第11話 天上の楽園
玄関を出てすぐに白いレースの日傘を広げ、少し歩いてからくるりと後ろを振り返る。
月影邸は、空色の屋根とパールホワイトの壁が特徴的な、御伽噺にでも出てきそうな可愛らしい外観の屋敷だ。
もし、妖精や小人が現れたとしても驚かないような、ファンシーな雰囲気を醸し出している。
もう一度屋敷に背を向けると、蕾が膨らんできて開花し始めている桜の木々や、勿忘草が健気に咲き誇る花壇、それから家庭菜園が目の前に広がる。
手慰みに日傘をくるくると回しながら、ゆっくりとフロントガーデンの小道を歩いていく。
桜の木の傍――つまり浮島の端に近づいていくと、落下防止のためのアイボリーのペンキを塗った木の柵がサラの前に立ちはだかる。
柵の高さはサラの胸元くらいまであり、自殺願望でもない限り、柵の外側――空へと落ちることはなさそうだ。
桜の木の下から眼下を見下ろせば、月影邸が建つ浮島に沿って坂道が続いており、その先にはサラがアヤカシと戦うための訓練を受ける訓練所を構えた浮島が存在する。
そして、そこからまた坂道があり、そこを下っていくと、飛行カプセルの格納庫と発着場の役目を備えた浮島が見える。
一応、ここまでが月影一族がラカージュ内で所有する土地だ。
さらにその下には、黒い屋根とパールホワイトの壁が特徴的な、風見邸が建つ浮島があるのだが、サラがその地を踏んだことはまだない。
サラの足が今踏みしめている浮島の左隣をちらりと見遣れば、ラカージュに召喚されたその日のうちに足を踏み入れた、巨大な湖を臨む白亜の城が聳え立つ一際大きな浮島が視界いっぱいに映り込む。
日影邸を構えた浮島は、この広大な浮島を挟んで反対側にあるらしいが、ここからではセレスティア城が邪魔でよく見えない。
反対側へと首を巡らせると、ガラス張りの温室や、外観こそ温室に見える食料プラント、それから服飾品や日用品、果ては武器を製造するプラントが林立する浮島を見下ろすことができる。
このような浮島は、日影邸を構えた浮島の近くにも浮遊していた。
浮島の合間を縫って漂う、絵筆で描いたような薄い雲は幻想的だ。
そして、その遥か下には大海原が広がっている。
第三次世界大戦以前の海の色は、青や緑だったらしいが、現代の海水は真っ黒に染まっている。
(わたし……望んだ形じゃなかったけど、本当に憧れの場所に来たんだなぁ……)
ずっと夢見てきた憧れの空中浮遊都市の景観を眺め、実は夢を叶えていたことを改めてしみじみと噛み締める。
ラカージュにやって来た初日は、それどころではなかったものの、こうして余裕が生まれてくると、何も悪いことばかりではなかったと、素直に現状を受け止めることができた。
(我ながら、単純だなぁ……)
自分自身に向けて苦い笑みを零したところで、再びプラント群が並ぶ浮島に視線を投げかける。
「――おや、姫さま。散策ですか?」
綺麗に刈り込まれた芝生を踏み締める音が耳朶を打ったかと思えば、月影邸で暮らし始めてから何度も聞いた明朗快活な声が続いた。
そっと振り返ると、キャラメルブロンドと琥珀の瞳という親しみやすい色彩を持ち合わせた、青年の姿をした自動人形が人懐っこく笑いかけてきた。
「うん。午前中、みっちりと勉強したから、その気分転換」
「姫さま、ラカージュに来てからまだ日が浅いのに、大変ですね……」
「まだ日が浅いからこそ、覚えなきゃいけないことがたくさんあるんだよ。でも、ビルも大変だよね。毎日庭と畑の世話をしなきゃいけないんだから」
「いや、俺はそれが仕事ですから……」
頭を掻きつつ謙遜してみせるビルは、庭師の仕事を与えられた自動人形らしく、クリーム色のシャツとキャメル色のジョガーパンツ、それから黒いワークブーツを着用している。
「でも、ビルがいつも庭と畑のお世話をしてくれてるおかげで、わたしは景色を楽しみながら散歩できるんだよね。いつもありがとう、ビル」
「いえいえ、そんな……」
サラが労いと感謝の言葉を重ねると、ビルはわかりやすく照れ笑いを浮かべた。
ビルの心が程良く解れてきたところで、プラント群を指差す。
「ねぇ、ビル。あそこでは、食料品や服だけじゃなくて、アヤカシを討伐するための武器も製造されてるんだよね?」
