った。
つまり、こいつの名前はフリシアということでいいのか。
いや、それより、今かなり気になることを言ったぞ。
摂政というのは、こいつのことを知っている?
「それで、あんたはさっき、死人の強い未練がシェードを生むといったろう」
「ええ」
「リリのお母さんは、フリシアさんは、どういう未練を残したんだ?」
そう聞くと、フリシアは、また、ため息一つつく素振りを見せてから、
「そんなのは、聞かずともお分かりになりませんか?それとも、男のあなたにはわからないことでしょうか」
「娘のこと……」
「そうです。フリシア様は、お嬢様の身のことだけを案じていらっしゃいました。幼いお嬢様を残して、この世を去らなくてはならない。そんな折に望むのは、お嬢様の行く末に幸あること、それだけです。そして」
そこでフリシアは、声の調子を一つあげた。
それを言うためだけに、俺との茶番に付き合ったのだといわんばかりに、きっぱりと、誇らしく、胸を張っていった。
「それだけが、私の目的であり、使命です。お嬢様の身を守り、お嬢様に幸せになっていただく。私は、そのためだけに、存在している」
俺は、自分の使命と存在理由を、これほどはっきりと、誇りをもって自覚している彼女を、眩しく感じ、うらやましいと思った。
なるほど、これは、とてもかなわない。
「リリは、あんたのことを知っているのか?」
「いえ、お嬢様は私のことはご存じありません。あくまで、言葉通り、影からお嬢様を見守るのが私の使命ですから」
「なぜだ?あんたが、姿を見せてやれば、きっとリリも喜ぶぞ。なにせ、母親の忘れ形見みたいなものなんだろう?リリは、母親の顔を覚えているかもしれない。あんたが、母親代わりになればいい」
「それは許されません。お嬢様のお母様は、あくまでフリシア様です。私は、フリシア様の影であって、フリシア様ではありません。私は、フリシア様の望みを叶えるためにいるのであって、フリシア様の代わりになるためにいるのではありません。それは、お嬢様から本当の母親を奪ってしまうに等しい」
わかるような、わからないような理屈だ。
ただ、その信念の強さは、はっきりと伝わった。
「守るのは、リリだけなのか?」
「いいえ、私の目的は、お嬢様の幸せです。そのためには、ご友人であるラップ様とグラー様も必要です。あの方たちも、守らなくてはなりません」
「俺とラップが争ったとき、手を出そうとは思わなかったのか?」
「あなたには、殺気がありませんでしたから。手を出す必要がないことは、わかっていました」
とにかく、子供たち三人を守ってくれる存在であることははっきりわかった。
それでようやく一息つけるが、まだ、聞きたいことがある。
「最後に一つだけ、あんたの名は、リリの爺さんがつけてくれたといったろう?だったら、当然、あんたがリリについてきていることは、知っているわけだよな」
「当たり前です。だからこそ、摂政様は、リリ様をこんな旅に同行させることにしたのですから」
なんだ?またわからなくなってきた。
俺はてっきり、摂政というのがお城で好き勝手やるために、邪魔になる王子を旅の中で野たれ死にさせるか、暗殺でもするために、旅にだしたと思っていたのに。
逆に、安全のためにリリをつけているという。
「本当か?何か裏があるんじゃないか?たとえば、その、王子のラップが邪魔で殺そうとか」
「ばかばかしい。だいたい、それが目的ならもうとっくにやっています。それに、正確にはもう王子ではなくて、王弟ですね。すでに、王様はいるんです。ラップ様の何が邪魔になるんです?」
そりゃそうだ。じゃあ、摂政というのは、悪いやつではない?
災厄の種の預言とやらも、本当なのか?まさか。
どこに、誰の嘘が、あるんだろう。
それとも、すべては子供たちが無邪気に信じている通りなんだろうか?




