第7話 姫と騎士の誓い
皿の上に三つ並んでいたおにぎりを全て平らげ、シュウが注いでくれた温かいほうじ茶を飲んで一服する頃には、さすがに泣き止んだ。
しかし、たくさん泣いたせいで、目の周りが腫れぼったくなった気がする。
「……ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。サラ、あとで目の周りを冷やした方がいいぞ。濡れタオル作っておいたから、これを使え」
そういえば、サラが夜食に夢中になっている間、シュウは一度席を外したが、周到にここまで用意してくれたのか。
案外、シュウの騎士としてのポテンシャルは高いのかもしれない。
(いや、従者……? 執事……?)
そんなことを考えつつも、ありがたく濡れタオルを受け取る。
「本当にありがとう、シュウ。よくそんなに、あれこれと気を回せるね……」
とてもではないが、サラには真似できないと思いながらシュウをまじまじと見つめたら、軽く肩を竦められた。
「……こういうのは慣れだ、慣れ」
テーブルの上を片付け始めたシュウを眺めつつ、受け取ったばかりの濡れタオルを一旦脇に置くと、居住まいを正した。
「シュウ……改めて、お礼を言わせて。本当に……ありがとう。シュウのおかげで、たくさん泣いたからかな。大分、気持ちがすっきりしたよ」
サラもシュウに倣ってソファから立ち上がり、心からの感謝の言葉を述べる。
できれば頭も下げたいくらいだったが、これから先「殺め姫」と呼ばれるサラには、きっとそんなことは求められていないのだろう。だから、せめて相手としっかりと目を合わせる。
サラが表情を引き締めると、シュウはすぐにこちらへと身体ごと向き合ってくれた。
五年会わなかっただけだというのに、その間に随分とシュウの背は伸びたみたいで、目線を合わせるにはサラが見上げなければならない。
「それで……おにぎり食べながら考えたんだけど、わたし、今の自分の状況にまだ納得はできてない。でも、わたしにできることは頑張りたいと……最善は尽くしたいと思うの。だから――」
祈るような気持ちで、シュウに向かって手を差し出す。
今、逃げ出したところで、また連れ戻されるだけだ。レイラからも、既に忠告を受けている。
ならば、今のサラにできることは、いい加減腹を括って殺め姫として戦い抜くことだけだ。
「――殺め姫としての、最初の命令です。わたしに、ここで生き抜くための知識と自分の身を守るための術、アヤカシとの戦い方を――殺め姫として必要なことを全て、教えなさい」
人に命令を下すなんて、初めての行為だ。
自然と声が緊張に震えそうになったものの、腹に力を込めてぐっと堪える。
「ここでは、存在価値を証明しなければいけないと、あなたは言った。でも、それができたところで、今度は搾取されるだけ。だから、利用するか、利用されるかはわたし次第だと、自分で決められるだけの武器が、今のわたしには必要なんだと思う」
そして、今のサラが最初に手に入れるべき武器は――目の前の騎士だ。
レオは、サラが殺め姫の座に就くことに、わかりやすく懐疑的だった。
名も知らぬ騎士は、風見鶏だった。
唯一、サラが殺め姫になることを受け入れ、実際に寄り添ってくれたシュウにこの手を取ってもらえなければ、おそらく何も始まらない。
「今のわたしが主として頼りないことくらい、わかってる。でも、いつかあなたたちに追いついてみせるから。せめて対等な関係になれるように、努力するから。だから――」
――だから、どうかこの手を取って欲しい。一緒に戦って欲しい。
サラが言い切るよりも早く、シュウは躊躇なく足元に跪いた。そして、サラの右手を恭しく取るや否や、指先にキスを落とした。
「――拝命した」
主から下された命を受け入れる短い言葉には、不思議と神秘的な響きが感じ取れた。
「あなたの盾となり、剣となることをここに誓おう――殺め姫」
サラは寝間着姿で、ここは客間で、騎士としての誓いを立てるには、服装も場所も全然相応しくない。
