159話 ボツ分
没理由:細川様と顕如が小者っぽい
肘置きをトントン叩いていると、細川様が言った。
「京屋敷でも建てられますか?」
苦笑交じりの提案に眉が寄る。
「そんな金はない」
長逗留を決めた時、細川様が屋敷を提供してくれた。
御所の襲撃から数えて、そろそろ一月だ。
俺が他人の家で居心地の悪い思いをしていると感じたのだろう。モールス信号を知らない人間にとって、肘置きを叩く指は苛立っていますアピールに見える。慶次が面白がって、外でも使えるようにしようと言い出したが、発光器がないので鏡の反射が関の山だ。信号を覚える前に目が悪くなるし、夜間は使えない。
「今の織田家が金に困っているとは思えませんが、また何か開発していらっしゃるのでしょうか。よろしければ、私にもお聞かせ願いたいものです」
「猫撫で声で話しかけてくんな。気色悪い」
「おや、失礼。ちょっとした八つ当たりですよ、フフ」
真黒な笑顔を見やり、こっそりと溜息を吐く。
六条御所の襲撃を予測していたのに何も言わなかった俺に対して、細川様は隠し事をするなんてと怒っているのだ。可能性くらい気付いていただろうに、手柄を摂津三守護に持っていかれたのが気に入らないらしい。
勝正たちが馬廻衆と共にいたのは、全くの偶然だ。
摂津の豪族である荒木村重が織田への臣従を願い出てきたので、俺への連絡をどうするのか問い質していた時に襲撃が起きたのである。村重はもともと池田家臣の一人であったが、池田城が落ちた時に城主の勝正も死んだと思っていた。
慌てて京へ向かったら、正秀から勝正の存命を知る。
嘘だ何だと騒いでいるうちに当の本人が現れて、しかも摂津三守護の一つに選ばれたという事実に相当驚いていたという。とにかく、御所内でゴタゴタしている間に襲撃を受けたので本圀寺の貴重な建物をいくつも失うことになった。
光秀が怒っていたのも、細川様と同じ理由だろう。
騙されたと思って気分が良くなる人間なんかいない。それはただの変態だ。そう、変態の伴太郎は甲賀へ六角親子を追い込んだことを大層喜んでいた。これでやりやすくなったなどと物騒なことを言っていたが、近江と伊勢に大きな被害が出ないようにしてもらいたい。
「信長様」
「…………」
「信長殿」
「んだよ? どうした、細川様」
「いい加減、私のことは藤孝とお呼びください。血筋のことを出されるのでしたら、細川京兆家の現当主である昭元殿の方が上なのです。その昭元殿も、今は長逸たちと行動を共にしておりますが……」
「あとは筒井順慶だな」
「え?」
「爆弾正が戻らん。大和国で足止めくらっているらしい」
「いつ、そのような報せを」
戸惑う声には応えず、肘置きをトントンする。
小姓たちが入れ替わるのは、もう何度目になるか。最後まで発信しなくても察してくれるので非常に助かる。普通に会話をしながら信号発信は、いつの間にか慣れていた。
松千代が困った顔をして、膝でトントンする。
すると俺が肘置きでトントンして、彼はまた廊下に消えていく。
「信長殿」
あ、さすがに気付いたか。
1トーン下がった声音と眇めた目は、細川様が不機嫌な証拠だ。
「何を話しておいでですか」
「来客だとよ」
「丹後の一色殿でしょうか」
「いや、本願寺と堺の天王寺屋だ。顔見知りだろ? せっかくだから会っていけよ」
屋敷の主じゃないのに、我ながら偉そうな台詞である。
細川様は一瞬息を呑んでから「ご存知でしたか」と呟いた。顕如は公家出身の嫁さんもらっているし、天王寺屋は茶の湯にも詳しい。広い人脈を持つ細川様なら顔見知りでもおかしくない。
微妙な沈黙に居心地悪くしていると、松千代の先導で二人がやってきた。
二人いるはずなのに、顕如の巨躯で天王寺屋が見えない。
「すまぬ!」
「あ、天王寺屋いた」
「……宗主様が頭下げてはるんやし、そっちを先にしてほしいわ」
「俺に許す権利なんかあるのか?」
頭を下げるべき相手は義昭のはずだろ。
今回はさすがに坊官を伴ってきたというが、今頃やってくるくらいなら知らぬ顔をしてくれていた方がいい。別に俺は怒っちゃいないし、三人衆を潰す口実ができたので好都合とすら思っている。……こういうところが、光秀は気に入らないんだろうな。
天王寺屋も似たような用件なのは知っている。
詫びの品が細川邸に届いたというから、先日岐阜から来たばかりの貞勝に任せた。鶴千代の覚えがいいので、小一郎も助かっていると聞く。あいつは本当に、秀吉の弟にしておくのが勿体ないくらいの働き者だ。
秀吉が使えない、という意味じゃないので念のため。
頭を下げたまま動かない顕如を見やり、首の後ろを掻いた。
「本当に何とも思っちゃいねえよ。堺と本願寺が手を貸さなきゃ、洛中に入り込むなんて無理だからな。畿内は織田領というわけじゃ」
「織田領です」
すかさず細川様の訂正が入った。
「丹後と播磨は」
「時間の問題です」
誰かー、細川様を止めてー。
丹後国は一色氏の所領で、播磨国は赤松氏が治めていた。とっくに前世知識なんて役に立たない領域を軽く超えているわけだが、播磨国の姫路城は知っている。黒田孝高なる若武者が寡兵で赤松軍に挑んで、これを見事打ち破ったのは去年の話だ。
みんな大好きクロカンこと、黒田官兵衛である。
慌てて半兵衛を呼び戻すべく伝令も飛ばしておいたが、間に合うかどうか分からん。島左近にクロカンで、毛利三男坊とか本当に勘弁してほしい。まとめて襲ってきたら、俺なんかペシャンコにされる。織田軍にも頭脳派はいるとはいえ、頭に血が上りやすい奴らばかりだ。
赤子の手をひねるみたいにポイされるんじゃないか?