「そうですよ」
「じゃあ――アヤカシを殺すためのアヤカシを人工的に作ったりもしてるのかな?」
にっこりと笑って問いを重ねた途端、ビルは絶句してサラを凝視してきた。
ヴィクトリア・エーヴァと決別したサラたちの祖先が盗んだという技術とは、具体的に何なのか。
地上の学校の教科書にも、ラカージュの歴史書にも明記されていなかった。
だから先刻の授業の合間に、ケントに探りを入れてみたのだが、まずは自分の頭で考えてみろとしか言ってくれなかった。
そして、言われた通りに考えを巡らせてみた結果、盗み出した技術とは知識や道具に限った話ではないのではないかと、ふと思い至ったのだ。
そもそも、離反者とやらがヴィクトリアの技術の粋そのものだったのではないか、と。
「実際のところ、どうなの?」
笑顔のまま一歩詰め寄ったら、ビルはその分じりっと後ずさった。
「……三代目の風見家の当主が保護した、人間には無害のアヤカシは、人類に仇為すアヤカシを討伐するために、今も繁殖と訓練を続けております」
「そうなんだ」
急に歯切れが悪くなったビルをよそに、サラはにこやかに相槌を打つ。
ビルは自動人形だ。基本的に、人の命令には逆らえない。
しかし、引き出そうとしている情報の内容如何によっては、口外を禁じられている場合がある。地上の自動人形がそういう仕様だったから、おそらくここでもそう変わらないだろう。
そのため、ラカージュでも表立って公開されていない情報を求める場合は、慎重に言葉を選ぶ必要がありそうだと、露骨に表情が硬くなったビルの顔を眺める。
(これ以上踏み込んだら、答えてもらえないどころか、これから先も警戒されそう)
シュウやレイラ、クラリーチェ、それにケントの四人、サラに協力的な姿勢を見せてくれたメンバーは皆、頼もしいものの、隙というものがほとんどない。
まだ出会って間もないから、そこまで信頼されていないのか。もしくは、ただでさえこれまでの常識が通用しない環境に放り込まれたのに、一度に多くの情報に晒されたら、サラの負担が一層重くなると考え、小出しにしているだけなのか。
(レイラとケントは前者で、他の二人は後者だろうな)
でも、どんな理由であれ、そう簡単には口を割ってくれないという点は共通している。
だから試しに、最近仲良くなってきたビルに訊ねてみたのだが、引き際は間違えないようにしよう。
無害なアヤカシがラカージュにいることを知れただけでも、今のサラにとっては大きな収穫だ。
「教えてくれて、ありがとうね。あともう一つだけ、訊いてもいいかな」
「……なんでしょうか」
強張った表情が緩んだのも束の間、ビルは再度身構えた。
「わたしがこの世に存在するってことは、ラカージュではクローン技術がそれだけ発達してるってこと?」
「――そんな悍ましい技術は、ここにはありません!」
アヤカシの件よりは答えやすい質問だろうと思ったのだが、先程の比ではない勢いで答えられ、思わず目を丸くする。あたかも、身の潔白を訴えかけるような声音だ。
「……悍ましい?」
それから、ビルの口から飛び出してきた形容詞を反芻し、眉間に皺を刻む。
それではまるで、サラの存在そのものが不気味だと明言したも同然ではないか。
内心どう思おうともビルの自由だが、ここまではっきりと言われると、さすがに反応に迷う。
「あ……いや、姫さまに向かって言ったわけじゃ……」
「なら、誰に向かって言ったつもりだったの?」
ビルが見せた隙を逃さずににじり寄ったら、琥珀の双眸があからさまに泳いだ。
「ビル、答えて。ここにはないなら――クローン技術はどこにあるの?」
「エ……エデン、です……」
この質問への回答は、特に禁じられていないみたいだ。サラの剣幕に若干怯えつつも、答えてくれた。
(ラカージュにはクローン技術がないけど、エデンにはある……)
つまり、サラの誕生にエデンの技術者が関わっていることは、ほぼ確定しているに違いない。
どういう思惑があったのか、見当もつかないものの、その何者かがアンナに接触を図り、初代殺め姫のクローンの妊娠及び出産を承諾させたのだろう。
(お母さんの性格的に、そう易々とそんな怪しい相手に屈するとは思えない……自分かお父さんの命を握られて、脅された?)
