第27話:その「復活の輝き」は、接触抵抗ゼロの適正トルクです
M30(480Nm)、絶許……。
パキィィィィン……!
不吉な音が響いた。
エスティアが展開している光の障壁に、亀裂が走る。
「くっ……! 障壁にヒビが……! もう魔力が持ちません!」
エスティアが悲鳴を上げ、膝をつく。
窓の外では、巨大な飛竜がその顎を開き、次なる灼熱のブレスを吐き出そうとしていた。
さらに、無数のガーゴイルたちが、結界の隙間を狙って旋回している。
「ああっ! 剣も折れた! ワタル、まだかい!?」
カイが絶叫する。
「航くん……お願い……!」
凛が杖を構え直すが、その手は震えていた。
絶望的な状況。
だが、俺の耳には、その悲鳴も爆音も、遠い世界の出来事のように聞こえていた。
俺は無音の集中に入っていた。
現場において、焦りは最大の敵だ。
俺の全神経は今、目の前の金属表面だけに注がれている。
◇
キュッ、キュッ……。
俺はウエスで、研磨したばかりの端子を拭き上げた。
ヘッドライトの白い光に照らされ、そこには奇跡が生まれていた。
さっきまで緑色のサビと煤にまみれていた真鍮の端子は、今や鏡のように輝く純銅色を取り戻していた。
酸化皮膜、完全除去。凹凸なし。
「……よし。面は出た」
俺は素早く、太い魔力伝導管を磨き上げた端子に接続し、ボルトを通した。
ここからが最重要工程だ。
「おい貴様! もっと強く締めろ! 全力で締め上げるのじゃ!」
背後で様子を見ていたガレンが叫んだ。魔物の咆哮に負けない大声だ。
「緩んで外れたらどうする! 親の仇のように締めるのだ!」
「黙ってろ素人」
俺は冷たく言い放ち、大型のモンキーレンチを構えた。
「全力で締めたら、金属が伸びて強度が落ちる。それに、通電時の熱膨張でボルトがねじ切れるぞ」
◇
俺は脳内で、さっき確認した図面の数値を呼び起こした。
M30真鍮ボルト・指定締付トルク:480 N・m
M30という巨大なサイズだ。もしこれが橋やビルの骨組みに使う構造用高力ボルトなら、1400 N・m近いトルクでガチガチに締め上げる必要がある。
だが、こいつは電気を流すための接点ボルトだ。
挟み込んでいる端子台(銅)やクリスタルの台座は柔らかい。鉄骨と同じ馬鹿力で締めれば、接地面が潰れて(塑性変形して)、時間が経つとスカスカに緩んでしまう。
だから、あえて480 N・mという、M30にしては控えめな数値が指定されている。
しかし、だ。
控えめと言っても、それは油圧等の機械の世界の話。
480 N・mは、長さ1メートルのパイプを噛ませて、成人男性がほぼ全体重(約60kg)をかけてようやく届く数値だ。
手持ちの短いモンキーレンチ一本で出せる数字ではない。
(……だが、今の俺には資格がある)
俺はレンチの柄を握りしめ、固有スキル『施設管理』を意識した。
このスキルは戦闘(破壊)には一切役に立たない。
だが、対象設備を正常な仕様に戻すプロセスにおいてのみ、俺の身体能力は強制的に補正される。
たとえ相手が何トンあろうと、それが資材搬入なら持ち上がる。
たとえ人間の腕力で不可能でも、それが規定トルクなら回せる。
それが、俺の能力だ。
(……規定値、480 N・m。……セット完了)
俺はレンチに力を込めた。
本来ならビクともしないはずのボルトが、俺の意思に呼応するように、ヌルリと回り始める。
グッ、グッ……。
筋肉の限界ではない。数値の限界を探る。
ボルトが座面に当たり、摩擦が生まれ、そして金属がわずかに伸びようとする領域。
(……450……460……470……ここだ)
俺の職人としてのセンサーが、金属の悲鳴を聞き分ける。
これ以上回せばオーバートルク。これ以下なら緩み。
スキルの補正が、俺の腕をピタリと止める。
クッ。
完璧な締め付けだ。
俺はレンチを腰に戻し、指差呼称を行った。
「端子接続、ヨシ!」
「絶縁被覆、ヨシ!」
「工具撤去、ヨシ!」
「な、何をブツブツと呪文を……?」
ガレンが呆気にとられているが、知ったことか。安全確認こそが、最強の防衛魔法だ。
◇
パリーン!!