ついでに畿内の覇権をプレゼントすれば何とかなるかな。君たちの新しい主君はあっちですよーって、あっさり鞍替えするようなタイプは誰も重用しないな。信用に値しない。
蜂蜜につられて、取り返しのないことをしてしまった……!
「おのれ、爆弾正」
「は?」
「何でもない。それで本願寺と堺は、詫びを言いに来ただけか? 品物に罪はないから貰っておくが、俺の噂は聞いてるだろ」
「あー。気に入らんモノは、さっさと売ってしまう話ですやろ。茶道具は畿内統一の祝いやから、蝦夷や琉球の珍しい物を揃えさしてもらいました」
「蝦夷……羅臼昆布か!?」
たちまちテンションを上げる俺。
琉球のはなんだろうなあ。そわそわし始めた俺に、天王寺屋の「納品書」を小姓が持ってきてくれた。その中の一つに、思わず叫びそうになった。はたと口を押さえ、天王寺屋を見る。
ぐっと親指を立てるので、俺も同じ仕草で返した。
「内緒話は私のいないところでやっていただけませんか」
「ほそか……藤孝、睨むな。視線が刺さる」
「射殺すなんて生易しいことはしません。真綿でゆっくり包んでさしあげます」
細川様コワイ!!
俺たちの様子に一人置いてけぼりをくっていた顕如が、ようやく再起動した。
「フウゥーッ」
「お、顕如起きたか。お帰り」
「寝ておらぬ。が、目が覚めた気分である。織田殿」
「何だ?」
「詫びが要らぬと言われようとも、拙僧の気が済まぬ。下間頼廉以下数名と、根来衆をお預けいたそう。僧兵の力など借りたくないかもしれぬが、使わねば腐るゆえに」
これに細川様が反応した。
「根来衆は真言宗の僧兵です。同じ紀伊国の惣、雑賀衆と同じく鉄砲の使い手だと聞いています。彼らが信長様に臣従するということですか?」
「否。あくまでも手を貸すだけである」
「それでは話になりませ――」
「十分だ」
「信長様!」
雑賀衆なら知っている。
信長暗殺未遂の狙撃犯が雑賀孫市というのが史実かどうかは別として、鉄砲の名手は非常に使い勝手がいい。それに臣従しないなら、ビジネスライクな関係で済む。伊賀衆もあくまで契約上の関係に留めている。俺自身に忠誠を誓っても代が替わったら離れていく、ということもあるからだ。
「本圀寺を焼いた賊どもを、俺は許さん。顕如、その根来衆はいつ頃来る?」
「すぐにでも」
「上等だ。藤八郎、根来衆が来たら最優先で俺に通せ。勘違いした馬鹿どもが近づく前に契約成立させたい」
「かしこまりました」
「松千代、近江衆と伊勢国人衆が鉢合わせないように段取りを組め。配置は任せる。資金関連は吉兵衛に、いざこざは又六郎に回せ。水軍は」
「あのでっかい鉄の船なら、堺の港で受け入れまっせ。あれがおると、瀬戸内の海賊も大人しゅうなる」
「ということだ」
「すぐに伝えてまいります」
「……ということを指示していた。納得したか、藤孝」
急に水を向けられてキョトンとした細川様は肘置きを見て、目元を赤くした。
表情こそ通常の微笑を保っているのに、ほんのり色付いただけで恥じ入っているのが分かる。細川様の人間らしい一面が見られた俺は満足したが、当の本人は素の感情を見せたのが余程悔しかったようだ。
しばらくの間は細かいことで、ねちねち苛められた。