今のところ、その線が最も濃厚な気がする。
(とにかく、今日のところはここまでにしよう)
身を乗り出していた姿勢を正し、左手で髪を耳にかける。
「そう、教えてくれてありがとう。ごめんね。仕事の途中だったのに、手を煩わせちゃって。わたし、そろそろ散歩に戻るね」
サラが際どい質問攻めから解放する素振りを見せたからだろう。ビルは今度こそ安心したように全身の強張りを解き、ようやく自然な笑顔を取り戻した。
「それなら、屋敷の裏手を散策されてはいかがでしょう? バックガーデンには白や青のフリージアが咲いてて、ちょうど見頃ですよ。それに、バックガーデンにはフロントガーデンにはない、ちょっとした仕掛けがあるんです」
もしかすると、少しでもサラから遠ざかりたくて、そう言い出したのかもしれない。
だが、フリージアにも仕掛けとやらにも純粋に興味があったから、ビルの提案通り、バックガーデンに足を運んでみることにした。
「じゃあ、わたしはそこに行ってみようかな。ビル、わたしの話に付き合ってくれて、ありがとう。お仕事、頑張ってね」
「はい。姫さまも引き続き、散策をお楽しみください」
互いに別れの言葉を交わすと、ビルの心労を一刻も早く軽減させるべく、サラはさっさと歩き出した。そして、屋敷の裏手を目指しながら、思索に耽る。
(いくら無害とはいえ、アヤカシを育てることにも増やすことにも、そんなに抵抗がなさそうだったのに、どうしてクローン技術の話になった途端、あんなに極端な反応をしたの?)
地上の常識に照らし合わせて考えれば、一般的には逆の反応を見せると思う。
しかし、ビルの一挙手一投足から察するに、少なくともラカージュではクローン技術の方が余程忌避するべきものらしい。
そう考えると、初めてサラの顔を見た伯母が恐怖に表情を歪めたことに納得がいく。
(でも、そうだとしたら――)
そうだとしたら――初代と九代目以外の風見家の当主は、どうしてシュウという名を持つだけではなく、顔まで同じなのか。
午前中の授業で、顔と名前が一致するようにと、ケントは家系図と一緒に顔写真も見せてくれた。
その際、先代と二代前の風見家当主の顔写真を目の当たりにした途端、初代殺め姫の写真を見た時と同じ感覚に襲われたのだ。
似ているとか、そういう次元の話ではない。
容貌が全く同じであるだけではなく、髪や瞳の色まで一緒だったのだ。
ケントが用意してくれた資料には、どの一族も歴代の当主の顔写真は必ず掲載されていたから、授業が終わってすぐに風見家当主の顔写真をざっと確認した。
そうしたら、初代と九代目以外の風見家の当主は顔の造形が完璧に一致したのだ。その上、初代と九代目の当主だけは、何故かシュウとは違う名を与えられていた。ここに何の関連性もないと言い切る方が難しい。
だから、てっきりシュウもサラと同じクローン体なのではないかと、推測を立てたのだ。
でもビル曰く、ラカージュにはクローン技術は存在しないのだという。
もしサラの仮説通りなのだとすれば、二人の誕生の鍵を握っているのは、やはりエデンの技術者なのか。
(駄目だ……今はまだ、情報が少なすぎる)
頭を振ってから一度立ち止まり、頭上を仰ぐ。
シュウの双眸によく似た色合いの透き通った青空をエメラルドの瞳に映していると、不思議と心が凪いでいく。
とりあえず、今はこれ以上考えたところで、堂々巡りになるだけだろう。
一旦頭を空っぽにして、今度こそ気分転換をしようと、屋敷の裏手へともう一度歩を進めた。




