第15話 深淵
「――怖くない。シュウなら……怖くないよ」
たとえサラの目の前にいるこの青年の正体が、人間に擬態したアヤカシだったとしても――それで、シュウの本質が変わるわけではない。
テレポート技術での召喚が上手くいかず、危うく湖で溺れそうになったサラを迷わず助けてくれたことも。あの日の夜、不安と混乱に駆られて涙を流したサラを抱きしめてくれたことも。食事を受け付けなかったサラのために、おにぎりを作ってくれたことも。
そして――まだ何も持たないサラに忠誠を誓ってくれたことも、なかったことにはならない。
ならば、どこにシュウを恐れる要素があるというのか。
「だって、こんなに可愛いネージュもノワールも、他の子たちもアヤカシなんでしょ? だったら、怖がる必要なんてどこにもない。むしろ、こんなに可愛い子たちと同族だってことを、誇りに思った方がいいよ」
ふんと鼻を鳴らし、ネージュの耳の裏を再び掻きながら言葉を継ぐ。
「それに、わたしだってクローンだし。人間って定義できるかどうか怪しいっていう点では、シュウと何も変わらないよ」
初めて自分がクローンだと知らされた日はあんなにも動揺したというのに、ここまで開き直れるようになったのは、あの日のシュウのおかげだ。
しかし、そこまで口にしたところで、シュウにはクローン疑惑もあったのだと思い出し、形容し難い心地になる。
「……ありがとう、サラ」
サラの主張に何を思ったのか、シュウは安堵に表情を緩めた。
その反応から、シュウが他のラカージュの住人よりも理不尽な仕打ちを受けているのは、アヤカシだからではないのかと思えてきた。
「サラの言う通り、俺はヒト型のアヤカシ――イヴだ」
「そうだったんだね。あの……言いたくないなら、無理して答えなくていいけど……シュウが結婚を禁止されてるのは、アヤカシだから?」
「いや、それは関係ない。俺は……呪われてるから。だから、結婚っていうよりも子供を作ることを禁じられてるんだ」
遠慮がちな前置きをしつつも単刀直入に訊ねれば、ばっさりと否定された。
その上、呪いという非科学的な返答まで寄越され、言葉を失う。
(呪い……?)
呪いの正体は皆目見当がつかないものの、おかげでシュウのクローン説がサラの中でより強まっていった。
生涯独身だった歴代の「シュウ」も、おそらくは子孫を残すことを禁じられていたに違いない。
でも、それならばどうして瓜二つの顔をした「シュウ」が代々誕生しているのか。
「イヴだってことが無関係なのは……他のみんなも、イヴ……だから?」
緊張しながらも問いを重ねたら、碧眼が驚愕に見開かれた。
だが、シュウはすぐに苦笑いを浮かべた。
「……サラは恐ろしく、勘が鋭いな。ああ、その通りだ」
やはり、そうだったのかと腑に落ちた反面、ならば何故シュウは呪われているとされ、他の皆よりも人生の選択肢を制限されているのかと、脳裏を疑問が掠めていく。
(もしかして……クローンだから? わたしがまだ何も言われてないだけで、わたしも結婚できないのかな? わたしも呪われてる……?)
だが、即座にケントからサラの結婚相手にレオが選ばれそうになっていたという話を聞かされたことを思い出し、クローンであることも関係ないだろうという考えに至る。
(それより、わたし……クローンはクローンでも、アヤカシのクローンだったんだな……)
シュウのことも気がかりだが、その前に自分自身の問題に向き合わなければならないと思い直す。
しかし、今はどちらも直視し続けていたら、息苦しくなるばかりな気がして、一旦思考を断ち切る。
「そういえば……シュウ、デートはいつ行くの?」
正直に手の内を明かしてくれたことへの礼と、重くなりかけた空気の払拭を兼ねて、楽しい話題を引っ張り出す。
「……てっきり、質問攻めにされるかと思った」
サラが話を変えたことを余程、意外に思ったに違いない。目を丸くしたかと思えば、シュウは悪戯っぽく笑いかけてきた。
「さすがに、これ以上はわたしの許容量がオーバーしそうだよ。だから、今日はこれでおしまい。それで? そっちから誘ってきたんだから、日程くらい考えてきたんでしょ?」
わざと責めるような口調で問い詰めれば、シュウは一際表情を柔らかくした。
「そうだな……しばらく忙しくなりそうだから、四月の五日頃はどうだ?」
「わたしは特に予定が入ってないから、大丈夫だよ。でも……忙しくなるってことは、わたしの授業をするのも難しそう? まさか……ケントを臨時講師にしたりしないよね?」
「いや、サラの授業ができなくなるほどじゃないけど……なんだ、ケントのことが苦手なのか?」
「だってあの人、意地悪なんだもん」
午前中に受けた仕打ちを思い返して頬を膨らませると、シュウは器用に片眉だけ上げてみせた。
「あいつ、結構女性受けいいんだけどな」
「じゃあ、他の人の見る目がないか、わたしとよっぽど合わないかの、どっちかだね」
確かに、ケントは異性からの評価が良さそうではあるものの、サラとは相性が悪いと思う。
「……でも、本当に忙しくて大変な時は、無理しなくていいからね」
とはいえ、サラの好き嫌いが原因でシュウに無茶をさせたくなかったから、そっと釘を刺す。
