想定外
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前書き
設計には、前提がある。
多くの場合、
その前提は
「普通の人」を想定している。
だが、
普通でない人が現れたとき、
設計は壊れるのではない。
見えてしまうだけだ。
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第五話 想定外
雨は、いつの間にか降り出していた。
三崎はコンビニの自動ドアを抜け、
傘を持っていないことに気づいて、
一瞬だけ立ち止まった。
夜の雨は、街灯を柔らかく歪める。
アスファルトが光り、
音が増える。
その軒先に、
一人、立っている影があった。
濡れているわけではない。
屋根の内側に、
ちゃんと収まっている。
ただ、
そこに立っている。
フードを被った少女だった。
年齢は分からない。
細くも、痩せてもいない。
だが、軽そうに見えた。
三崎は、
気づかないふりをして
横を通り過ぎようとした。
そのとき。
「……トイレ、借りていい?」
声は、思ったより近かった。
振り返ると、
少女は三崎を見ていない。
自動ドアの向こうを見ている。
「……どうぞ」
それだけ言って、
三崎は先に店内へ戻った。
自動ドアが開く。
冷房の冷気。
同じ音。
少女は、
一瞬だけ周囲を見回し、
それから入ってきた。
「いらっしゃいませ」
レジの老人が、
いつもと同じ調子で言う。
少女は何も答えず、
トイレの表示を見て、
そちらへ向かう。
歩き方は、
急いでいない。
遠慮も、ためらいもない。
三崎は、
弁当の棚の前に立ち、
さっき選んだものと
同じ商品を手に取った。
背後で、
トイレのドアが閉まる音。
エリオットは、
少し離れた場所で
棚を眺めている。
「……今の子は」
彼は小さな声で言った。
「知り合いですか?」
「いいえ」
三崎は即答した。
本当に、
何の関係もない。
トイレから水の音がする。
それは、
ここが「使われる場所」だという
当たり前の証拠だった。
しばらくして、
少女が戻ってくる。
手を拭きながら、
何も買わずに
出口へ向かう。
「ありがとうございました」
老人が言う。
少女は、
ほんの一瞬だけ足を止め、
それから、
何も言わずに出ていった。
自動ドアが閉まる。
三崎は、
会計を済ませ、
袋を受け取った。
「最近は、
いろんな人が来ます」
老人が、
独り言のように言った。
「……そうですね」
それだけ返す。
外に出ると、
雨は少し弱くなっていた。
少女は、
まだ軒先にいる。
濡れない場所を選んで、
立っている。
三崎は、
声をかけるべきか迷った。
――助ける理由は、ない。
――見過ごす理由も、ない。
その中間に、
彼は立っている。
「……何か、
温かいものでも?」
自分でも、
なぜそんなことを言ったのか
分からなかった。
少女は、
初めて三崎を見る。
目は、
澄んでも、濁ってもいない。
「別に」
即答だった。
「今は、いい」
三崎は、
それ以上踏み込まなかった。
「そうですか」
それで終わりだ。
少女は、
雨の向こうを見ている。
エリオットが、
少し遅れて外に出てきた。
三人は、
奇妙な距離で
同じ軒先に立つ。
誰も、
自己紹介をしない。
誰も、
事情を聞かない。
ただ、
同じ場所にいる。
雨音だけが、
時間を刻んでいた。
――想定外。
三崎は、
その言葉を思い浮かべる。
設計に失敗したわけじゃない。
排除したわけでもない。
ただ、
考えていなかった。
それだけのことが、
こんなにも
目の前に立つ。
少女が、
小さく息を吐く。
「……じゃ」
それだけ言って、
歩き出す。
止める言葉は、
三崎の中に浮かばなかった。
止めたところで、
何が変わるのか。
少女の背中は、
すぐに雨の中へ溶けた。
エリオットが、
ぽつりと言う。
「彼女は……」
言いかけて、
言葉を探す。
「“外”ですね」
三崎は、
否定しなかった。
外。
だが、
ここも外だ。
完成した場所の、
縁。
その縁に、
立ってしまっただけだ。
三崎は、
手にした袋を見下ろす。
中には、
ちゃんとした食事。
問題は、ない。
その言葉が、
今夜は
どうしても
しっくりこなかった。
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後書き
この話で、
何かが解決したわけではありません。
ただ、
完成していたはずの場所に、
一つ、
想定されていなかった存在が
立ちました。
それだけで、
世界は少しだけ
形を変えます。
次は、
この“想定外”が、
言葉を持ち始めます。
――続きます。