でも、少しでも姫らしく在ろうと己を奮い立たせるサラに、迷わず忠誠を捧げてみせたシュウは、どこからどう見ても騎士そのもので、そんなものは些末な問題に思えてくる。
そんなシュウの姿に目を奪われていたら、跪いたまま視線だけを上げ、碧眼がサラを射抜く。
「だから、サラ――無理して殺め姫らしく振る舞おうとしなくても、大丈夫だ」
だが、シュウが続けた言葉に、エメラルドの双眸をぱちりと瞬く。
「いや、でも……シュウが良くても、それじゃあ周りが納得しないんじゃ……それに、わたしも月影一族の一員なんだから、命を狙われてる可能性があるんだよね……?」
ならば、一刻も早く誰もが認める殺め姫にならなければならない。それこそ、今のサラにはオリジナルの再現を求められているのではないか。
しどろもどろになりつつも、サラがそう言い連ねても、空色の眼差しは砂粒ほどにも揺らがない。
「言葉が足りなかったな。俺がサラに向けられるあらゆる敵意を叩き潰すから、サラは自分らしさを損ねないように、焦らずゆっくりと自分の望む道を進んで欲しいって、そう言いたかったんだ」
ここに来て、まさかサラの意志をここまで尊重してもらえるとは思わなかったから、つい面食らう。
不穏な言葉も飛び出してきたものの、シュウの申し出は願ってもないものだった。
「……いいの?」
本音をいえば、今すぐにでもシュウの言葉に飛びつきたい。
しかし、これ以上シュウに甘えてもいいのだろうか。あまり図々しくしていたら、そう遠くない未来、シュウに見限られてしまうのではないか。
躊躇いを見せたサラに、シュウはふわりと微笑んだ。
「玉座の間でも言っただろ? 何も知らない主を教え導くのも、騎士の務めだ。それから最大限、主の意志を尊重して守ることもな。それに――」
そこで、サラの指先をシュウがきゅっと握り締めた。
「――サラはサラだ。初代殺め姫のクローンだろうが、遺伝子上は同一人物だろうが、今まで積み重ねてきた努力も、思い出も、経験も、消えてなくなったりしない。今のサラを作り上げたものをなかったことにする必要なんかないんだ」
――サラはサラだ。
シュウの飾らないひたむきな言葉が、どうしようもなくサラの心を揺さぶる。
「まあ……中には同一視する奴もいるだろうし、勝手な期待をしてくる奴もいるだろうが……そこは、俺の騎士としての腕の見せ所だな。露払いは任せろ」
「どうして……」
気づけば、疑問の声が唇からぽろりと零れ落ちていた。
「どうして……そこまでしてくれるの……? シュウが騎士で、わたしが新しい殺め姫だから……?」
おそるおそる問いかければ、シュウは怪訝そうに眉根を寄せた。
「理由がなきゃ、サラを助けちゃいけないのか?」
まるで、サラに手を差し伸べるのはシュウにとって当たり前のことだと言わんばかりの口調に、それ以上言葉が出てこなくなる。
どうしてだろう。また鼓動が高鳴っていくのと同時に、きゅうっと胸を締め付けられるような感覚に襲われる。
嬉しいのに、不意に泣きたいような気持ちにさせられるこの感情は、一体何なのか。
「それに五年前、俺はサラに救われたからな。これでも納得できないなら、恩返しだって思っておけ」
五年前、シュウが口にしたようなことをサラがした覚えは露ほどにもない。
でも、あまりにも胸がいっぱいになり、声を出すことさえままならなかったから、こくりと頷くことしかできなかった。
とりあえずシュウの言葉に納得する姿勢を見せたからか、空色の瞳がほっと安堵に細められた。そして、シュウはおもむろに立ち上がると、ジャケットの胸ポケットから携帯端末を取り出した。
「昼間のうちに湖周辺の捜索をして、サラの荷物をできるだけ回収したんだけど……悪い、端末は湖の中に沈んでて使い物にならなくなってた」
サラが一人いじけている間、シュウはそんなことまでしてくれていたのか。
ありがたいやら、申し訳ないやらで、先程とは別の意味で胸の内が騒がしくなる。
「あ、ありがとう……シュウ。水没したなら、仕方ないよ」
だが、シュウが差し出してきた携帯端末は、サラのものではなかった。
もしかして、サラの他にもあの湖に携帯端末を落とした人がいて、間違えて持ってきたのだろうかと思っていたら、説明が補足された。