「いや、さすがにそこまでじゃねぇよ。ただ、三月二十八日と四月二日は俺とレイラの誕生日で、色々面倒ごとがあるんだよ。今年は……シャノンのことがあるから、さすがにパーティーとかはやらないから、いつもの年よりはマシなんだけど……」
「……そういえば、シュウは三月生まれだったね。え、どうしよう! わたし、プレゼントとか何も用意してない……!」
昔、何かの折にシュウが三月生まれだと聞いた記憶がうっすらと蘇ってくる。
でも、一度聞いただけの話だった上、幼い頃の曖昧な記憶だから、今の今まですっかり忘れていた。
途端に慌て出したサラに、シュウは再度苦笑いを浮かべる。
「俺は、サラがデートしてくれれば充分だ」
「え、そんな……! じゃ、じゃあ……デートの日に、わたしがシュウの欲しいものを何か一つプレゼントするってのは、どう?」
咄嗟に出てきた考えだったが、我ながら妙案に思えてきた。
今のシュウの趣味も好きなものも、サラは知らない。それならば、本人に直接選んでもらった方が互いのためになる気がする。
これでどうだと胸を張ってみせたら、シュウはもう一度声を立てて笑った。
「ああ。それで、よろしく頼む」
「レイラには、何をプレゼントしよう……」
シュウへのプレゼントはデート当日に購入することにしたが、レイラへのプレゼントも果たして市販品で許されるのだろうか。
「レイラは自分の立場に相応しいものしか身に着けたがらないし、傍に置きたがらないから、今度一緒に選ぼう」
シュウの口振りから察するに、オーダーメイドの品とかでもない限り、レイラは受け取ってくれなさそうだ。
「……じゃあ、お言葉に甘えて。その時は、よろしくお願いします」
二人への誕生日プレゼントの段取りが決まると、少しだけ気が緩んだ。
「えっと……待ち合わせは何時頃にしよっか」
「サラの荷物の整理もあるから、午前中のうちにここを発つか。余裕を持って出るから、荷物の整理はゆっくりやっていいからな」
「ありがとう。でもわたし、元々寮に引っ越す予定だったから、荷物の整理はほとんど済んでたの。だから、そんなに時間はかからないと思う」
そう答えたところで、ふと両親の荷物はどうなっているのかと、疑問が浮かぶ。
両親もサラと同じで、強制的にラカージュに召喚されたのだ。荷造りする暇など、欠片もなかっただろう。
しかも二人には、サラみたいに近々引っ越す予定もなかったのだ。
「……お父さんとお母さんも、ここに持ってきたかったものとかあったのかな……」
「なら、本人たちに直接訊いてみるか?」
「え」
独り言のつもりだった言葉を拾われた挙句、思いも寄らない提案を受けて思わず面食らう。
「あ……会えるの……?」
「二人とも従順な姿勢を見せてるから、面会を申し込めば会える状況だぞ。まぁ、面会時間は限られてるけどな」
両親にはしばらく会えないだろうと思っていただけに、心臓の鼓動が大きく乱れる。
「サラが会いたいなら、連れていくが……二人に会いたいか?」
「わたしは……」
――ラカージュに召喚された日、両親がこれまでサラにたくさんのことを秘密にしていたのだと明かされ、憤慨した。
だが、あれからそれなりの日数が経った今、完全にしこりがなくなったわけではないものの、怒りはすっかり消え失せている。
「会えるなら……会いたい」
だから、二人の無事を一目確かめたいと、素直に思えた。
「なら、今から会いにいくか」
「え!? 今?」
「思い立ったが吉日っていうだろ。で……どうする?」
軽やかな動作で腰を上げ、ネージュたちを一旦ケージの中に戻したシュウは三度、サラに手を差し伸べてきた。
「――行く!」
今度こそ遠慮なく手を取って立ち上がれば、シュウに手を引かれて走り出す。
「姫さま?」
ちょうどサラたちの元へと戻ろうとしていたらしいクラリーチェに、すれ違いざまに答える。
「リーチェ! ちょっとシュウと出かけてくるね! 悪いけど、紅茶の後片付けお願いします!」
クラリーチェの返事を聞く暇もなく、サラたちは屋敷の正面に出るや否や、フロントガーデンを突っ切り、飛行カプセルの発着場を目指して坂道を駆け降りていく。
バックガーデンを探索していた時に味わった解放感に再び包み込まれ、自然と胸が弾んだ。
***
――四月五日、当日。
月影邸のフロントガーデンに植えられている桜は満開になり、時折緩やかに吹く風に乗って薄紅色の花びらが舞い落ちてくる。
迎えにきたシュウの応対に出た自動人形曰く、サラの身支度にもう少し時間がかかるのだという。
万が一にも遅刻しないよう、時間に余裕を持って出てきたのだが、かえってサラを焦らせる結果になってしまったかもしれない。
応対に出た自動人形には、慌てずに出かける準備をして欲しいと、サラへの伝言を頼み、シュウは気ままに桜の花を眺めていた。
シュウもサラと同じで、相手を待つことは苦ではない。
だから、サラが申し訳なく思っていなければいいと考えながら、桜の木を見上げていたら、不意にこちらへと駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。