その瞬間、エスティアの障壁が完全に砕け散った。
「グルァァァァァァッ!!」
ワイバーンが塔の中に首を突っ込み、灼熱の喉奥を見せつける。
炎の塊が、俺たちを焼き尽くそうと膨れ上がる。
「きゃぁぁぁっ!!」
「うわぁぁぁっ!!」
凛たちの悲鳴。ガレンの絶望的な顔。
だが、俺は動じない。
俺の手はすでに、壁にある主開閉器の黒いレバーにかかっていた。
俺は短く息を吐き、そのレバーをガコンと押し上げた。
「通電!!」
◇
瞬間。
世界から「音」が消えた。
以前のような「ブーン」という唸り音も、「チカチカ」という点滅もない。
ただ、圧倒的な静寂と共に。
カッ!!
部屋の中央にあるクリスタルから、直視できないほどの純白の光が放たれた。
それは以前の黄色がかった光とは次元が違う。
抵抗ゼロ。エネルギーロスゼロ。
100%の効率で変換された、純粋な魔力光だ。
「ギャッ……!?」
ワイバーンが驚愕に目を見開く。
次の瞬間、クリスタルから放たれた光圧が、物理的な衝撃となってワイバーンを襲った。
ドォォォォン!!
「ギャァァァァァッ!!」
巨大な飛竜が、まるで木の葉のように吹き飛ばされた。
塔から放たれた光の波紋は、瞬く間に同心円状に広がり、学園都市の夜空を昼間のように照らし出した。
空を覆っていた無数のガーゴイルたちが、その光に焼かれ、悲鳴を上げて彼方へと逃げ去っていく。
「な……なんという……!」
ガレンが床にへたり込み、涙を流して震えていた。
「音も、揺れもなく……これほどの光量が……!? まるで、精霊が無音の歌を歌っているようだ……!」
「……当たり前だ」
俺は眩しさに目を細めた。
「抵抗がなけりゃ、音も熱も出ない。……これがこいつの本来の性能だ」
◇
数分後。
塔の中は、穏やかで強力な光に満たされていた。
不快なオゾン臭も、あの石油の匂いも換気され、今はただ、静かな稼働音(ハム音)だけが響いている。
俺は散らばった工具を丁寧に箱に戻し、持参した厚紙とミニ箒を取り出した。
床に散乱した削り落とした緑青の粉を丁寧に掃き集め、油まみれのウエスや、空になった自作スプレーのペットボトルと共に、ゴミ袋へと放り込む。
4S(整理・整頓・清掃・清潔)。
ただ直すだけじゃない。ゴミ一つ残さず、来た時よりも美しく。
そこまでやって、初めて仕事は完了する。
へたり込んでいる凛、カイ、エスティアに手を差し伸べる。
「怪我はないか? ……お疲れさん」
「わ、航くん……」
凛が俺の手を取り、涙目で立ち上がる。
「すごいですわ……。あんな奇跡、見たことがありません」
「ただの修理だよ」
俺は最後に、呆然としているガレンの前に立った。
そして、老人の肩をポンと叩いた。
「修理完了だ。……次は半年後に点検しろよ。サビ止め塗っといたから、当分は持つはずだ」
「き、貴様は何者なのだ……? 大賢者の生まれ変わりか? それとも、精霊の愛し子か?」
ガレンが縋るように聞いてくる。
俺はヘルメットを小脇に抱え、ふっと息を吐いた。
「ただの施設管理員だ」
俺は出口へと歩き出した。
「帰って寝るぞ。……明日は普通に授業があるんだ」
「あっ、待ってよワタル!」
「航くん、素敵でしたわー!」
仲間たちが追いかけてくる。
いい現場だった。
……だが、この深夜の呼び出しと危険手当、きっちり残業代として学園長に請求させてもらうぞ。
本日も一日ご安全に!