「だから、俺のを貸す。できるだけ早く連絡を取りたい相手がいるんじゃないか?」
そう訊ねられて初めて、友人たちの存在を思い出してはっと息を呑む。
「……そう! わたし、旅行中だったの! 一緒に旅行してた友達が、絶対心配してる……!」
なにしろ、サラは文字通り忽然と姿を消してしまったのだ。いくら衝撃の事実を次から次へと容赦なく叩き込まれたとはいえ、友人の存在がすっかり頭から抜け落ちていたなんて、薄情者だ。
シュウの厚意に甘えて携帯端末を受け取るなり、急いで友達の一人の携帯端末の番号を入力し、耳に当てる。
「他の無事だった荷物もそうじゃない荷物も、明日渡すから、どうするかは自分で決めてくれ」
さらにそう付け足してきたシュウに何度も首を縦に振っていたら、ちょうどコール音が途切れたため、サラは慌てて口を開いた。
***
(……サラの奴、友達に俺のこと話してたのか……)
サラが今夜泊まることになった客間の扉を閉めるのと同時に、内側から鍵が閉められる微かな音が聞こえてきた。
――サラは一緒に旅行していたという友人に自分の無事を伝えると、一般人に教えても差し支えない範囲で事情を説明した。
しかし、今まで地上で暮らしていたサラには、どこからどこまでならラカージュの実情を明かしても問題がないのか、当然ながら判断が難しく、幾度もシュウと通話の相手を変わりながらの状況説明になったのだ。
そうしたら、シュウが電話に出る度に、サラの友達が何故かテンションを上げるものだから、正直戸惑った。
それでも、かいつまんでではあったものの、事情を説明していくうちに、サラの友人たちは徐々に平静を取り戻していき、「うん……君になら、サラを任せられるよ」と、謎の太鼓判を押された。
大いに困惑させられたが、無事、サラの友達の信頼を得られてよかった。
(それにしても……サラは本当に、表情がくるくると変わるな)
心細そうな面持ちで場の空気に流されるがままになるかと思いきや、自分の意思をはっきりと言語化して伝える。
聞いているこちらの胸が張り裂けそうな声で涙と共に怒りや悲しみを吐露したかと思えば、旺盛な食欲を見せ、女王然とした佇まいで命を下す。
オリジナルを模倣せずとも、サラにはサラにしかない良さがあるのだから、新たな殺め姫として周囲から認められるのも、時間の問題だろう。
「夜分遅くにレディの寝室に入るなんて……騎士の名が泣くわよ」
サラの部屋から下げたトレイを手に、扉脇の壁に背を預けて考え事をしていたら、ふと上品で妖艶な声が鼓膜を叩いた。
振り向くと、昼間と同じドレスを身に着けたままのレイラが、シュウの元へと歩み寄ってくるところだった。
「……騎士の名に恥じるような真似も、サラが望まないこともしてない」
「そう。それなら今後もその調子で、サラが少しでも早くラカージュに溶け込めるように、心を砕いてちょうだい。ただし――」
端からシュウを疑ってかかったわけではないのだろう。シュウの答えをあっさりと受け入れ、サラの世話を焼くようにとまで命じてきた。
でも、シュウのすぐ目の前で立ち止まったかと思えば、レイラは両手を壁に突き、逃げ場を奪ってきた。
「――あなたの身に巣食う『呪い』を打ち明けずに、サラと子供を作ったりしたら……絶対に、ただじゃおかないんだから。これは命令よ」
レイラに言われるまでもない。誰が、そんな無責任な真似をするものか。
だがレイラは立場上、夜にサラの部屋へと訪問したシュウを目撃した以上、念には念を入れて釘を刺しておく必要があったに違いない。
「……拝命した」
睨み上げてくる藤色の双眸を見下ろしながら、淡々と服従の意を示すと、レイラはもう用はないと言わんばかりに離れ、身を翻した。
庇護姫のラカージュの番人という異名は、伊達ではない。
レイラやその母である先代の庇護姫は、ラカージュの住人全ての居場所を常に把握している。今のところ、例外はサラとその両親だけだ。
「……やっぱり、日影の女は苦手だ」
溜息交じりにそう呟くと、今度こそサラが休んでいるはずの客間から離れた。




