外の前提
前書き
同じ数字を見て、
同じ事実を読んで、
違う場所に立つことがある。
それは理解力の差ではない。
立っている地面の違いだ。
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第三話 外の前提
そのやり取りは、
いつの間にか続いていた。
三崎は、仕事の合間や帰宅後のわずかな時間に、
あの掲示板を覗くようになっていた。
義務でも、習慣でもない。
ただ、気づくと開いている。
「必要性を先に問う国もあります」
あの書き込みをしたユーザーは、
その後も淡々とした文章を重ねていた。
断定しない。
煽らない。
ただ、前提を置き直す。
英国では、
添加物の議論は
「危険かどうか」より、
「なぜ必要なのか」から始まります。
三崎は、その一文を何度か読み返した。
必要かどうか。
日本では、その問いは後回しにされる。
まず基準があり、
次に安全があり、
最後に、必要性が来る。
いや、
最後に来るのは「仕方ない」だ。
保存や流通のために必要です。
廃棄を減らすためです。
掲示板には、
そうした反論もすぐにつく。
それに対して、
そのユーザーはこう返していた。
ええ。
だからこそ、
量と対象を
分けて考えます。
子ども向けと、
大人向けを
同じ基準で扱う理由は、
どこにありますか。
三崎は、
キーボードの上で指を止めた。
理由は、ある。
制度上の理由。
運用上の理由。
説明の簡略化。
どれも正しい。
どれも、便利だ。
現場では、
分ける方が
コストがかかります。
そう書いて、
三崎は送信した。
しばらくして返事が来る。
ええ。
それも事実です。
だからこそ、
私たちは
「どこで負担するか」を
先に決めます。
企業か、
社会か、
それとも、
子どもか。
その一文は、
責めるような調子ではなかった。
ただ、並べているだけだ。
三崎は、
モニターから目を離した。
――この人は、
日本を否定していない。
それが、
逆に落ち着かなかった。
日本は、よく出来ている。
効率的で、清潔で、
信頼されている。
だからこそ、
「疑う」ことが、
空気を壊す行為になる。
掲示板では、
別の国の話題も出ていた。
フランスでは、
使用可能な添加物の数が少ないこと。
ドイツでは、
表示の仕方が厳しいこと。
イタリアでは、
地域ごとの食文化が強く残っていること。
どれも、
理想郷の話ではない。
どの国にも、
問題はあります。
ただ、
「前提」は違います。
そのユーザーは、
そう締めくくっていた。
前提。
三崎は、その言葉を頭の中で転がす。
日本の前提は、
「止めない」ことだ。
供給を止めない。
流通を止めない。
不安を止めないために、
疑問も止める。
それは、
冷酷さではない。
むしろ、
親切の形をしている。
掲示板の端に、
別の書き込みが流れる。
日本は、
何もかも
ちゃんとしてますよね。
それに対する返信。
ええ。
だから、
問題が
見えにくい。
三崎は、
その一文に、
小さく息を吐いた。
彼は、
現場に戻る。
今日も会議があり、
今日も数字が並び、
今日も「問題ない」が確認される。
掲示板は、
閉じれば消える。
だが、
前提は消えない。
それが、
彼の胸に残っていた。
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後書き
違いは、
優劣ではありません。
選び続けてきた
順番の違いです。
日本は、
止めないことを選びました。
他の国は、
疑うことを
先に置いただけです。
次は、
その選択が生んだ
「完成形」を、
外から見ます。
――続きます。




