第十八話 同じ場所、違う速度
⸻
前書き
衝突は、
怒鳴り声から始まるとは限らない。
たいていは、
「早くしてください」という
丁寧な一言から始まる。
⸻
それは、
週末の午後だった。
駅前の広場は、
イベント用のテントで埋まっている。
白い布。
揃ったロゴ。
明るい色ののぼり。
相談できます
つながれます
今すぐ
言葉は、
短く、分かりやすい。
ミオは、
遠回りをしようとして、
結局その前を通ることになった。
人が多い。
視線が多い。
歩く速度が、
自然と落ちる。
「こんにちは!」
若い女性の声。
ミオは、
聞こえなかったふりをした。
「ちょっとだけ、
お時間いいですか?」
声は、
一歩、近づく。
「今、
支援のご案内を――」
「急いでる」
ミオは、
振り向かずに言った。
急いでいない。
でも、
止まりたくなかった。
「でしたら、
こちらだけでも」
紙が、
視界に入る。
ミオは、
足を止めた。
「……さっきも言ったけど」
振り返る。
「大丈夫」
女性は、
少しだけ困った顔をした。
「そういう方ほど、
後で大変になることが――」
言葉が、
続く。
続いてしまう。
ミオは、
息を吸った。
「それさ」
声は、
思ったより静かだった。
「誰が決めたの?」
女性は、
言葉に詰まる。
「何を、
でしょうか」
「“後で大変”って」
周囲の音が、
少し遠のく。
女性は、
研修で覚えた
言い回しを探している。
「統計的に――」
「統計ね」
ミオは、
頷いた。
「じゃあ、
今の私は?」
女性は、
答えられなかった。
そのとき、
後ろから
別の声がした。
「少し、
距離を取りましょう」
落ち着いた声。
三崎だった。
ミオと女性の間に、
自然に立つ。
「すみません」
三崎は、
女性に向かって言う。
「彼女は、
今は必要としていません」
「でも、
支援は――」
「“今は”です」
三崎は、
言葉を重ねなかった。
エリオットも、
少し遅れて近づく。
「速度が、
違います」
彼は、
穏やかに言った。
女性は、
戸惑いながらも、
一歩下がった。
「……失礼しました」
そう言って、
別の人へ向かう。
ミオは、
何も言わなかった。
ただ、
肩の力を
少しだけ抜いた。
「大丈夫?」
三崎が、
小さく聞く。
ミオは、
一度だけ頷く。
「ありがとう、
とかは言わないけど」
「それでいいです」
三崎は答える。
エリオットは、
広場を見回した。
「ここは、
同じ場所に
いろいろな速度が
集まっています」
「だから、
ぶつかる」
ミオは、
テントの列を見た。
「悪い人じゃ
ないんだよね」
「ええ」
三崎は言う。
「ただ、
速い」
ミオは、
少し考えてから言った。
「速いとさ」
「人、
見えなくなるよね」
誰も、
否定しなかった。
三人は、
人の流れから
少し外れた。
イベントの音が、
遠くなる。
同じ広場。
違う世界。
ミオは、
深く息を吸った。
「……もう行く」
「はい」
三崎は、
引き止めなかった。
ミオは、
歩き出す。
今度は、
振り返った。
「ね」
「うん?」
「止めてくれて、
ありがとう」
それだけ言って、
人混みに戻る。
三崎とエリオットは、
その背中を見送った。
「介入しすぎましたか」
エリオットが聞く。
「いいえ」
三崎は答えた。
「速度を
揃えただけです」
広場では、
今日も善意が
忙しく動いている。
それ自体は、
悪くない。
ただ、
誰かの一日を
追い越してしまうことが
あるだけだ。
⸻
後書き
衝突は、
敵意から生まれるとは限りません。
たいていは、
速さの違いから生まれます。
大切なのは、
どちらが正しいかではなく、
どちらが
今のその人に
合っているかです。
次に描かれるのは、
この“合わなさ”が
制度として固定される瞬間です。




