第二十話 少しだけ話す夜
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前書き
距離を越える行為は、
大きな決断から始まらない。
たいていは、
「少しだけ話そうか」
という、
弱い一言から始まる。
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その夜、雨は降らなかった。
空気は湿っているのに、
路面は乾いていて、
街はいつもより静かだった。
三崎は、改札を出たあと、
自然と足が止まる場所を選んだ。
コンビニの裏。
正面ほど明るくないが、
完全に暗くもない。
余白の名残が、
まだ残っている場所。
エリオットは、
少し遅れてやってきた。
「今日は、
いますかね」
「分かりません」
分からない、という言葉を
二人とも否定しなかった。
しばらくして、
ミオが現れた。
偶然を装うには、
歩く速度が少し遅かった。
「……なに」
ミオは言った。
「呼んでない」
「ええ」
三崎は答える。
「ただ、
ここにいただけです」
ミオは、
一瞬だけ二人を見てから、
壁にもたれた。
帰らない。
でも、近づきもしない。
その距離が、
今日の条件だった。
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「この前の広場のこと」
三崎が言った。
ミオは、
肩をすくめる。
「別に」
「助けられた、
とも思ってないし」
「邪魔された、
とも思ってない」
「ただ、
速かった」
エリオットが、
ゆっくり頷く。
「速さは、
善意の癖ですね」
ミオは、
鼻で笑った。
「善意ってさ」
「だいたい、
急いでるよね」
誰も反論しなかった。
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「……なんで、
こうなるんだと思います?」
エリオットが、
珍しく質問を投げた。
ミオは、
すぐに返さない。
三崎が、
先に口を開いた。
「回るから、
だと思います」
「止めると、
壊れる」
「壊れると、
一番困る人が出る」
「だから、
みんな止めない」
ミオは、
地面を見ていた。
「じゃあさ」
「私が、
困っても?」
三崎は、
すぐに答えられなかった。
「……困ってます」
それだけ言った。
ミオは、
少し驚いた顔をした。
否定されると
思っていたのだろう。
「困ってる、
って言える人が少ない」
三崎は続ける。
「だから、
仕組みは
“困ってない前提”で
作られる」
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エリオットが、
少しだけ踏み込む。
「多くの国で、
似た形になります」
「医療も、
食品も」
「短い時間で
測れるものが、
評価される」
「長い時間で
起きることは、
後回しにされる」
ミオは、
顔を上げた。
「それ、
日本だけじゃないんだ」
「ええ」
「日本は、
ただ……」
エリオットは言葉を探す。
「完成度が高い」
「中途半端に
壊れない」
「だから、
違和感が
長く残る」
ミオは、
それを噛み砕くように
黙った。
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「テレビとかさ」
唐突に、
ミオが言った。
「なんで、
やんないの」
「こういう話」
三崎は、
少しだけ息を吐いた。
「生活全部に
関わるからです」
「誰かを
悪者にできない」
「解決策も、
すぐ出せない」
「だから、
向いてない」
エリオットが、
付け足す。
「不安を
長く残す話は、
放送に
向きません」
「視聴者が
疲れる」
ミオは、
小さく笑った。
「疲れてるのは、
こっちなのに」
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少し、沈黙。
遠くで、
電車の音がした。
「……でさ」
ミオが言う。
「それ、
私に関係ある?」
二人は、
顔を見合わせなかった。
三崎が、
ゆっくり言う。
「あります」
「でも」
「あなたに
“どうしろ”
とは言えません」
「言った瞬間、
また速くなる」
ミオは、
その言い方を
しばらく考えた。
「じゃあ」
「今は?」
三崎は、
即答した。
「今は、
話しただけです」
エリオットも、
頷く。
「それ以上、
進めません」
ミオは、
小さく息を吐いた。
「……それなら、
いいや」
壁から離れ、
立ち上がる。
「今日、
帰れる」
三崎は、
それを聞いて
胸の奥が
少しだけ緩んだ。
「また、
話す?」
ミオが、
振り返らずに言う。
「タイミングが
合えば」
三崎は答えた。
「無理には、
合わせません」
ミオは、
それだけ聞いて
歩き出した。
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エリオットが、
ぽつりと言う。
「話し合いに
なりませんでしたね」
「ええ」
三崎は言った。
「でも」
「話しました」
二人は、
それで十分だと
思えた。
距離は、
まだある。
でも、
固定は
少しだけ
緩んだ気がした。
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後書き
答えを出すための会話は、
速い。
けれど、
答えを出さない会話は、
人の速度を
守ります。
この夜、
三人は
何も解決していません。
それでも、
一つだけ変わりました。
「話せるかもしれない」
という感触が、
残りました。
次は、
この感触を
別の場所へ
持ち出す話です。




